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翌朝、小鳥の声で目が覚めた。
剛は、まだ布団の中だ。
窓の外が白々としている。
時計を見ると、午前四時を過ぎたところだった。
「都会にも、すずめがいるんだ」
想いを、素直に口に出してみた。
「チュンチュンって、かわいいな」
幼い頃に、もどった気分だ。
すると、当たり前のことが新鮮に思えてきた。
「俺は、昨日までの俺じゃねえぞ」
自分に言いきかせるように、語気強く言った。
心の奥底から、わいて来た言葉だった。
眠ったままで、そのまま帰らぬ人だっているんだ。
なのに、おれは・・・・・・。
何だって、神様の思し召しだ。
ふいに、そう思った。
自分でも、不思議な感覚だった。
昨夜は、どうやって部屋にもどってきたのか、よく覚えていない。
小百合が怒って、両手で背中をドンと突き飛ばしたのは、わかる。
何かきついことも言った。
耳の奥で、まだびんびん響いている。
薄いかけぶとんをたたむと、剛は、急いで起き上がった。
服も脱がずに寝ていた。
台所で、顔を何度も洗う。
各部屋に風呂がついてないのが、難点だった。
その分、家賃が安い。
共同の風呂があるが、剛は帰りが遅くなる。
ほとんど入浴できないでいた。
からだから、汗の匂いが立ちのぼっている。
「おお、くせえ。こんなんで、よく女の子のそばに寄ってたもんだ」
ドアを開けて、外に出た。
何かが、ぽとりと落ちた。
白い封筒だった。
剛は、それを大事そうに持つと、庭さきに出た。
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姿川恋物語シリーズ
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小百合に抱きつかれて、剛は床に倒れこんだ。
床が音を立てた。
背中を打ったのが、胸まで響く。
アルバイト先でのトラブルを思い出した。
肋骨をひどく痛めていた。
「いてえな、まったく、なんだってんだよ」
「あんただって、さっきは何よ、酔っぱらって、あたしに何したの」
痛いところをつかれて、ツヨシはたじろいだ。
「もう、どうにでもしてくれ」
大の字になって、天井を見た。
小百合は身を起した。
「何なの、その言い草は。女が男のようにできるわけないでしょ」
「だから、責任とるから」
「セキニンッ。どうとってくれるの」
「お前が考えてくれ。俺、頭わるいから」
「また、逃げるんだ。ツウちゃんは」
「逃げるって」
「そうよ。人のせいにしてるわ。自分は楽でしょうね」
「そんなふうには、ちっとも思ってないけどな」
「自覚してないところが、こわいわ」
小百合は立ちあがって、台所に行った。
両手でボールを持っている。
水が波立っていた。
「ちょっとは、これで頭を冷やしてみたらっ」
剛の顔に浴びせかけた。
「なっ、何するんだ」
驚いて、起き上がった。
「女を何だと思ってるの。あんたのおもちゃじゃないのよ」
真剣な眼差しでさけんだ。
小百合の抗議に、剛は一言も発せない。
「男だって女だって、人間なの。身体のできは違うけど、おんなじ心があるの。
あんたが女だったらと、考えてみて。ユリとあたしにしているような付き合い方を
男にされたら、つよし、あんた、どんな気持ちがするっ」
小百合は、一気にまくしたてた。
剛は、小百合を、いいところのお嬢様だとばかり思っていた。
苦労知らずの子だ、と考えていた。
こんな一面があったんだ。
感心したような顔つきで、小百合の顔を眺めた。
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剛は、靴のつま先を立て、階段をのぼって行く。
なんて未練がましい。
ツヨシ、やめろ。
ユリに、どう言いわけするんだ。
もうひとりの自分が叱る。
いや、何か言いたいことがあるのだろう。
聞いてやるだけだ。
かまやしない。
一方の自分が、言いはる。
剛は、迷いながらも、ゆっくり階段をあがっていく。
ユリは、俺を信じているんだ。
広く浅くなら、ほかの子と付き合ってもいいわ。
そうでなきゃ、あんなことは言えない。
どうするんだ、ユリを。
ツヨシ。
捨てるのか。
あんな良い子を。
剛は、ふたつに身をひきさかれそうな想いがした。
俺が行くまで、果たして小百合は待っているだろうか。
二階のベランダに着いた。
剛は、前方を見た。
小百合の部屋の前に、人影はない。
気落ちして、肩が少しさがった。
自分勝手に、あれこれ妄想にふけった。
それだけのことだ。
微妙な心の動きがわからない自分を、うとましく思った。
ふり向いて、階段を降りようとした。
不意に、ベランダが明るくなった。
部屋のドアを、小百合が少し開けたのだ。
よしっ。
両手でこぶしをつくると、歩き出した。
剛がドアの前で止まった。
「入って」
小百合の小さな声が招いた。
「まだ、何か用なの」
「あんなことまで、あたし、したのよ」
剛は、答えをためらった。
「でもな」
「ひきょうだわ、ツヨシ」
「卑怯」
「そうよ。自分からあたしを求めたんでしょ」
返す言葉が見つからない。
突っ立ったままでいる。
からだが入るくらいに、小百合がさっとドアを開けた。
両手で、剛の手をつかんで、強くひっぱった。
「逃がさないわよ、今度は」
強い調子で言った。
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真夏の陽射しにあぶられたアスファルトは、冷えている。
ふいに風が吹きすぎて、道端に落ちていた新聞紙が飛ばされた。
風が匂いも運んできた。
なんか、すごく、くせえな。
剛は、手で鼻をつまんだ。
都会は、人がひしめいている。
人が吐く息の匂いだけでも、相当くさい。
食べたり飲んだり、排泄したりもする。
夢の島をテレビで見た。
ゴミの量に圧倒された。
うわべはとりつくろって生活していても、これじゃまるで、
人はゴミ製造機だな。
剛は、そう感じて、思わず顔がくずれた。
「つよし、あたし、寝るから」
背後の闇で、小百合の声が聞こえた。
「きょうは、悪かったね」
剛は、自分を恥じていた。
小百合の表情が見えない。
それが、剛には幸いだった。
暗い階段を、小百合は音を立てずにのぼって行く。
二階の端に、彼女がたどりつくまで、見届けようと剛は思った。
階段を上りきり、ゆっくりと部屋のドアまで歩いて行く。
戸口で立ち止まり、ベランダの手すりにからだを寄せた。
しきりに手をふっている。
招いているのか、さよならをしているのか。
剛はわからない。
呼んでいるのなら、彼女のもとへ行きたかった。
剛は、小百合を抱かなった。
抱けなかった、と言う方が正しい。
今、彼女はどんな気持ちでいるのだろう。
酒に酔って、醜態をさらしてしまった。
剛は、複雑な気持ちで、二階への階段をのぼって行った。
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小百合は、あらがわない。
剛の好きなようにさせておいた。
酔っぱらっているんだ。
あとで悔やむのは、剛なんだから。
小百合はそう思った。
上着の上から、胸をもみだした。
「なによ、オッパイがほしいの」
剛は、さっと手をひっこめた。
「ユリちゃんは、どうするのかな」
剛に顔を近づけて、目をほそめた。
小百合はふいに立ちあがり、自ら、上着を脱ぎはじめた。
一枚、二枚と畳の上に落とす。
ブラ、一枚になった。
「さてと」
両手を後ろにまわし、ホックをはずそうとした。
「ええっ」
剛の顔が青ざめた。
つっぱっては来たものの、剛は口先だけだ。
女の人を抱いたことはなかった。
しゃがんだままで、あとずさった。
「なんなのよ、一体。つよし」
「うん、うううん」
「ウンじゃわからないでしょ」
「うん」
「ほしいの、ほしくないの」
「そりゃあ」
「そりゃあ、何なの」
すっかり酔いがさめてしまった。
頭をかきむしっている。
「俺、ちょっと外へ出て来る」
靴をつっかけると、ドアを開けた。
隣人が立っていた。
この野郎と、目が言っている。
剛は、うつむいて歩き出した。
大通りに出る。
建物の灯りは、ほとんど消えている。
タクシーが、一台通りすぎて行く。
剛は、もやのかかった空をあおいだ。
星の明かりがぼんやりしている。
何かで迷った時、こうやって、星を見つめてきた。
その度に、あくせくしている自分に気づき、本来の
自分をとりもどすのだった。
いけない。バイト先に連絡するのを忘れた。
首になってしまうかも、と剛は思った。
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