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山に入ると、ひろ子の表情が明るくなった。
清人はまわりを気にしながら、ひろ子のあ
とについて行く。
歩くたびに、枯れ葉が音を立てた。
ちっち、ちっち。
小鳥のさえずりが聞こえる。
「ひろちゃんは楽しそうだね」
「ええっ、もうじき家に帰れるんですもの」
「こんなに暗くて寒いのに、よく平気でいら
れるね」
「だって、私は山国育ちなんですもの」
サングラスの男が少し遅れはじめた。
ムクロを背負ったままなのだ。
男のジャンパーが血で染まっていた。
清人がそば寄った。
「どうです。このあたりで葬りませんか」
男の顔をのぞきこんで言った。
「何だと、てめえ。犬猫ならいざしらず、人
間なんだぞ。そんな馬鹿なことができるわけ
がねえ」
男は、顔を紅潮させて怒った。
「すみません。そりゃそうですね。ご自由に
どうぞ」
清人は頭をかいた。
ひろ子とつきあいはじめて以来、おかしな
ことばかりだ。
清人は、自分が異常なことをしゃべってい
るのにようやく気づいた。
道の先で、立ち止まっているひろ子の顔を
見た。
「ゆっくり、行きますから」
ひろ子は、男に優しい声をかけた。
山は、この時期、まだまだ冬の装いを捨て
てはいない。
ソメイヨシノが咲き誇っていても、里で雪が
ちらつくことがあるくらいだ。
陽射しのとどかない木立の中を歩いて行く。
けもの道だが、ひろ子の勘は鋭い。
通い慣れた道のように、ためらわずに進ん
で行った。
この山の頂を越せば、故郷の街が見えるは
ずだった。
ひろ子の表情が明るくなった。
ふううっ、ううっ。
ふううっ、ううっ。
道の先で、低いが力強い声が聞こえた。
茂みが、がさっと音を立てた。
黒い物があらわれた。
白い息を吐いている。
こちらを見た。
黒くて、大きな顔だ。
ゆっくり近づいて来る。
ひろ子は平気なようで、さかんに手招きし
て呼んでいる。
黒いものが立ちあがった。
牙をむいた。
「ほら、あたしよ。わからないの」
両手をパンパンたたいた。
どすん。
前足をおろした。
ひろ子の手の先に、黒い鼻を持って来た。
ぴくぴくと匂いを嗅いだ。
こわばった筋肉を急にゆるめた。
ごろんと横になって、おなかを見せた。
ごしごし腹をさすってやると、ひろ子にすっ
かりなついてしまった。
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怪奇小説
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「ひろ子っ」
母の声が、耳元で響いた。
ゆり子がいた。
ちょうど三人の真うしろだ。
肉体ではない。
陽炎のようにおぼろげだったが、確固とし
た意思が感じられた。
ゆらゆら揺れている。
顔だけは、明瞭だった。
ゆり子がほほ笑んでいた。
「あっ」
ひろ子は、あることを思い出した。
左手に、手鏡が握られていた。
鏡面を、すばやく敵の正面にかざした。
ピカッと稲妻が走った。
口が裂けた女の眉間に命中した。
ぎゃっ。
女は、背中から床に倒れた。
からだがくすぶり、燃え上がった。
まるでコケシが転がるように、子どもたちが
倒れた。
列車が、急停車した。
清人がレバーを引いたのだ。
ドアが開いた。
風が吹き込み、灰となった女を運びさった。
「ひろちゃん、怪我はないかい」
清人がひろ子の手をとった。
「あねさん、大事ですかい」
ひろ子は、目を丸くした。
子どもたちの母が来た。
トイレに閉じ込められていたのだ。
わあっと泣きくずれた。
デッキにすわりこんで、男の子を膝に抱
いた。
頬を手でさすったり、たたいたりした。
しばらくして、ぱっちり目を開けた。
女の子も目を覚ました。
「もう大丈夫ね」
ひろ子はそう言うと、列車から飛び降りた。
清人があとに続いた。
出口に人々が集まりはじめていた。
「血だ」
「人が死んでいる」
口々に、何か叫んでいる。
「面倒なことになりそうだわ」
ひろ子が言った。
清人がうなずいた。
男は、相棒のムクロを背負った。
列車は、ちょうど長いトンネルに入るところ
だった。
「ここからは、歩いても家まで大した道のり
じゃないわ」
三人は、線路伝いに歩きはじめた。
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ええっ、私の顔が怖いの。
ひろ子は、違和感を覚えた。
足元を見た。
さっきまで一緒に座席にいた少年がそばに
いる。
男たちをうつろな眼差しで見つめていた。
だが、様子が変だ。
子どもらしい動きを失くしていた。
まるで誰かに操られている。
そんな歩き方だった。
右手を背中にまわしていた。
何かを隠しているのだ。
次の瞬間、きらっと光った。
長い棒のようだ。
それが、すっと前に刺しだされた。
ぐえっ。
しゃがみ込んでいた男ののど元を貫いた。
血が噴きあがった。
咽喉を両手でおさえたままで、デッキに倒
れた。
痙攣しはじめた。
少年の持った剣は、次に清人をねらった。
突き刺そうとした瞬間、ひろ子が少年をは
がいじめにした。
「清人、早く逃げて」
ひろ子は、必死で叫んだ。
少年は、ひろ子のからだをふりはなそうと
試みた。
すさまじい力だ。
ひろ子が何度も車体の壁に激突する。
気を失いそうになった。
歯をくいしばって、我慢した。
もうひとりの男と清人は、這いつくばって通
路に出た。
なんとか活路を開いて、ふたりはトイレに入
りこんだ。
しゅううう。
車両のドアが開いた。
あの少女がやってきた。
後ろに母親がいる。
元通りにドアが閉まった。
不気味な笑みを浮かべていた。
髪の毛が生き物のようにのたうっている。
口が耳元まで、さけていた。
ひろ子は、三人にデッキの隅に追いつめら
れた。
三本の剣がひろ子にせまった。
もはや逃げることはできない。
なむさん。
ひろ子は目をつむって、天をあおいだ。
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ひろ子は手鏡だけを、そっと前にさしだした。
向かって左側のデッキに、三人がいる。
清人。そして、人間の男がふたり。
手鏡に映った。
二人の男が清人に頭をさげて、何かを頼ん
でいるところだった。
清人は彼らの頼みごとを受け入れるのがい
やなようだ。
腕組みをして、横を向いたままだった。
少なくとも、敵ではない。
ひろ子は、ほっとした。
ふううっ。
ため息が、口からもれるのがわかった。
ああっ、心配して損したと思った。
「頼みますよ、若旦那」
「いやだね」
「そんなこと言わずに、ほんと、いい返事をもら
って帰らないと、私ら、ひどい目にあいますんで。
今日は、朝から旦那のあとをつけていたんです。
どこへ行かれるんですか。電車にまで乗って」
「あなたたちの知ったことじゃないね」
ひとりの男が、サングラスを取って、デッキにしゃ
がみこんだ。
「おねげえしやす」
両手をついて、頭をさげた。
「何もそこまでしなくても。立ってくださいよ」
清人は、男の両手をとった。
男は、涙をぽろぽろこぼした。
「若旦那。俺たちの願いを聞いてくださったら、何
でもしやすぜ。火の中に入れと言われたら、そうし
ますし、川にもぐれと言われたらそうしやす。ほんと
家来になりますから」
ひろ子は、彼らの話に興味を持った。
一体全体、清人に何を頼んでいるのだろう。
それも、あんなに熱心に。
よほどのことに違いないと思った。
「あにさんの肖像画を描いてくれって、言われたっ
て、簡単には承服できないんだよ」
清人がぽつりと言った。
「どうしてですか。絵を描くだけなんですぜ。U公
園の階段下で、旦那はいつも描いてるじゃありま
せんか。金なら、いくらでもだしますから」
「わからないですか」
「ぼんくらな俺たちには、どうも」
「描きたいものしか、描かない主義なんです」
ひろ子はこれを聞いて、危うくぷっとふきだしそう
になった。
どこかで見たことがあるような気がしていた。
そうだ。先日もアパートの玄関先で見た。
上役を迎えに、黒い乗用車をよく乗りつける人た
ちだ。
ひろ子は、ぬっと顔をだした。
清人と話していた男の素顔が、青白くなった。
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ひろ子は、そっとあとをつけて行く。
もし彼らが敵だったら、どうしようと思う。
狭い車内である。
不自由な戦いを強いられるだろう。
列車に乗り込むまで、細かく注意をはらっ
てきた。
発車時刻を知られているようなことは、
ないはずだ。
それにしても、この連中は一体何者だろ
うか。
男ふたりは、ドアのすぐ前にいた。
自動ドアが開いた。
車内販売の女性が、デッキでカートに乗っ
た商品を点検していた。
彼らは、さっと両側に身をよせた。
清人は今頃トイレの中のはずだ。
彼は何も知らない。
不意をつかれたら、アウトだ。
ひろ子はあせった。
カートをやり過ごして、ようやくデッキに立っ
た。
男たちは、見当たらない。
通路の両側に、トイレがならんでいる。
トイレで用を足しているのだろうか。
それとも、清人をトイレに押し込めているの
だろうか。
彼が傷つけられたらどうしよう。
いろんな想いがひろ子の頭の中をかけめ
ぐる。
大小のトイレの前を、手鏡をかざして通り過
ぎる。
胸がどきどきしている。
どこから攻撃されるか、知れなかった。
康夫こと、ヤッシン調査によると、山の部
族の間で変化が起きていた。
実力者タイジンの死後、部族がひとつにま
とまらなくなった。
さまざまな意見が持つ者が現われてきた。
政治の力関係が不安定になり、互いにしの
ぎをけずりはじめた。
部族の意見が、おおむねみっつに分かれた。
そのために、幾つもの部族から代議員を選
出し、政治を行うように取りきめをした。
タイジンの一番弟子のミョンギ派の代議員が
一番多い。
保守政党である。
急進派。
少数であるが、極端な意見を持っている。
長老の話を聞こうとしない。
若者が多い。
一切の妥協を許さない。
裏切り者は、死ぬしかない。
沢姫に仇なす者たちは、この派閥に属して
いる。
あとは、穏健な中道派が多かった。
山の部族は、長い間、里人との交流を一切
断って来たのだ。
それだけに血が濃い。
ひとたび争うと、血が流れた。
村里は険しい山々にかこまれている。
鉱物資源が豊かであることが、人々にいろ
いろな思惑を持たせた。
川では砂金がとれた。
洞窟に入れば、水晶がきらきら光っていた。
大昔から農耕中心の自然な暮らしを大切に
してきた人々である。
質素な生活を良しとしてきた。
売り買いはせずに、飾り物に使用しているだ
けだった。
金銀財宝には、大きな価値を置かないで暮
らしてきた。
大欲にまみれた里人との交流を避けるだけ
の理由があったのだ。
偉大な政治家、タイジンが細かな配慮をして
きたおかげで、山の部族の安定が保たれて来
ていたのだ。
次のデッキで、男たちの言い争う声がした。
清人の声がまじっている。
ひろ子の顔に、緊張が走った。
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