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水晶玉の中が、次第に暗くなってきている。
風が吹き荒れている。
今まさに、闇が支配しようとしていた。
夜叉が勢いづいている。
「それほどに妻が可愛いというのか」
「あっ、はい」
「助けてほしいか」
「はい。是非とも」
「そうか。わかった」
「ありがとうございます」
「その代わり、お前の命と引き換えじゃ。それでも良いか」
哲夫は一瞬ためらった。じっとして考えている。
「それみろ。やはりわが身がかわいいのじゃ、あっはっはっ」
「わかりました。差し上げましょう」
哲夫は観念した。家の守り本尊のカラス天狗様とご先祖様の霊に救いを求めた。
一心に祈っている。
夜叉が両腕で短刀をもって近づいてくる。
哲夫の急所を一突きにしようとしていた。
父、三郎は幽体離脱してから、哲夫のもとまで急いだ。
途中、京で有名なお不動様に立ち寄った。
ほとんど瞬間移動するので、距離は苦にならないが、疲れはする。
三郎の魂魄は、京の母の占い部屋の天井付近にいる。
見下ろしている。
玄関を入った所に若い女がいた。
三郎には正体が見えていた。
白い煙となって、水晶玉に入りこんで行く。
哲夫が諦めかけた時、父の声が聞こえた。
「てつお、助けにきたぞ」
「おとうさん」
哲夫は目をかっと見開いた。
「おのれ、この卑怯者め」
両手を合わせて刃を受け止めた。
左にねじった。
夜叉がよろめいた。
哲夫の光のオーラが燃えさかる。
夜叉に衣に火がついた。
衣を脱ぎ捨てて裸になった。
老いさらばえている。
両手で前をおおう。
「くそっ。助っ人が現れたか」
突然雷光が走った。
夜叉の体を直撃した。
「むっ、むねんじゃ」
一筋の煙の筋となって消えて行く。
辺りが明るくなってくる。
雲間から青空がのぞきはじめた。
ふっとお姫様が現れた。
巨大なお釈迦様の掌にいる。
「ありがとうございました。これで成仏できます。どうぞ、奥さまとお幸せに。さようなら」
三郎が玉から抜け出た。続いて、哲夫が出ようとしている。
玄関付近で物音がした。
若い女の皮が、鬼の体から脱げ落ちて行く。
食魂鬼があらわれようとしていた。
占い料金の代わりに、魂を食らうのであった。
たちまち牛くらいの大きさになった。
路地を突き進んでくる。
柱や壁がバリバリと音を立てて壊れる。
ぐおおっと、うなっている。
金棒を右手に持っている。
黒いカーテンを引きちぎった。
占い部屋がパアッと明るくなった。
鬼は目がくらんだ。
鬼の耳に聞き覚えのある呪文がとどいている。
「おっおのれええ。またしても」
金棒をブンと振りまわした。
不動は、刀剣を持ったままで飛び上がってさけた。
すわったままでいた初老の女の左頬に当たった。
頭は粉砕され、脳漿や血が辺りに飛んだ。
皮一枚で、髪の毛が付いた頭の一部が首から垂れさがっている。
不動が刀剣を鬼の頭上に振りおろした。
ぎゃああっ。
頭頂部を顎まで切断された。
どしんと路地に転がった。
体がけいれんしている。
哲夫の意識が戻った。
体をベッドから起こした。
「てつお」
父の声が耳元でした。
「この水晶玉を病院まで持ってきてくれ。俺は玉の中にとどまる。急いでくれ、母さんが心配している」
哲夫は頭が重かった。まるで二日酔いのようであった。
玄関の戸を開けた。
辺りが白々としていた。
時計を見ると四時をさしていた。
深呼吸をした。
五月の爽やかな空気が肺に流れ込んできた。
心が、充実感でいっぱいになった。
物書きのKが、店先で八十歳になる竹職人と話している。
「わしの話は、これで終わりじゃ」
「ありがとうございました。これ、些少ですが」
封筒に入れて差しだした。
「いらんと言いたいが、お気持ちじゃからな。有難く頂戴しよう。お線香の上等なのを買わせてもらおう」
「どなたかの菩提を弔うのですか」
「むろん、ご先祖様じゃ。父と母と祖父と祖母、そして夜叉になり果てた姫御の菩提を弔っておるのじゃ」
「ええっ、それでは、あなたは」
「そうじゃ。わしが哲夫だ。さっき茶を入れたのが、真理子じゃ」
Kは、Т橋を渡って旅館に向かっている。
川面が夕陽をあびてきらめいている。
怒り、悲しみ、喜び、楽しみ。
人の感情は、何と不思議なものだろう。
俺などまだ未熟者だ。それが分かっただけでも、ここに来た甲斐がある。
Kは、衷心からそう思った。
夕陽に向かって両手を合わせた。
涙が自然とあふれてきた。
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霊感シリーズ
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H病院の白い壁にも、夕陽が当たっていた。
淡い紅色に染まっている。
哲夫の父、三郎は屋上にいる。
未だに肩の包帯は取れないが、傷はかなり癒えてきていた。
左腕を右肩から支えている。
金網越しに、沈みゆく太陽を妻の芳江と眺めている。
「あなた、とってもきれいね」
「そうだな」
「あたし小さいころから不思議だったのだけど」
「何がだい」
「どうして山に沈むときは、昼間よりもお日様が大きいんだろうって」
「そう云われればそうだな。俺だって理由はわからん。大きさは変わらないんだろうが。理科の先生にでも尋ねてみるか。それはそうと、哲夫と真理子は、うまくいっているのか」
「ええ、まあ」
「何か具合がわるいことでもあるのか。子供のことだ。かまわないから何だって話しなさい」
「ちょっと真理子が」
「真理子がどうしたんだ」
芳江が、三郎の剣幕に少したじろいだ。
「あっ、ごめんごめん。怒っているわけじゃない」
「夜なかに外出するようなので、哲夫が心配で、お母さんに相談したらしいんです」
「ばあちゃんにか」
「はい」
「ちょっとやっかいだな。ばあさまも嫁に来たばかりの頃に、いま、真理子が直面しているようなことを体験したらしいんだ。六十年も前の話だがな」
「あたしは、何事もなかったんですけどねえ」
「良かったな、お前は何事もなくて」
「お母さんは、哲夫を励まされたようです。しっかり嫁をまもってやれと」
「ううむ」
「今日の夕方、街の占い師の所に立ち寄ると、お母さんには言ってでたようです」
「芳江、俺は何だか胸騒ぎがしてならないんだ。父子は遠く離れていても、どこかで気持ちが繋がっている」
「そうでしょうね。男同士ですもの」
「どこの占い師だ」
「なんでも祇園近くで、有名だそうですよ」
「そうか。それだけ聞けば充分だ。京の母だ。よく当たるが、哲夫は事によると命がけになる」
「ええ。命がけですって」
芳江の顔色が変わった。
階段に通じるドア付近で、声がした。
「お父さん」
娘の敏子だった。
息をきらしている。
「看護婦さんに聞いたら、ここだといわれたのよ」
「仕事の帰りでしょ。今日は早く終わったのね」
「早びけさせていただいたのよ。普段はめったにしないから、上司はすぐにОKしてくれたわ」
「そう。良かったわね。芳江、悪いけど先に部屋に戻ってくれない」
「ええ。今来たばかりなのに」
「Тさんの奥さんが、お見舞いに来て下さったのよ。お花いただいたわ。花瓶の花を取り換えてほしいの」
「わかった。まったくあたしがお邪魔みたいね」
三郎が微笑んだ。
「頼むよ、としちゃん」
「はあい。おとうさま」
「芳江。お前も子供のあしらい方がうまくなったな」
「敏子に心配かけたくないから」
「そうだな。急いで部屋にもどるぞ。やることがある」
三郎は、一歩足を踏みだしたとたんに、雪駄のひもが音を立ててきれた。
嫌な予感がした。
「てつお。待っていろ。今行くぞ」
裸足でかけだした。
「あなた、ドアの所にスリッパがありますよ」
エレベーター前は人であふれていた。
ふたりは階段を降りることにした。
危うく転げ落ちそうになった。
部屋に戻った。
敏子の姿はなかった。
小さなテーブルの上に置手紙があった。
「彼と約束があります」と、書かれてある。
芳江がその手紙をにこにこしながら読んでいる。
三郎はベッドの上で、はあはあ言っている。
看護婦さんが来た。
「どうしたんですか」
「ちょっと駆け下りたもので」
「まあまあ元気なこと。血圧と体温を測ろうと思ったけど、これじゃちょっと無理だわね」
「すみません」
「奥さま、旦那さんを見張っていてくださいね。遊びに出歩かないように」
看護婦が微笑みながらいった。
「明日の朝来ます。お休みなさい」
ドアを開けて出て行った。
「芳江。俺は今から瞑想する。絶対に話しかけるな。意識がほかに飛んでいるからな。うわごとを言うようなことがあっても、かまうんじゃないぞ。哲夫を助ける」
「わかりました」
「俺と哲夫の無事を傍らで祈ってくれ。心配するな。必ず目覚める」
三郎は、静かに両の目を閉じた。
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シャワーを浴びてきたものの、汗の匂いが胸元から立ちのぼってくるのを感じた。
作業着が汚れていた。
哲夫は、占い師に気をつかった。
「すみません。仕事帰りに立ち寄ったもので」
彼女は無言で、じっと水晶玉を見つめている。
お香が焚かれているんだから、気づかいは無用だったか、と思った。
哲夫の緊張度が増した。
手に汗をかいている。
しょうがないなあ、俺は女の人の前では、いつもこうだ。
気楽にいられないんだからと、しきりに反省している。
「気を鎮めなさい。水晶玉を見つめなさい」
占い師がおごそかに言った。
蝋燭の炎だけが、水晶玉の中で揺らめいている。
女と男の顔がゆがんで見えた。
女は、目を細めたり丸くしたりしている。
時折呪文をとなえている。
両手を摺り合わせている。
哲夫の気持ちが落ち着いて来た。
心の「池の水面」がないできた。
鏡面のような状態になった。
興奮がおさまった。
「いよいよです。これから、真理子さんに憑依している霊が現れます」
「その霊に、あなたの思いのたけをぶつけてください」
「はい」
「私はあなたを助けることは出来ません。祈ることが出来るだけです」
「わかりました」
「尋常な相手ではありません。覚悟して闘いにのぞんでください」
「あなたの想いが天に届くことを願っています」
哲夫は胸の鼓動が高まって来た。
恐れよりも勇気が上回っている。
妻をいつくしむ気持ちが強いからであった。
呪文が大きくなってくる。
水晶玉の中の風景が、嵐に巻き込まれているようだ。
走馬灯のように回りだしている。
混沌としている。
哲夫は、心地よい香りに浸っている。
自分の意識が、すうっと水晶の中に入って行くように思えた。
「生きすだま」が体から抜け出していった。
混沌のなかへ入って行く。
哲夫の体だけが、空しく、椅子に腰かけている。
占い師と受付の女性が、そばにあったベッドに彼の体を横たえた。
いつか哲夫の脳裏に浮かんだ黒雲が目の前にあった。
彼の生きすだまは、光を放っている。
真理子に対する想いが、強ければ強いほど輝くのだ。
それが哲夫の唯一の武器であった。
積乱雲に近づいて行く。
黒雲が光を受けて、ちぎれ飛ぶ。
強い風が突然、哲夫に向かって吹いた。
夜叉が吹きかけている。
哲夫はそう感じた。
雲の奥から、遂に姿をあらわした。
十二単衣を羽織った姫様であった。
「おまえは、わたしの邪魔をしようというのかえ」
哲夫は言った。
「あなたですか。私の妻にとりついているのは。お願いです。どうか、出ていってください」
光にはばまれて、夜叉は、哲夫にそれ以上近づくことができないでいる。
長い黒髪を振りみだしはじめた。
重ね着をした衣が風にあおられている。
顔が、鬼面に変わっている。
「だめじゃ。六十年、待ったんだ。わしはこの世にいるときに愛しい方がおってのう。添い遂げることが出来なかかったんじゃ。その想いが強すぎたせいで、こうして千年たっても成仏できずにおる。苦しくてたまらん。男と交われば、一時でも心が安らぐのじゃ」
「真理子は嫁にきたばかりでございます。どうぞ許してやってくださいませ」
「ええい。ならぬものはならん。ようやく乗り移れる魂を見つけたのじゃ」
夜叉は、懐刀を右手で取りだした。
鞘をはらう。
キラリと光った。
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陽が西に傾いている。
辺りが茜色に染まりはじめた。
祇園に近い小路を哲夫は歩いている。
脇に幅二メートルくらいの堀があった。
水が勢いよく流れている。
柳が風に揺れている。
小舟が杭に繋がれていた。
哲夫は、仕事の帰り道であった。
古風な家並みが続いている。
格子戸に看板が吊るしてあった。
「うらない」と、墨で書いてある。
「ごめんください」
戸を開けた。
哲夫の心は、穏やかではない。
ウワサには聞いている。
黙ってすわれば、ピタリと当たる。
文字どおりにいけば良いが、と半信半疑であった。
返事がないので、もう一度言った。
「どなたかいらっしゃいますか」
奥の暖簾から、若い女が顔を見せた。
手招きしている。
口を開けばいいものを、と哲夫は腹が立った。
その女は、受付係であった。
「この紙に必要事項を記入してください。料金は後払いです」
と、言った。
余計なことは、一切言わない。
まるで能面のようだな、と思った。
占いは、一種の神がかりの世界である。
押し黙っているのは、威厳を示そうとしているのかな、と哲夫は思った。
先客は、いないようだ。
「あちらにどうぞ」
彼女は右手で指し示した。
玄関から裏庭まで狭い路地がある。
そこを歩いた。
不意に、重々しい女の声が聞こえた。
「そこでお止まりください」
右側を見た。
黒いカーテンが、上がり框すれすれまで垂れ下がっている。
「どうぞ、カーテンを脇に寄せてお入り下さい」
「失礼します」
哲夫は勇気をふるって入った。
幼いころから、それほど気が強いほうではない。
女の人は苦手であった。
今は、そんなことを言っている場合ではなかった。
四畳半の暗い部屋だった。
床は板張りである。
窓はない。
外よりもずっと暗く感じた。
漆黒と言ってもいいくらいだ。
しばらくすると、目が闇になじんだ。
白い煙が漂っている。
黒い布でおおわれたテーブルがある。
真ん中に太くて長い蝋燭が一本立っている。
炎が煤をあげて揺らめいていた。
その横に直径十センチくらいの水晶玉がある。
紫の小布団が敷いてあった。
人影が見えた。
「おすわりください」
頭巾をかぶった年老いた女が命令した。
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哲夫は悩んでいる。
妻を心から愛しているからであった。
頭上に浮かんでいた火の玉。
あの光景が脳裡に焼き付いていた。
何かにとりつかれているとしか考えられなかった。
哲夫は、ばあちゃん子であった。
祖母は、この辺りのことは何でも知っている。
「そうか、やっぱりじゃ」
案外驚かなかった。
「大昔の女御の霊じゃ。わしも嫁に来たころにとりつかれて難儀した。じい様がわしのために骨おってのう。世間には相手にされずに、ひっそりと暮らしておられた祈祷師の所へいったんじゃ。こんな科学万能の時代だからな。無理もない。お祓いをしていただいて、ようやく退散してもらったんじゃ」
「今でもそのようなことがあるのかな」
「まあ、目には見えない世界のことじゃ。何にもはっきりしたことは言えん。わしらがこうして当たり前のように生きておることだって、不思議といえば不思議じゃ。死んだらどうなるか。体は腐って土に返る。でもな、こうしてしゃべってるこのわし、この心はどうなってしまうんじゃろう。若いころからそんなことを考えておった」
「ばあちゃん。哲学してたんだよ、それは」
「へえ。難しい事はようわからん」
「可愛い嫁じゃ。哲夫、お前の力で何としてでも、助けてやるんじゃ。わしらにはどうにもできん。お前の強い想いだけが頼りじゃからな。なっ、哲夫、頑張るんじゃぞ」
夫婦は一心同体である。妻の苦しみは夫の苦しみである。
哲夫の脳裏にひとつの光景が浮かんだ。
真理子の心の鏡に黒雲が映っている。その中に十二単衣を羽織った若い女性がいる。
愛しい殿御が忘れられず、体が朽ち果てても魂がこの世にとどまっている。
哲夫は、カノジョのやりきれなさを思いやった。
女の黒髪は象をもつなぐという。
生きているときは美人の誉れが高くても、死後は未練にさいなまれる。
そのとき魂は、ヤシャのココロに変わるのだろう。
哲夫は、自分のなすべきことの重大さに身震いした。
真理子を助けるだけではなく、可愛そうな霊も成仏してもらわなくてはならない。
「京の母」といわれる占い師を知っている。
よく当たると評判である。
哲夫は、まずはその人に逢ってみようと思った。
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