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サングラスの男は、ヤニで黄ばんだ歯を見せ、
「こんにちは、どちらまで行かれるんですか」と、丁寧にしゃべりだした。
男が美樹に言いよって来るのは、初めてではない。
竜夫は美樹と顔を見合わせると、ウインクしてみせた。
バイクスタンドを立てると、竜夫は皮ジャンの胸のジッパーを
へそのあたりまでさげ、コンビニへと歩いて行く。
「いいんですかい」
男が不思議そうに訊いた。
「ええ、いつもあの調子なのよ」
「あんたみたいなシャンを、ひとりで放っておくんですかい」
メットを胸にかかえたまま、美樹は機嫌良く、
「ところで、何か用なの」
と、サングラスの目の奥をのぞきこむようにして訊いた。
「お、おれとドライブしませんか」
男のからだが急に委縮したように思えた。
ひたいに汗がふきだしている。
美樹はぷっとふきだした。
「な、なにか可笑しいですかい」
「ああ、可笑しいわよ」
男は軽く首をひねった。
「だって、あたしと彼、どうやってた」
「仲良くバイクに・・・・・・」
「でしょ、どう見たって、恋人同士でしょうが」
「まあ、そうでしょうが」
美樹は、たたみかける。
「だったら、さようなら」
くるりと体の向きを変え、歩きだそうとした。
ふいに男が美樹の左腕をつかんだ。
何もいわずに車に引っぱって行く。
「あんた、ずいぶんむちゃなことするのね」
美樹をかかえあげると、助手席にどさりと落とした。
「あんた、女のくせにけっこう重いね」
「バカいわないでよ」
ジーンズをはいた脚を長くのばして、美樹はドアをまたいだ。
男は、美樹の脚を両手でつかむと、車の中におしもどす。
「よお、勝手なことをやってくれるじゃねえか」
竜夫がかけつけてきて、大声をあげた。
まわりに人が集まって来た。
竜夫が、タバコの煙を、男の顔面にふううとあびせかけた。
男は、ゴホンと一回セキをして、
「まあまあ、にいさん。ちょっと話をしましょうや」と、怒りもせずに言った。
竜夫はペットボトルに入ったコーラを美樹に手渡した。
「お前はそっちへ行ってろ」
男の方に向きなおって、
「そうかい、そっちが下手にでるんなら」
竜夫は群衆にむかって、
「皆さん、見世物じゃないんですから」と、頭をさげた。
「ちょっとこっちへ」
男といっしょに、駐車場のフェンスによりかかった。
爽やかな風が顔にあたる。
ちょっと目を上に向ければ、すぐにいい気分になれた。
「今日はまったくいい天気ですな」
「へい、そのとおりで」
「お互い、思うように行かない世間に住んでる者同士」
「まったく」
「お宅も、あんな良い車に乗ってるのに、女が一緒じゃないなんて」
竜夫は言いたいことをズバッと言った。
それでも、男は顔色を変えない。
へへっと笑った。
竜夫の耳もとに顔を寄せると、
「俺、ナンパしたのは初めてでやんす」と、真面目な表情でいった。
「へえ、そうかい。とてもそうは見えないけどな」
男は、自分の首に右手をあてると、
「どうも失礼しました。なんだか一目ぼれしたようで」
「あれに、一目ぼれ」
「はい」
「あんなの、どこがいいんだろ」
「そりゃ、だんなが一番わかってらっしゃるでしょ」
「そりゃ、そうだが」
「あんな美人、わたしゃ見たことないですから」
「ほんとにそう思うかい」
「あんたがうらやましいです」
竜夫は笑いをこらえるように、うつむいて目を閉じた。
「これから、あんたどこへ行くんだい」
顔をあげて訊いた。
「上田まで。久しぶりにお袋の顔を見に行きますんで」
「それじゃ、いっしょに行こうじゃねえか」
竜夫の言葉が次第にあらくなってくる。
「いいんですかい」
「俺たちも今から行くところだから」
竜夫は右手をあげると、
「おい、みきっぺ」
二本目のコーラボトルのボトムを逆さにして、ごくごく飲んでいる弟を呼んだ。
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短編集
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鳥居峠を越えた。
しばらく急なくだり坂がつづく。
竜夫は奥歯をかみしめた。
曲がり角がこわいとわかっているから、
スピードをうんとゆるめてまわる。
乗用車とならんだ時は、なおさら注意が必要だ。
きゃあきゃあ騒いでいた美樹が静かになっている。
朝食をたらふく食べたうえに、車にゆすられた。
竜夫の背中に胸をおっつけたまま、眠っているようだ。
妹みたいな弟のあつかいに、竜夫は困っている。
しかし、弟はかわいい。
兄が行くところには、どこへでもついて来たがる。
それは幼いころから変わらない。
いい加減、異性の友達を見つければいいのに、と思うが、
本人が興味を示さないのだから手の打ちようがない。
最近は両親もあきらめたようだ。
自分の人生なんだから好きに生きれば、という。
その代わり近所の手前もあるから、と家を追い出された。
ひとまず、渋川にある兄のアパートに転がりこんでいる。
美樹は美形といえる顔立ちだ。
ハンサムと言うと、本人は真っ赤になって怒るから、
竜夫は、ほかの言い方を考えた。
きれいだね、今日は可愛いよ、なんて言うと、にっこり笑う。
末っ子の美樹は、小さい頃から女の子みたいに育てられた。
男ばかり三人で、女の子がひとりほしいという親の願いはかなわなかった。
マルコメ頭の美樹にスカートをはかせたりした。
本人はかなり困惑したようだが、幼いながら気をつかった。
思春期は、大過なく通りすぎた。
しかし、それ以後が大変だった。
身体は男性だが、心は女性だと竜夫に訴えた。
竜夫はなんとなくわかるような気がした。
美樹は鼻筋がとおり、切れ長の目をしている。
肌は白く、きめがこまかい。
薄い口びるに真っ赤なベニをぬっている。
口からほほにかけてきれいに髭はそっている。
青くなった地肌はなかなか隠せないから、
気のすむまでファンデ―ションを入念にほどこす。
今朝アパートを出る前もずいぶん化粧に時間がかかった。
竜夫はあせっていたが、美樹は知らん顔で鏡の前にいた。
五時起きなんて、まったく失礼しちゃうわ。
ブウブウ文句を言った。
初夏の日差しが照りつけている。
長い髪の毛がヘルの中で窮屈にちじこまり、
顔じゅう汗まみれになっている筈だった。
そろそろ一休みしようと、竜夫は、
「おい」と呼びかけた。
返事がない。
「こら、美樹っぺ。寝るんじゃない」
竜夫が上半身をゆする。
「もうなによ、せっかくいい気持ちでいるのに」
と、おかんむりである。
「おめえな、もうちょっと離れろよ」
「いいじゃないの、たったん」
舌足らずの物言いをした。
「離れろっ、つうの」
竜夫は上半身をゆすった。
美樹はそれでもしがみついてくる。
「気持ちわるいんだっての」
「だって、あんちゃんこと、大好きなんだもの」
ゴムまりがブラの中から下に落ちそうになっている。
「コンビニがある。あそこで一服だ」
竜夫は左に重心を移した。
「よお、おねえちゃん、乗ってかないか。こっちの方が楽だぜ」
ふいに男が声をかけてきた。
赤いオープンカーが、駐車場に入って行くバイクに寄り添ってくる。
竜夫のバイクのとなりに停まった。
運転していたサングラスの男が美樹に近づいて来る。
この野郎、今に吠えづらかくな。
竜夫は、ちょっと様子を見ることにした。
美樹がヘルをとって、大きく頭をふった。
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峠まであと一息だ。
あたりは新緑におおわれている。
「ミキっぺ、いいか。しっかりつかまってろ」
竜夫のボデーにまわした美樹の両腕に、ぐっと力がこもる。
両側の景色が、急速に後ろに流れはじめた。
「すごい、すごい。もう最高」
美樹の甲高い声が、フルフェイスの中でくぐもって聞こえる。
気持ちがいいんだろな、ミキっぺ。
もちろん、竜夫にも、すごい快感であったが・・・・・・。
五歳年下の美樹のほうが、グレートだ。
まるでセックスのクライマックスにいるようだわ。
身体がふわりと飛んじゃう。
そう、何度も、野太い声でのたまった。
感極まって失神してしまわないか、と竜夫は恐れる。
ちょっとおおげさな奴だと判っているから、
うるさいほど声をかける。
苦い体験がある。
後ろに乗っていた女が両手を放したのだ。
ヘルをかぶらずに同乗していた。
いくら言っても、訊かなかった。
スイカのようにヘッドが割れた。
五年前のことだ。
すぐに、プンとふくれるところが可愛かった。
好きな女だっただけに、なかなか忘れられないでいる。
男の方が、女よりもずっと想いを引きずる。
バイクを乗りはじめて、十年。
今、二十八歳だ。
ちょっと遅すぎた感はあるが、仕方がない。
家族の反対にあったからだった。
十四、五歳で事故リ、帰らぬ竹馬の友がいる。
渋川から信州上田まで行く途中である。
もう二時間くらい走ったろうか。
長野原は過ぎた。
山道は、右に左にゆるやかに曲がりくねっている。
ひとつひとつのカーブを、竜夫は巧みなハンドルさばきで走りぬけていく。
時折、はるかかなたに浅間山の赤黒い山肌を見ることができる。
ここでハンドルを右に切らなけりゃ、即、鳥になっちゃうな。
左側にはガードレールがないし・・・・・・。
ずいぶん危ない場所だが、バイクドライバーにとっては腕試しに持ってこいである。
竜夫はぐっと歯をくいしばって、上半身を右に倒した。
バイクと路面が鋭角をつくった。
「美樹、じっとしてろな」
くどいほど注意する。
「うん、わかったわよ、ほら」
と、両手で後ろのパイプをつかんだ。
「このお、死んでもしらねえから」
ベアハッグをかけるように、美樹は竜夫のボデーを両手でつかんだ。
ゴムまりの胸が、竜夫の背中で押しつぶされた。
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火矢が次々に飛んでくる。
俺は腰をかがめ、舟腹に出ては、手で水をかけた。
矢が頭をかすめる。
俺はもう観念した。
ブスリと腕にささった。
痛いなんてものじゃない。
なんだかとてつもなく熱かった。
死ぬんだ。これで。父さん、母さん。今までありがとう。
グサッ。
胸にささった。
ショックで、心臓がガガッと音を立てた。
血がビュービューふき出しはじめた。
俺は、両手で矢を持ったまま、舟底に倒れた。
「おい、おい」
耳元でマスターの声が聞こえた。
うんっ、ここは地獄か。
俺は目を閉じたままだ。
良かった。マスターは無事だ。
オサの願いが、天に届いたんだ。
魔子は、魔子はどこだ。まこおっ。
「なんだ。泣いてるのか」
俺の気持ちも知らずに、マスターは言う。
そっと目を開けた。
マスターが俺のそばでしゃがみこんでいた。
魔子もいた。
心配そうに見下ろしている。
俺は両手で胸のあたりをまさぐった。
「何やってるんだ」
「矢が。火矢がささったんだ。ほら」
両手を上にあげた。
「やっこさん、寝ぼけてるぞ」
マスターが魔子に笑顔を向けた。
かすかにクラシック音楽が聞こえた。
「モヒカンさん」
魔子の声で、俺はようやく我に返った。
「お、おれは。一体」
「そこのドアを開けようとして、頭を打ったんだよ」
「どのくらい倒れていましたか」
「ほんの二、三分かな。ちょっと打ちどころが悪かったか」
マスターはそう言って、口を曲げた。
冗談ではない。
危うく殺されそうになったんだ。
「山賊の放った矢が胸にささって・・・・・・」
思わず叫んでしまった。
ふたりは顔を見合わせて笑っている。
くそっ、なんてことだ。
仕事があるって言うから、朝早くやって来たんだ。
厨房に入って、マスターがそのドアを開けろと・・・・・・。
やたらと、腹が立って来た。
誰に対する怒りなのか、分からない。
急に立ち上がろうとして目がまわった。
「ほら、急に立とうとするからよ」
魔子が俺の体をささえた。
俺はゆっくりと立ち上がると、ドアのノブをまわした。
与兵衛さん、友吉さん。
心の中で、名前を呼んだ。
ドアの向こうで、みんなが待っている気がした。
まぶしくて目がくらんだ。
ドアの外は狭い路地だった。
やっぱり、あれは夢だったのか。
それにしても、ずいぶん混みいった夢だ。
「マスター、まことさん。コーヒーみっつ。急いでください」
聞き覚えのあるウエイトレスの声が、厨房で響いた。
まことさんって、今、確か言ったよな。
俺は頭を低くして、中に入った。
魔子がせわしげに動きはじめている。
「父さん、あたしがやるわ」
明るい声でいった。
ええっ、何だって・・・・・・。とうさんだ、と。
俺は両手で頭をかきむしった。
了
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「やはりな」
屋敷が燃やされた事を報告すると、オサは落ち着いて応じた。
俺の目を見て、にこりと表情をくずし、
「心配はいらぬ。屋敷は燃えても、まだ帰る手立てはある」
と言い切った。
「嫁さんやお子さんが・・・・・・」
マスターがうつむいて、ぽつりと言った。
オサはマスターの手をにぎり、
「こんなこともあろうかと、信頼のおける家に預けてある」
マスターの緊張しきった顔がやわらいだ。
「自分は田中誠と言うんだ」
俺の方を見て言った。
こうなると、生きるも死ぬもいっしょだ。
そんな想いが、胸の内にわきあがって来た。
荒海に乗り出した船の中に、一緒にいるようなものだ。
嵐が通りすぎるまで、なんとしてでも持ちこたえなくてはならなかった。
魔子が気が付いて、わっと、マスターの体にとりすがった。
「それでは、出かけるとするか」
オサは乱れた髪を両手でなでつけ、胸の合わせ目をなおした。
「どこへ行くんですか」
「まあ、ついて来ればわかる」
地下道の奥に向かう。
次第に下り坂になり、天井が狭くなった。
「頭をぶつけるなよ」
オサの声が響く。
俺は腰をかがめた。
オサ、魔子、俺、マスターの順で歩いて行く。
せせらぎの音が聞こえてきた。
オサが立ちどまって、両手を動かしはじめた。
「まこと、ちょっと手伝え」
「はい」
おおいかぶさった葦の束を、取り除きはじめた。
俺も手伝う。
どろの匂いがぷんと鼻をついた。川だ。
一挙に緊張がほぐれ、俺はためた息をゆっくり吐きだした。
ガサガサ。
河原で音がした。
人の背丈以上もある葦が群生している。
ふたりは手を止めて、身をかがめた。
油断は禁物である。敵もなかなかの者だ。
どこまで手を伸ばしているか分からない。
「旦那さま。与兵衛さま」
男の声がした。
「おお、友吉か。その声は」
「へい」
「無事だったか」
「ええ、なんとか」
手ぬぐいを巻いた右腕をおさえている。
「ケガしたのか」
「なんのこれしき」
友吉の声がうわずっている。。
無理もない。白刃の下をかいくぐってきたのだ。
「あなた」
「おお、その声は」
「ととさま」
「おおっ、お糸か」
葦が取りはらわれた。
オサが娘にかけよる。
友吉が頭をさげた。
「すまぬ。ご苦労をかけた」
「もったいないお言葉です。ささ。こちらへ」
岸に船がつけてある。
「足もとに気をつけてくだせえ」
俺はこんな船に乗ったことがない。
危うく転びそうになった。
「あなた、これを皆様に」
竹の皮にくるんだおむすびを差しだした。
「でかしたぞ。腹が減ってはいくさが出来ぬからな」
「それでは、参ります」
長い竿を川底に突きさして、友吉は言った。
七人を乗せた船が、ゆっくり岸をはなれて行く。
どやどやと足音が聞こえて、岸辺で男たちが騒ぎはじめた。
「みんな、頭を低くしろ」
オサが命じた。
ヒュウ。ヒュウ。
風を切る音が聞こえた。
コツッ。
火の付いた矢が舟腹にささった。
友吉は腰をかがめ、巧みに舵を取った。
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