姿川恋物語シリーズ

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ツヨシ 6−3

 空いた席にすわったM子に、上着の袖をつかまれ、
 「早くすわったら」と催促された。
 「はっ、はい」
 剛は、尻の位置を確かめるように、そろっと腰かけた。
 もぞもぞ動かす。
 「これ、動かないんですか」
 「そうよ、酔っぱらった人がころんで、怪我したら大変でしょ」
 「たいした椅子ですね」
 「止まり木っていうの」
 「とまり木か、まるでぼくたち、鳥のようですね」
 「何にも知らないのね」
 「だって、ぼく、まだ未成年ですから」
 剛は、借りてきたねこちゃんといった感じで、大人しくしている。
 「いいから、もっと大きい声でしゃべって。お店じゃ、
あんなにはでに、悪者とやり合うのに」
 「こういう所は、苦手なんです」
 右手をかざして、M子にささやいた。
 M子は、眼鏡の真ん中を指であげて、
 「いいのよ。委縮してないで。あなたらしくしていて」
 と、白い歯を見せた。
 剛は丸められたおしぼりを広げると、顔や手をふきはじめる。
 さすがに日本一のバーである。
 おしぼりひとつにも、配慮が行き届いている。
 清酒ならば、人肌加減というところだ。
 襟が薄汚れたカッターシャツのボタンをはずし、首のまわりをごしごしやりはじめた。
 ソファにすわっていた連中の視線が、剛に注がれる。
 「ちょっとやりすぎよ。場をわきまえて」
 M子は、おだやかにいった。
 「だって、自分らしくでいいって、今言ったでしょ」
 「大人の仲間入りをしたければ、自分をおさえることを学ばなきゃね」
 「はい」
 剛は声のトーンを落とした。
 「何にしますか」
 ふいに、野太い声がしたので、顔をあげて、正面を見た。
 声に似合わぬやせぎすの男が立っていた。
 バーテンダーの身なりをしている。 
 口髭をたくわえた顔は笑っているが、眼差しが鋭い。
 剛はぎょっとして、背筋をのばした。
 さて、何を飲むか。
 酔っぱらうと、始末が悪くなるのが、自分でもわかっている。
 酒は、飲みたくない。
 M子に助けを乞うつもりで、わきを見た。
 サクランボが乗った青いカクテルが、テーブルにのっている。
 「ちょっとごめんね」
 突然、M子は立ち上がった。
 「ご注文は」
 バーテンダーは身を乗りだすようにして言った。
 ウーロン茶か、コーラか。
 ええい、それじゃ、格好が悪い。
 「オッ、オウルドをコーラわりで」
 一気に、口をついて出た。
 下宿の歓迎会で、飲んだ味を忘れられなかったのだ。
 バーテンダーは、高ぶる感情を無理に押さえたように、
 「わかりました。お待ちください」と言って、奥に消えた。
 M子が、大人びた顔つきをして、もどってきた。
 ふいに白い便せんが、剛の脳裏に浮かんだ。
 ジーパンの後ろにあるポケットの中を、指でさぐった。
 バラバラになった四枚の白い紙きれを、カウンターにのせる。
 パズルを解くように、元通りの形にした。
 一枚の紙の真ん中に、小さな黒い文字が、縦に八つならんだ。
 「何してるの」
 M子がテーブルの上に視線を走らせた。
 剛はM子の顔を、注意深く見つめた。
 
 

ツヨシ 6−2

 ネオンがまたたく露地を、剛はあたりをきょろきょろ
見まわしながら、歩いて行く。
 まるで子供が母親に手を引かれているようだ。
 「ほら、つよし、何してんのよ。時間がないんだから」
 M子の足取りが、急に速くなった。
 ちょっとの間に、ずいぶん慣れた物言いをするようになったな。
まるで姉さんに言われているようだ、と剛は思う。
 「はあ、すいません」
 「せっかく来たんだから、少しでも長居したいの」
 「そうですね」
 剛はM子のペースに合わせた。
 ふたりは、体を寄せ合って歩いている。
 「さあ、ここよ。入りましょ」
 バーWの看板が、ドアの上につき出ている。
 淡い灯りを放っていた。
 剛は、ひと眼で、場違いなところに来たと思った。
 目を閉じてバーの内部を想像するが、何も映像が
浮かんでこない。
 俺にわかるわけがないか。
 剛は、思わず、ふふっと笑ってしまった。
 「何、笑ってるの。入るわよ」
 M子が、重いドアを両手で押した。
 ひんやりした空気が足もとに触れた。
 剛は、運動靴をはいている。
 それも、あまりきれいとは言えない。
 こんな格好じゃ、入りずらいな。
 剛は、ふいに立ちどまった。
 M子はドアを両手でおさえて、手招きしている。
 剛が、靴を指さした。
 M子は目を丸くして靴を見たが、うんうんと首を縦にふった。
 剛は、手でドアを押さえながら、体を店内に入れた。
 後ろ手で、そっと閉めた。 
 淡いオレンジ色の灯りが目に入った。
 ジャズだろうか。
 静かだが、心を打つ音楽が響いている。
 ソファは、すべてうまっていた。
 カウンターの前には空席がある。
 バーテンダーがやって来て、
 「いらっしゃいませ」
 低い声をだした。
 M子を見て、微笑んでいる。
 「カウンターでいいわ、いつものように」
 とりすました声で、S子は応じた。
 店内の雰囲気に圧倒されたのか、剛は突っ立ったままだ。
 
 
 
 

ツヨシ 6−1

 「送ってくれるんじゃないんですか」
 「ええ、送ってあげるわ。お楽しみのあとで、ね」
 「お楽しみ、って」
 「いっしょに来ればわかるわ」
 「なるべく早く帰りたいんです。明日、早いですし」
 「大人の息抜きよ、たまには必要なの」
 「はあ」
 「何だって、勉強なんだから」
 女の言葉には、妙に説得力がある。
 剛の知らない世界を知っているようだ。
 好奇心がわいてきた。
 「学生さんでしょ。地方から来た」
 「どうしてわかるんですか」
 「言葉やしぐさかな」
 剛は、手で口をおさえた。
 女は、続けた。
 「あなたは、あたしのことを気にもとめなかったけど」
 そう言って、剛の右手をそっと握った。
 剛は、とっさに手をひっこめた。
 ずいぶん強引な人だな、と剛は思う。
 女は、ちょっと悲しげな表情を浮かべたが、
すぐに気をとりなおした。
 「あたし、東北出身なの。ここに来て、二十年近いわ」
 「そうなんですか。ぼくは東北の入り口って、ところです」
 剛の方を向いて、
 「やっぱりね」と言いながら、握手を求めた。
 剛は、それには応じた。
 握った手に、ぐっと力をこめた。
 「けっ、結婚されてるんでしょ」
 女は、ぷいと横を向いた。
 「あっ、失礼しました」と言って、剛は頭をさげた。 
 東北と聞いて、親近感を覚え、緊張がゆるんだのだ。
 「まだよ。いい人は、たくさんいるんだけどね」
 そう言って、ふふふっと笑った。
 「M子さんって、呼んでいいですか」
 剛は、はにかみながら、たずねた。
 「ええ、いいわよ。あなたは」
 「つよしです」
 剛にとって、東京は広すぎる。
 訪れたことのない街がいっぱいだ。
 人も車も多い。
 最近ようやく慣れたが、来たばかりの頃は、
一日を終えると、頭がずきずきした。 
 車が上下に振動するたびに、体が揺さぶられる。
 いい気持ちになり、眠くなってくる。 
 ええい、あとは野となれ、山となれだ。
 剛は腹をくくった。
 タクシーは、ビル街を走って行く。
 もう二十分は、たったよな。
 ふと腕時計を見た。
 十時を過ぎているが、あたりは明るい。
 左側に、赤レンガの建物が見えてきた。
 「あれは、たしか東京駅ですよね」
 「そうよ。あたしの職場はこの近くなの」
 「どこまで行くんですか」
 「あなた、有楽町へ行ったことある」
 「いいえ」
 「じゃあ、そこへ行ってみましょう」 
 タクシーが、大通りを左折した。
 JR線のガード下をくぐって行く。
 間もなく、左にウインカーを出した。
 ゆっくりと停まる。
 「お客さん、着きましたよ」
 運転手の表情が、やわらいでいた。
 五十メートルくらい先に、駅の看板があった。
 「ここから、歩くのよ。つよしくん」
 いやと言わせぬ口ぶりだ。
 M子は支払いを済ませると、剛の手をとって歩きはじめた。

ツヨシ 5−5

 女は、M子と名のった。
 「お店の外で待ってますから」
 と、うつむいて、小さな声でいった。
 「ええっ」と、剛は目を丸くして、
 女の顔を、まじまじと見つめた。
 平然としたものごしに、大人の女を感じた。
 意外な展開に動揺したが、かろうじて顔には出さない。
 白い紙きれを上着のポケットに押し込むと、台車を押しはじめた。
 待ってるなんて、一体どういうことだろう。
 あのトラブルを見ていたとはいえ、赤の他人だ。
 そこまでやることはなかった。
 掃除は、アルバイトの人にまかせてある。
 剛は、店長に挨拶をすますと、裏口に急いだ。
 そっとドアを開ける。
 あたりに人影はない。
 よし、今のうちだ。
 狭い露地に身をのりだすと、玄関jとは反対方向に、
あしばやに歩きはじめた。
 第三の女に誘われて、はい、そうですか、と会いたくはない。
 ユリに、小百合。
 ふたりで充分だった。
 裏通りに出た。
 車のヘッドライトが、剛を照らしだした。
 右手で顔をおおう。
 タクシーがそばに寄ってきた。
 後部座席の窓が開く。
 「お送りします」
 あの女の声がした。
 「いいですよ、すぐ近くですから」
 剛は歩道をかけだした。
 タクシーは、ゆっくり、あとをつけて来る。
 これじゃ、ストーカーだな。
 しかし、この不景気だ。大事なお得意さんだし。
 剛は、立ちどまった。
 タクシーがわきに停まる。
 ドアが開いた。
 「どうぞ」
 M子はそう言って、体をずらした。
 「それじゃ、運転手さん。お願いします」
 「はっ、はい」
 女の強引さに、運転手はあきれた表情をしている。
 バックミラーで、剛の顔をちらりと見た。
 運転手の顔に、しわができた。
 「あっ、その角を曲がってください」
 剛が行く先を指示したが、タクシーは曲がらない。
 M子は、表情を変えずに、前を見たままだ。
 横顔に、ふっと笑いが浮かんだ。
 
 
 
 
 
 
 

ツヨシ 5−4

 剛はぎょっとして、女の顔を見つめた。
 三十代前半かな、と思う。
 人の出入りが多く、美人もかぞえきれない。
 女にきわだった印象は、残っていない。
 「わかりませんが、よく来られるんですか」
 「一週間に三回くらいです」
 口元に笑窪が浮かんだ。
 「そうですか。ありがとうございます」
 客は客である。
 知らない顔は、できない。
 それにしても、耳元でささやくとは。
 恋人同士ならいざ知らず。
 変わった人だ、と思った。
 「あたし、丸の内で事務をとっているんですよ」
 聞きもしないことを、ぺらぺらしゃべる。
 「とにかく、機械を調べてみますから」
 剛は後ろにまわった。
 特に異常はない。
 ちぇっと、剛は舌を打った。
 あの女、俺と話がしたくて、あんなことを言ったのだろう。
 気味が悪いが、ちょっと興味がわいた。
 表のガラスぶたを開けると、玉を二個、穴に入れる。
 じゃら、じゃらと続けて玉が飛び出した。
 女は白い歯を見せた。
 「どうぞ、ごひいきに」
 と軽く会釈をして、バチンとふたを閉めた。
 これで満足したろう。
 剛は、ふり向いて通路を歩きはじめる。
 「あっ、あのう」
 女の声を背中で聞いたが、聞こえないふりをした。
 となりの年輩の女が、しかめっ面をして、剛の顔を見つめた。
 二時間後。
 蛍の光が鳴りだした。
 店内には、客が二、三人しかいない。
 レデース通路には、ひとりだけだ。
 あの女だった。
 足もとには、十箱重なっている。
 「いやあ、お上手なんですね」
 女はふふっと笑った。
 どうせ、お遊び程度だろう、と剛は思っていた。
 腰をかがめて、台車の上に、箱を載せはじめる。
 気になって、女を盗み見た。
 膝にのせたハンドバッグを開け、中をまさぐっている。
 札が何枚も入っている。
 何をするのだろう。
 細くて、白い指さきだな、と思った。
 不意に、女が顔をあげた。
 あっと言って、剛は顔をそむけた。
 女は、笑顔をくずさない。
 「あなた、とっても勇ましい方なんですね」
 剛は、女の言葉で、以前のトラブルを思い起した。
 「ああっ、見てたんですか」
 女はうなずき、折りたたんだ白い紙きれで、剛の左手をポンとたたいた。
 

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