翌日から練習がはじまった。
午前九時に劇場に行った。
久しぶりに男との逢瀬を楽しんだ恵子の肉
体は、活力がみなぎっていた。
「自由に踊っていいから。こまかいことは、
だんだんに指導するから」
と、振付師のKさんに言われた。
曲を、一度だけ聞いた。
「振りつけは、自分で考えろ」
即興で踊れ、ということだ。
オーナーが、柔和な顔をして見つめている。
臨機応変に踊ることは、ジャズに似ていた。
六年間の経験はある。
それが、唯一の支えだった。
準備体操は、十分にやった。
筋肉は、やわらかい。
胸はどきどきしている。
果たして踊れるだろうか。
不安はあるが、やるしかなかった。
恵子は、今、ステージの上にいる。
トップレスの衣装を身に付けている。
下ばきは、皮のショーツだ。
本番さながらだ。
イントロが、はじまった。
身体が、待ちかねていたように動き出した。
豊かな胸がはずむ。
あたしは、ダンスが好きだ。
好きだ。
好きだ。
踊りながら、自分に言い聞かせていた。
ゆっくりだ、けいこ。
ゆっくりで、いいんだ。
自分の思うように、両手両足を動かしていく。
ベリーダンスのように。
しなやかに動け。
音楽が高鳴ると、動きが早くなった。
「前へ出ろ」
振付師の厳しい命令が飛んだ。
恵子は、花道に歩きだした。
いよいよ円柱状のポールを使う。
ここからが、正念場だ。
身体をスピンさせながら、移動していく。
柱を、右手でつかんだ。
これからは、ほとんど脚の動きだけになる。
「できるだけ脚をあげろ」
「腰をふれ」
「尻をつきだせ」
「床に寝ころべ」
「手を持ちかえろ」
「男の気持ちをあおれ」
様々な注文をこなした。
「よし、ステージにもどっていい。フィナーレだ」
恵子は、汗だくになっていた。
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高層ホテルの二十階の一室。
恵子は窓際に寄って、カーテンを開けた。
白いものが、ガラスに当たった。
それが雪だとわかるのに、ちょっと時間
が、かかった。
夕方遅くから降り出した雨が、雪に変わ
っていた。
新宿駅の明かりが霞んでいる。
恵子は、鈴木を起こさないように、ベッド
から下りた。
湯上りの身体が冷めないうちに銭湯を
後にした。
一夜の愛でも良かった。
誰かに愛されたかった。
亮は、恵子のことなど考えなかった。自分
だけ、楽しめれば良かった。行為の後で、い
つも取り残された気持ちになった。
鈴木茂夫はゆっくりと愛撫してくれ、恵子が
快楽の高まりに行きつくまで、じっと我慢して
くれた。
茂夫は、程よい疲れを感じたのか、眠って
いる。
椅子にすわり、ハンドバッグからラークをと
りだした。一本、口にくわえた。
ライターで火をつける。
カチッと音がした。
茂夫が目覚めた。
ベッドから起き上がり、裸のうえにガウンを
身につけた。
窓の外をながめている。
「後悔、してないかい」
恵子は、答えない。
煙を吸い込んで、ゆっくり吐き出した。
「楽しかったわ。こんなの初めて」
茂夫は、微笑んだ。
「それを聞いて、俺もうれしいよ」
恵子のそばにより、長い髪をなでた。
吸っているタバコをとりあげ、口にくわえた。
一息で、気管の奥まで吸い込んだ。
すばやく灰皿の底でもみ消すと、耳たぶに
キスをしはじめた。
「ああっ、やめて」
恵子は、全身に鳥肌が立った。
両足をかたく閉じた。
茂夫は、唇を吸い、舌をからんだ。
タバコの匂いがした。
下半身の筋肉がゆるみ、恵子の両足が開
いた。
茂夫の手が、恵子の秘所をまさぐる。
恵子は、すわっていられなくなった。
「ああっ、もうだめ」
茂夫は、恵子の身体を抱きあげて、ベッド
に連れて行った。
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恵子はロビーの片隅にある喫茶室の片隅で
すわっている。
タバコをくゆらしている。
我慢ができなかったのだ。
この寒空に戸外にタバコを吸えなんて、非
常識極まりないと、恵子は思う。店主はしぶ
い顔をしたが、あえて灰皿をたのんだ。
幸い、客はそれほどいなかった。
室内は暗い。淡いスポットライトがそれそ
れの席を照らしているだけだった。
二杯目のコーヒーを飲んでいる。
チーズケーキをひとつたのんだ。
朝から、ほとんど何も食べていなかった。
鈴木から、着信があった。
ケータイをひろげた。
「遅くなってすみません。今、玄関わきに
着きました」
恵子は、喫茶室にいると答えた。
ドアが開いた。
サングラスをかけ、ジャンパーを着た男が
入ってきた。首にマフラーを巻き、ジーパンを
はいている。
恵子を認めて、近づいて来た。
初め、その男が鈴木だとは思わなかった。
あまりに若気だったからだ。
「けいこさん、ですよね」
男が言った。
「あら、鈴木さん、ですか」
「わかりませんでしたか」
「ええ。なんだか別の人のように思いまし
たわ」
「人相でも悪かったんでしょう。サングラス
をかけたりしているから」
「逆ですわ。どこかの若い俳優さんかなと
思いましたわ」
鈴木はサングラスをとって、向かいの席に
すわった。
「そんなにほめてもらえたんじゃ、ごちそう
しなくちゃいけませんね。夕食は」
「正直に言うと、まだなんです」
「となりに焼肉を食べさせる店があります。
よかったら、そこに移りましょう」
鈴木はそう言うと、オーダーを書いた紙き
れを手にとった。
恵子は立ちあがって、鈴木の腕をとった。
鈴木は、ちらっと恵子の顔を見て、
「今夜は、日ごろのうさを晴らしましょうね」
と、小さな声で言った。
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玄関脇でタバコを吸っていた運転手は、恵
子が出て来るのを見ると、車を移動した。
自動で後部座席のドアを開けた。
恵子は、勢いよくすわった。
「やっぱりあなたのいう通りだったわ」
「すみません」
「いいえ。あなたは正直に説明してくれたん
だから、責任はないわ」
「もう、帰りますか」
「明日は仕事だし。そうします」
「もしよければ、私の会社の近くに知ってい
るスーパー銭湯がありますが。そこは、泊りも
ОKですよ」
「泊れるんですか」
「ええ。ここから。それほど離れていません」
「じゃあ、折角来たんだから、そこで今晩過
ごすことにします」
「わたしも、仕事が終わったら、そこでひと風
呂浴びようと思っているんです」
恵子は、だまったままで、バッグからタバコを
とりだした。
「あっ、すみません。車内は禁煙なんで」
恵子は、イライラしてきた。
気の合った友がいないのが、辛かった。
今夜は、誰かとおしゃべりをして、ストレスを
発散させたかった。相手はだれでも良かった。
綾がいるが、この時刻だ。
夫のいる身でもある。
無理は、言えなかった。
「ねえ、あなたも地方からおひとりで出て来て
いるんでしょ」
「そうですよ」
「もしよかったら、今夜わたしと過ごしませ
んか」
「ええっ、これはまた大胆なことを言われる
んですね」
「過ごすと言っても、銭湯で逢いましょうって、
ことです」
「ああ、それならわかりました。連絡先を教
えておいてくれますか」
Aスーパー銭湯に着いた。
「ぼくは、鈴木と言います。これで仕事をあ
がりますから、じきに電話を差し上げます」
「けいこです。それじゃ、玄関を入ったロビーで
お待ちしています」
恵子は、急ぎ足で玄関に向かった。
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恵子は、タクシーに乗った。
「ちょっと大きめの銭湯までお願いします」
「はあ、銭湯ですか」
「この辺りに慣れないものですから。タクシー
に乗ればわかるだろうと思いまして」
「そうですか。わかりました。S温泉が一番
近いですね」
「おまかせしますから」
ビルの谷間を、車は走って行く。
深夜なのに、車の量が多い。
恵子にとっては、タクシーでお風呂に行くな
んて、はじめての経験だった。
「お客さんは、東京じゃないですね」
「わかりますか」
「ええ。言葉がちょっとなまっている感じですね」
「どこだと思いますか」
「群馬県あたりかな」
「しばらく草津にいたんです」
「やっぱりそうですか」
「私も、栃木から出稼ぎに来ているんですよ」
「私はダンサーなんです。ほやほやの」
「ほう、そうですか。何だっておんなじです。
なかなか厳しいでしょうが、頑張ってください」
十分くらい走った。
左側に、S温泉のネオンが見えてきた。
「あのう」
運転手が不安げに言った。
「なんですか」
「もしもお風呂に入れなかったら」
「入れないってこと、あるんですか」
「会員じゃないと、入場を断られることがあ
るんです」
「ええ、そんなことって」
「あるんです。私、玄関で待ってますから」
四十くらいだろうか。
誠実な運転手だと、恵子は思った。
初めから、店のおばさんに聞いて出てくれ
ばこんなに苦労することはなかったんだがと、
恵子は、自分の失態を笑った。
だけど、お店は営業中だったし。
まあ、仕方ないか。何だって、勉強だ。
玄関を入ると、フロントがあった。
女の受付係に、会員制ですからと、やんわり
断られた。
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