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じわり その10

 ここは街の郊外である。
 中心部から車で二十分くらいかかり、町というより村に近い。
 必要以上に、他人のことに首を突っこみたがる人が多い。
 朝早くから、ボストンバッグをさげた姿を見られたくなかった。
 B子は携帯電話をとりだすと、タクシーを呼んだ。
 「大通りまで出ていますから。わきに給食センターがあります」
正確に場所を告げた。
 手帳のアドレスページをめくった。
 無意識に、昨夜乗ったばかりのタクシー会社を選んでいた。
 何してるんだろ、あたし。
 電話をしてから、B子は自分でもおかしくなった。
 口もとから、ふふっと声がでた。
 鞄は重く、何度も地面におろした。
 新婚旅行で使ったきりだ。
 戻れるものなら、あの頃のふたりに戻りたいと思う。
 だが、すぐにYとの縁はこれまでだと思いなおした。
 命ともいえる薬を隠したのだ。
 とぼけていたが、夫の仕業である。
 間違いない。
 長年いっしょに暮らしてきたのだ。
 どんな時に、どんな態度をとるかくらい、分かっていた。
 何よりも、誠実味がまったく感じられなかった。
 ああっ、終わりだ。今しかないのだ、と思った。
 JR駅まで向かうつもりだ。
 実家は東北線の沿線にあった。
 建物の陰で、待っている。
 幸い、誰にも行きあわない。
 タクシーは、ほどなく着いた。
 後部座席が開いた。
 B子は、先にボストンバッグを座席の上に押しやり、続いて自分が乗った。
 「お願いします」と、運転席に声をかけた。
 「はいっ」
 威勢のいい男の声が返ってきた。
 聞き覚えがあった。
 バックミラーで確かめる。
 夕べの運転手だ。
 話が出来すぎている。
 作り話みたいで、おかしくなった。
 鏡に映ったMの顔が、ほほ笑んでいる。
 「逃げだして来ちゃった」
 B子は、思わず本音をもらした。
 返事がない。
 Mが沈黙しているのは、B子には気にならない。
 「実家に帰ろうと思って」
 正直につづけた。
 職業柄、色んなことがある。
 見たり聞いたりしているのが、いやになることもたびたびだ。
 小説のネタになるから、と我慢している。
 客のもめごとに、いちいち口ばしをはさめない。
 また、はさみたくもなかった。
 第一そんなことをしていると、身が持たなかった。
 
 駅の屋根が、坂道の頂上に見えてきた。
 B子は首を曲げて、見慣れた景色を見つめている。
 もう見ることは出来ないかもしれない。
 そう思うと、涙が頬をつたった。
 駅前のロータリーをまわる。
 「仕返しをしましょうや」
 運転手が、ぼそりとつぶやいた。 
 B子が前を向いた。
 「今、なんて」
 「このまま引き下がるんですか」
 この男にしては、めづらしく気色ばんでいる。
 「男として、いや人間として許されませんぜ」
 口からほとばしり出た。
 車が停まった。
 指定の場所から少し離れている。
 乗り場に、客の列が出来ていた。
 「私に同情してくれるんですか」
 B子が訊くと、男はうなずいた。
 「考えがあります。ちょっと付き合って下さい」
 タクシー待ちの客のそばを走りぬけて行く。
 おおいっ、ここだぞっと声がかかった。 
 大通りから路地に入り、古いアパートの前で止まった。
 「俺、ひとりなんです」
 「はい」
 自分でも可笑しくなるくらいに、B子は素直にMに従う。
 Mに続いて、二階にのぼった。
 ドアが開いた。
 「ここで待ってて下さい。出来るだけ早く帰ってきますから」
 「すみません」
 「散らかっていて、悪いんですが」
 「大丈夫です」
 「冷蔵庫の中に、食べる物があります」
 MはB子の体を部屋の中に押しこむと、すばやくドアを閉めた。
 急いで、車にもどって行った。
 部屋は匂った。
 男くさい、とB子は鼻をつまんだ。
 襖を開けて、奥に進む。
 B子は窓を開けると、新鮮な空気が入りこんだ。
 布団が敷きっぱなしになっている。
 枕元には小机があり、書きかけの原稿用紙が広げてあった。
 黒い万年筆がその上にのっている。
 投げだしたままの本や、丸めた紙クズが散乱していた。
 物書きさんなんだわ。人は見かけによらない。
 B子は、そう思った。
 からだが、勝手に動きはじめる。
 あちら、こちらと片づけはじめていた。 
 
 

じわり その9

 スリッパの音が、襖の向こうで聞こえた。
 B子が階段を降りて来るところだ。
 くっくっと、Yはくぐもった声で笑った。
 まずいと思ったのか、さっと右手を口に当てた。
 今に大騒ぎになるぞ。ざまあ、見ろ。
 Yは、そう思った。
 だが、次の瞬間、Yは首をひねり、顔をゆがめた。
 苦しそうである。
 良心の呵責に耐えかねている風情だ。
 ふいに悪意がもりかえしてきた。
 水平線の上に黒雲がむくむくわきあがり、見る間に青空をおおう。
 そんな光景が、Yの心の中でくりひろげられた。
 
 Yは、布団から起き上がると、パジャマをぬぎ捨て、衣服を身に付けはじめた。
 よしっと声をかけると、襖を開けた。
 B子がパタパタとかけてきた。
 青ざめた顔をしている。
 「あなた、知らないっ」
 必死の形相で、Yの目を見つめた。
 「何がだ。そんな顔して、一体どうしたんだ」
 知らぬふりを決め込む。
 「薬が、・・・・・・」
 B子はそう言って、肩を落とした。
 「くすりっ。薬なら、いつものところだろ」
 何気なくいう。
 「ないのよ。それが」
 うつむいたまま、かぼそい声をだした。
 B子は、Yの手をつかみ、
 「お願い、あなたっ」と、涙を見せた。
 「なんで、俺に願うんだ」
 「あなたじゃないの」
 「変なことを言うな。俺が隠したとでもいうのか」
 Yが怒りだした。
 「あれがないと、あたし・・・・・・」
 その場にくず折れるように、しゃがみこんだ。
 YはB子のわきを通り、つきあたりを曲がる。
 観音扉を開けた。
 探すふりをした。
 「ほんとに、ないな」
 がっかりしたような声をあげた。
 B子は立ちあがった。
 Yが、知らない筈がない。
 きっと、薬を隠したんだ。
 あたしが邪魔になったんだ。
 若い女が出来たんだから。
 そんな言葉が、女を抱いたYの姿とともに、脳裏にうずまいた。
 B子はとぼとぼ歩きだし、居間の敷居をまたいだ。
 仏壇の前にすわった。
 ろうそくに火をつけ、線香をあげた。
 両手を合わせる。
 「おとうさん、おかあさん。長い間お世話になりました」
 Yは廊下に立ったままで、B子を見ている。 
 「なんだい。その言い草は」
 B子は、Yに背をむけたままだ。
 返事をしない。
 急に立ちあがり、早足で歩き出した。
 Yのわきを通る。
 「ちょっと待てよ」
 Yは、右手でB子の手をつかもうとしたが、B子はその手ををかわした。
 二階に上がって行く。
 しばらくして、旅行用のかばんを手にしておりてきた。 
 「あなた、あたし、実家に帰ります」
 玄関のあがり口で、軽く頭をさげた。
 「今頃帰ったって、実家に居場所がないだろうに」
 「大丈夫です」
 B子はそそくさと靴をはくと、外に出た。
 ガチャンと戸を閉めた。
 Yの顔が、ぱっと明るくなった。
 こんなに効果があったとは、とほくそ笑んだ。
 
 

じわり その8

 目覚めると、あたりが暗かった。
 暗いなんてものじゃない。
 ほとんど何も見えなかった。
 そんな筈がない。
 窓から朝陽が差しこんでいるわけだ。
 B子、と大声で呼びそうになる。
 いや、俺ひとりだと、Yは思いなおした。
 夕べ遅く、一階の寝室の布団に入った。
 とても寝苦しくて、一匹二匹と羊を数えはじめた。
 何にも聞こえない。
 暗黒の世界に、ぽつんとひとりいる。
 そんな気分だった。
 なんだか胸がひんやりする。
 くそっ、何だと言うんだ。布団の上にいるのに。
 Yは、腹が立った。
 布団がやわらかい。
 やわらかすぎる。
 右手を立てると、ズブッとめりこんだ。
 思わず、ひえっと叫んだ。
 何かが、Yのからだをつかんだ。
 手だ。
 一人や二人じゃない。
 両脚の付け根から、つま先まで手だらけである。
 Yは目を見張った。
 頭のそばで、ガボッと音がした。
 両手でまさぐる。
 人間の頭のようだ。
 フードをかぶっている。
 凹凸のある部分をなぞった。
 ひたい、目、鼻。
 鼻の下に手が行った時、穴があった。
 右手を差しこむ。
 途中で固い物にぶつかり、小刻みに手を動かした。
 ガブリとやられた。
 あわてて手を引きぬいた。
 何なんだ、一体。
 脚をつかんだ手が動きはじめた。
 Yのからだを引っぱる。
 布団の中に、ずぶずぶと引きずりこまれていく。
 首と両腕だけが、布団の上に出ていた。
 もう、だめだ。
 Yは、死を覚悟した。
 
 はあはあ、はあっ。
 荒い息遣いで、Yは本当に目が覚めた。
 部屋の中が明るくなっている。 
 時計を見ると、午前六時だった。
 ひたいや首のまわりに、汗がにじんでいる。
 箪笥の引きだしからタオルを取りだすと、Yは体をごしごし拭いた。
 悪い夢だったな。
 俺の右手をかじった奴は、一体何者だったのだろう。
 シニガミ。
 いや、そんなばかな。
 Yは脳裏に浮かんだとたんに、その言葉を打ち消した。
 かじられたはずの右手を、Yはじっと見つめる。
 痛みが残っているように感じて、左手で夢中でさすった。
 あんな夢を見たのは、F子にわめかれたせいか。
 それとも、・・・・・・。
 Yには心当たりがあった。
 具合の悪いことだと知りながら、やってしまったことがある。
 F子をとるか、今までどおりB子と暮らすか。
 B子には悪いが、若くて丈夫なのは、もちろんF子だ。
 あいつとだったら、セックスだって、思う存分やれる。
 俺だって、あっちの方はまだまだ若いんだし。
 Yはそう結論づけると、口元に薄笑いを浮かべた。
 その顔がアイツにそっくりだ。
 泥沼に引きずりこんだ死神の顔だった。
 
 
 
 

じわり その7

 玄関の戸が、がらっと開いた。
 Yは、妻の靴を確認すると、「ただいまっ」と、廊下の奥に声をかけた。
 耳を澄まして、返事を待った。 
 Yにとっては、こんなことは珍しい。
 いつもなら声もかけないで、さっさと上がりこむ。
 今夜のYは、ちょっと変わっていた。
 辺りが気になるのか、きょろきょろしている。
 いつまでたっても、妻の返事がなかった。
 家から少し離れたところで、F子の車を降りた。
 「出来るだけ早く、別れて」
 ドアを閉めるまで、F子はわめいた。
 うるせえな、といつもの調子で叱ったものの、玄関に入るまで
Yはいらいらしていた。
 F子を失いたくない。
 かといって、女房をすぐにどうこうすることも出来ない。
 とりたてて、別れる理由がないからだ。
 病弱であるのに、主婦業をなんとかこなす。
 夜の勤めが果たせないのは、しょうがない。
 もとはと言えば、Yがいけなかった。
 腹が立つと、すぐ物に当たる。
 それが怖くて、B子は、Yの顔をまともに見られないようになった。
 何かされるんじゃないかと、びくびくするようになってしまった。
 
 居間は、開け放たれていた。
 妻はそこにいない。
 だが、彼女がついさっきまでいたことを、丸まった掛け布団が物語っていた。
 電気こたつのわきに、Yはどっかとすわりこんだ。
 テレビがつけっぱなしになっていた。
 たいして面白くもないのに、がははっと笑う、芸能人の顔をぼんやりと見つめた。
 十分くらいたっただろうか。
 カチャン。
 台所の戸が開いた。
 「あら、お帰りだったんですね。声をかけて下さればいいのに」
 妻が居間に顔を見せた。
 Yは返事をしない。
 テレビを見たままである。
 B子は肩すかしをくらって、気づまりを感じた。
 くそっ。何だ、この男は、と思う。
 若い女を抱いているYの姿が、脳裏に浮かんだ。
 心の動揺が収まらないでいる。
 だが、ストレートにののしるわけにいかない。
 何よりも自分のためだ。
 興奮が許されない身体だ。
 「夕飯がテーブルの上にありますから。すみません。
お先に休ませていただきます」
 やんわりと言って、階段を上がって行った。
 B子の手はぶるぶる震えていた。
 午後十一時前fだった。
 喫茶店でサンドイッチをつまんだぐらいだったが、Yはそれほど空腹を感じない。
 なぜだか胸がいっぱいだった。
 ふいに立ち上がると、廊下を歩き出した。
 足もとがふらついている。
 時折、壁にぶつかる。
 突き当たりを左に曲がった。
 スイッチをいれると、廊下が明るくなった。
 観音開きの戸を開ける。
 棚に薬箱があった。
 Yはふたを開け、白い袋を手に取った。
 眼鏡をつかみ、上にずらした。
 B子の名前を見つけると、上着の内ポケットにそっとしまった。
 俺、何だってこんなことを。
 悪いこととは知りながら、Yの体が動いた。
 まるで何ものかに操られているようだ。 
 
 

じわり その6

 ラブホテルの一室。
 時計の針は、午後八時を少しまわった。
 裸のYが、女の上に乗っている。
 女は、両手で、Yの肩を軽くたたいた。
 「ねえ、あんた。起きてよ」
 熟睡しているのか、なかなか目覚めない。
 「起きてったら」
 両手にぐっと力を入れ、Yを持ちあげようとした。
 とても重い。
 Yの上体が、女の腕からはずれ、胸にかぶさる。
 息がつまりそうになって、女は、うっとうめいた。
 「もう、いやだあ」
 女の声は、悲鳴に近かった。
 「うんっ。何だ」
 ようやく、Yが目を覚ました。
 自ら、ごろんと転がる。
 女は素早くベッドからぬけ出すと、シャワー室に向かった。
 Yはベッドの端にすわり、きょろきょろしている。
 壁にかかっている時計を見るなり、衣服を身に付けはじめた。
 十分後。
 女は浴衣を着たまま、鏡の前で長い髪をブラシですいている。
 Yの姿が鏡に映ると、女の表情がくずれた。
 「湯上りのお前。いつ見てもきれいだな」
 Yは、すばやく両手で女の身体を抱き、うなじに唇をよせる。
 「お上手ね。相変わらず」
 女はそう応えると、白い歯を見せた。
 Yのしつこい愛撫がつづく。
 舌が耳の穴に差しこまれた時、女はふううっとため息をついた。
 女の体がくるっとまわった。
 鏡に女の背中が映り、すぐに見えなくなった。
 あえぎ声が室内に響いた。
 
 赤い車が夜道を走っている。
 「遅くなっちゃったわ。あんた、奥さん、大丈夫」
 「平気さ。女房には、何とでも言いわけするから」
 「あと五分くらいで着くわ」
 女は、独身貴族。
 そう言えば格好がいいが、実情は違った。
 早く結婚したいのだが、人一倍やきもち焼きのYが、容易に手放してくれないのだ。
 「ねえ、どのみちあたしを放さないつもりなら、一緒になってよ」
 正面を向いたままで、思い切った言葉を口にした。
 「うんっ、そうだな」
 珍しく、Yは、はっきり応えた。
 助手席で目をつむり、腕を組んだ。
 「奥さんと、別れてっ」
 女は、二の矢を放った。
 声が、かすれていた。
 

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