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牡丹。
落葉性の低木。
花径10から20センチメートル。
大きな花びらが幾重にも重なって、まり状になる。
花言葉は富貴。
A会社。金融関係である。
午後三時。
最後の客が、ドアから出た。
ああ、やれやれだわ。
女は左手で右肩をもんでいる。
終日パソコンの画面を眺めていると、目がどうしても疲れる。
肩が張るのもパソコン仕事のせいに違いない。
「先輩、コーヒーをどうぞ」
B子が、机のわきにカップをコトリと置いた。
「ありがとう」
「ブラックでよかったんですよね」
「そう。覚えてくれたのね」
女が両腕を伸ばす。
「疲れたでしょ」
「そうね。目が疲れるわ」
「どう、入社して一カ月たったけど、少しは慣れたかしら」
「ええ、おかげさまで」
B子は、部署のメンバーひとりひとりに飲み物を配り終えた。
すらりとした体が、ドアの外に隠れた。
美人ね、と女は思った。
「さあ、あとひと仕事。がんばるぞ」
今日の帳尻合わせを始めた。
札びらとコインをかぞえる。
一円だって、おろそかに出来ない。
お金を扱うのは大変気を遣う。
一時間かかった。
上司に収支を報告する。
「課長、お願いします」
「うん。いいよ、これで。ご苦労さま」
気分を変えようと、外に出た。
ああっ、やっと終わったわ。
風が吹いていた。
西の空が、茜色に染まりはじめている。
契約社員のCさんが、歩いてくるのが見えた。
配送の仕事をしている。
入社して、二カ月である。
背広姿がしっくりこない。
ネクタイが曲がっていないかと、常に気にしている。
学校に入ったばかりの一年生のようだ。
会社勤めに慣れない五十がらみのおじさんだ。
歳のわりにうぶなところが、女性社員に人気がある。
「こんにちは」
女が声をかけた。
めづらしい。
自分から話しかけることは、めったにない。
「こんにちは」
男は、彼女の顔を見ずにいった。
ドアを開けると、急いで入った。
「もう、なによ。あたしがあいさつしてるのに。顔も見ないなんて」
女は不機嫌になった。
翌日の正午前。
女はお茶の当番だった。
食堂に向かった。
男がいた。
本を読んでいる。
男の前のテーブルに、湯呑茶碗をおいた。
「どうぞ」
顔をあげた。
「あっ、どうもありがとう」
すぐに視線を落とした。
本のページをめくった。
顔を見てよ。
あたしの気持ちが分かるのに。
異性に興味がないのかしら。
コンコン。
机の端を拳固でかるくたたいた。
あたしの顔を見た。
不思議そうな顔をしている。
なによ、まったく。どうしたっていうのよ。女の気持ちがわからないの。お・じ・さ・ん。
簡単に自己紹介をしてみた。
のってきた。
身の上話をした。
男は、ぺらぺらとしゃべりだした。
いいぞ、いいぞ。その調子。
思いきって、尋ねる。
「あたしのこと、どう思う」
「よく仕事のできる人」
「それだけ」
「・・・・・・」
「ほんとにそれで終わり」
男は、女の意図が見えてきた。
「好意を持っています」
女の瞳が、キラリと光った。
ああ、やっと言った。
いぶし銀みたいな味のある男って、あたしの好み。
世話のやける男だわ。
ここまでよ。恋の手ほどき。
あたしは、これでも牡丹の花。
会社じゃ、そう男たちが呼んでるわ。
高嶺の花なのよ。
花びらがたくさん付いているわ。
蜜蜂があたしの宝物に群がってくるの。
あなたは、あたしのハートを射止めることができるかしら。
いぶし銀さん。がんばって。
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花シリーズ
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東山に月がのぼった。
薄い雲が満月を蔽い隠した。
雲がほんのりと明るい。
ザクザクザク。
砂利を踏む足音が、あたりに響く。
H神社に通じる道を、だれかが上って来る。
月の光が淡く人影をつくっている。
不意に音がやんだ。
小さな池がある。
黒装束の男が、池をのぞきこんでいる。
ぽちゃん。
小石を投げ込んだ。
波紋が広がる。
ザバッと鯉が跳ねる音がした。
男がベンチに腰かけた。
マッチを取り出す。
火をつけた。
ポッとあたりが明るくなった。
池のふちに、一本のソメイヨシノがある。
根元のうろを照らしだした。
男が幹を両手で抱いた。
右手の指が、左手の指先にとどかない。
不意に生温かいものが膝に触れた。
五本指に思えた。
うろの反対側から、誰かが手を伸ばしている。
男はそう思った。
ふっ。
右の耳元に息が吹きかけられた。
驚いた。
木から手を放した。
誰もいない。
気のせいか。
耳が感触を覚えている。
二本目のマッチをすった。
ポッと、ともった。
あかりの向こうに何かが見えた。
淡いピンクのスーツをきた若い女だ。
こちらを向いた。
微笑んでいる。
マッチの灯りが顔に陰影をつくっている。
「驚いた。あたしよ。桜子」
「なっなんだよ。きみか、人が悪いな」
「酔いをさましに、ふらふら公園までのぼってきたの」
「俺もそうだ。飲み過ぎたみたいだ」
お気に入りのカクテルバーで飲んだ。
日本一に輝いたことのある熟練の技に俺は見とれた。
うまかった。
サクランボを浮かせたブルーカクテル。
店の灯りのもとで、きわだった美しさだった。
カウンターの隅で、女がひとりでグラスを傾けていた。
俺が声をかけると、寄って来た。
意外な反応だった。
ひととおりの世間話をして別れた。
「ねえ、もう一度幹に耳を押しあててみて」
「こうかい」
「そうよ」
「聞こえるでしょ」
「うん。かすかに。これって何の音」
「水が流れてるのよ」
「木が吸い上げているのか」
「そう」
女が男にちかづく。
男は女の手をつかんだ。
グイっと引き寄せた。
むさぼるように口づけた。
ふふっと、女の目が笑った。
翌朝、ソメイヨシノの根元で男の変死体が発見された。
黒いスーツ姿であった。
口を大きく開けている。
幸せそうな表情だった。
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ユキノシタ科の落葉低木。
夏に茎の先に大形のクス玉状の花序を出し、装飾花を密生する。
花の色は主として青紫だが、品種によって異なる。
日とともに色を変える。
花屋の店先で、陽子は立ちどまった。
鉢物の紫陽花の前でしゃがみこんでいる。
「あたし、アジサイが好きなの」
大振りの花を両手でいとおしむように、掌でそっと包みこんだ。
洋一がそばに来た。
肩をならべてすわった。
彼女を見つめている。
十年前のことを、陽子は想い出していた。
高校二年生だったかな。
アジサイ寺に行ったことがあったわ。
六つ年上の彼といっしょだった。
あたしが好きだと言うので、連れて行ってくれたの。
寺の門までずっと坂道になっていた。
長い階段がつづいているの。
ふたりで並ぶと道がいっぱいになったわ。
右側に青紫。
左側にピンク。
密集して植えてあった。
あたしは幸せな気分だった。
手をつないで上って行った。
前後に人が見当たらない。
不意に洋一が手に力をこめたの。
なにかする、と感じたわ。
彼は手を引っ張った。
アジサイの茂みにふたりして入り込んだ。
肩を寄せ合ってすわった。
ふたりで、ふふっと笑った。
洋一は、あたしの肩を抱いたわ。
あたしは目をつむった。
彼の息が荒くなってるのがわかった。
あたしの前にまわった。
口づけをしたわ。
彼の舌が動きはじめた。
あたしは、しっかり口を閉じていた。
舌がもどかしそうに、右に左にあたしの歯にふれているの。
彼の右手が動きはじめた。
あたしの胸元のボタンをひとつはずした。
あたしは、さっと身をひるがえしたわ。
そこじゃいやだったの。
だってそうでしょ。
目の前を人が通り過ぎていくのよ。
気が気じゃないわ。
坂道にもどった。
彼は一分くらいしてから、茂みから出てきた。
坂道をくだって行ったわ。
それっきりよ。彼とは。
洋一が声をかけた。
「どうする。買っていく」
「ええっ」
「買ってくれるの」
「うん。プレゼントするよ」
「まあ、うれしい」
洋一が店内に入った。
白いエプロンをした、髪の長い若い女性が出てきた。
陽子にいろいろと説明する。
「お水をあげるのが、ちょっと大変ですけど。がんばってください。可愛がってくださいね。温室育ちですから」
「ええ、大切に育てます」
陽子は、洋一をK駅まで送っていった。
アパートにもどった。
部屋の出窓に鉢をおいた。
直接、陽は当たらない。
ここならいいわ。
この花を見るたびに、洋一のことを想うことができるわ。
今度こそ、しっかり彼の愛をつかまえておかないと。
決して手放すものですか。
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