夢椅子シリーズ

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続夢椅子1−1

 台風並みの熱風が、山あいの街で吹き荒れていた 
 山の木々は、葉裏を返してざわめいている。
 軽い空気が谷間を通り過ぎ、渦巻いている。
 不意を襲われた人々は、家のまわりの物を吹き飛ばされた。
 物干しざおを取り込もうとした老女が、風にあおられた。
 地面に転んで、頭をぶつけた。
 自転車で通りかかった老人が、よろめいている。
 生い茂ったこんにゃくの中で、うずくまっている人もいた。
 丸太椅子にすわっていた正夫さんは、危うく難をのがれた。
 隣の玄関わきの看板が、頭をかすめていった。
 ガランガラン。
 大きな音が、店の中まで聞こえた。
 「あんたあ、大丈夫かい」
 奥さんが、飛び出してきた。
 「早く中へ入って。突風だよ」
 正夫さんは、頭をかかえて、うずくまっている。
 「どこもケガしてないかい」
 「とっさによけたから助かったけどな。あんなのが、まともに当たったら、大けがしたな。俺、八十年、生きてるけ
ど、こんなの初めてだ」
 「まったくだよ。まるでお天道様が、怒っていらっしゃるようだ」
 店内から、ふたりは外を眺めている。
 信号で停止した車のガラスに、飛んできた物が当たった。
 洗濯物が飛んできて、玄関の窓ガラスにひっついている。
 歩道のプランターが、次々に倒れた。
 ちょうど下校時間だった。
 玄関先で子供たちが四、五人、しゃがみこんでいた。
 引率の若い女の先生が、子供たちをかばっている。
 「おい。駄目だ。子供があぶない。俺は足が弱いから、おめえ、こっちに入るように言って来い」
 「はい」
 玄関のドアを少し開けた。
 風圧で重い。
 力をこめた。
 「あんた、こっちへおいで」
 声をかけて、手招きした。
 泣き顔になっていた。 
 ぶるぶる震えている。
 子供の手をとって、ひとりずつ中に入れた。
 「早く、早く」
 ほっとしたのか、泣き出す子もいる。
 「どうもありがとうございます」
 先生が頭を下げた。
 「もう大丈夫だよ。泣かないでいいんだよ」
 奥さんが慰めている。
 「おじさん、おばさん、どうもありがとう」
 声をそろえた。
 足から血が出ている子がいた。
 プランターが、ぶつかってきたと言う。
 「救急箱を持ってこい」
 奥さんに命じた。
 戦争中を思い出していた。
 正夫さんは、緊張した表情になっていた。

俺、いくつだっけ。

 三月下旬。晴れた日の午後。
 正夫さんは、奥さんと家の庭にいる。 
 梅の花が白紅ともに、咲きほこっている。
 かぐわしい香りをあたりに放っている。 
 
 低いが力強い音がする。
 「なんだろな。あの音は」
 「あたしは聞こえないよ」
 「耳がとおいのによく聞けるね」
 「耳がとおいだけが余計だ。よく聞けるっていってくれ」
 「はいはい。よく聞けるね。耳がいいね」
 「なんかわざとらしいんだな」  
 ふたりして木の真下に立つ。
 耳を澄ます。
 
 「まあいい匂いだこと」
 「なんちゅうか。今流行のアロマとかいうやつか」
 「いい匂いをかぐと気持ちがやすらぐのよ」 
 過日の車の衝突事故は、年老いたふたりにとって大変な経験だった。
 梅の妖精が、その羽をゆっくり大きくあおる。
 疲れたふたりの心を癒してくれる。
 
 奥さんが一匹の蜜蜂を見つけた。
 花にとまっている。
 飛んでいるときは、小さすぎて見えないのである。
 数え切れないほどいる。
 ブンブンブン。
 蜜蜂の羽音であった。
 「ずいぶん働くんだな」
 「そうね」
 「正直なものだ。花が開けば、仕事にでかける。みつを取りに来るわけだ」
 「あたしたちが若かった時とおんなじね」
 「うん。そうだない。朝二時に起きて大洗にでかけたな。片道四時間かかった。お客さんが喜ぶ顔が今でも目に浮かぶよ。お店の秋刀魚は、とってもおいしいって、ほめられたな」
 「ふたりして苦労した甲斐があったわね」
 「いい想い出だな。働き蜂には、女王蜂がお客さんってところかな。どうした。暖かいから表に出るか」
 「そうね。誰かとおしゃべりできるかもね」
 「そうだ、そうだ」
 
 大通りの歩道わきは、陽射しがあたたかい。
 店の軒先まで太陽が照らしてくれている。
 「きょうはお天道様に大事にされているなあ」
 「そうだね。おまえさん」
 「それにしちゃ、人通りが少ない。車が通らねえ。どうしたんだろうな」
 「そうだよ。大地震のせいだよ」
 「ガソリンがないんだよ。下町の油屋さんの前で、車が長い行列をつくってるの、見ただろ。あんた」
 「ええそんなことあったっけ」
 「もう忘れちゃったのかい」
 「かあちゃん」
 「なんだい」
 「おれ、いくつだっけ」
 「八十四。しっかりしようね。昨日のことなんだからね」
 学習塾の先生が、自転車に乗って通りかかる。
 前かごに本が三冊入れてある。
 「今日は。お元気そうですね」
 「よう、久しぶり。元気だったかい」
 「元気ですよって、言いたいけれど、このところひどい事ばかりが起きてね」
 「本当だね。部屋の中がめちゃめちゃになったよ」
 「ケガはなかったですか」
 「ええ、ありがとうございます。先生の方はどうですか」
 「家はなんとか無事でした」
 「東北の人たちのことを思えば何でもねえよ。このくらい」
 「そうですね。たくさんの方が犠牲になられた。将来ある子供だって」
 
 先生は目に涙をためている。
 「考えるだけでこうなるんですよ」
 「そうですよ。当たり前です」
 「ここじゃなんだから、奥でお茶でもいかがですか」
 「はい。それじゃお言葉に甘えて」
 「よかったな。はじめてじゃないか。先生とお茶を飲むのは。俺はのみこみのいい人と話すのが好きなんだ。近くの年寄りと話すよりずっといい。街をどうしたら活気づけられるかとか、そういった話がいい。俺、政治をやってみようかって思ってるんだ」
 「すごいですね。正夫さん。夢がありますね」
 「そうだよ。いくつになってもね。希望を持たなくちゃ」
 どっこいしょと丸太椅子に腰かけた。
 「かあちゃん」
 「なんだい」
 「俺、いくつだっけ」
 「八十四」
 

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