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四月上旬。ユリと剛は、それぞれに入学式を迎えた。
桜の花が、ふたりを温かく迎えてくれた。
東京の人になった。
二週目の日曜日。
JRお茶ノ水駅前で待ち合わせた。
剛が先に改札口に現れた。
お気に入りのジーパンをはいている。
よれよれになっているが気にしない。
М大はこの近くである。
幸いなことに、アパートを駅近くに見つけることができた。
不動産屋を何軒もまわった。
それほど金をかけられない。
アルバイトをやりながらの通学である。
苦学生のひとりであった。
寝泊まりできればどんな所でもいい。
父は、剛が若い頃に亡くなった。
母が、母方の祖母を含めて、一家三人を支えている。
夜間に勉強してもいいと思ったが、母が、
「昼間にしなさい、お母さんが働くから」と言いはった。
幸い、奨学金を借りることができた。
俺は本当に幸せだ。
東北を襲った大地震から、まだ日が浅い。
大津波でたくさんの人々が亡くなった。
原発の放射能汚染を封じ込めるために、命がけで日々闘っておられる方々がいる。
忘れてはならぬ人たちが、たくさんいらっしゃる。
被災されたうえに、放射能汚染により故郷にとどまることが出来ない人たち。
剛の故郷、U市にも避難して来られた。
小さくてもいい。
今、自分ができることを精いっぱいやろうと思っている。
人々の心に暗雲が垂れている。
目的地の定まらない道を我々日本人は、とぼとぼと歩いている。
でも、剛は日本を信じている。
必ず復興することを。
先だっての敗戦のあと、奇跡の復興をとげた先人たちの努力を学んだ。
今度は、俺たち若い者が先頭に立って、希望に続く道を切りひらいて行かなくてはならない。
そのためにもしっかり勉強するんだ。
ユリを待つ間、剛はさまざまなことを考えた。
剛にとって不慣れな土地である。
東京の地理に詳しいユリに動いてもらうことにした。
午後一時が約束の時刻である。
電車が着くたびに、たくさんの人が改札口を通りすぎる。
どの人も元気がない。
無理もない、と思った。
誰も顔見知りがいない。
不思議に感じられた。
田舎の駅では、こんなにたくさんの人が一度に乗り降りしない。
剛は目が回るほどであった。
三十分過ぎた。
いまだに、ユリの姿を見つけることが出来ない。
剛は少し疲れてきた。
不機嫌になっている。
改札口から離れた。
駅舎の壁によりかかった。
腕組みをしてうつむいている。
「ごめん。ごめん。剛待たせたかしら」
不意にユリの声が聞こえた。
ユリが下から剛の顔を見ている。
剛は目をそらした。
「あら、怒ってるのね」
「いいや」
「顔にかいてあるわよ。おそい。おそいって」
「そんなこと言うんだったらもっと早く来いよ」
「わたしね。迷子になっちゃったの」
くすっと笑った。
「なんだあ、迷子だって。ユリが。大きな子供だな」
「私だってどこからどこじゅう知ってる訳じゃないんだもの」
「あははは、そうだよなあ」
「ああよかった。剛が笑ってくれて」
「じゃあ行こうか」
「ええ」
腕を組んで三省堂へ通じる坂道をくだっていく。
「あたしおしゃれしてきたんだから、剛」
「わるいわるい。これしかないんだよ」
「まあいいわ。許してあげる」
「ほら、ここだよ。俺の大学」
「そうね」
「知ってるの」
「ええ、ここは有名なのよ。商学部に入るのはむずかしいんだから」
「俺が入学して、ユリはうれしいか」
「ええ、喜んでるわよ」
「じゃあ、四年で卒業できるようにがんばる」
「いっしょに卒業しましょうね」
不意にバイクの音がした。
きゃあ。
ユリが叫んだ。
男が左手でユリのバッグをつかんでいる。
剛は素早かった。男の手をとった。
手前にぐいと引いた。
腕力には自信があった。
高校では、体操部のメンバーであった。
鉄棒が得意で県大会に出場したほどである。
剛が、男をおさえこんでいる。
近くの男の人たちが、加勢をしてくれた。
駅前の巡査がまもなくやってきた。
男はパトカーに乗せられた。
「ユリ、大丈夫かい」
体が震えている。
「剛、東京ってこわいわ」
「そうだね。でも、大丈夫。俺がついているからさ」
ユリは剛を見つめた。
泣いている。
剛が肩を抱いた。
一時間後。
ふたりは、新宿西口にいる。
「さあ、流行の服や飾り物を見にいこう。ユリちゃん」
「ええ。夢にまでみたことよ」
Оデパートの扉の奥に足取りかるく入っていった。
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姿川恋物語シリーズ
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その時、ユリは家の二階にいた。
部屋でロッキングチエアに腰かけていた。
お気に入りの小説を読んでいる最中だった。
椅子が揺れている。
前後に体をゆすっているせいだろうと思った。
すぐに本震がきた。
「ゆりい。ゆりい。早く外へ出なさい」母の声がした。
家がギシギシギシギシと悲鳴をあげる。
本棚が揺さぶられている。
本がとび出して床にバラバラと落ちる。
大切なCDコンポが棚から落ちてしまった。
揺れがひどく動けない。
困ったわ。家がつぶれたらどうしようかしら。
恐怖を感じた。
椅子からおりて、床にしゃがんだ。
「動けないのよう。しばらく机の下にいるからあ」
ようやく声をあげた。
長かった。
物が散乱している部屋は、そのままにしておいた。
一階に下りた。
玄関の戸が開けはなってある。
母が心配そうに庭で佇んでいる。
「お母さん」
ユリが抱きついた。
「こわかったでしょ。ケガなかった」
「うん」
目に涙がにじんだ。
「お母さん、お父さんは。工場は大丈夫かしら」
「今さっき電話があったわ。大したことないって。仕事は続けられるそうよ」
「よかった。従業員さんたちにケガは」
「転んだ人がいたらしいけど、すりむいたくらいだったって」
ユリの父はB精密を経営している。
五十人体制で、自動車部品を造っている。
母が、屋根を見上げた。
瓦がずれて、下地が見えている。
隣のブロック塀が、倒れている。
年老いた女の人が、ひとりで住んでいる。
ふたりで駆けつけた。
玄関から声をかける。
「Aさあん、Aさあん。大丈夫ですか」
「おばあちゃあん、おばあちゃあん」
ここですよう。
小さく答えた。
ガラスの破片が散らばっている。
土足で上がる。
ほりごたつの中にいた。ケガはなかった。
「よかったですねえ」
「やかんをかけっぱなしなんだ。ガスをお願い」
ユリが台所へ走った。やかんが床に落ちていた。
ガスの火だけが燃えていた。
「燃え移らなくてよかったわ」
「ほんとだ。ありがとう」
Aさんは、まっさきに仏壇をかたずけ始めた。
「ご先祖様、これくらいで済んでよかったです。感謝いたします」
独り言を口にしておられる。
ユリのポケットでケータイがうなっている。
剛からであった。
「なかなか繋がらなくてね。そちらはどう。大丈夫」
「ええ、母も私もケガはないわ。あなたのほうは」
「古い家だけど、入母屋の農家だからだいじょうぶだったよ」
「お母さんやおばあちゃんはどう」
「ありがとう。そばにいるよ。またあとでね」
「はあい」
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