土曜日の夕方、北千住の駅でジュリとアンは、
電車を乗り換えた。
駅構内は、混雑していた。
ふたりは、少し離れて階段をのぼっている。
狭くて長いエレベーターは、怖いのだ。
ルリに会いに行くところだ。
一か月前から、ルリは田舎の仕事をやめて、
東京に住んでいる。
アンが、ハンドバッグを両手に持ち、短いス
カートの裾に押し当てて、一段ずつのぼって
いく。
「きゃっ」
アンが、小さく叫んだ。
前につんのめりそうになっていた。
両手で身体をささえている。
ジュリが、かけつけた。
「どうしたの」
「後ろから押されたの」
「ひどい奴がいるんだ。気をつけなくちゃ
ね」
「下着をさわられたかしんないわ」
「ええっ。それじゃ痴漢じゃないの」
「そいつの顔、見たの」
「転びそうになったんだもの」
「短いスカート、はいてきゃったからかな。
可愛いパンツ、はいてるし」
アンは、大して気にしていない。
「ばかね、とにかく、けがしなくて良かった
わ」
アンは何もなかったかのように歩きだした。
髪の毛の長い若い男が、他人の肩にぶつ
かりながら、前に進んでいるのが見えた。
ジュリは、その顔を覚えようとした。
のっぺりしたネズミのような顔だった。
「なんだ、この野郎、無茶するな」
怒声があがった。
中目黒行きに乗り換えた。
車内も混んでいた。
ベンチ前の吊革に、ふたり並んでつかまった。
電車が揺れるたびに、前に押し出された。
アンは、からだに異変を感じた。
ごつごつした手が、お尻のあたりで動き回
っている。
ちくしょう、今日はなんて日なんだ。
アンは、左肩で、ジュリをつついた。
ジュリがふりむいた。
「何よ」と、目が言った。
アンが首を左に回した。
ネズミ男がいた。
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アクセサリーショップを出た。
キリオのケータイから、浜崎あゆみの
歌が聞こえた。
BMWのBさんからだった。
「すぐに、俺のマンションに来い」
と、緊張した声が耳元で響いた。
大通りから、路地を十メートルばかり入っ
た。すぐ前に小さな公園があった。
半年前に、募集を始めたばかりのマンシ
ョンの一室。
ドアは金属製だ。Bさんは、チェーンをい
くつも付けていた。
「こんにちは、キリオです」
「よっしゃ、ちょっと待ってろ」
穴からのぞいて、本人かどうか確認して
いた。
ドアが、ギギギと、音立てて開いた。
Bさんは、足元にまとわりついていた猫を
抱きあげて、ソファにすわった。
「おまえら、よう聞け。サツが動いてるら
しい。身のまわりで不審な奴を見かけたら、
刑事やて思え。すぐに俺に連絡せえよ」
眉間にしわを寄せて、関西なまりでしゃ
べった。Bさん、生まれは大阪らしい。
話しが終わった。
奥さんが、お茶をいれてくれた。
「あら、きれいな小箱ね」
「キリオさんのプレゼントなんです」
「まあ、けちんぼのキリオが」
キリオは、頭をがくっと垂れた。
「おめえ、いいとこあるな」
Bさんが、笑顔を見せた。
マンションを出た。
すぐ前に照度の強い街灯があった。
「あたしにまでくれるなんて。わるいんじゃ
ない」
サチは、キリオの赤いネクタイを、両手で
結び直すような仕草をしながら、言った。
キリオは、きちんと七三に分けた髪を、手
でかきあげながら、
「いや、いいんですよ。ルリの姉きと仲良く
なってもらったみたいで、あっしは嬉しいんで」
と、ヤニで黄ばんだ歯を見せた。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか。サツが
動いてるんじゃ、あぶないですから」
ルリが、あたりを見まわしている。
大通りまで、街灯は一本もない。
誰がひそんでいるか、分からなかった。
「行くぞ」
ルリが、その場の雰囲気を引き締めるよう
に、力強い声をだした。
「へい」
暗い路地を、早足で歩いて行く。
車が通るたびに、大通りから光りがさしこん
でくる。三人の足元を照らしだした。
その光りの中に、ふたりの人影が見えた。
大通りから、路地に入ってくる。
黒っぽいスーツ姿だ。
やばい。
キリオの直感は、鋭い。
今まで、警察のやっかいになったことが
何度かあったからだ。
刑事の持つ雰囲気を熟知していた。
ふたりの男とすれちがった。
キリオは、黙ったままで、早足になった。
「あねさん」
キリオの声音に、ルリが異変を感じた。
サチに腕をからめた。
男ふたりが、路地の闇から引き返してきた。
靴音が響いた。
「逃げろ」
キリオが、命じた。
大通りに出た所で、二手に分かれた。
キリオは、ひとりで左に曲がった。
「待て」
野太い声が、聞こえた。
ルリとサチは、はやく走れない。
すばやく、ビルとビルの隙間に隠れた。
「おおい、へなちょこ刑事さん」
「あっ、あそこだ。あの男を捕まえろ」
年輩の刑事が命じた。
チョッキとピストルを携帯している。
ちょっとした荷物だ。
キリオは、道を横切ろうとしている。
青信号が点滅しはじめたところだ。
急いでわたる。
車が、無理やり、突っ込んできた。
キリオは、危ういところで、からだをくるり
と回した。
よろけながらも、向こう側の歩道に着い
た。
「やあい、ざまを見ろ」
両手で三角を作って、叫んだ。
片手をあげて、大きく振った。
「あの野郎。かならず捕まえてやる。俺を
怒らしたな」
白髪まじりの眼鏡をかけた刑事が、トラの
ような眼差しで、キリオをにらみつけた。
「もう少しの所だったんですがね」
「まあ、いい。きょうは。令状がないんだ。
もう少し泳がせておくさ」
「女ふたりは、どうします」
「放っておくさ。どうせ下っ端だ。今に一
網打尽にするつもりだ」
キリオが、Bさんに連絡をいれた。
一度の呼び出しで、
「サツか」
と、言った。
「はい。今、路地ですれ違いました。三人と
も無事です」
「よし、わかった」
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竹下通りの若者に人気のあるアクセサリー
ショップで、ルリとサチが、微笑みながら、買い
物を楽しんでいる。
ルリが、サチの左手をにぎっている。
日曜の夜は、更けていった。
午後十時をまわっている。
キリオは、離れた所でふたりを見つめている。
ルリの下働きだ。
突拍子もないことをたまにはやらかすが、根は、
優しい。
これから彼女がどうするのか、気遣っている。
実家に帰るのかどうか。
帰るのであれば、列車の時刻が気がかりだ。
この時刻だと、JRは、ちょっと無理だ。
今晩は、どこかに泊まって、明日の朝、早く帰
るのであれば、宿の手配をしなくちゃならない。
色々と面倒を見なくてはならないだけに、気を
もんでいる。
ルリは、大したことをやってのけてはいるが、
まだ二十歳に満たない。
キリオが、ルリのそばに寄った。
「あねさん」
まわりの客が、驚いてキリオを見た。
ルリは、低い声で、
「ばかだな、あんた。場所柄を考えてしゃ
べったらどうなの」
「すみやせん、つい、いつもの調子が出て
しまいました」
キリオは、首のあたりをおおげさに何度も
さすった。
「これから、どうなさるんで」
ルリは、キリオではなく、サチの方を見た。
どうするという顔を向けた。
サチは、
「あたしのアパートに泊まっていったら」
と、うながした。
「いいの」
「うん、いいわよ。あたしたち、友だちに
なったんだからね」
うふふふっと笑った。
「おなか、空かない」
ルリが、サチにたずねた。
「さっき大した労働をして、身体をつかっ
たから、ぐうぐうよ」
サチが腹をおさえた。
「そういうわけなんだ。あにさん」
キリオは、財布の中を思い浮かべた。
紙幣が入っていない。
ポケットに手を突っ込んで、財布の上
から中身を確認した。
かたいコインばかりだった。
「ルリさん、金があ・・・・・・」
「あっ、ごめんごめん。じゃあ、たまには
あたしがおごるわ。今日は、とても気分が
いいのよ。サチさんと親しくなれたんで。
三人で、今日はお祝いしよう。友達らしい
友達のいなかったあたしに、友だちが出
来たことだし」
ルリは、サチの方を向いて、軽く会釈を
した。
サチは、満足そうな笑みを浮かべた。
店を出た。
通りは、まだにぎわっていた。
キリオが出て来ない。
レジにいた。
ネックレスをふたつ、買っていた。
赤いバラの写真をあしらったきれいな紙に
包んでもらっている。
耳にはさんでいた虎の子の金だ。
この日のために、わずかな貯金をおろして
用意していたが、ほかの事に気を取られてい
て忘れていた。店を去る間際に、ようやく思い
出したのだった。
小走りに店を出ようとした。
入店してくる青いサングラスをかけた若い男
の肩にぶつかった。
「てめえ、気をつけろ」
思いきり、突き飛ばされた。
ネックレスの入った箱は、しっかりとにぎって
放さない。
蹴りが、キリオの腹に入った。
キリオは、痛みで口をきけない。
不意に、相手の男が、
「いてててっ」
と言って、キリオのわきに倒れこんだ。
ルリのパンチが、男のわき腹に入ったのだ。
キリオの両手首をつかんで、ルリが起こした。
キリオは、泣き笑いの表情で、
「どうも世話かけました」
と言って、ルリに、ネックレス入りの箱を渡した。
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「ああっ、いやだいやだ。今の男。思いだ
すたび、むしずが走る」
いつもは、無口なサチだろうに、ルリの前
では、おしゃべりになった。
ルリは、黙って聞いている。
「変態、エロジジイ、くそ親父。死んじまえ」
それだけ言うと、ベッドにゴロリと横になっ
た。衣服は、まったく身につけていない。
ルリは、サチとならんで体を横たえた。
起き上がって、衣服を脱ぎはじめた。
「何なの、あんた」
「あんたと同じ。裸で話そうと思ってさ。でな
いと、不公平でしょ」
わっはっはっ。
サチが、声をあげて笑った。
「面白いね、あんた。気にいったわ」
まな板に、二匹の錦鯉がのっている。
ほっそりしたのと、ちょっと太めなのと、
尾びれをばたばたさせて、身体を動かしては、
口をぱくぱくしていた。
もちろん、たとえ話だ。
「あんたのオッパイ、あたしのより大きいわ。
うらやましい」
ルリが、そっと指で押してみた。
ぷるるんと、熟れた果実が揺れた。
「どれ」と言って、サチが右手を開いて、ル
リの乳房の上から、大きさを測ってみた。
ルリの乳首が、サチの手のひらを感じた。
ぞくっとした。
「気にするほどじゃないわ。その大きさで十
分よ。あまり大きくてもね。いやだなって、思
うときがあるのよ」
「背格好に、関係あるのかな」
「わからないけどね、母親は、やはりあたし
と同じ体型だったわ。オッパイも大きくてね」
「遺伝するってことだね」
「そうかもしれない」
ルリがサチの長い髪の毛をなではじめた。
「きれいな髪ね。女のあたしでも、うっとり
するわ」
「ちょっとやめて。あたし、そこ弱いのよ」
ルリは、やめない。
「さっちい」
といって、ふいにサチのからだを抱いた。
「あんた、それ」
ルリの右手の動きが、いそがしくなっている。
サチは、両手で、ルリのからだを、ベッド
から突き落としてやろうかとも思ったが、ル
リが、夢中になっている。それも可愛そうに
思えた。いかつい感じだけど、あたしより年
下みたいだ。まあいいか。こっちもその気に
なりましょう。
サチは、ルリの気持ちを、受け入れること
にした。
ルリの右手は、うなじから、首筋へ。
首筋から肩へ。
肩から背中へと。
しだいに、下半身に伸びていった。
「ああっ、もうたまんないわ」
サチも、ルリのからだを、愛撫しはじめた。
ふたりのからだが一つになって、愛し合っ
ている。
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サチは、こんな切ない春をひさぐアルバイト
でも、できるだけ自分も楽しもうと考えていた。
人間なんて、今しかないんだ。
先の事など、どうなることやら、誰にもわから
ない。サチの体験から来た思いだった。
サチは目をつむった。
昔付き合った彼の面影を思い出す。
ふたつ年上のMだった。
サチは、当時荒れていた。
高校を出て、仕事に就いてからも、つっぱっ
た態度は、改まらないでいた。
会社でも、みんなからうとまれた。
Mだけだった。
そんな自分に、優しく接してくれた。
長所を見つけては、褒めてくれた。
嬉しかった。
ある日、仕事が終わってから、喫茶店に誘っ
た。女の身で、恥ずかしかったが、告白した。
Mは、目を丸くして、
「こんな俺で良かったら」
と、受け入れてくれた。
三年は、夢のように過ぎ去った。
あんな楽しい時代は、サチの人生で初めてだ
った。
それが、・・・・・・。
あのいまわしい事故で、すべてが終わってしま
った。彼はバイクで通勤していた。
帰宅途中に、交差点で、ダンプカーに巻きこ
まれて死んでしまったのだ。即死だった。
サチは、神様をうらんだ。
Mに、抱かれているんだ。
サチは、無理にそう思おうとしていた。
今までも、見知らぬ誰かに抱かれるたびに、そ
う思ってきた。
あと、十分で、行為が終わる。
サチは、いちにいさんと、声を出さずに
秒数を、ゆっくり数えた。
男は、自分だけで楽しんでいた。
機械のようにピストン運動を繰り返した。
サチは、もうくたくただった。
両足を自分では動かせない。
下半身に、男の体重をずっと感じていたのだ。
薄暗い部屋の時計をながめていた。
もう数分。
サチは、男の右肩を、右手で軽くたたいた。
「おじさん、もう時間になるよ」
「まだまだ」
男は、スカートの中から顔を出した。
まるでアシカが水の中から、ぬっと顔をだ
したようだった。
アシカが、サチの顔の前に、お尻を持って来た。
かたい棒のような物を、サチの口に持って来て
「なめろよ」
と、えらそうに、人間の言葉でしゃべった。
サチは、腹が立った。
アシカのくせに、何をいってるのだ。
「これは、反則だ」
と、サチは、アシカに向かって抗議した。
誰かが外で、ドアをたたいているのが、聞こえた。
「ほら、時間だっていったでしょ」
アシカの顔が、ふいに人の顔に変わった。
下着を身につけはじめた。
衣服を身につけるにつれて、実直そうな人物
に変身していった。
サチは、その変わりようを、興味深くベッドの
中から眺めていた。
ネクタイをしめて、出来上がりだった。
男は、アシカの顔をして、ふっと笑った。
ドアを開けて、外に出て行った。
誰かと、ぶつぶつやり取りをしているのが聞こ
えた。
サチの下半身は、男のつばやよだれで、ねば
ついていた。
「ああっ、気持ち悪い」
と、バスルームにとびこんだ。
シャワーで、身体を隅々まで洗った。
ルリが、部屋に入ってきた。
「どうも御苦労さん」
バスルームの中の女の裸に、声をかけた。
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