姿川恋物語シリーズ

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ツヨシ 2−3

 腕時計を見ると、午後四時を過ぎていた。
 アルバイトが始まるまでには、まだ一時間ある。
 剛は立ち読みでもしようと、S書店をのぞいた。
 玄関先まで、人でいっぱいである。
 「ねえ、一体何事なんですか」
 前にいた若いインテリ風の男の肩を、剛がポンとたたいた。
 男はふりむくと、
 「知らないんですか」
 と、眼鏡を人差指であげる仕草をして、じろりと剛の顔を見た。
 「ええ、まあ」
 剛の顔が、ぱっと赤くなった。
 右手が頭に伸び、爪で二、三度かいた。
 だが、すぐに剛はその手をおろした。
 なんでえ、知らないものは、知らないんだ。
 俺のどこが悪いんだ。
 抗議する気持ちが心の中でわいた。
 「売れっ子ミステリー作家のAさんが来てるんですよ」
 男の声を聞きながら、剛は身体をよじって前に進んだ。
 ミステリー小説は大好きだった。
 人と人との間に、ほとんどすき間がなかった。
 強引な割り込みと感じた連中から、ブ―イングが起こった。
 若い女たちが、怪訝な表情をしている。
 本が積み上げられているのが、剛の視界に入った。
 よし、もう少しだ。ここでくじけちゃだめだ。
 剛は、自分を奮い立たせた。
 「ちょっくら、ごめんなすって」  
 野太い声が響くと、どよめきが起こった。
 人ひとり、入れるだけの空間ができた。
 「どれやねん。みしてみいいな」
 関西弁を口にして、一番上の本を一冊取りあげた。
 そのあとを追うようにして、ひとつふたつと、人の手がのびる。
 ほんの数分で、高さがゼロになった。
 店の奥にA氏がいるらしい。
 顔を見たい気がするが、作家はあくまでも作品で勝負するものだ。
 芸能人ではないのだから、風貌など関係ない。
 昔の文士の面影が、剛の脳裏にこびりついていた。
 何よりも。
 今は、時間がなかった。
 二十歳くらいの女性が、列の最後尾にならんだ。
 大事そうに、本を両手で抱くようにしていた。
 剛は、その女性の横顔を見て、首をかしげた。
 どこかで見たような気がしたのだ。 

ツヨシ 2−2

 剛は、М大学商学部の学生である。
 二回生までは一般教養がある。
 午前も午後も、学校にいなければならなかった。
 彼には、それが苦痛になってきた。
 入学して驚いたことがある。
 誰もが、勉強がよく出来るのだ。
 高校時代はトップクラスにいた。
 俺は勉強が出来るんだ、と思っていた。
 都会では剛くらいのレベルの人は、ざらだった。
 ちょっとしたカルチャショックといえる。
 生活費を稼ぐために、夜、アルバイトをしている。
 ほとんど毎日である。
 クラブの勧誘を受けたが、すべて丁重に断った。
 
 入学式の日、雨が降っていた。
 式場前には、いくつものクラブの先輩たちが受付をしていた。
 剛は、持っていた傘をたたんだ。
 応援団の先輩が声をかけた。
 「おい。すまないが、傘をかしてくれないか」
 「はい、どうぞ。あとでその辺りに置いておいてください」
 式終了後、受付に出向いたが、先輩はいなかった。
 剛の傘もなかった。
 壁に張り紙があった。
 右の者は、あとで部室に来るように、とのことであった。
 剛の名が、他の数名とともに書かれてあった。
 オリエンテーションがあるので、学校に出かけた。
 帰りに応援団の部室を訪れた。
 学生服をきちんと身に付けた、いかつい顔をした連中が出入りしている。
 田舎で突っ張っていた剛であったが、気後れするほどであった。
 凄味がちがった。
 挨拶が大きい。
 押忍という声が、剛たちの度肝をぬいた。
 傘を受け取りに来た連中のなかには、震えている者がいた。
 剛が一番、度胸がすわっている。
 ドアをノックした。
 「傘をいただきにまいりました」
 「押忍。入れ」
 幹部クラスが三人、目の前にすわっていた。
 「名前は」
 剛は名乗らない。
 黙っている。
 「もう一度尋ねる」
 「名前は」
 「人に名を聞く前に、まず自分の名を告げてください」
 三人は顔を見合わせている。
 「いい度胸だ。俺が部長の山下だ」
 「私は青山剛といいます。傘をいただきにきました」
 「どうした。我が応援団に入る気はないか」
 「私は苦学生です。アルバイトをやらなければ、学問を続けることができません。いずれのクラブにも、残念ながら入ることができないのです。四年間で卒業するつもりです。男親がおりません。祖母や母の面倒をみなくてはならないのです。せっかくのご勧誘ですが、お断りいたします」
 三人の幹部は、仕方がないといった表情である。
 「よし。よくわかった。帰ってもいい」
 気の弱い男は、生返事をしたために、仕方なく入部したようであった。
 
 大きな教室で、剛のいびきが響いている。
 こういうところは、剛が田舎の高校生だったころと変わらない。
 どこにでも、ユリのような優しい女性がいた。
 机の上にノートを広げたままで眠っている剛を、近くにいた同じアパートの小百合が、彼の肩を揺すって起こそうとしている。
 マイクで講義をしていたA助教授が、演壇から下りてきた。
 「うっうううん。何だ。朝か」
 周りの連中が声をあげて笑った。
 「静かにしなさい」
 Aが言った。
 剛が突然立ち上がった。
 「自主的に退出いたします。ご迷惑をかけて申し訳ありませんでした」
 机の上に、何やら水滴のようなものが溜まっている。
 彼女は、それをちり紙でふき取った。
 
 
 
 
 

ツヨシ 2−1

 剛は、ためらっている。
 初めての経験だった。 
 ユリが、優しい愛の刃のきっさきを、突きつけたのだ。
 
 剛はどうしていいものやら、わからずにいる。
 女の愛を目前にして、おろおろしているのだ。
 みっともないが仕方がなかった。
 剛の性分もある。
 考えすぎるのである。
 ほしいものは、子供がおもちゃをねだるように手に入れればいい。
 荒々しいオスとしての情熱を解放すればいいのだ。
 自然があたえてくれたようにふるまえば良かった。 
 だが、剛にはそれができなかった。
 本を読んだり友だちに聞いたりして得た知識はあった。
 愛するとは、こうしてああしてこうなること。
 それらは厳しい現実の前では、すべて絵空事に思えた。
 女の人とつき合った経験が少ない。
 母ひとり子ひとりで育った。
 祖母が同居している。
 ばあちゃん子であった。
 昔風の母の考えが、しみついていた。
 修身とか純潔といった言葉が、教育の上に付いた。
 剛は健康な男性である。
 生理的な欲求は歳相応にあった。
 男は、社会のきまりを守ろうとする繊細な生き物といえる。
 いろいろ考えた末に、剛は、彼女のひたいに接吻した。
 いまできる精一杯のことであった。
 
 ユリは、明け方までそのままでいた。
 目をつむっていた。
 掛け布団を彼女の体にかぶせた。
 眠っているものやら起きているものやら、剛には分からなかった。
 ユリが、うらめしくさえ思えた。
 横にはなったが、ずっと眠らないでいた。
 神経が高ぶっていた。
 剛は足音で目が覚めた。
 ユリが朝食の用意をしていた。
 テーブルの上には、湯気の立ちのぼるみそ汁と目玉焼きが、ひとり分のっている。
 お盆に、茶碗に山盛りになったご飯をのせて来た。
 剛は、ユリの横顔をちらっと見た。
 「アパートの人に出逢わないうちに、あたし帰るね」
 緊張している剛のそばに来た。
 にっこり笑うと、頬にキスをした。
 
 
 

ツヨシ1−5

 エプロンをして、ユリが台所に立っている。
 「大丈夫なんだ。寮のきまりが厳しいのに」
 ユリは、くすっと笑った。
 「実は、だめなの」
 「やっぱり」
 「用事があるから、家に帰るって、寮長に言って出てきたのよ」
 「アルバイト、プラスアルファーの仕事だったんだ。こんなに遅くなったよ。困ったね。女友だちにでも電話して早く帰ってくれたらよかったのに」
 剛は、ユリの真意をはかりかねている。
 彼女の表情からすべてを読みとれるほどには、女性の気持ちが理解できない。
 
 ユリは、テーブルの上に手作りの料理をのせていた。
 鍋の半分くらいは、牛肉が占領している。
 白ネギや豆腐、糸こんにゃくやシイタケが鍋のわきの皿に盛られている。
 湯気が天井まであがっている。
 ビール瓶が二本、鍋のわきに並んでいる。
 「ずいぶん豪華な夕食だね」
 「さあ、席について」
 深めの器に卵が入れてある。
 剛が椅子にすわった。
 鍋の中をじっとのぞいている。
 
 「何か言ってちょうだい」
 「ああっごめん」
 「どうもありがとう。ごちそうになります」
 剛がユリを見つめて、いった。
 「おなかすいたでしょ。たくさん召し上がれ」
 「ありがとう、ユリちゃん」
 「じゃあ、乾杯よ」
 「かんぱい」
 カチンと、グラスのぶつかる音がした。 
 剛は一気に飲み干した。 
 「ああっ、おいしい」 
 「このたくあんは、家から届いたものよ」
 「故郷のたくあんは、おいしいものな」
 「栄養をつけて、早く元気になってね」
 ユリは思い切って、自分の右手を剛の左手にそっと重ねた。
 剛の心臓の鼓動がはやくなった。
 高校生の時からつっぱっていたわりには、初心であった。
 まだユリのくちびるには触れていない。
 母の躾けのせいで昔堅気であった。
 剛は目をふせた。
 鈍感な剛にも、ユリの気持ちが徐々に分かってきた。
 
 電気こたつが四畳半の部屋の真ん中にあった。
 ふたりは、隣同士にすわっている。
 ユリの右手が、尺取虫のように動きはじめた。
 剛はそれを見ている。
 「ツヨシ、あたしね。あなたを」
 そういうなり、剛の左手に両腕をからませた。
 それでも、剛はどうしていいのかわからずにいる。
 ユリが畳の上に身を横たえた。
 剛は、ユリの覚悟がようやく分かった。
 心の中で、やったあっと、叫んだ。

ツヨシ 1−4

 通りの角を曲がって見えなくなるまで、剛はくるくるまわる赤色灯をぼんやり見つめていた。
 やれやれまったく俺って命しらずなおせっかいな奴だと、心の中であきれている。
 ユリが心配するのも、無理はないと思った。
 ビルの谷間から、空を見上げた。
 じっと目をこらすと、星が見える。
 ユリは、俺にとってはあの星のようだ。
 闇夜を照らす星灯りだ。
 あまり心配かけるなよ、ツヨシ。
 自分にそう言い聞かせた。
 あの男。今頃パトカーの中で、しょぼくれているに違いない。
 俺よりも若いように見えた。
 どこで人生を間違えたんだか。
 まっとうに、女性と付き合えないんだろう。
 考えれば哀れな奴だ。
 俺は俺で、三人組にぼかすかやられるまで、自分の腕力を過信していた節がある。
 こんなに痛めつけられたことは、初めてだ。
 おかげで色々と反省することができた。
 無鉄砲な性分に、あらためて気づくこともできた。
 
 二階の西の端が、剛の部屋である。
 音を立てないように剛は、ゆっくり金属製の階段をのぼって行く。
 踊り場についた。
 部屋の前が明るい。
 台所の電気が点いていた。
 トントントントン。
 包丁でまな板をたたく音がした。
 おかしいな、いま時分。
 ユリには、何かの折には部屋を使ってと、合鍵を渡してあった。
 淡い希望が、心の中に湧いてくるのを感じた。
 深夜である。
 剛は、身構えながらドアのノブをまわした。
 カチャッと開いた。
 女の靴がそろえてぬいである。
 ユリが来ている、と直感した。
 「お帰りなさい、ツヨシ。お疲れ様」
 ユリの声が耳に響いた。
 
 
 
 
  
 
 
 
 

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