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「驚いたわあ、清人がいっしょに行くなんて」
私鉄のホームで、ひろ子がはしゃいでいる。
昨夜遅く、清人に電話をいれた。
実家に帰るんだけど、もし良かったら一緒に
行かないか、と誘った。
オオワシの一件以来、ちょっと気まずくなった
せいか、話す機会があまり訪れなかった。
列車はホームに入っているが、まだ扉が開か
ない。
行き先と発車時刻を告げる男の声が流れた。
発車五分前。
扉が開いた。
二人は、ひと組の家族連れのあとに続いた。
出発のベルが鳴り響いている。
ふたりは、あわてて飛び乗った。
急ぐ旅ではないが、ひろ子は特急を選んだ。
約二時間かかる。
新宿から、西に向かう。
窓際に向かいあって、清人とすわった。
ひろ子の左の手首には、水晶の数珠が巻き
つけられていた。
「それ、きみに似合うね」
清人が感慨ぶかげに言った。
となりの席には、小さな男の子と女の子がす
わった。
男の子は、靴をぬがずに座席に立った。
女の子も、それをまねた。
「こら、マーくん、だめじゃないの」
通路の反対側の座席の端にいた若い女性が
きつく叱った。
「あああっ、おこられちゃった」
こくんとからだを折るように、男の子は座席に
すわりこんだ。
「ほら、動き出したわよ」
男の子に向かって、ひろ子が小さな声で言うと、
男の子は、にっこり笑った。
「こっちで窓の外を見てごらんなさい。面白い
わよ」
ひろ子は、席を代わってやった。
清人も、女の子と席を代わった。
「すみませんね」
母親が頭をさげた。
一時間たった。
列車は田園地帯を通り過ぎていた。
二人の子供は、はしゃいで疲れたのか、眠っ
ている。
「ちょっとトイレに行ってくるよ」
清人が、席を立った。
進行方向に向かって、すぐ前の座席にすわっ
ていた男ふたりが、一度に立ちあがった。
清人のあとについて行く。
二人とも黒っぽいスーツを着ている。
サングラスとマスクをかけていた。
あたりをきょろきょろ見ている。
ひろ子は、胸騒ぎがした。
何かが変だった。
彼らの姿を、手鏡に映してみようと思った。
ひろ子は、さっと立ちあがった。
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怪奇小説
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ひろ子は清人の顔を、じっと見つめた。
うわべは平穏をよそおっているが、心中
穏やかではないはずだ。
あまりにも突飛なことが、立てつづけに起
こったのだ。
心の動揺が表情やしぐさに現われていた。
もともとポーカーフエースであるだけに、ひ
ろ子は気をつかった。
水晶の数珠をバッグに入れながら、
「清人、ちょっと話があるの」
と、あらたまった口調で言った。
「なんだろ。話って」
この際でなければ、一体どこで話したらい
いんだ、とひろ子は思う。
笑って済ませられることではなかった。
「無理することないよ、ひろちゃん。誰だって
ね、隠しておきたいことがあるんだから」
清人は、ほほえんで言った。
「うううん、清人には、是非聞いてもらいたい
の。あそこにすわりましょう」
ブランコわきにあるベンチを指さした。
清人は、ひろ子に従った。
手をかざして、もう一度空を見上げた。
何も見えなかった。
短刀と車椅子さえなければ、何もなかっ
たと言えそうであった。
二人は、ベンチにならんですわった。
「ほんと、いいお天気だね。春にしてはめ
ずらしいや」
清人は、ひろ子の心の負担を少しでも減ら
してやりたかった。
清人の優しさがひろ子の心につたわった。
うつむいたままで、ひろ子はぽつりぽつりと
話しだした。
生まれや育ち、今に至るまでの出来事を洗
いざらい話した。
清人は、ひろ子が話している間、真剣な表
情で聞いていた。
「こんな、あたしなのよ」
ひろ子は、涙声になっていた。
清人は、黙ったままだ。
ひろ子は、清人の顔を見るのが怖かった。
清人は、突然立ちあがった。
やっぱり、お別れなのね、とひろ子は思った。
「嬉しいよ。そんな話しにくいこと。よく、ぼくに
話してくれたね」
と、言った。
少し歩いて、ふり返り、
「じゃあ、またあとでね。用があるから、ぼくは
先にアパートに帰る」
と言って、笑顔を見せた。
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「きよとお、たすけてえ」
ひろ子は、思わず叫んだ。
清人は、異変を察して、ブランコからおりた。
老人が、ひろ子の首に刃物を突き付けている。
自分の力では、どうすることもできないが、や
るだけのことはやろうと思う。
小石をつかんで投げた。
老人の背中に当たって跳ねた。
「こやつめ」
清人をにらみつけた眼が血走っている。
老人は、短刀をふりあげた。
ひろ子は、思わず目をつむった。
これくらいのあぶない目は、慣れている。
変わり身の術をつかえば、切り抜けられるのは
分かっていた。
愛しい人の目前である。
なるべく使いたくなかった。
そうでなければ。
自分の意思とは関係なく、ヒルに変わってしまう
かもしれない。
「神様、お願い」
一心に、心の中で祈った。
「今、行くからな」
荘厳な声が、耳の奥でした。
不意に、頭上で風が巻きおこった。
「ぎゃっ」
のしかかっていた男が悲鳴をあげた。
血しぶきが舞った。
ひろ子の背中が、急に軽くなった。
「大丈夫かい、ひろ子」
清人が走って来た。
「うっ、ううん」
ひろ子は、自分のからだをじっと見た。
大丈夫だ。
ひろ子のからだのままだ。
「空からオオワシが急降下してきて、老人を
爪でつかむと、また空に舞いあがって行った
んだ」
清人は、見た通りに語った。
落ちていた短刀をひろった。
「なんでまた、こんなものでひろちゃんを傷つ
ける気になったんだろう。心当たりはないの」
ひろ子は、
「何ででしょうね、まったく」
と、素知らぬふりをした。
真実を話すのをためらった。
話さずに済むものなら、そうしたかった。
「年寄りのストーカーなんて、聞いたことがない
よね」
清人はそう言って、微笑んだ。
「ストーカーか。そうだね、そうかも」
ひろ子は、清人の話に合わせた。
「それにしても、あのオオワシは一体何者なん
だろうね」
まぶしそうに、清人は空を見上げた。
「あれ、ひろちゃん。それはなんだい」
ひろ子は、右手に数珠をにぎっていた。
水晶の玉がキラキラ光っていた。
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放課後。
ひろ子は、清人をU公園にさそった。
コーヒーカップを手にして、ブランコに乗っ
ている。
「私、ここへよく来るのよ」
「いいとこだね。真下にS池。遠くにビル
街が見えるし」
「一枚の風景画でしょ」
「うん」
「この学校に来てから、私、謙虚になった
わ」
「へえ、そうなんだ」
「私ね、清人と違って、田舎育ちでしょ。
高校までは、あたしは誰よりもじょうずだっ
て、いい気になってたわ。それが、この学
校の人。清人もそうだけど、誰もがとっても
上手なんですもの」
「そりゃそうだよ。国中から才能のある人が
集まっているんだから。自分なぞ、未熟だと
わかっただけでもいいんじゃないかな。そこ
から出発すればいいことだからさ」
「ありがとう、清人。そう言ってくれて、嬉し
いわ」
「わからないことがあったら何でも聞いて」
「頼りにしてるわ」
ひろ子の顔が紅く染まった。
目に涙がにじんだ。
清人は、ひろ子から視線をはずした。
「こんなこと言ったら、なんだけどさ」
「うん、何なの。あら、ごめん」
頬を涙が伝っているのに気づいて、ハンカ
チをバッグから取り出した。
「最近、身のまわりで、何かなかった。様子
が変だよ」
「そんなことないわ、前と同じよ」
ひろ子は、コーヒーを飲みおえた。
そっとカップを地面におくと、ブランコをこぎ
だした。
くるくると景色がまわる。
ひとりの老人が、車いすに乗って来るのが
見えた。
介助する人が見当たらない。
車いすが突然動かなくなった。
ひろ子はこぐのをやめ、ブランコから離れた。
「おじさん、大丈夫ですか」
車のタイヤに石がはさまっている。
ひろ子は、それを取り除こうと、前かがみに
なった。
老人の目つきが鋭くなった。
和服の懐に、右手を入れた。
何かがきらりと光った。
ひろ子の首筋に、冷たいものが当たった。
「あらっ」
ひろ子は、頭をあげようとした。
あがらない。
すごい力で押さえつけらえていた。
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翌日。
ひろ子がキャンバスに向かっている。
山奥の風景だ。
ちょうど水に濡れた岩を描いていた。
素人目には、実にうまいと思える。
「そこは、もう少し淡い色の方がいいんじゃ
ない」
清人がそばに来て、しゃがんだ。
イメージがわき、筆が進んできたところで
ある。
ひろ子は、いらだった。
「いちいち、うるさいわね」
清人はひろ子の顔色を見ながら、
「そうやって、すぐにきみは感情的になる」
「悪かったわね」
ひろ子が怒っても、清人は冷静であった。
筆を持ったひろ子の手をにぎって、
「ちょっと力をぬいて」
と、言った。
清人は、ぐっと自分の手に力をこめると、
ひろ子の右手を持ちあげた。
筆を水に入れ、さっと洗った。
すぐにパレットの上に移動した。
二種類のペイントを混ぜ合わせた。
そこで、清人はひろ子の手を放した。
「ほら、描いてみて」
ぶつぶつ言いながらも、ひろ子は言われた
とおりにした。
まだ、怒りはおさまらない。
顔が紅潮していた。
自分のイメージどおりに、誰でも書きたいも
のだ。
「ちょっと離れたところから見てごらん」
またしても、清人が指図した。
ひろ子は一言、言いたくなるのをぐっとこら
えて、立ちあがった。
少し歩いて、ふりかえった。
眼を細めて、じっと絵を見つめた。
「とってもいいわ。でもね、これじゃやっぱ
りあたしの絵にはならないわ。あくまでもあ
なたの絵よ」
ひろ子は、精一杯の抗議をした。
清人は、ひろ子の真意がわかった。
「ごめんな。つい手を出してしまった」
ぺこりと頭をさげた。
長い髪の毛が、ひろ子の手に触れた。
「いいわ。許してあげる。その代わりコーヒー
を一杯おごってくれる」
しょげている清人の顔を見つめて、ほほ笑
んだ。
愛しい人である。
敵は、あろうことか、この人に化けたのだ。
すぐには、見破れなかった。
そんな自分に腹が立った。
敵は、すぐとなりにいるということだ。
ひろ子は、あたりに視線を走らせた。
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