Aは、後片付けを終え、職員室を出た。
外は真っ暗になっていた。
「ちぇ、まだ七時なのに、こんなに暗いの
かよ」
校舎裏の駐車場まで、ゆっくりと歩く。
ほかの教員も、ほとんどいっしょだった。
なんだろな。あの教頭の態度。
まったく、俺を無視していやがる。
お先に失礼します、と言っても、机の上の
書類をみたままで、顔をあげようともしなか
った。
「どうも、教頭」と言い添えても、「うん」と
言ったきりだ。
どうも、気になる。
暗闇で、女の声がした。
「暗くなるのが、ずいぶん早いですわね」
音楽の下山先生のようだ。
「ほんとですね」
「さようなら」
さすがに良い声だ、と感心した。
Aは、下山の背中をじっと見つめた。
最近、百合子をひいきにしている。
いろいろ話もしているようだ。
まさか、俺のことを聞いているとは思わな
いが、一度お茶にでも誘って、探りを入れて
みるか。
「先生、お茶でもどうですか。お時間ない
ですか」
背中に声をかけた。
「まあ、めづらしい。どうしようかな。時間は
あるんだけど」
「だったら、行きましょうよ。町はずれのミチ
クサで、いいですか」
「ええ、いいですわ。買い物がありますから、
先に行っててくださいね」
「それじゃ、待っています」
Aは、緊張のゆるんだ表情を見せた。
運転席に乗り込んだ。
うんっ、何か変だ。
車内に、人がいるような感じがした。
鍵はしてあったのだから、中に入れるわけが
なかった。
呼吸を妨げるような、重苦しい空気がよどん
でいる。
バックミラーをのぞいた。
髪の毛の長い、着物を着た人形が背もたれに
立てかけてあった。
Aは、手を伸ばした。
「誰のいたずらだ、これは」
じっと見つめた。
「どこかで、見たことがあるぞ。ええと・・・・・・」
人形のからだが、温かい。
Aは、驚いて後部座席に投げた。
人形は、うっすらと目を開けた。
両の目が赤い。
黒い瞳が動いた。
「痛いじゃないの、せんせい」
小さな口が動いた。
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「はい、みんなもう帰っていいよ。小林さ
んと野田くんは、残って」
教頭は、笑顔で校長室の戸を開けた。
「もう、いじめは、やるな」
わきに立って、ひとりひとりと握手した。
「ああっ、教頭の手、さわっちゃった。早
く洗ってこなくちゃ」
美知は、かけだした。
サチがあとを追いかける。
「一体、どうなってるんでしょうね」
「どうもこうもないよな。思っていることと
正反対のことをしゃべってしまうんだから」
「百合子のわきにいた子。どこの子なん
ですかね」
「あんなの、みたことねえよ」
「さかんに、口を動かしてましたよ」
「アネキがしゃべっている時に、あれの口
を見てましたけど、アネキとおんなじ口の動
かし方でしたよ」
「ふううん。それでわかった気がする」
「何がですか」
「あれは、魔法使いなんじゃねえか」
「そうだとしたら、合点がいきますね」
美知は、蛇口を閉めた。
サチが、ハンカチを手渡した。
「すまんな」
「あの子は、どこへ行った」
サチが校長室の方を見ると、ちょうど百合
子が出て来るところだった。
「ほら、アネキ」
青いジャージの女の子が現われて、百合
子の手をつかんだ。
楽しそうに、ならんで歩きだした。
「おい、見たか」
「あの子、どこからあらわれた」
「わかりませんでした」
「あそこは、廊下の壁しかないところだぞ。
やっぱり魔法をつかうんだ」
「おい、ちょっと気づかれないように、あと
をつけようや」
渡り廊下を歩いて行く。
A先生がやって来るのが見えた。
「おい、美知。おとなしくしてるか」
「どうもこうもないですよ。今、教頭にしぼら
れてきたところです」
Aの表情が変わった。
「なんでだい」
「百合子をいじめてたことを、白状してしまい
ました」
「正直にか」
「ふううん。お前らしくもねえな」
「しらを切りとおすつもりだったんですけどね」
「不思議だな」
「先生もそう思いますか」
Aは、腕組みして、考えこんだ。
「いま、百合子に行きあったけど、いっしょだっ
たのか」
「ええっ」
「ゆりこは、何か言ってたか」
「あたしらが先に校長室を出たから、よくわかり
ませんけど。部屋に残って、教頭と何かしゃべっ
ていたかもしれないですね」
Aの顔が青ざめた。
美知は、それを見逃さなかった。
「先生、百合子と何かあったんですか。顔が
青いですよ」
「いや、別に。もう遅いから、早く帰れよ」
びくびくしながら、Aは職員屋にもどって行った。
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「けっ、まぶいなあ。誰だい、早く閉めろよ」
美知は目を細めて、人影に向かって言った。
「よし、閉めてやるよ。こんな姿をみんなに
見られたくないものな」
年輩の男の声だった。
「ねえ、どこかで聞いたことない。この声」
サチが言った。
「そうね。どこかで・・・・・・。そうだわ、きょっ
きょうとう、せんせい」
隣にいたおさげ髪の女の子が答えた。
「うっ、うんっ」
男がせき払いをひとつして、スイッチを入
れた。
部屋が明るくなった。
戸のそばで、教頭が腕組みをして立って
いた。
天井裏で、餌をかじっていたネズミが、ラ
イトを受けて、あわてて逃げまわるようなも
のだった。
ズボンをはたいたり、髪の毛をなおしたり
した。
身づくろいをして、皆が立ちあがった。
「一列に並んで、あとについてきなさい」
渡り廊下を、背中をまるめて、歩いて行く。
生徒は、全部で八人いた。
「ねえ、ひとり多くない。一番後ろの髪の長
い子」
最後尾を歩いている美知の仲間の一人が、
その前を行く仲間に問いかけた。
「青いジャージを着てるから、この学校の子
なんだろうけど、見たことないわね」
「静かに歩きなさい」
教頭が、ふりむいて言った。
生徒や先生と行きあうたびに、百合子はう
つむいた。
まったく動じないのは、美知だけだった。
教頭が校長室の戸を開けた。
ソファの間に一列にならんだ。
教頭は、校長の椅子にすわった。
張りつめた空気がただよう。
「戸を閉めたら、ソファにすわりなさい」
百合子と男の子は、立ったままだ。
百合子のわきに、髪の長い女の子がいた。
その子が、百合子の手をそっと握った。
温かい手だった。
心の底まで、あたたまるようだった。
「さてと。みんな、あそこで何をしてたんだね」
教頭が、おだやかにたずねた。
美知が、スポーツ大会の話し合いです、と
答えようとした。
その言葉が、どうしたわけか、咽喉につか
えて出て来ない。
髪の毛の長い女の子が、口をもぐもぐさせた。
美知は、
「百合子を、いじめていました」
と、言ってしまった。
美知は、あわてて口をおさえた。
うそっ、と心の中で叫んだが、もう遅い。
教頭先生は、美知に向かって微笑んだ。
「そうか、きみはえらいな。本当のことを話
せて。どんなウソをつくかと、ひやひやしてい
たんだ。どんな生徒でもわが校の生徒だ。可
愛いと思っている」
教頭は、真剣な表情で言った。
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ある日の遅い放課後。
体育館の中にある放送室の階段下で、押し
殺したような声が聞こえた。
掃除道具や器械類をわきにのけて、生徒が
数人しゃがみこんでいる。
「ほんと、百合子は、いいよな。みんなの前で
ほめられてさ」
美知の声だ。
百合子を真ん中に入れて、まわりを美知の手
下がとりかこんでいる。
百合子は、しゃがみこみ、頭を両足の間に入
れている。
「よお、なんとかいいなよ。ピアニストさん」
サチが、肩をこぶしでつついた。
「ううっ」
百合子が、すすり泣きをはじめた。
「今日は、とことんいじめてやるから、覚悟しな。
おい、そいつをこっちへ連れて来い」
美知が命令した。
一年生らしい男の子が、百合子のそばに立た
された。
気弱な表情を、顔に浮かべている。
青いジャージのズボンが震えていた。
「好きにしていいよ、この女」
手下の連中が、百合子の衣服をぬがしはじめた。
ブラ一枚に、青いズボン姿で、床に寝かされた。
百合子は、なすすべがなく、されるがままだ。
男の子は、目をつぶった。
「ぼっ、ぼくは、いやだ」
立ったままで、抗議した。
「お前、いい度胸してるんだ」
サチが、足で尻をけった。
転がった拍子に、その子が百合子のからだに
のっかった。
「そうだそうだ。いいぞ、いいぞ」
「おっぱいをすすれ」
手下が口々にはやし立てた。
放送室の中。
人形姫が、怒りの表情に変わっている。
からだ全体が輝きはじめた。
燃え上がるようだ。
光玉が、すっと背中から抜け出て行った。
ガラッ。
戸が、ふいに、両側に開いた。
部屋の中が明るくなった。
スーツ姿の年輩の男の人が、体育館のライト
を背中に浴びて、現われた。
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A中学校の体育館。
月曜日の朝礼がはじまった。
教頭先生の開会の挨拶が、終わった。
音楽の先生が、ステージの下に行って、
「今日は、小林百合子さんに校歌を弾いて
もらいます」
と、全校生徒の前で話した。
どよめきが、起こった。
ええっ、なんでえ。
えこひいきだあ。
なんで、ゆりこなんだよお。
口々に言いたい放題だ。
「静かに」
と、教頭先生が一喝した。
「小林さんは、県のコンクールで優勝し、
全国大会に出場します。小さい頃からの
努力のたまものです。本人だけではなく、
我が校にとっても名誉なことです。みなさ
んもそれぞれの持ち味を生かして、頑張っ
てほしいと思います。学校としても先生方が
一丸となって、皆さんの長所を引き出すよう
に努力します。良い結果が出れば、これか
らは、みなさんの前でどんどん色んな形で、
発表していくつもりです。頑張ってください」
事前に担任の先生から話があったものの、
百合子の心は、穏やかではなかった。
陰湿ないじめを受けていたからだ。
「百合子、良かったわね」
隣にいる親友の恵子が、ささやいた。
「ちっとも良くないのよ」
「どうして」
「ねたまれるし、いじめの標的になるし」
「そうね。善し悪しよね」
「ばっちり練習してきたんでしょ」
「うん、この一週間は、夜遅くまでね」
小林先生が、そばに来た。
「じゃあ、百合子、お願い。私がそばにい
るから」
「ゆりこ、がんばって、応援してるから」
と、恵子が言った。
百合子は、うんと、うなずいた。
小林先生に従って、うつむき加減で、ステ
ージにのぼって行った。
ピアノの前にすわった。
「ゆりちゃん、がんばって」
かすかな声を耳にして、百合子は振り返った。
誰もいなかった。
後ろは、放送室だった。
おかしいわ、だれか、中にいるのかしら。
恐ろしくはなかったが、気味がわるかった。
百合子は、背筋がぞくぞくしはじめた。
「さあ、みなさん。私がタクトを振りはじめ
たら、歌ってください」
タクトが、動きはじめた。
ピアノの音が、響かない。
百合子の手が、震えているのだ。
鍵盤を前にして、泣きはじめた。
じょうずにひける腕は、持っている。
だが、弾けば弾いたで、必ずひどい目にあう。
いじめられるより、先生に叱られる方がいい。
百合子は、そんな気持ちになった。
小林先生がかけよって、彼女の肩を抱いた。
「どうしたの」
「ちょっと、気分が悪いんです」
百合子は、手で頭をおさえた。
「しかたないわね。私が弾くわ」
百合子は、元の位置にもどって行った。
放送室の中にいる人形姫の目からも、涙が
こぼれていた。
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