花シリーズ

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桜子 その7

 桜子はAの挙動に注意を払っていた。
 ふたりの客を接待しながらも、身構えていた。
 母の説教はこのシーンでも活かされた。
 心の中のモヤモヤした霧が、どうしたことか消え失せていた。
 悩み事がひとつなくなっていた。
 桜子はAがそばに来る前に席を立った。
 「Kさん、ちょっとごめんなさいね」
 「ああ、いいよ」
 空いた席にY子がすわった。
 バー美雪はこじんまりした店である。
 心配りのできるホステスがいると、評判が立っている。
 客の入りが多くなってきた。
 ママはホステスを三人増やした。
 次の客がドアの鈴を鳴らした。
 「いらっしゃいませ」
 ママがすぐさま声をかけた。
 胃の調子が悪いようだが、商売繁盛が何よりの薬である。 
 
 「Aさん、ちょっと」
 桜子が手招きをしながら呼んだ。
 「おおっ、さくらちゃん。お出迎えか。うれしいなあ」
 入口近くのソファに誘った。
 ふたり並んですわった。
 「あのね、Aさん。あたし、今度あなたとデートしようと思うの」
 「ええっ、ほんとかよ」
 桜子は右手の人差指を自分の口に当てた。
 「ほんとよ。あなたのケータイ番号を教えて」
 Aはポケットから手帳を取り出した。
 震える手で書いている。
 時々彼女の顔を見ている。
 「あたしのこと、好いていてくださるのね」
 「ウンウン」
 Aは顔を紅潮させている。
 とうとう願いがかなうと、喜んでいる。
 「だったら、あたしの言うことを何でも聞いてくださいね」
 「何でも聞くよ。さくらちゃん」
 「お店では、社長さんらしくふるまうこと。静かに飲むこと」
 「はい。わかりました」
 Aは書いたページを破いた。
 「はい、これ」
 ふたりがいる場所は、灯りがあまりとどかない。
 Aの右手がまた活動をはじめた。
 桜子の膝の上にのった。
 「ちょっと待って。何をお飲みになる」
 「あれがいいな」
 「あれって、なあに」
 「さくらちゃんがいつも飲むもの」
 「わかったわ。あたしもいただいていいかしら」
 「いいともいいとも」
 桜子は立ちあがって、バーテンダーに注文を通した。
 「大丈夫かい」
 Dさんが心配そうに言った。
 「ええ、がんばるから。応援してね」
 「何かあったら合図して。助けるからさ」
 「ありがとう」
 Aのいる席にもどった。
 とたんにAの右手が身体を求めてきた。
 桜子はプロとしての覚悟を決めている。
 「どうですか、お仕事のほうは」
 「仕事の話はしないでいい。俺はあんたがいい」
 「それはそうでしょうけど。ほら今約束したでしょ。お店では、社長さんらしくふるまうって」
 「ええっ、いまから」
 「ええ、そうよ。でないとあたしも約束を破ってしまおうかな」
 Aの手の動きが止まった。
  
 

桜子 その6

 Y神社に通じる坂道を、桜子と小説家のKが肩を並べて下って行く。
 「まだМ公園変死事件を追っているんですか」
 「いや。あとは警察の仕事だよ。東山の奥まで足を運んだ。ひとりの白髪の老婆に会ってね。大鹿の背中に乗っていたよ。何だか夢を見ているようだった。神社の聖域を魑魅魍魎から守っているんだとか、この大鹿は神様の化身だとか、そんな話を彼女から聞かされた」
 「へえ、そんなことってあるんですか」
 「僕にだってわからない。科学で割り切れない所が世の中にはあるだろうとは思うけれど、はっきりあるとかないとかは言えない。小説家としては、とても興味があるけどね」
 「そうですね」
 お社の屋根が木立の向こうにあらわれた。
 「Kさん、すみません。店の準備がありますので、お先に失礼します」
 「ああ、そうだね。どうぞどうぞ」
 相変わらずピンクのスーツが似合うなと、後姿を見送った。
 ずいぶんハキハキした物言いをするようになった。
 以前はうつむき加減で表情が暗かった。
 二カ月くらいで人は変わるものだろうか。
 何よりも、ホステスとしての誇りと自覚を持ちはじめているのが嬉しかった。
 余程の苦労を乗り越えてきたに違いないと、Kは小説家らしく想いをめぐらした。
 
 桜子は裏口から店に入った。
 和服姿のママに行きあった。
 「ママ、遅くなってすみません」
 「大丈夫よ。お仕度、お願いね」
 化粧部屋に入る。
 Y子がいた。
 「先輩、遅れてすみません。夕べはごちそうさまでした」
 「トイレのお掃除をすませたからね」
 「ごめんなさい。明日からしばらく、あたしがやりますから」
 「ずいぶん元気ね。何かいいことあったの」
 「何もないです。母にお説教されましたけど」
 「遅く帰ったのに、待っていてくださったんだ」
 「はい」
 「お母さんを大切になさい。親孝行したい時には、親はなしというから」
 「ほんとに」
 
 カクテルバー美雪の灯りがともった。
 虫が群がっている。
 昼間は真夏の暑さだった。
 ドアが開いて、客がふたり入ってきた。
 「いらっしゃいませ。あら、Kさん、お久しぶり」
 ママが出迎えた。
 「今日は、お連れさんが」
 「よろしく頼むよ」
 「はい。ありがとうございます。ご指名はございますか」
 「桜子ちゃんを」
 「はい、さくらちゃん。お願い」
 ふたりは奥のソファにすわった。
 「先生、いらっしゃいませ」
 膝を床について、おしぼりを渡す。
 桜子は、連れの男のとなりにすわった。
 「おいおい、俺はどうしたんだ」
 「あら、先生。初めてのお客様には、サービスしなくてはなりませんわ」
 「彼は、わが出版社の若手のホープなんだ。Bくん」
 「よろしく」
 「まあ、真面目そうな方。あたしふらふらしそうよ」
 「あああ、俺、やきもちをやいちゃうな。これじゃ。最初の出版記念日だから、楽しく飲もうと思って、やってきているのに」
 「あら、先生。それはおめでとうございます」
 桜子が頭を下げた。
 若い男にたずねた。 
 「何をお飲みになりますか」
 「生ビールを」
 桜子は、男の横顔を見つめている。
 「何か付いてますか。顔に」
 「あっ、いえ。何も」
 「桜ちゃん。俺にも聞いてくれよ」
 「あら、ごめんなさい。先生は」
 「ウイスキーをくれ」
 「あたしはどうするかな。いつものカクテルをいただいていいかしら」
 「ああ、いいよ。お祝いだ」
 
 チャリンチャリン。
 ドアが開いた。
 社長のAが入って来た。
 よろけている。
 「いらっしゃいませ」
 ママが言った。
 ドアに近い止まり木にすわった。
 バーテンダーさんに話しかけている。
 ろれつが回らない。
 からんでいる。
 「ご指名は、どうなさいます」
 バーテンダーさんがたずねた。
 「桜子ちゃんがいい」
 「あいすみません。ただ今は、接客中でございます」
 Aが怒って、立ちあがった。
 「何。ほかに客がいるのか」
 辺りを見回している。
 
 Y子が近づいた。
 Aは座りなおした。
 Y子は、Aのとなりにすわった。
 「Aさん、ご機嫌悪いのね」
 プイと横を向いた。 
 「ああ、カエルさんは、いいの。桜子ちゃんを呼んで」
 「大声を出さないで。ほかのお客さんにご迷惑よ」
 Aの左手が、Y子のお尻をなではじめた。
 Y子は、黙ったままで、好きなようにさせている。
 「このおててが悪いのね」
 低い声で言った。
 Aは、もう一度立ちあがった。
 桜子を見つけた。
 テーブルの間を、ふらふらしながら歩いて行く。
 
 

サクラコ誕生

 東山に満月がのぼった。
 Y神社裏手にあるМ公園。
 カクテルバー美雪の灯りが点るには、まだ時間がある。
 桜子がひとりで、人工池のわきのベンチにすわっている。
 桜の古木は緑を濃くしていた。
 食パンをちぎっては、鯉に与えている。
 先ほど、神社にお参りに行って来た。
 立派なホステスになれるように、願を掛けてきたところである。
 人が良すぎるのかしら、あたし。
 自分ではそれほどとは思わないけど。
 他人の見方のほうが正しいことが多いわ。
 池の鯉にも頼みたいくらい。
 
 杖をついた和服姿の老婆が近づいてきた。
 辺りはたそがれている。
 うす暗い木陰から現れた。
 桜子は一瞬驚いた。
 「わきにすわってもいいかえ」
 「はい。どうぞ」
 パンくずが落ちるあたりが波立っている。
 ザバザバと音を立てている。
 「ここへは、よう来なさるんか」
 「ええ、時々来ます。気持ちが安らぐんです」
 老婆は和服の下にミコの衣装をきている。
 代々祈祷師の家系である。
 「つかぬことを言うようじゃが、心配ごとでもあるのか。顔色がすぐれんようじゃが」
 桜子は軽く会釈をした。
 「ええまあ、いろいろとありまして」
 「わしはのう、この公園の北に住んでおるんじゃが、決してあやしいものじゃない。ちょっと人の心を読むんじゃ」
 桜子は老婆の顔をじっと見た。
 肌はとしなりに衰えがあるが、目が生き生きとしている。
 「困りごとは、男がらみかのう」
 不思議なことに、老婆に話しかけられているうちに、警戒心がしだいに薄れてきた。
 何でも話せるような気になっていく。
 「あたしはホステスをしているんです」
 「ほう、なかなか気づかいのいるしごとじゃ」
 「初めて三年たつのですが、男はんのあしらい方が下手で困ります」
 「うんうん、そうじゃろう」
 桜子は地面の小石を足でけとばした。
 池に転がり落ちた。
 鯉がその音に驚いて、深みに沈んだ。
 老婆がそっと右手を桜子の後頭部にかざした。
 呪文をとなえている。
 桜子の動きがゆっくりになった。
 眠り込んでしまった。
 「すぐに目が覚めるからな、心配せんでもええ。これで気がかりなことは、おおかたなくなるじゃろう」 
 
 老婆は杖の先のカバーを取ると、槍の穂先があらわれた。
 一匹の鯉に狙いをつける。
 鯉の急所を一突きした。
 荒縄でしばった。
 いつの間に来たのか、そばに大鹿がいる。
 荒縄の結び目を、鹿の角にひっかけた。
 背中にまたがると、公園の奥に消えた。
 作家のKが、神社につづく坂道をのぼってくる。
 池のほとりで眠っている桜子に気付いた。
 肩を二度たたいた。
 桜子の頭が揺れた。
 「あれ、Kさんじゃありませんか。あたし、どうしてたのかしら」
 「行きましょ。もうすぐ灯りがともりますよ。今晩は良い事があったから、あなたと飲みたいんです」
 Kは微笑んで、右手を差し伸べた。

桜子 その5

 午前零時をとっくにまわっている。 
 茶の間で、桜子と母がほりごたつに足をいれて、隣同士にすわっている。
 時折雷鳴が轟いている。
 「何も聴かんでも顔を見ただけで、母さんにはお前の様子がわかるんよ」
 あと三年で還暦になる母、千代。
 このネオン街で、ずっと細腕一本で生計を立ててきた。
 
 母は、娘のために薄くてぬるいお茶をテーブルにおいた。
 湯あがりの桜子は、ぐっと一息で飲んだ。
 「ああ、おいしかった。母さんありがとう」
 「親子なんやから、礼なんかいわんでもよろし」
 「うん」
 「きょうは、あんまり仕事がうまいこといかへんかったやろ」
 「お察しのとおりどす」
 ぺろっと舌を出した。
 
 「なんや、子供みたいな物言い。母ちゃんのこと。茶かす気か。大人になるんやで。そやないと、お客さんにも失礼することになる。ホステスになって、三年たったんやから、もう何でもだいだいのことは分かったはずや」
 「うん」
 「うん、ばっかりやな。言いたいことあったら言うとおみ」
 「あたしの体にさわってきやはる人がいやはってな」
 「それでお前はどうしたんや」
 「逃げました」
 「ただ逃げただけか。そのあとで、ちゃんとお客さんが傷つかんようにしてきたか」
 「先輩がうまいこと助けてくれた」
 「あかんあかん。他人さまに助けてもうてるようじゃ。辛くてもなんとか自分で切り抜ける手立てを考えんとしゃあないで。いつまでも成長せえへんからね」
 「今後は胆に命じます」
 「まあな。父ちゃんがいないから、男はんがどんなものか、分からへんこともあったかしらん」
 「あたし、自分じゃあんまり意識しないけど、お客さんの中に、父さんを探してるかもしれないわ。結局は、期待はずれだけどね。心のふれあいがしたいのに、体ばっかり見てる人が多いわ」
 「そら、しゃない。何べんもお前に言うてることや。きれいごとですまへん世界やからな。そこをプロらしく、覚悟を決めて切り抜けるんやで。年老いてくればくるほど、恥ずかしさが薄れてくるんや人間は。まあええ。だんだんでもええから、街一番やて言われるようにがんばり」
 「母さんみたいにね」 
 「そうや。お前は私がついとるんや。きっとええホステスさんになれる。体だけは気をつけなさい。酒の度が過ぎんように」
 「中毒になって、お医者さんの厄介になってる人がいっぱいだって」
 「昔は、ママさんもお客さんも無茶をいわはらへんかったんやけどな。不景気な時代のせいもあるわ。上手に逃げなさいや。こんばんはもう遅いから、寝よか。母ちゃんあした早いしね」
 
 
 
 
 
 
 
 
 

桜子 その4

 ふたりは、川沿いの道を南に向かって歩いている。
 大通りが東西に横切っている。
 何色もの灯りが、またたいている 
 S大橋の欄干が見えた。
 私鉄の駅の改札口があった。
 「じゃあ、あたしはここで。気をつけてね」
 Y子がいった。
 「きょうは、どうもありがとう」
 桜子が軽く頭をさげる。
 「素直なところがあんたの長所よ。それをいつまでも失くさないで」
 「おやすみなさい」
 Y子は階段を下っていった。
 
 桜子は、大橋を歩いて渡っている。
 時折タクシーが通る。
 正面から来る車のライトを避けるように、桜子はうつむいた。
 雨が降りはじめた。
 足をはやめる。
 家は、もうすぐだわ。橋を渡って、すぐに左にまがる。
 土手沿いの道を十メートルくらい行って、右に曲がってすぐなんだから。
 桜子は自分に言い聞かせるように、つぶやいた。
 雨脚が強くなった。
 長い髪の毛をつたっている。
 酔いがまわっている。
 冷たいとは、あまり感じなかった。
 「よお、ねえちゃん。乗ってかないか」
 わきで声がした。
 車を止めて、サングラスをした若い男が窓から体をのぞかせている。
 桜子は無視した。
 「おい、ドライブ行こうよ」
 男がしつこく、食い下がる。
 怖くなった。
 駆けだした。
 「ちえっ」
 男は、くわえていたタバコを路上に投げ捨てた。
 車を道路の左側によせたままである。
 ドアを開けると、車から降りた。
 桜子を追いはじめた。
 「そうら、鬼ごっこにつきあってやるぜ」
 ほらほらと叫びながら、男が桜子のあとについてくる。 
 つかまったら、何をされるかわからないわ。
 桜子は必死で走った。
 
 橋を渡りきったところに駐在所がある。
 桜子は戸をガラッと開けて飛びこんだ。
 中にいた若い警官が、驚いて立ち上がった。
 「おまわりさん、追われています」
 警官は、無言で立ちあがった。
 表に出た。
 「家は近くなんですか」
 「はい、すぐそこなんです」
 「一緒に行きますから」
 玄関の灯りが点いている。
 桜子は、丁寧に礼を述べた。
 庭に敷いた飛び石をわたる。
 台所の灯りがともっていた。 
 勝手口の戸をあけた。
 「お帰り。遅かったね」
 母の声がした。
 「母ちゃん、あたし」
 そこまで言うと、涙があふれてきた。
 
 

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