花シリーズ

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桜子 その22

 もう、ママに何を言っても無駄だわ。
 桜子は、押し黙ったままでいる。
 もう一言話すと、お互いに感情的になるの
がわかっていた。
 つかみあいのケンカになってしまう。
 そんな別れ方は、したくなかった。
 美雪は、シガレットが真っ赤になるほど煙
を吸いこむと、灰皿の底でもみ消した。
 「わかったわ。あたしたちの縁も、これきっ
り。これからは、敵同士よ」
 言い終わると、白い煙がまじった長いため
息をついた。
 桜子は、立ちあがった。
 上がりかまちで、頭を深くさげた。
 勝手口から、路地に出た。
 風が桜子の頬をなでていく。
 裏の掘に、小さな木橋がかかっていた。
 たたずんで、流れを見つめた。
 降り続いた雨のせいで、水かさが増していた。
 一列に並んだ柳が、揺れている。
 青い傘が、視界に入った。
 桜子のそばまで来た。
 「あら、さくらちゃん。どうしたの」
 Y子だった。
 「今まで、ありがとう」
 「ええっ」
 「あたし、お店やめたの」
 「なんで、また」
 「お店を出すことにしたのよ」
 「そんなお金、一体、どうしたのよ」
 「援助してくれる男はんが、出来たのよ」
 「ふううん、誰だろう」
 「えいちゃん」
 「ああ、あの人。ねえ、桜子。お母さんとよく
相談したの。店を持つのはいいけどさ。あの人、
そんなに信用できるかな」
 「いい話だから、お前が、やりたいんならと、
賛成してくれたわ。栄一さんは、前は、すけべ
なだけのおっさんだったけど、この頃は、なん
だか人が変わって、真面目になったと思うわ」
 「そうかなあ。あたしは、なんだか信じられな
いんだけど。何を考えているか、分からない所
があるわ。そう簡単に人って変わらないと思う。
いずれにしても、水商売。浮き沈みが激しいん
だからね。せいぜい気をつけて」
 Y子は、桜子よりすっと年上である上に、苦労
してきた。話すことに重みがある。かけだしの頃
から、手助けしてもらった。
 「本当にいろいろありがとうございました。お礼
は、またあとでさせてもらいます」
 「うううん。お礼なんて、いらないわ。あたしは、
あなたが幸せになってもらいたいだけなの」
 桜子は、涙がこぼれてきた。
 自分の考えが、間違っているような気持ちに
なった。
 「Yさん、あたし・・・・・・」
 傘を放り出し、Y子に抱きついた。
 Y子は、桜子の長い髪の毛を優しくなでながら、
 「さくら、自分で決めたんなら、おやり。運命は
自分で切り開いていくものよ。どうなっても、自分
で責任をとればいいことよ。何かあったら、あたし
が相談に乗ってあげるわ」
 と、言った。
 
 

桜子 その21

 「何よ、さくらちゃん。何もやめることな
いじゃない。ケガだって大したこと、なか
ったんだし」
 桜子は、いつもより早く店に来て、美雪
に仕事をやめることを伝えた。
 美雪ママは、ちょっと怒った顔をして見
せた。
 「ほかに仕事が見つかったの」
 「ええ」
 桜子は、ママの反対は予想していたも
のの、顔を見たとたんに、これまでの勇
ましい気持ちが、ぐらついた。
 このくらいでやる気を失くすようじゃ、と
ても祇園でやっていけないわ。
 「まだ二十五でしょ。今、一生懸命にや
れば、将来、お店だって出せるかもしれな
いし」
 栄一さんが、店を持たせてくれる。
 本当の事など、とても口に出来ない。
 栄一の名前は、禁句だった。
 バー美雪の常連さんであるし、一番のお
得意様だった。
 一番人気の桜子にやめられる上に、大事
な金づるを持っていかれるのでは、ママと
しても、黙ってはいられない。
 ありきたりのことを言って、桜子はやめよ
うと思っていた。
 暖簾をあげて、苦しげな表情をしたバーテ
ンが顔を出した。
 「ママ、ちょっと」
 と、声をかけた。
 桜子は、不安な気持ちになった。
 心に隠している物があると、人はどっしり
としては、いられないものだ。
 数分後、ママが美雪を呼んだ。
 化粧室で話すことになった。
 美雪が、畳の上にすわった。
 小さな灰皿を、自分のわきにおいた。
 桜子は、上り口でたたずんでいる。
 「お入りよ、さくらちゃん」
 桜子は、緊張した面持ちだ。
 美雪の正面にすわった。
 「栄一さんと、陰でこそこそ付き合ってい
るんだってね。渡月橋で、あんたたちを見
かけた人がいるのよ」
 ママは、タバコを口にくわえ、ライターで
火を点けた。
 「詳しく、話してよ」
 どすの利いた声をだした。
 優しいばかりじゃ、この世界で、のしてはい
けない。おどしたり、すかしたりは、日常茶飯
事だった。
 この修羅場を、何としてでも乗り越えようと、
桜子は、腹を決めた。
 本当のことを言うしかない、と思った。
 美雪が、プカリと煙を天井に向けて、はき出
した。
 「お店を持つんです」
 美雪は、一瞬わが耳を疑った。
 「ええっ、何。もう一度、言ってちょうだい」
 「独立します」
 「あんた、よくそんなことが出来たわね。あん
たをそれだけのホステスにするのに、あたしが
どれほど苦労したと思っているのよ」
 ママは、眉間に青筋を立てていた。 
 

桜子 その20

 栄一は、次の瞬間に足を滑らせてしまった。
 ちっ、と舌打ちした。
 石段は、あと三段あった。
 桜子は、足にけがをしたばかりだ。
 せっかく治りかけた足が、ひどくなってし
まう恐れがあった。
 栄一は、とっさに、自分の太った身体を
クッション代わりにして、彼女を守ろうとした。
 桜子の頭を自分の左手で、腰を右手で
おさえた。
 両手に力を込めた。
 八坂の神様、助けておくれやす。
 自分はどうなってもよろしいから、桜子を
助けてやってください。
 栄一は、一心に祈った。
 河原に落ちた時は、痛みは感じなかった。
 「えいさん、おおきに。大丈夫ですか」
 「だいじょうぶみたいや。ちょっと背中が痛
いけど」
 桜子が起き上がって、栄一の背中を見た。
 背広の上着が、所々破けていた。
 「こんなに破けてますよ。どこかけがしてるん
と、ちがいますか」
 「俺も不思議やねん。あれだけの勢いで落ち
たのにな」
 「頭は、どうですか」
 「ちょっと痛い」
 桜子が、後頭部をさわってみた。
 「いてて。そこらへんや」
 桜子の指に、どろりとした物が付いた。
 匂いをかいだ。
 血の匂いだった。
 「やっぱり、ケガしはりましたわ」
 栄一は、自分の指でふれてみた。
 指が紅く染まったが、それほどの量では
ない。
 「傷は浅いで。心配しなさんな」
 栄一は目をつむった。
 脳裏に、色とりどりの着物を身に
付けた女が浮かんだ。
 両目を細くして、微笑んでいた。
 栄一は、思わず、両手を合わせた。 
 「どないしはったん、急に」
 「何でもあらへん」
 栄一は、起き上がって、河原にすわった。
 「それより、どないや。返事は」
 「大変やろと思いますけど、お願いします」
 桜子は、自分のくちびるを、栄一のくちび
るに合わせた。
 
 

桜子 その19

 「栄一さん」
 桜子は、消え入りそうな声で言った。
 「なんや、なんか言うたか」
 「言いました。えいいちさんて」
 「小さい声やったから、聞こえへんかったわ」
 栄一は、桜子の口元に、耳を近づけた。
 桜子は、ふううと、息を吹きかけた。
 思わず、栄一は、桜子から離れた。
 「ほんま、さくらちゃんて、悪さするんやな」
 桜子は、おっほっほっほ、と笑った。
 「行こ、行こ」
 いい雰囲気やったのに、と栄一は、心の
中で悔しがった。
 「まだ行かんといてください」
 「なんや、まだ、こんな橋の上に用がある
のかいな」
 「喫茶店もええけど、まわりに人がいやは
るでしょ」
 「そらそうや。ふたりきりの方がええのか」
 栄一の表情が崩れた。
 「河原に下りましょ」
 桜子は、きっぱりと言った。
 「はよ帰りたいのと、違うんか」
 「もう時間なんか、よろし。うちも近いんや
し」
 橋の反対側までは、距離がかなりあった。
 桜子は、自分の意志で、栄一の左腕に、
自分の右腕をからんだ。
 これは、ひょっとすると、ОKの返事をもら
えるのかもしれん。
 栄一は、気分がとても良くなってきた。
 表向きは、堅い表情のままだった。
 枯れ葉が風に舞うようなものや。どこぞへ
飛ばされるか、最後までわからへん。
 栄一は、先に石段をおり、うつむいており
て来る桜子の右手を取った。
 後ろ向きで、一歩ずつ石段を確かめるよう
におりて行った。
 栄一は、右手に力をこめている。
 「足元に気をつけてや」
 「えらい親切にしてもろうて」
 石段が、にわか雨で濡れていた。
 靴がすべった。
 あっと叫んだ時、桜子の身体は、栄一の胸
に抱かれていた。
 
  
 

桜子 その18

 「運転手さん、四条大橋のたもとまでやっ
てくれるか」
 栄一は、ためらいなく言った。
 「はい」
 タクシーは、追い越していく車に注意しな
がら、右にウインカーを出した。
 ゆっくりと、発信した。
 「もう遅いさかいな」
 桜子は、
 「えらい、すみません」
 と、頭を下げた。
 栄一の左手を、ぎゅっと握った。
 運転手は、夜更けに乗り込んできた桜子
を、バックミラーに映し見た。
 水商売の女には違いないが、薄化粧にも
かかわらず、肌がそれほど荒れていない。
 ホステス稼業は、過酷だ。
 売り上げをあげるために、ママがホステス
に無理を強いている。
 身体をこわす人が続出していた。
 火が消えたようになっている祇園には、珍
しい人だな、と思った。
 桜子は、よほど疲れたのか、車中で眠って
しまった。
 「お客さん、この辺でいいですか」
 「ああっ、ありがとさん」
 栄一は、釣りは受け取らなかった。
 「どっ、どうもありがとうございます」
 と、運転手は、丁寧に礼を言った
 栄一に起こされた桜子は、ふらつく足取り
で、タクシーからおりた。
 「大丈夫かい。また、今度の時でもええけ
どな」
 「あのお返事が、遅くなってしまいました」
 「そうか。それじゃ、聞かしてもらおか。橋
の上じゃ、いやだろうから、どこかの喫茶店
に入ろう」
 橋の向こうは、まだ明るく、人通りがあった。 
 桜子は、歩みを止めた。
 「ここですのよ。事故現場は」
 桜子は、右手を暗闇に突きだした。
 栄一は、思わず、桜子を抱き寄せた。
 「思い出したくないものには、出来るだけ
関わりあいにならんもんや」
 橋の欄干に身体を寄せ、暗い川面を眺めた。
 「この川はなあ、昔から色んな人の浮き沈
みを見てきたんや。恨みを残して亡くなった
人の霊が、浮遊しているかも知れんで」
 栄一は、
 「みんな、忘れるのが一番や」
 と、桜子の肩においた手に、力をこめた。
 
 

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