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「つよし、この頃何か変じゃない」
ユリは、ブランコをゆっくりこぎながら、つぶやいた。
地面に顔を向けている。
剛は、勢いよく、こいでいる。
手を放せば、飛んで行きそうだ。
「なんで。いつもと変わらないよ」
ブランコを止めようとはしない。
内心は、穏やかではなかった。
小百合の面影が脳裏にちらついている。
誘われるままに、デートを重ねていた。
「女ってね、敏感なのよ」
語気をつよめた。
ユリは両足を地面につけた。
ブランコが止まる。
このままじゃまずいと感じ、剛はこぐのをやめる。
次第に揺れがおさまってきた。
長い髪が、ユリの暗い表情をかくしていた。
「場所を変えようか」
剛が歩きだした。
ユリは、少し離れてついて行く。
ポンポンと軽いエンジンの音がしている。
「久しぶりだなあ。海だ、海だ」
剛が子供のようにはしゃいでかけだした。
ユリの表情は、変わらない。
桟橋だ。
剛が手すりにつかまり、海面を見た。
波が岸壁にぶつかっては、くだける。
氷川丸がすぐそばだ。
青空に入道雲が広がっている。
「つよし、この海に飛び込んで」
真面目な顔つきで、ユリが言った。
剛の顔色が変わる。
「一体、どうしたというんだよ」
「貴方が信じられなくなったの」
手すりを両手でつかんで、遠くを見た。
「だからさ、何にもないって」
「私ね、貴方が何にも言わないでもわかるの」
剛は、いらいらしてきた。
ジーパンのポケットに両手をつっこんで、歩きだした。
「そうだ。アイスクリーム、食べようよ。のどが乾いただろ」
正方形の布切れが風に揺らいでいる。
赤い字で、氷と書かれていた。
剛はかけだした。
ユリは、反対方向にさっさと歩きだした。
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姿川恋物語シリーズ
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剛は、ふと腕時計を見た。
十時をまわっている。
こんな時間に、あの子が来るわけはない。
後ろめたい気持ちに、剛は急に襲われた。
「いるんでしょ、中に、今日こそは払ってもらいますよ」
男の声だった。
緊張した気持ちがゆるんだ。
パンパンにふくらんだ風船から、空気がでていくようだ。
「ちょっと、待ってください」
小百合の靴をかたづけると、ドアを開けた。
外のひんやりした空気が、部屋に流れこむ。
「三か月分で、九千円ですが」
集金係の男の眼が、眼鏡の奥できらりと光る。
逃げてばかりいる剛を信用してないようだ。
台所の椅子の背もたれにかかった上着のポケットの底を、
剛はまさぐる。
財布は持たない主義だ。
ポケットから出した手に、百円玉が三枚にぎられていた。
アルバイトで稼いだ金は、もうなかった。
剛の顔が蒼白になった。
しかたない。小百合に借りるか。
「すみません。外で待っててもらえますか」
男をドアの外に押しやった。
男はあらがう姿勢をみせたが、
「今、払いますから」という剛の言葉に、自らドアを閉めた。
部屋の奥にいるはずの小百合の姿を探す。
部屋にいない。
一番奥の部屋まで行った。
そこにもいなかった。
剛はあせった。
サッシを開けて、ベランダをのぞく。
隅でしゃがんでいた。
「何してるんだよう」
わざとハスキーな声で話しかけた。
「困ってる顔を見たくないの」
「だったら、金、貸してくれないかな」
「いくら」
「これだけ」
人差し指を立てた。
小百合は、顔をそむけた。
「そんなにたくさん」
「持ってないの」
「うん」
「じゃあ、しかたがない」
剛は、ベランダに片足をかけた。
「待って」
「貸してくれるの」
小百合は、うなずいた。
「どこにある」
「あたしのバッグを持って来て」
バッグを受け取ると、札入れから一枚ぬきとり、
剛のズボンのポケットにねじ込んだ。
「こんなに持ってるんだ」
小百合の家庭が裕福なのを、剛は思い知らされた。
ぺろっと舌を出し、
「これで、ツウちゃんに貸しができたわ」
と、小百合は、にやりとした。
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剛は、どっかと、椅子にすわった。
「ええっと、何からいただくとするか」
白くて平べったい皿に、刻んだキャベツがのっている。
そのわきに、半熟卵が丸い方を下にして寝そべっていた。
剛の眼は、まず、それに注がれた。
箸でつつくと、黄身がとろりと流れ出た。
剛は、目をそむけた。
小百合がようやく顔をのぞかせた。
肩先まで伸びた長い髪の毛を、両手ですいた。
先ほどまでの元気がない。
口では冗談めかしたものの、剛のからだに身を投げたのは、本心からだった。
自分の愛を受けとめてもらえなかった寂しさが、顔に出ていた。
剛は、頭をぺこりとさげた。
「どうもありがとう」
小百合の手前、気乗りがしなくても、何か食べないと悪い。
黒いうつわを持って、みそ汁を一口すすった。
しばらく口に含んでいる。
「あら、どうしたの」
「うすいな、これは」
「あら、そうかしら。ちょうどいいと思うんだけどな」
小百合は、試しに自分のを飲んでみた。
「ああ、おいしい」
ぐううっと飲みほした。
剛は首を曲げ加減にして、
「もう少し味噌をたすな、俺なら」
「そんなことしたら、身体に悪いわ。塩分取りすぎよ」
「そうでもないさ」
「だめ。健康にわるい」
「だいじょうぶ」
「だめっ」
剛は、それ以上言い争うのは、よした。
「わかったよ。身体のことを気づかってくれて、うれしいよ」
みそ汁を一気に飲んだ
「つよしってさあ、どこの出身なの」
「どこだと思う」
小百合が剛のうしろにまわり、がっしりした肩に両手をおいた。
「群馬県なの」
と、耳元でささやいた。
小百合は、とても気分が良かった。
剛が自分の手を払いのけないでいる。
先ほどまでのブルーな気分が、どこかに消えていた。
「残念やけど、はずれです」
剛は前を向いたままで、答えた。
「関西弁をしゃべるけど、あそこは薄味だし。それじゃあ、長野県」
声が、いくらか甲高くなった。
「ちがう」
「じゃあじゃあ、ヒントをちょうだい」
「よし、ヒントかあ」
ドンドン。ドンドン。
不意にドアがたたかれた。
剛はどきっとした。
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「ツウちゃん、ご飯が冷めちゃうわよ」
剛のからだにおおいかぶさるようにして、小百合はしゃべる。
右手で剛の髪の毛をいじっている。
アップになった小百合の顔がせまり、吐く息が鼻にかかった。
バラの香りに似ていた。
剛の頭の芯が、つううんとしびれた。
「おいおい、レデーの態度かよ、これって」
顔を横に向けて、大きめの声でいう。
「いいのよ。あたしはちゃんと使い分けてるんだから」
「使い分け」
「時には、お嬢さんらしく振舞うっていうこと」
「へえ、そうなんだ。知らなかったな」
「あなただって、そうでしょ。昨日は、あたしの目の前でかっこつけたでしょ。
いつもは真面目な顔してるのに」
痛いところを突かれて、剛は一瞬だまりこんだ。
大きく口をあけるので、小百合の咽喉の奥まで見える。
剛は、小百合の裸を見たような気がして、表情がくずれた。
「今、変なこと、考えてたでしょ、エッチ」
「べつにい」
「女は敏感なのよ。甘く見ないで」
小百合の攻勢にたじろぐ。
「俺って、ひょうきんなところがあるんだ」
ぽつんと言った。
「ほら、使い分けてるじゃないの、あなただって。うそつき」
小百合は、自分のからだを剛の胸にのせた。
衣服をとおして、小百合のやわらかな胸の感触がつたわる。
あっ、いけない、と剛は小さいが、鋭くさけんだ。
ユリの顔が脳裏に浮かぶ。
両手で小百合のからだを強く押し上げた。
小百合のからだが、ごろりと畳の上に転がる。
「まあ、ひどいわ」
「びっくりするじゃないか」
「女の気持ちが分からないんだ」
小百合が声を落とした。
「ああ、分からないさ。それで結構」
上半身だけ起きあがった姿勢で、小百合は両手で足をさすっている。
「ツウちゃんって、純情なのね。あたし、ますます気に入ったわ」
「折角だから、よばれるか」
剛は両足で反動をつけると、勢いよく起き上がった。
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翌朝。
枕もとの目覚まし時計が鳴った。
「あっ、いけね。遅刻だ」
昨夜は、ユリの誕生祝いをした。
門限があるので、彼女は早く帰宅したが、剛は居酒屋に寄った。
まだ十八歳だが、少々酒をたしなむ。
昨夜の酒は、ちょっと度が過ぎたようだった。
頭が、がんがんする。
急いで、学校に行く仕度をしはじめた。
二年生までは、一日みっちり授業がある。
四年で卒業すると、母と約束した。
パート勤めをして、息子を支えているのだ。
奨学金をもらっている身でもある。
トントンとドアを誰かがたたいた。
魚眼レンズをのぞく。
ラグビーのボールのような女の顔が見えた。
ドアを開けると、元気のよい小百合の声が飛びこんだ。
「おはよう、ツウちゃん」
ほっそりした身体だ。
するりと部屋に入ってきた。
大きくふくらんだビニール袋を持っている。
「なっ、なんだ」
「どうも、きのうは。お邪魔しまあす」
「俺、これから学校だぞ」
「あら、そう。まあ、この部屋、散らかってるのね」
「余計なお世話だ。一体どういう気なんだよ」
「この間のお礼に、食事でも作ってあげようかなって」
「お礼っだって。いいよそんなの。食ってたら、遅刻しちゃうからさ」
「まあ、遠慮しないで。彼女いないの。もしよかったら、あたしが彼女になってあげようか」
小百合は、持参したエプロンを腰に巻きつけると、ふんふんと鼻歌を歌いはじめた。
剛は、どっかと、布団の上に腰をおろした。
両手で頭をかきむしる。
「助けてくれよ、ねえ。お願いだから、学校へ行かしてくれよ」
「あなただって、あたしを助けてくれたじゃないの」
「なんだっけ」
「ほら、下着ドロボウ」
「ああ、あれか」
「うれしかったわ。勇ましい人が近くにいるんだって、あたし感激しちゃったんだ」
突然の珍客に驚いたが、小百合の話を聞いていると、剛は、なんとなく納得した気持ちになった。
ええい、今日は授業は休みだ、と決めてしまった。
ごろりと横になった。
すぐにいびきをかきだした。
蜜蜂が花にとまっている夢をみている。
鼻の穴がくすぐったい。
ハアア、クションッ。
剛は自分のくしゃみに驚いて、目が覚めた。
となりに小百合が横たわっていた。
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