学校に、車を走らせている。
Aの脳裏に、恐怖にゆがんだ百合子の顔が
浮かんでは、消えた。
まったく、俺は何てことしたんだ。
あの時、美知たちにいじめられていたんだ。
こらっ、と言って、百合子をすんなり助けてや
れば、良かったんだ。
それを、あんなマネをして。
アルサロやキャバレーじゃないんだ。
相手は、未成年だ。
犯罪だぞ。
一体、自分はどうなっているんだろう。
俺の身に、わざわいがふりかかって来ている
のは、きっとそのせいに違いない。
昭の心も、傷つけることになった。
こんな俺。
気のいいあいつの友達には、ふさわしくない。
Aは、正しく考えていた。
職員室の戸をゆっくりと開けた。
午前中の授業が、あと五分で終わるところだ。
椅子に腰かけていた教頭が手招きした。
あとについて、校長室に入った。
お茶が運ばれてきた。
「まあ、どうぞ」
「ありがとうございます」
Aは、一口すすった。
「なんだか、ごたごたしてきたね」
教頭の岩上が、微笑みながら言った。
「この事態をどう収めたらいいんだろう」
岩上は、じっとAの顔を見た。
「きょっ、きょうとう、僕が、せきにんとります」
「うんっ。色んな人から、意見を承っているんだ。
校長とも話しあっている。採決は、思案中なんだ
がね」
Aは、自分の所業がすべてあきらかになってい
るのを、悟った。
「きみだって、若いんだ。結婚したばかりだしな」
冒した罪の大きさに、Aは初めて涙を流した。
「百合子に対する行為は、のがれられんな」
頭を深くたれた。
「どうだろう。内地留学ということで」
「あっ、はい」
「また、復職する道も残されている」
「結構です。ありがとうございます」
「生徒には、よく話しておくから」
教頭は、それだけ言うと、立ちあがった。
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東の空に、太陽が空高くのぼっている。
カアカア。
頭の上が騒がしい。
川岸で魚が跳ねた。
「なっ、なんだ」
Aは、目が覚めた。
襟元や腰のあたりが、すうすうした。
河原のヨシの中にいるのに気づいた。
背広の上着は、そばに脱ぎ捨ててあった。
足元が泥だらけだ。
おおっ、寒い。
一体、何があったんだ。
上着を取って、着た。
背中が、べっとりした。
「なんだろ」
顔を近づけると、異臭がした。
「これは、動物のウンチだ。こんなところに、
たれやがって。くそっ。それにしても」
土手の上で女に誘われてから、ここで女を
押し倒した。むりやり着ものをぬがして、抱い
た。そのあとで、女に酒や豪華な食事をごち
そうになり、布団に入った。
そんな訳だったんだがなあ。
うっ、ううんと。
ええっ。
Aは、しばらく考えこんでいた。
「これは、夢じゃねえ。化かされたんだ」
Aは、声をあげた。
「ちくしょう、いまいましい。あの面は、キツネ
に似ていた」
からだのあちこちが、痛んだ。
軟らかい土を踏みしめながら、土手にあがった。
ミチクサの煙突から、白い煙があがっている。
勝手口の戸をたたいた。
「はいっ」
中から、聞き覚えのある声がした。
昭だった。
戸を少し開けて、
「すまんな、朝はやく」
と、Aは言った。
昭は、戸をあけはなった。
「ひどい恰好じゃないか。車はあるのに、どこへ
行ったんだろうと思っていたんだ」
「気づいたら、川べりに横になっていたんだ。何
かに化かされたようで、変な気持ちなんだ」
「おい、もうこんな時刻だぜ。学校はどうした」
時計を見ると、十一時だった。
「あっ、大変だ。電話かしてくれ」
急いで、教頭に連絡した。
「無断欠勤だね。俺が代わりに教室に行って、
子供によく話しておいたから」
「ゆうべ、飲みすぎまして」
教頭に絞られているようで、Aは、頭をぺこぺこ
下げていた。
「あとで、話があるからって、さんざんだったよ」
「仕方がないな」
コーヒーの香りが漂ってきた。
「まあ、飲んで行きな。頭がすっきりするからな。
シャワーを浴びて、着るものをとりかえな。俺のが
あるからさ」
「ほんとにすまんな」
熱いコーヒーをすすった。
友の情けが有難かった。
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青いジャージを着た女の子が、竹刀を持って
立っていた。両手で抱えている。
泣き出しそうな顔をしていた。
「うんっ、わっ、わがこうの、せいっとか。どうし
てえ、ここにい、いるんだあ」
頭がくらくらして、目もかすんでいる。
ろれつが、よく回らない。
「先生、はたいてごめんね。だって、乱暴して
いるんですもの」
涙が頬をつたった。
聞いたことのある声だった。
しだいに、意識がはっきりしてきた。
目の前に、下山先生がいた。
恐怖の眼差しで、Aを見ている。
左手で胸元をおさえ、右手でこぶしをつき出
していた。
「しっ、しもやま・・・・・・」
「そっ、そばに寄らないで」
下山先生は立ちあがって、後ずさった。
俺は、一体。
必死で、事態の成り行きを考えた。
下山先生と、ミチクサで会う約束をした。
そして、のりこんだ車の中で・・・・・・。
「ああっ、なんだか、頭が変になりそうだ」
わめき声をあげながら、Aは外に出て行く。
荒っぽく、ドアを開けた。
真っ暗だった。
手探りで、車にもどる。
何かにつまずいて、バッタリ倒れた。
柔らかかった。
「なんだよ、犬か。こんなところに寝てるなよ」
手でさわってみた。
着物をかぶっていた。
顔を近づけると、香の匂いがした。
「お姫さま、今度は、あたしの番よ」
犬が、しゃべった。
「何だって」
Aは、そっと、着物をつかんだ。
ふいに、どんとつき飛ばされた。
後ろに転がった。
「誰だいっ」
「いやだわ、先生。あたしですよ」
「声は、知ってるけど」
「ほらっ、ライターを取ってもらったでしょ」
「ああ、ああ。あんたか。どこへ行ったのかと思
っていたよ。こんなとこで、何してる」
女のからだが、すううと、遠ざかって行く。
おかしな動きをする、とAは思った。
土手の上まで、あがった。
「どこへ行くんだい。そっちは、川だろ」
女が、手招きをしている。
「野暮なこと言ってないで、さあ、先生。お好き
なんでしょ」
橋の街灯が、女を照らしだした。
胸元を広げていた。
「へへっ。何だ。そうか」
急いで、土手にあがった。
「おにさん、おにさん。こっち、こっち」
女は、土手の上から、河原におりた。
ヨシの茂みに入って行く。
「ちょっと待てよ」
Aが、茂みに足を踏み入れた。
がさがさと、人が枯れ草の上で、転がるような
音が、しばらく続いた。
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どうもおかしい。
店内の雰囲気といい、あのウエイトレスの
女といい。
昭さんの店に、似てはいる。
だが、どこかが違った。
それが、どこかを、はっきり指摘できない。
Aは、そんな自分が、もどかしかった。
ひょっとして、自分が、どうかしているのか
もしれない。
トイレに行くふりをして、立ちあがった。
カウンターの中に、女はいた。
器を使い、コーヒーを入れる準備をしている。
一応、さまになっていた。
アルコールランプに火をつけようとして、ライ
ターを床に落とした。
拾おうとして、かがみこんだ。
ライターに、手が伸びない。
おかしいな。
どこか、身体の具合でも悪いのかもしれない。
Aは、自分が拾ってやろうとした。
「どれ、ちょっとどけて」
と、カウンターに入った。
女のわきを通った。
強い香水の匂いがした。
「ついでにランプに火をつけてくれません」
女は、あとずさって、言った。
「ああ、いいよ。慣れないようだけど、ほん
と大丈夫かい」
「ちょっとめまいがして」
女は、椅子にすわりこんだ。
店の窓を、車のライトが照らした。
やれやれ、下山先生かな。
Aは、長いため息をついた。
玄関の戸が開いた。
「あら、先生。そんな所で何をしていらっしゃ
るのですか」
「ランプに火をつけようと・・・・・・」
わきに女がいる筈であった。
女は、消え失せていた。
あの人形が、つんとした表情で椅子の上に
立っていた。
まただ。
まったく、おれに恨みでもあるのか。
「あっ、先生。マスターが留守なようです。じ
きにもどって来ると思います。ちょっと、奥の席
で待っていて下さい。おれがコーヒーを入れま
すから」
「まあ、そんなことをして、大丈夫なんですか」
「ええっ、ここのマスターとは昔からの付き合
いですから」
人形を、壁際にある家具の引き出しの奥に、
押し込んでしまった。
湯が沸いて、コーヒーの香りが漂ってきた。
トレーにのせて、Aはテーブルまで運んだ。
「ようこそ、いらっしゃいました」
Aは、下山の耳元に、息を吹きかけた。
「まあ、先生ったら」
Aは、下山先生のとなりにすわった。
「あらっ、先生。そちらへどうぞ」
Aは、あたりを見まわした。
「ここでいいんじゃい。われ、何を生意気
なことをいっとるんじゃい」
下山先生を、押し倒した。
「何をなさるんですか」
必死に抵抗する下山先生に、Aは往復ビ
ンタをくらわした。
「百合子を、ひいきにしやがって」
「ええっ、なんですって」
ブラウスの胸元を、むりやり引き破った。
Aは、本音で行動する自分が、信じられな
かった。
普段の自分ではない。
かぶった仮面を、だれかにむりやりはぎと
られていた。
バシッン。
Aは、ふいに、頭を殴られて、ふりむいた。
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Aは、エンジンをかけた。
ぶるるんと音がして、車が走り出した。
気味のわるい雰囲気を、エンジン音で吹き
飛ばそうとした。
なんか、わるい夢を見ているんだ。
Aは、そう思いこもうとした。
そっと、バックミラーを見る。
頭を左右にふった。
あの人形。
後部座席のどこにも、見当たらなかった。
Aは、ほっとした。
手に汗がにじんでいた。
やっぱりマボロシだったんだ。
街並みを過ぎた。
橋のたもとに、明かりが見えてきた。
駐車場に、車を入れた。
草色の古いジープが一台あった。
客がいないのかな。
喫茶店のドアを開けた。
レコードが、かかっている。
民謡のようだ。
おかしいな。聞いたことがない曲だ。
「いらっしゃい」
見知らぬ中年女が、顔を出した。
ほっそりした顔つきの美人だ。
切れ長の目をして、耳がとがっていた。
口紅が真っ赤だ。
「あれっ、ここは、ミチクサだよね」
「ええ、そうですよ」
変わった声だった。
無理やり、咽喉の奥からしぼりだしたようだ
った。
「マスターの昭さんは」
「ちょっと風邪をこじらせましてね。店を
頼まれました」
「久しぶりに来たのに、残念」
女は、うすら笑いを浮かべて、
「何になさいますか」
と、たずねた。
「ブレンドを、ブラックで」
女は、着物の裾が開くほどに、からだを
すばやく反転させた。
茶色の長いシッポが、見えたように思い、
Aは、思わず目をこすった。
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