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月は出ていない。
風が強く吹いている。
黒雲の動きが早い。
竹林が揺れ動く。
ギャアギャア。
М公園奥の原生林でケモノが動きはじめた。
夜を待っていた。
葉桜の季節になろうとしている。
若芽が噴き出した。
桜の花びらが紙吹雪のように舞っている。
地面がほんのりと明るい。
淡い紅色だ。
Y神社に近い池のほとり。
ひとりの白髪の老婆がしゃがんでいる。
ガツガツと音を立てている。
背中が見えるだけだ。
神社につづく坂道を人が歩いている。
ザクザクと小石を踏みしめる。
老婆は、すくっと立ち上がった。
腰を曲げたままだが、足は速かった。
近くの藪に逃げこんだ。
息をひそめている。
紺色の背広をきた中年の男が現れた。
酒のせいか、足元がおぼつかない。
訳の分からないことを口走っている。
「あの課長の野郎。俺のことを小馬鹿にしやがって。うううん。腹が立つ。明日会社に行ったら課長の前で文句を言ってやる。何ですか、課長。効率効率って。結果が出なきゃしょうがないのはわかりますが、あんまりじゃないですか。我々だって真面目に努力しているんですから、少しは評価してください」
本人はそう言っているつもりだ。
池のほとりに立った。
小石を拾い上げた。
池に投げ込んだ。
鯉がはねた。
ベンチにすわった。
体が揺れている。
前のめりになった。
何かを両手で拾い上げた。
「ひゃあ」
叫び声をあげた。
「うぬ」
老婆はうめいた。
「やつめ、気がついたか」
老婆は、じっとしている。
ほかに人の気配を感じ取っていた。
サクサクと軽い足音が近づいてきた。
「若い女だ」
老婆の聴覚は鋭い。
桜色のスーツを身にまとった女が、男に近付いた。
親しげに話しはじめた。
桜の古木のまわりで戯れている。
女が先に木から離れて坂道を下って行った。
男は気付かない。
夢うつつのようである。
老婆が女の代わりになった。
男のふくらはぎにそっと柔らかい五本の指で触れた。
いつのまにか若い女に化けていた。
白い髪が黒々としている。
肌がすべすべとしたモチ肌になっている。
深いしわのある老婆の顔が、ぬっと男の眼前に現れた。
男は声も立てずに、どっと地面に倒れた。
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