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ダウト その1

 ここは、どこだと思う。
 デパート付きのでっかい駅が目の前だ。
 その前にワンちゃんの銅像が立っている。
 生前は長い間主人を待っていたらしい。
 犬のくせに銅像を建ててもらえるなんて。
 すごい。えらい奴だ。
 俺は逆立ちしたって、そんな事にはなるまい。
 とにかく、いつ来たって、ここは人がいっぱいで、年中お祭りのようだ。
 信号が青になると、道路の真ん中で人がぶつかる騒ぎだ。
 お目当ては109らしい。
 そりゃあ、俺だってたまには入ってみる。
 話の種にはなるからな。
 まあ、この程度だからな。あんまり好きじゃない。
 根っからのひねくれものさ。
 人が良いというものは、一応疑ってみる。
 
 俺はモヒカン。
 ええ、驚いたって。
 良かった。
 へへへ、もちろん本名じゃねえ。あだ名だ。
 このあたりじゃ、ちょっとは知られている。
 野良犬みたいにうろついている。
 ダチはいない。
 群れるのは嫌いだからだ。
 もともとこのあたりの人間じゃなく、田舎から出てきた。
 三男坊だし、跡継げだのと言われることもない。
 高校はどうにか出ている。
 普通高校だ。
 兄貴が良くできたからさ。
 ビリで入学したから、授業について行くのがやっと。
 入ったばかりは真面目に勉強したが、進級するにつれて面白くなくなった。
 女の子の顔ばかり見ていた。
 特に、数学の授業。
 教科書を机に立てて、よそ見をしていた。
 おい、しんいち。
 先生の声が聞こえて、立ち上がる。
 分かりません。
 くすくすと女が笑う。
 俺の顔は、真っ赤になった。
 出来ないのが分かっていて、指名する。
 その根性が気にくわなかった。
 卒業式の日に呼びだして、思い切り文句を言ってやった。
 色々あったが、絶対に暴力はふるわなかった。
 自分の負けだからだ。
 札付きのワルになるのに、時間はかからなかった。
 なんだか嬉しい気分だった。
 ざまあみろ、と思った。
 
 鳶の仕事をしている。
 けっこう金になるからだ。
 仕事にあぶれた時は、ここに来る。
 ここと言うけど、もうわかっただろ。
 そう。し、ぶ、や。
 ちょくちょく来ては、ハチ公の前に立つ。
 あたりを見まわす。
 分かりやすいだけに、待ち合わせをしている人が多い。
 俺は、ぼんやりしているだけ。これといった目的はない。
 知ってのとおり、若者の街だ。
 思い思いのいでたちをした連中が闊歩する。
 さてと、今日はどんな奴が現われるか。
 信号が赤になり、人だかりができた。
 その中に気になる奴がひとりいた。
 若い女だ。
 うわべはそう見える。
 服装は、上下とも緑色で統一している。
 パンツじゃない、スカートだ。
 春なんだから、もうちょっとルンルンしたら、と思う。
 もっと明るい感じの色を選べばいいのに、と言ってやりたくなった。
 ピンクとか、赤とか。
 やたらと、化粧が濃い。
 俺のアンテナが、ピピピッと鳴った。
 近頃は男か女か、表面だけでは分からない。
 こいつは俺の好みかも。
 面白そうだ。
 声をかけてみようと、歩きだした。
 
 二番目の仕事場は、本社から車で十分くらい離れていた。
 JR線でU市から一駅くだった土地で、近くに大学や新興住宅団地がある。
 大手のカラオケ店がわが社を含めて、三軒。
 競合しているが、社員のサービス精神が細やかなせいで、利益を出している。
 U市にある店の中ではトップの営業成績である。
 休日には、若いカップルや家族連れでにぎわう。平日の夕方にも、学生の出入りは多い。
 フロントの受付をやりたかったが、それは若い子がやる、と断られた。
 私は飲食物をつくったり、ルームの掃除など雑役をこなすことになった。
 本社にいた時より、就業時間が減った。
 平日の午後六時から九時までだ。
 時給は八百円。
 いやならやめろ、というのだ。
 あまりの仕打ちに腹が立ったが、ここは辛抱することにした。
 やめるなら、Fに一言文句を言ってからにしたかった。
 厨房の中。
 もうもうと、煙が立ちこめている。
 ファンはまわっているのだが、吐き切れない。
 からだがぶつかりそうになるほどの忙しさだ。
 「ちぇ、おせえな。おばさん」
 若い男のリーダーが顔をしかめる。
 「すみません。じきに慣れますから」
 「待ってらんないんだよ、それまで」
 「がんばります」
 危うく涙がこぼれそうになった。
 レタスを手早に皿に盛りつけていく。
 こまかくきざんだポテトにパン粉をつけて、揚げる。
 パックから濃縮オレンジジュースをグラスの四分の一くらいまで注ぐ。
 そこに水を入れて一杯にする。
 氷を浮かべる。
 粗末な料理ではあるが、需要は多い。
 家庭でやっていることだが、作る量が断然違った。
 Y子は焦るばかりで、仕事がはかどらない。
 仕事が終わる頃には、足もとがふらついていた。
 「もう帰っていいよ」
 リーダーの声を聞いたとたんに、近くの折りたたみ椅子にどさりと腰をおろした。
 「ごくろうさま。あしたも来てね」
 同僚の若い女に肩をたたかれた。
 ようやく立ち上がって、ロッカー室に向かおうと、ドアを開けた。
 「おい」
 目の前に、Fが立っていた。
 あたりに人影はない。
 私は、Fのからだにしがみついた。
 涙があふれる。
 それでも感情を顔には出さないで、Fは両手で私の身体をやさしく抱いた。
 生まれついての能面顔だわ、と心底腹が立った。
 「悪かったな、こんなことになって。俺が舌たらずだった。先だってトイレの前で話していた相手は、若い男だったんだ。よく行くパチスロ店で知り合った面白い奴でさ。本社に来る前は、Aホストクラブのナンバーワンだったんだぜ」
 Fにしては、たくさんしゃべった。
 耳元でささやくのを聞きながら、私は次第に気が遠くなっていった。
 了
 
  
 会社を、二日休んだ。
 三日目。
 それ以上休むと、首がとぶ。
 複雑な気持ちをかかえたまま、出勤した。
 会う人ごとにきちんと挨拶するが、だれもそっけない。
 無視するか、ちらっと顔を見るくらいだった。
 こうなると、やめた方がいいのだろうが、この不景気である。
 容易に、仕事が見つからない。
 専業主婦に戻るのも、つまらない。
 席についても、うつむいたままでいた。
 誰かが呼びかけるまで、だまったままでいた。
 ふいに誰かが肩をたたいた。
 C課長だった。
 四十歳になったばかりだ。
 好人物と評判がいい。
 「ちょっと来てくれるかな」
 休憩室にふたりで入る。
 私は、椅子にすわらず、立ったままでいた。
 「まあ、すわりたまえ」
 「はい」
 課長は、タバコを口にくわえた。
 私の前には、湯呑茶わんが置かれている。
 湯気があがっていた。
 Cは、言いにくそうにしている。
 私は、思いきって話を切りだした。
 「やめた方がいいのでしょうか」
 ひとつせき払いをすると、Cは話しはじめた。
 「Y子くん。それはきみの考え次第だ」
 「はっ、はい」
 「まあ、うわさはすぐに広がるものだ。尾ひれがついてね」
 私は、肩をおとした。
 「近頃の若い娘は、何を考えているか、分からん」
 Cは、そう言って、無理に笑顔を作ってみせた。
 タバコの煙を一気に吸い込むと、ゆっくりと吐きだした。
 「どうだろう。現場に行ってくれないか」
 「どこでしょうか」
 「きみの家から、それほど離れていないよ」
 「行かせてもらいます」
 Cは、灰皿でタバコをもみ消すと、
 「あとで詳しいことは連絡するから」
 と言って、急いでドアを開けた。
 
 
 

さびしい その16

 S子は、くすっと笑った。
 こんなところにいたんだ。
 猫のマリに見つかると、大変なのに。
 それとも、追いまわされたのかも。
 赤ちゃんが来たのだから、あまり心配させないでね。
 S子は、心の中で言った。
 マッチをつけ、ろうそくに火をともした。
 ボッと燃え上がる。
 マリモは頭を引っこめてしまった。
 「そこでじっとしてるのよ」
 S子は、まわりに聞こえないように、ささやいた。
 一本の線香に火をつけ、灰の中にさした。
 両手を合わせた。
 S子の背後ですわっていた夫が、
 「どうしたんだい。大丈夫かい」
 と、前の方に身をのりだした。
 「大丈夫よ。もうちょっと待って」
 S子は、右手を前に出して広げた。
 マリモは水の入ったグラスの陰にいる。
 白いワンピースが揺れていた。
 不安げな顔がのぞいた。
 小さな脚をじょうずに動かしながら、障害物をさける。
 そろっと歩いてくる。
 ぴょんと手のひらにのった。
 S子は腕を手前にひくと、そっとマリモのからだをつかんだ。
 上着の内ポケットに入れた。
 「お待たせしました。さあどうぞ」
 夫のAに席をゆずった。
 母と父は、テレビの前だ。
 水戸黄門が始まった。
 「さあさあ、泣き虫さん。オッパイの時間ね」
 S子は、両親の背後から日当たりのいい廊下に向かった。
 テーブルわきのソファにすわった。
 片方のオッパイを出し、
 「ほら、ごはんだよ」
 と、笑顔で言った。
 赤子を抱きあげ、左の乳首を小さな口元に近づけた。
 舌で乳首をからむと、じょうずに吸いはじめた。
 猫のマリが、ふいにソファに跳びあがった。
 S子の上着に鼻を寄せる。
 ぴくぴく鼻が動いている。
 困ったわ、どうしようかしら。動けないし。
 マリは、内ポケットに狙いをさだめた。
 みゃあああ。
 相手をおどす鳴き声を出して、跳びあがった。
 後足は、S子の膝の上だ。
 ふたつの前足で、内ポケットをおさえた。
 誰にも助けてもらえないのよ、マリモ。
 自分の力でこのピンチを切りぬけて。
 宇宙人さんでしょ。がんばれ。
 S子は、心の中で祈った。
 
 次の日の午前。
 「Y子さん、ちょっと」
 上座で、B子が手招きしている。
 私は、すぐに腰を浮かした。
 すばやく歩み寄った。
 「はい、何でしょうか」
 「この書類。至急コピーして」
 B子が、机の上をゆびさした。
 うずたかく、積み上げられている。
 「はい」
 私は、しかたなく、うなずいた。
 B子は口元を曲げて、
 「何なの、その顔は。いやなの」
 と、少し声をあらげた。
 机についた私の右手の甲を、鉛筆の先でつついた。
 「あっ」
 私は痛みのあまり、小さくうめいた。
 ちくったんだ、あの小娘。
 これでは仕事にならないぞ、と思った。
 コピーし終えるのに、五時ぎりぎりまでかかった。
 ほかの女子社員からも、あれこれと用事を言いつけられた。
 終業のチャイムが鳴ると同時に、私は大きく息をした。
 ロッカー室に入る。
 一番乗りだ。
 へとへとに疲れちゃったわ。
 今晩は、Fにやさしくしてもらおう。
 私は、携帯を広げた。
 すばやく、メールを打つ。
 三分間待った。
 部長から、何の返事もない。
 変だわ。どうしたんだろう。
 いつもなら、すぐにメールが来るのに。
 あああっ、今日は厄日だわ。
 ふいにドアが開いた。
 総務の顔役、B子の顔がのぞいた。
 眼鏡の奥が、きらっと光った。
 となりに、もう一人女がいた。
 M子だ。
 自分の顔が青ざめるのが、分かった。
 「わかってるわよね、あなた」
 返す言葉が、見当たらない。
 M子が、きっとした表情で、私を見ている。
 「すみません、ちょっと急用がありますので」
 ふたりのわきを、急いですり抜けようとした。
 「そうは、させない」
 B子が右脚を出した。
 私は、床にころがった。
 うつぶせの姿勢になっている。
 M子が、左脚で頭を踏みつけた。
 固い靴底を、力をこめて動かす。
 B子が背中にのった。
 大きな尻が私の胸をつぶした。
 体重も、総務で一番重たいのだ。
 「さあ、遠慮することないわ。やっておやり」
 M子は、バッグからタバコを取りだし、口にくわえた。
 火をつける。
 うまそうに一口吸い込むと、右手にはさんだ。
 「顔にやけどをさせたいほどだけど」
 可愛い顔で、M子は残酷なことをいう。
 私のスカートをまくり、大腿部に火のついたタバコを押しつけた。

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