逃げるシリーズ

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乱れる その5

 学校へ行きたくないな、と少年は思う。
 どうしてかと問われても、こうです、とはっきり答えられない。
 そんな自分に腹が立った。
 心の中に泥のようなものが、こびりついているように思った。 
 「どうしたんだい、早く起きないと遅れちゃうからね。いいお天気だよ」
 母の声に、背中を押される。
 しぶしぶ仕度をはじめた。
 「どうしたんだい。ご飯食べないのか」
 「食べたくないんだ」
 「しょうがないね」
 玄関につづく廊下を、足早に歩いて行く。
 上り框にすわって、靴をはく。
 スリッパを鳴らして、母がかけつけた。
 「ほら、できてるよ。これ、持って行きなさい」
 ハンカチで包んだ弁当箱を渡された。
 返事をするのも、おっくうだった。
 学生帽の頭を軽くさげた。
 「はきはきしないね。小学生の頃は、こんなじゃなかったのに」
 少年は、先生に叱られた時のように、立ちつくしている。 
 母は、思い出し笑いをした。
 「車に気をつけるんだよ。人と違って、車は人の気持ちを、
あれこれ考えてくれないんだから。うかうかしてると、ひかれるよ」
 「わかってるよっ」
 戸をガチャンと閉めた。
 門口を出る。
 二、三歩勢いをつけて、自転車に乗った。
 力強くペダルをこぐ。
 四つ角で、信号が赤になった。
 こつこつと音がして、紺のスーツを着た女の人がわきに立った。
 ちらっと横顔を見た。
 きれいだなあ、と思う。
 一度も見たことがない人だ。
 この辺りは、家が密集している。
 知らない人は、たくさんいた。
 なんだか、見たことあるなあ。
 少年は、女に妙な親しさを感じた。
 見られているのに気づいて、女は横を向き、
「おはよう」と言った。
 えくぼがかわいい、と思った。
 「おはようございます」
 思わず、少年の口から出た。
 女は、ちょっとだけ目を閉じ、首をひねった。
 少年は、胸が熱くなるのを感じていた。
 それまでのいやな気分が吹きとんだように思った。
 信号が青に変わった。
 少年は、腕時計を見た。
 急がなくちゃならないけど、まあいいや。
 学校に向かって、ゆっくりと走りだした。
 了 
 
  
 
 
 

乱れる その4

 母は、門口を出て、道に立っていた。
 顔色が良くない。
 何事かあったに違いない。
 「遅かったじゃないの」
 低い声でつぶやいた。
 「ごめん。タロウが」
 「タロウが、どうしたの」
 声をあらげた。
 「つまずいて、ころんだとたんに、鎖が手から離れてしまったんだ」
 少年は、うそをついた。
 初めての嘘だった。
 嘘をつくな、と幼いころから言われ続け、
正直がほとんどに身についていた。
 心臓の鼓動が聞こえた。
 どくんどくんと、打った。
 どうかなってしまうんじゃないかと思った。
 嘘をつくな、と身体が訴えていた。
 「探していたんだ。今まで。大変だったね。それならいいよ」
 母は、おだやかな表情になった。
 「何かあったの」
 「さっき、おまわりさんが来てね。事件があったんだって」
 「へえ、どんな」
 「女の人が抱きつかれたんだって。犯人は、犬を連れた男の子だって言うんだよ」
 ちくりと針で刺されたような痛みを胸に感じた。 
 さっと、顔から血の気が引くのがわかった。
 母に悟られまいとして、うつむいた。
 「お前もタロウを連れて行っただろ。ほんと心配したよ。おまわりさんには、
お前のことは何も言わなかったけどね」
 「そうなんだ。ああ、お腹すいた」
 少年は、話題を変えた。
 わざと明るい表情で言った。
 「早く手を洗って。仕度ができてるからね」
 玄関は南側にある。
 家の角を曲がり、チェーンを杭につないだ。
 「やれやれ、やっと着いた。きょうのことは内緒だぞ、タロウ。絶対にな」
 言葉を解さない犬に、少年は話しかける。
 そうやって、自分自身を納得させた。
 数週間、少年はびくびくしながら過ごした。
 女は被害届を取り下げたらしい。
 二度と、警官が訪れることはなかった。
 
  

乱れる その3

 小さな明かりが、揺れながら近づいてくる。
 まずい。
 少年は、女の体からはなれた。
 人が近づいてくるのに、女はまだ気づかない。
 両足を折り曲げるようにしてすわりこみ、嗚咽をもらす。
 家とは反対方向に、少年は走りだした。
 走るのが楽しいのか、タロウはチェーンを力強く引っぱる。
 右手に、神社の森がある。
 ほかよりも闇が濃い。
 あそこで、ちょっと休んでいよう。
 おやしろの裏に一時間もいれば、事態が変わるだろう。
 少年はそう思った。
 タロウが邪魔だが、仕方がない。
 木の幹にしばっておこう。
 やしろの塀の上から、まわりを見た。
 小川の道は、大通りに行きつく。
 ライトを照らした車が頻繁に通行していた。
 赤いランプを回した車が、小道の曲がり角で停まった。
 ふたりの警官と先ほどの女が、ライトの中に浮かび上がった。
 あわててもよさそうなものだが、少年は平静だった。
 ここは、ぼくの隠れ家だ。
 幼稚園の頃から、何か都合が悪くなると、ここに来た。
 タロウがクンクン鳴きだした。
 無理もない。腹をすかせているのだ。
 ポケットには食べる物がない。
 早く家にもどらなくては、と思った
 少年は、祈るような想いで、曲がり角を見つめた。
 パトカーは、いなくなっていた。
 それにしても、馬鹿なことをしてしまった、と少年は悔やむ。
 昼間なら、絶対にしない。
 女の人の身体には興味があった。
 友達から、エッチな本を借りては、部屋で読んだ。
 裸の写真を見ては、想像をふくらませた。
 変なところに手をやっては、こすった。
 妙な快感がわいてきて、当惑した。
 母の顔がまともに見られなくなっていた。
 チェーンを木の幹からはずす。
 タロウが、ほてった顔をぺろぺろなめた。
 「静かに」
 少年はタロウに命じた。
 頭やあごをやさしくなでる。
 やしろの正面にでて、参道を鳥居方向に進む。
 「このあたりには、いないようですな」
 ふいに、男の声がした。
 少年は、その場にしゃがみこんだ。
 見つかれば、どうしようもない。
 緊張のあまり、意識が半ば遠のく。
 何も聞こえない。
 どのくらい時間がたったのだろう。
 バサバサという音がした。
 サギが木から飛び立ったのだ。
 境内は静かになっている。
 人の声もしない。
 少年は、正気にもどっていた。
 いくらか頭が痛む。
 ガツンと頭をなぐられたような気分だ。
 ここは神域である。
 少年は、しでかした事の重大さに気づいた。
 

乱れる その2

 タロウのからだを抱くと、道端に寄った。
 黒い人影が前を通り過ぎて行く。
 甘い香りが少年の鼻をくすぐった。
 タロウが、歯をむきだしてうなった。
 少年の胸で、からだを動かす。
 どさりと地面に落ちると、勢いよくかけだした。
 女は、きゃっと叫ぶと、走りだした。
 タロウを止めなくては、と少年は思った。
 チェーンを引っぱった。
 タロウは、強情だ。
 少年は、途中で引っぱるのをやめた。
 おかしなことだが、タロウにまかせることにした。
 女のあとを追いかけて行く格好になった。
 いけないことをしている、と分かっている。
 次第に、わけが分からなくなった。
 しびれるような快感が少年を襲った。
 石につまづいたのか、女がころんだ。
 タロウが追いついた。
 女のからだをかぎまわっている。
 少年は首に巻いていたマフラーで、顔を隠すようにした。
 「だれ、誰なの」
 少年は、黙ったままだ。
 チェーンを手から放した。
 タロウがコートの裾にかみついた。
 女は、両手で顔をおおい、
 「お願い、助けて」
 と何度も髪をふりみだした。
 「ふん、ざまをみろ」
 信じられない言葉が少年の口から出た。
 女は、泣き出した。
 少年は女の背後にまわると、両手で抱いた。
 やわらかい肉体の感触がつたわって来た。
 頭がくらくらした。
 夜の闇が、少年を変えた。
 今までおさえこんでいたものが、むっくりと立ちあがって
来るのを感じていた。
 
 
 
 
 

乱れる その1

 校庭の木々は、葉をほとんど落としていた。
 太陽が早く沈んだ。
 午後五時を過ぎると、辺りは真っ暗だ。
 「タロウの散歩に行ってくるよ」
 と母に告げて、少年は家を出た。
 「こんなに暗いのに、大丈夫かい。車に気
をつけるんだよ」
 「うん」
 近頃は、あまり母ともしゃべらない。
 しゃべりたくないと言った方が、正確だ。
 八月で、十四歳になった。
 父は朝早く家をでて、真夜中に帰って来た。
 家の西側を小川が流れている。
 タロウに引っぱられるままに南に向かった。
 闇の中では、犬の姿がはっきりしない。
 黒っぽい毛をしている。詳しくいえば、こげ
茶色に近い。
 物影に入ると、なおさらだ。闇にとけこんだ
ようで、どこにいるのか分からない。
 首輪に付いたチェーンの動きがたよりだ。
 ふいにチェーンが伸び、直線になった。
 タロウが両足をふんばり、ふんふんと鼻を
鳴らす。
 ほかの犬の痕跡があるのだろうか。
 少年は、その場にしゃがみ、手で草の上を
はらった。
 何もない。
 思い切って、指で草をなでつける。
 匂いをかぐと、なまぐさかった。
 犬のおしっこがかかっていたところで、分か
らないだろう、と少年は思った。
 犬の嗅覚は鋭い。
 人間とは、比べものにならない。
 納得して、歩きだしたが、すぐにまた立ち
どまった。
 耳をピンと立てた。
 足音が近づいて来た。

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