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K家の墓は、小高い山の中腹にあった。
祖母が、提灯を底まで折りたたんで、ろうそくに火をつけた。
墓石の隙間から、白い霧のようなものがすううと出て来る。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
あとは、一筋の白い煙になってつらなっている。
蝋燭のまわりをめぐりはじめた。
提灯には柄が付いていた。
敷地内に、線香の煙りが漂っている。
タバコ好きだった祖父のために、甥のYが火をつけて、線香のわきにのせた。
「消さないように、家まで持って行くんだよ」
祖母が、小学二年になる孫娘のМ子にいった。
提灯の柄を小さな手でつかむと、緊張した表情で下りて行く。
ご先祖様が、火のまわりをまわっている。
風がでてきた。
蝋燭の火がゆらめく。
М子は、たちどまった。
消えたらどうしよう。
小さな胸を痛めている。
「だいじょうぶだよ。このくらいじゃ消えないからね」
祖母が励ました。
「とってもお喜びだよ、お前が連れて行ってくれるって」
М子は、こくりとうなずいて、再び歩きはじめた。
家に着いた。
「大役を果たしたね、おりこうさん」
祖母がねぎらった。
仏前にすわり、提灯の中の火を移した。
М子は、祖母のわきで、ふううとため息をついた。
「大変なのね、ご先祖様をお連れするのは」
「そうよ。今日はありがとう」
深夜。
家族や親戚は、みな眠りについた。
仏前の大きな提灯は、あかりがついたままだ。
青色の模様入りの走馬灯がめぐっている。
М子は、トイレに行きたくなった。
寝静まっている。
何だかこわいわ。
でも、我慢できない。
タオルをまくって、起き上がった。
廊下を歩いて行く。
ドアを開けて、用をたした。
そっと閉めた。
足音を立てないように、寝床にもどる。
廊下は、ちょうど仏間のうらにあった。
ひそひそ話声が聞こえた。
ラジオの雑音みたいだが、間違いなく人の声だった。
おかしいわ、今頃。
みんな眠っているはずなのに。
戸襖をそっと押しあけた。
白い着物を着た男女が、一斉にМ子を見た。
みな微笑んでいた。
怖くはなかった。
早くねなさい、おりこうだね。
だれかにそう言われた気がした。
布団によこたわった。
興奮したせいで、なかなか寝付けない。
こつこつこつこつ。
仏間裏辺りで、音がする。
ご先祖さま、まだ何かご用なのかしら。
М子は起き上がって、廊下をめざした。
暗い廊下の真ん中あたりが、ぽおっと明るかった。
ピンクの大きなバラが、咲いているように見えた。
「あっ、バラだ」
М子が叫んだ。
ピンクのバラの花びらが開いた。
ふわっふわっと暗闇に浮かびあがった。
ほほほほほほほっ。
若い女の声が、天井辺りで響いた。
首があった。
目も鼻も口も耳もついている。
長い黒髪をしていた。
ピンクのバラだと思ったのは、ドレスだった。
婚礼衣裳だった。
М子の頭に、裾が触れていた。
「おねえちゃん、結婚したかったの。でも、できなかったわ。
とってもくやしい。あなたは、幸せになってね」
そう言って、涙をこぼした。
М子の母が、彼女の体をゆすっている。
「えむちゃん、えむちゃん」
「ううううん。あれ、母ちゃん、どうしたの」
「お前があんまりうなされているから、起こした方がいいと思ったの」
「ありがとう。夢を見ていたのね」
「ドレスを着たお姉ちゃんがでてきたの」
「結婚したかったって、泣いていたわ」
「そう。ご先祖さまよ。心当たりがあるわ」
「その方、あんたに頼られたのよ」
「ちっともこわくなかったわ」
М子がつぶやいた。
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手のひらの小説
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お盆。
久しぶりに、きょうだいがそろった。
一番下の弟とは、二十年ぶりだ。
きょうだいは他人の始まり、と言う。
配偶者が出来たりで、互いに疎遠になった。
昔ばなしになった。
Kは、父とはめったに遊べなかった。
子供の頃の思い出は、数えるほどだ。
昭和三十年代。
とにかく、仕事が忙しかった。
朝六時に起きた。
百円亭主のひとりだった。
近鉄電車で、生駒の山をくぐった。
プロ野球の試合を、大阪まで、見に連れて行ってもらったことがあった。
藤井寺球場だった。
南海の野村選手が、活躍して、チームを盛り上げていた。
出世物語が、人々の共感を得た時代だった。
必死で働くお母さんを、幸せにしてやりたい。
貧乏が、子供の心を、たくましくした。
弟たちも、いっしょに観戦した。
いつかぼくも、と目を輝かせていた、
一番上の席から、試合を見た。
選手たちが、小さく見えた。
迫力がなかった。
ぜいたくは、言えない。
一階席は、値段が高い。
子供の夢を、少しでもかなえてやりたい、と父は思ったのだろう。
月給が数千円の時代だ。
有難かった。
「父ちゃん、キャッチャーだよね。野村選手は」
「そや。なかなか大変な仕事なんやで」
「せやろな」
「バッターがヒットを打てないように、投手に投げさせないとあかんやろ。ストレートやカーブ、ドロップを使うんや」
「うん」
「塁に出られても、用心深くせなあかん。盗塁がある。野村はうまいで。盗塁をさせへん。相手を良く研究してるで。勘がいい。ここで、盗塁してきよる。それが分かった。まるで神業やで。打つ方もすごい。三冠王をとったんやからな」
家の前の砂利道でキャッチボールの相手をしてくれた。
小学五年生だった。
叔父にもらったあずき色のグローブを使った。
父は、素手でボールを受けてくれた。
手が赤くはれた。
父は、子供に教えようと、好きでもなかった野球を勉強したらしい。
お袋が、あとで教えてくれた。
思春期に入った。
Kは、父がうとましくなった。
特に、何がどうと、いうことではない。
敵のように、立ちはだかっているように思えた。
父は社会そのものだった。
男の子は、父を何らかの形で乗り越えていく。
お袋をかばって、ビンタをあびたことがあった。
大人になって、父の気持ちがわかった。
今年、数えで九十になった。
畑仕事の毎日だ。
「おい、ちょっと手伝ってくれ」
Kは、遠くに暮らしているため、ほとんど父に何もしてやれない。
エンドウ豆のツルを、支えてやるのに、ひもで縛るだけのことだった。
「どうもありがとう」
父は、飛びきりの笑顔を見せて、喜んでくれた。
「うちはな、財産なんかは、何にもあらへん。お父ちゃんが財産やった。一所懸命、真面目に働かはった。そのおかげで、お前たちがここにこうして、いられるんや」
お袋の眼鏡の奥が、きらりと光った。
Kと弟は神妙な面持ちで話を聞いていた。
「真面目な人は、長生きができる」
縁側で縫物をしながら、還暦がらみになったふたりの子供に、言い聞かせた。
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還暦を迎えたМ子は、久しぶりに実家に帰った。
「肩でも、もましてちょうだい」
母の後ろにまわった。
背中がとても小さく見えた。
М子は、涙がこぼれそうになるのをこらえた。
「もむ機械があるから、やらんでもええ」
母の言葉をさえぎり、М子は、肩をもみはじめた。
八十歳のなかばである。
何か孝行のまねごとを、しておきたかった。
母は、それ以上、拒まなかった。
「ゆっくり静かに頼むで。あんまり強くやると、血管がきれてしまう」
「わかったわ」
ちょっと揉んでは、両手で肩をさすった。
「骨と皮やろ。ごつごつや」
「そんなことあらへんで」
М子の手の動きに合わせて、こくりこくりと上体を揺すりはじめた。
「ああ、ええ気持ちや」
「そうか、良かった」
「何年ぶりやろな。M子に肩もんでもらうのは」
「ううんと、中学の時やったから、だいたい四十年ぶりや」
「へえ、ぎょうさん、時間がたったんやな」
М子は、母の言い方がおかしかったので、笑った。
母の日だった。
学校で、赤いカーネーションをつくってきた。
本物の花ではなかった。
セルロイド製だった。
それでも、母は喜んでくれた。
肩をもみはじめたМ子は、加減が分からなかった。
「あほ。そんなに力まかせにもんだら、肩が壊れてしまうやないの」
ひとつだけでも、親孝行がしたかった。
思春期のМ子は、母を困らせてばかりだった。
派手なおしゃれをして、学校に行った。
口紅をつけた。
親が呼びだされた。
母が、先生に何度も頭を下げた。
母は、四十前だった。
しなやかな体だった。
揉むと、ゴムのように弾んだ。
真夏の夕暮れ。
中庭で、母は、よく行水をした。
たらいに、水をはった。
生けもガリで囲まれていた。
外からは、見えない。
月が出ていた。
立て膝をついて、手ぬぐいで体を洗った。
奥の間で、М子は横になっていた。
きれいやなあ、お母ちゃん。
薄めで、母を見ていた。
気付いた母は、たらいの水を両手ですくった。
М子めがけてかけた。
「いやや。お母ちゃん」
「女の子でもあかん。何にも言わんと、黙って、人の裸を見てたら。性根が悪くなる」
「ごめん。わかったわ」
台所から、浴衣を着た母があらわれた。
「お前も入ったらどうや。お父ちゃんは、まだ帰ってこないから」
もぐもぐもぐと、総入れ歯の口で、老いた母がつぶやいている。
「М子ちゃん」
そう聞き取れた。
母は、幼いあたしの夢を見ているのだろう。
「はい、これで終わり」
と、言って、母の小さくなった背中を、両手でポンとたたいた。
その母も、今はいない。
三年前に他界した。
孫娘が、小さな手で、М子の背中をもんでいる。
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初春。
木の芽が吹き出しはじめた。
雪がちらつく日も、時々ある。
その日は、午後になって、暖かくなった。
女は、家の離れで、ひとりで住んでいる。
一度は、縁づいて家をでたが、連れあいとうまくいかなかった。
出戻ってきた。
去年、還暦を迎えた。
年金だけで、ほそぼそと暮らしている。
母屋には、弟夫婦が住んでいた。
昼食をとってから、畳に横になって、テレビを観た。
大福もちをひとつ、ほうばった。
観ているうちに、眠くなってきた。
咽喉がつかえた。
水を飲もうと、あわてた。
掘りごたつの角に、足をぶつけて転んでしまった。
左足のげんろくを打った。
「ねえちゃん」
勝手口で、声がした。
足をさすりながら、応対した。
「どうしたん」
「こたつの角で、ぶった」
「気をつけるんだよ。俺たち、ちょっと、街に買い物に出かけて来るからね」
女は、うんと、首を縦にふった。
玄関は、外から、カギがかけられていた。
洗濯機から衣類を取り出すと、丁寧におりたたんだ。
かごに入れると、勝手口から、生けもガリの脇にある物干し台に向かった。
口笛がでた。
青空が広がっている。
ひばりが一羽、空にあがっていくのが見えた。
鏡の前にすわって、化粧をはじめた。
念を入れる。
真っ赤な紅を引いた。
コロンを一滴、のど元にふりかけた。
身につける服は、カジュアルだ。
長いズボンをはいた。
小さな鉛筆付きの黒い手帳を、ズボンの後ろにあるポケットにいれた。
細かい字で名前がびっちり書いてある。
黒いサングラスをかけた。
勝手口から出た。
軒先にある自転車を持ちだした。
さてと、今日はどのあたりに行くかな。
女はふっと笑った。
またがった。
小川に沿って、北に向かった。
十五分くらいペダルをこいだ。
四つ角で左に折れた。
小高い山が見える。
その山のふもとから、女のいる場所までずっと、県道が伸びていた。
車が頻繁に行きかう。
その度に、女は、車内を見た。
もうひとつ、山の手前に四つ角があった。
蕎麦屋がある。
正面に駐車場があり、店の脇に、ジュースとタバコの販売機が、合わせて四台あった。
すぐそばに、乗用車が一台とまっている。
男がふたり、販売機横のベンチに腰かけていた。
年輩は、還暦をすぎているようだ。
もうひとりは、五十がらみだ。
女は、自転車をおりた。
彼らを見た。
ふふっと笑った。
歩いて道を横切る。
大型トラックが、目の前を猛スピードで通り過ぎた。
パーマをかけた黒髪が、風で乱れた。
走って渡り終えた。
年輩の男Aのそばに、しゃがんだ。
「いい天気になったね」
「そうだな」
女は、若い方の男Bにも、視線を合わせる。
胸元から、芳しい匂いがした。
Aは、女のうなじを見ている。
日焼けした顔のわりに、肌は、きめが細かいなと思った。
胸は、ふくよかだった。
女が、ポツリと言った。
「父ちゃん、かまって、くれないんだよ」
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真夜中だった。。
Kは、布団の中で、からだをボリボリかいている。
ちょっとした刺激にも、敏感になっていた。
医者には、ストレスのせいだよ、と言われていた。
妻が、呼んでも起きない。
眠っている。
かいた部分が、赤くはれてきた。
かさぶたが、あちこちに出来ている。
妻がKにクリームをつけてやった。
Kは、夢の中にいた。
少年時代に戻っていた。
ジョンという犬を飼っていた。
ひっきりなしに、前足で、首のあたりをかいている。
毛がぬけ、ピンクの肌が見えていた。
ひっかくたびに、傷口から血が出た。
バイ菌が入って、化膿するようになった。
Kが近寄るたびに、悲しそうな顔をした。
「かゆいのは、つらいよね」
赤チンキをつけてやった。
目が覚めた。
部屋は、まだ暗かった。
雨戸は、閉まってはいない。
時計を見ると、三時前だった。
また、夢を見た。
鶏小屋がある。
鳥に交じって、蛇が一匹いた。
そのうちの一羽に、巻きついている。
めりめりと音がした。
ううっ、苦しい。
うなされて、目が覚めた。
「もう七時よ」
妻が起こしにきた。
きゃあと、叫んだ。
Kは、布団の上で、どうしたんだという顔をして、鎌首をもたげている。
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