愛の物語

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 元号が、昭和になった。
 久吉は、二十五歳である。
 結納をすませたSさんの娘、百合子と祝言をあげることになった。
 おばばは、八十九歳。
 体が弱っているが、どうしても式に出席するという。
 隣に、小梅がすわった。
 座敷に仲人夫妻、親戚縁者、そして縁の深い人たちがならんだ。
 仲人をつとめるО氏が吟じる。
 
 高砂や この浦 舟に 帆を上げて
 月もろともに いで汐の 浪の淡路の嶋かげや
 
 定評のある彼の唄に、出席者はみな心をうたれた。
 キヌ婆は、涙を浮かべている。
 小梅は、昔よりひとまわり小さくなったキヌの体をささえ続けた。
 嫁に来たばかりの頃は、憎いとさえ思った。
 「この家の者になったからには、仕来たりを守ってもらわなあかん」
 「はい、お母さん」
 キヌは、自分が嫁に来た時に、姑にいわれた言葉を、小梅に投げつけた。
 
 キヌは、商家の嫁として厳しくしつけられた。
 実家に逃げ帰ったことが、一度ならずあった。
 家の女たちにいびられた。
 久平がすでに生まれていた。
 背負って外にでた。 
 初めは、急ぎ足であった。
 途中で歩みがのろくなった。
 大川のほとりでたたずんでいる。
 いっそのこと、飛び込んでしまおう。
 楽になれる。 
 久平を見た。
 笑っている。
 この子に罪はない。
 何も知らないのだ。
 思い直した。
 
 満月だった。
 足取りが重い。
 藁ぶき屋根が月の光を受けている。
 キヌの心が、ほのぼのとしてきた。
 月を見上げている。
 実の母の顔を思いだした。
 「辛いことが、あるやろうけどな」
 彼女のはなむけの言葉を思い出していた。
 「はよ、子を作れ」
 玄関先に、姑が立っていた。
 だまっている。
 「お母さん」
 姑は、キヌの肩を抱いた。
 「気にすんな。わしもおんなじことを昔やったもんや」
 嬉しかった。
 
 式は滞りなく終わった。
 小梅に手をとられて、キヌが退席する。
 久吉夫妻が走り寄った。
 「おばば、大丈夫か。おおきにな」
 「幸せになるんだぞ。嫁さんを大事にしてやれ。母ちゃんもな」
 「ありがとうございます」
 百合子が礼を言った。
 「百合子、良かったな。良い家に嫁にこられて」
 S氏がそばで言った。
 「久吉さん、娘をよろしくお願いします」
 百合子の母が頭をさげた。 
 
 
 久吉は二十歳になった。
 四月初旬。
 兵隊になるための検査があった。
 順番を待っている。
 部屋は冷え冷えとしている。
 
 灰色の雲が、人々の心の奥まで蔽っていた。
 外は、鉄砲玉が飛び交っている。
 身動きがとれずに、兵士が穴の中でじっとしている。
 そんな状況にすべての人が置かれていた。
 
 鳥のように自由に空を飛びまわりたい。
 人々はそんな夢を抱いていた。
 個人の自由を認めてください。
 大声で叫びたかった。
 
 久吉は、ふんどし一つだけを身につけている。
 「よし、次」
 ついに俺の番だ。
 深呼吸した。
 親戚の年寄りが教えてくれていた。
 歯をくいしばっていろ。
 どんなことがあっても我慢しろ。
 久吉は、何も考えないことにした。
 自尊心を持っていると辛いことになることが分かっていた。 
 体の隅々まで調べられた。
 四つん這いになった。
 涙がこぼれた。
 
 不合格だった。
 小さい時に木から落ちた。
 足が折れた。
 歩くのが、少し不自由になってしまった。
 「兵隊にはなれん。しょうがないな。何かやれる。お国のためになれよ」
 「はい。がんばります」
 親友のМは甲種合格である。 
 
 家に戻った。
 「兵隊には、なれへんと」
 うつむいていった。
 「そうなんや」
 母は笑顔でいった。
 「そうがっかりするんやないで。人間万事塞翁が馬や」
 「どういうことや、それ」
 「お前、学問好きやねんから、調べてみろ」
 「うん」
 「ほかで頑張ればいいって、いうことや」
 
 男女七歳にして席を同じくせず。
 窮屈な世の中である。
 久吉は、小さい頃から女の子が好きであった。
 道を一緒に歩くことができない。
 おしゃべりを楽しめない。
 辛かった。
 夢の中で存分に恋をした。
 禁じられれば禁じられるほど、想いはつのる。
 
 近所の女の子と、大川沿いの小道であった。
 葦が茂っている。
 右側は田んぼが広がっていた。
 釣りの帰りだった。
 彼女は自転車を押していた。
 「こんにちは」
 久吉は思い切って声をかけた。
 返事がない。
 うつむいている。
 同じ年である。
 気心は知れていた。
 長い髪をしていた。
 面長で澄んだ目をしていた。
 
 話がしたいけど話せないわ。
 表情から、彼女の気持ちが分かった。 
 自転車のハンドルを、ポンと叩いた。
 びっくりした。
 彼女は、後ろを振り返った。
 声をふりしぼった。
 「釣れたの」
 「ほら」
 ビクを見せた。
 一尺くらいの鯉が二匹いた。
 鮒となまずが、一匹ずつ入っている。
 「たくさん取れたのね」
 「朝四時に起きたよ」
 彼女は、不意にだまった。
 「お母さんの具合どうや」
 「ええ、ありがとう。気遣ってくれて」
 「夕方、鯉を一匹、持って行くから」
 「いつも親切にしてくれて嬉しいわ」
 「母さん、元気になるといいね」
 
 誰かが見ていた。
 うわさになった。
 「久吉、ちょっときなさい」
 「なんや」
 「お前、Sさんとこの娘さんとおしゃべりしたんか」
 「何でそんなこと知っとるんや」
 「Aばあさんが言いよった」
 「しゃあないばあさんやな」
 「でもな。こんなご時勢や。気をつけるんやで」
 「そうやなあ」
 「何ものうても、世間はうるさい。娘さんを傷つけたらいかんしな」
 「わかってる」
 「お前、あの子、好きなんか」
 「うん」
 「どうしてもっていうんやったら、人を入れてちゃんとしたるさかい」
 「そうか。母ちゃん」
 「せやで。こういうことはちゃんとせんと」
 「ほんまに、おおきに」
 
 
 
 
 
 
 
 久吉は、М尋常小学校の四年生である。 
 翌日、月曜日の放課後。
 秋篠川の土手にいる。
 ソメイヨシノが等間隔に植えられている。
 八分咲きになっている。
 
 久吉は、勇気を奮い起した。
 Мを呼びだした。
 「おい、М」
 「なに、おめえ、いま何て言った。もう一度いってみろ」
 尻込みしそうになる自分を、やっとの思いでささえた。
 「放課後、裏の土手に来い。話がある」
 「おおっ、いい度胸や。よしわかった」
 言えたのは、父のおかげである。
 
 桜の木の枝に腰かけた。
 見晴らしがいい。
 校庭から甲高い声が聞こえてくる。
 Мが歩いてくるのが見えた。
 子分をふたり連れている。
 卑怯なやろうだ。
 一対一だぞ、といっておいた。
 土手に上がって来た。
 久吉がすわる枝の下を通りかかる。
 「あのやろう、俺を呼びだしておいて、どこにもいないぞ」
 「こわくてにげたんやろ」
 「そうや。そうにちがいないで」
 
 久吉はМの上にとびおりた。
 土手を転がる。
 川のほとりまで、組み合ったまま落ちた。
 「お前たちはそこにいろ」
 Мが子分に命令した。
 叩きあいになった。
 足でけり合っている。
 「おめえやるじゃねえか」
 Мが叫ぶ。
 「おう。俺はいまから変わるんだ。もう言うこときかねえからな」
 「なに、このやろう」
 「やるか」
 土手の上に、教練の先生が現れた。
 「こらっ、お前たち、やめんか」
 女の子がそばにいる。
 先生に知らせたらしい。
 同じ学年のA子だ。
 「こっちへ上がって来い」
 ふたりで先生の前に立った。
 はあはあ言っている。
 服が泥だらけだ。
 「何でけんかしたんだ。いってみろ」
 「言えません」
 久吉が答えた。
 「職員室まで来い」
 
 巡査と同様に、先生は怖かった。
 廊下に立たされた。
 バケツを持っている。
 Мが久吉をほめた。
 「おめえのこと、見直したで。俺に向かってくるなんて。おらびっくりしたぞ」
 「父ちゃんに銭盗ったとこ、見つかったんだ」
 「そうやったんか」
 「真っ暗な土蔵におしこまれた」
 「へええ、こわかったろう」
 「こわかねえや」
 「重いなあ。落としてしまいそうや」
 Мが弱音を吐いた。
 手を放した。
 ばしゃあん。
 廊下に水がこぼれた。
 「おい、逃げよう」
 「あかん、逃げたら。あとが大変や」
 職員室に行った。
 久吉が言う。
 「先生」
 「何だ」
 「水こぼしました」
 「雑巾を持っていけ。よくふいとけ」
 「はい」
 「終えたら帰ってもいいぞ。もうケンカするな。親が心配するぞ」
 「はあい」
 ふたりは顔を見合わせた。
 「なっ、正直に言うてよかったやろ」
 「うん。お前の言うとおりや。あとで釣りにいくんやけど一緒にいこか」
 「うん。いこいこ」 
 久吉はじきに泣きやめた。
 まったく何も見えなかった。
 目が慣れてきた。
 うすぼんやりとしてきた。
 蔵の中にはご先祖様の想いが、いっぱいつまっているんだぞ。
 おばばが、よく話してくれた。
 不思議と怖く感じなかった。
 懐かしいような気持ちになった。 
 眠ってしまった。
 
 夢をみた。
 田んぼにいる。
 菜の花が一面に咲いている。
 網を持って蝶を追いかけている。
 一匹、二匹。
 増えるたびに誇らしげな気分になった。
 向こうの方から誰かが来る。
 顔は見えない。
 物音で目覚めた。
 
 ガチャガチャ。
 ガラッと、戸が少しだけ開いた。
 隙間から淡い月の光がさしこむ。
 重い足音が遠ざかっていく。
 ぴたぴたぴた。
 雪駄の音が近づいて来た。
 人が通れるほど広く、戸が開けられた。
 入って来た。
 ぷんと椿油の香りがした。
 母ちゃんだ。
 久吉はうれしくなった。
 小さな声で「母ちゃん、おおきに」と言った。
 「もう悪いことはしないんだよ」と言いながら、縄を解いてくれた。
 最初に、父ちゃんがカギを開けてくれた。
 久吉はそう思った。
 
 考えれば考えるほど、Мが憎くなる。
 金持ってこい。
 さもないとおめえと遊ばねえ。
 親友のSまで俺から奪ってしまった。
 油売ってるんだから、金はあるだろ。
 一銭や二銭なくなっても、わからないやろ。
 親の金だ。
 苦労して蓄えた。
 初めは手が震えた。
 二度三度と繰り返した。
 何も感じなくなってしまった。
 父に見つかってよかった。 
 自分では止められなくなっていた。
 
 部屋にもどった。
 母が添い寝をしてくれた。
 胸元に顔を近づける。
 甘い匂いがした。
 母は何も言わなかった。
 
 「おはようございます。いらっしゃいませ」
 母の威勢のいい声で、目が覚めた。
 「いつもと同じだけください」
 向かいのОさんである。
 「ちょっとすわって待っていてください」 
 雨があがっていた。
 玄関先が明るい。
 
 とぽんとぽん。
 ひしゃくで油を酌んでいる。
 久吉は、眠い目をこすっている。
 店先に出た。
 「おはようございます」
 「おはよう、久ぼん。ご機嫌いかが。きのうは父ちゃんにたいそう怒られとったな」
 久吉は苦笑いをした。
 頬を指でつつかれた。
 えへへ。
 「おばちゃん、ようしっとるやろ。男やから、たまにはええ。あんなに怒られるんやから、余程のことがあったんやろなあ。まあ、今度から気をつけな。親かて悲しいんや。子供を叱るのは」
 「うん。もう悪いことはせえへん」
 小さな声で答えた。
 
  
 桐の箪笥の小引き出しをそっと開けた。
 手前に厚紙で作った小箱がある。
 一銭玉がぎっしりつまっている。
 久吉は、一枚つまんだ。
 ズボンのポケットに入れた。 
 
 不意に腕をつかまれた。
 父の久平だった。
 「おめえって奴は」
 ビンタがとんだ。
 居間の畳の上に、あおむけに倒れた。
 目から火花が出たように思った。
 小銭をにぎった手は、ポケットに入れたままである。
 「手をだせ。開いてみろ」
 「いやだ」
 久吉の体を抱えあげた。
 肩にのせた。
 「おろせよ。おろしてえ」
 足をばたつかせる。
 尻を二度叩かれた。
 母と妹が台所から来た。
 「久吉、おめえ何やったんや」
 「おら、何もせん」
 「ウソつくな。このやろう」
 「お前さん、どうしたんだい」
 「こいつめ、銭を盗みやがった」
 「ええっ、ほんまか。久吉」
 久吉は黙っている。
 「黙っているのが盗った証拠や。お仕置きや」
 力づくで、久吉のこぶしを開けた。
 一銭玉が、ポトリと落ちた。
 
 久平は、久吉を肩にのせたまま、玄関を出た。
 長年、天秤棒をかついだ肩である。
 細い雨が降っている。
 通りを番傘をひろげた女の人が通りかかった。
 騒ぎに気付いた。
 こちらを見つめている。 
 久平は、平気な顔をして庭石の上をゆっくりと歩いた。
 土蔵の前まで来た。
 モチの木の下に、婆が立っていた。
 髪の毛が濡れている。
 「おばば、風邪ひくぞ。中に入ってろや」 
 「おめえ、おれがよく言って聞かせるから、勘弁してやってくろや」
 「こういうのは癖になる。商いは信用が肝心だ」
 「そりゃそうだが。まだ年端もいかない子供だ」
 「九つだぜ。何だってわかってるはずだ」
 
 母の小梅と妹の美代が追って来た。
 小梅に言いつける。
 「おめえ、縄持って来い」
 「ええっ、そこまでしなくったって」
 「早くしろ」 
 久吉は、後ろ手に縛られた。
 ガチャガチャと音がした。
 錠前が外れた。
 戸は二重になっている。
 久吉は、階段の上に転がっている。
 急に大声で泣きはじめた。
 蔵の中がどんなに暗いかを知っている。
 何度か入ったことがあった。
 菜種油が入った大壺がならんでいる。
 火事にも耐えるように造られている。
 密閉されている。
 大声を出しても、外まで聞こえない。
 
 久平は、両手で戸を開ける。
 「ひとつ、ふたつめ」
 ゆっくり、戸の枚数をかぞえた。
 久吉は体を震わせている。
 「父ちゃん、勘弁」
 美代が、父の足にすがりついた。
 「おめえは向こうに行ってろ」
 美代が庭に転がった。
 「お前さん、蹴飛ばさないでおくれ。大事な娘だ」
 久平は無言である。
 「よおいしょっと。重いやろうだな。世話のかかる」  
 久吉を抱き上げた。
 中に入った。
 転がされた。
 出ようとした。
 久平が立ちふさがった。
 戸が閉められた。
 暗闇の中に、ひとり取り残された。
 
  
 

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