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今でこそ、「どこやねん、それ」と言われそうな田舎町ばかりに好んで行くようになったけれども、 私が初めてイタリアを訪れた年は、ローマ、アッシジ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ミラノを 個人旅行で周遊する王道(?)の人気都市コースでした。 写真は、その年にヴェネツィアで撮ったもの。 ヴァポレット(水上バスのようなもの)のサン・ザッカリア停付近の夕暮れです。 満潮、というのでしょうか。停泊しているゴンドラが陸にあがって来そうな勢いです・・・というか、 実際に打ち上げられています(笑。 その横には、どんどん満ちてくる水も、港に上がって来てしまった商売道具も、
河岸を歩いていた私は、少し怖くなり、サンマルコ広場の方へ移動したのですが・・・ サン・マルコ広場もスゴイことになっていました。少量ではありますが、 雨でもないのに広場全体が水溜り、という状態。しかしヴェネツィアでは こんなものはごく普通の風景で、酷い時には膝上ぐらいまで広場が浸水する、 Aqcua alta(アクア・アルタ/高潮)という現象が起こるのだそうです。 そもそもヴェネツィアという街は埋め立て地なので、「地盤沈下」がアクア・アルタの一番の要因。 でも、環境の変化が関係していることも事実です。 温暖化によって、南極の氷がどんどん溶け、世界中の海の水位が上がっている。
そんな話を聞くたびに、ヴェネツィアを思い出します。 イタリア国内でも他に類を見ない「美しき水の都」が、
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イタリア旅行記(〜2005)
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2005年6月の南イタリア・シチリア旅行で体験した「マンマ・ミーア」なできごと。2003〜2005年のイタリア旅行をまとめた管理人のホームページ「そうだ、イタリアに行こう」もご覧ください。http://www.h2.dion.ne.jp/~public/index1.html
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シチリアの州都パレルモから、バスで南下すること約2時間。 山の斜面にひしめき合うように民家が乱立する町がありました。 パレルモからの道中、車窓から見える山肌むき出しの乾いた大地には、 「生活」の臭いが微塵も感じられません。 そんな風景の中に突如として現れたこの景観はインパクトがありました。 町の名前はPrizzi(プリッツィ)。 ゴッドファーザーの故郷Colreone(コルレオーネ)村の近くです。 同じ『重なり合うように家が建ち並ぶ町』でも、 南イタリアのポジターノやアマルフィのようなカラフルさがありません。 でも、決して美しくはないこのアースカラーの町こそイタリアのスタンダードだと私は思います。 ところで、シチリアといえば・・・・
パレルモとカターニアのカルチョがメチャクチャなことになっているようですね。 英国のフーリガンも真っ青。立て続けに死者が出るような暴動は異常です。 昨年、世界中がW杯に熱狂する中、 「Non mi interessa al calico.」(ぼくはサッカーには興味ありません♪) と言い放った先生(イタリア人)は、やっぱり平和主義者です(笑。 |
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今日は、シチリア屈指の世界遺産「アグリジェント」をご紹介。 6月下旬のシチリアは、既に真夏日。抜けるような青空に、照り付ける太陽、乾いた大地…。 パレルモ発の長距離バスに乗り、車窓からサボテンや岩肌むきだしの低い山々を眺めていると、 「シチリアは、ヨーロッパと言うよりほとんどチュニジアですからー。ほほほっ」 と笑っていたCST(このアグリジェント日帰りツアーを申し込んだ、現地の旅行代理店)のお姉さんの言葉を思い出しました。 バスに揺られること約1時間半、やっとたどりついた 紀元前580年に古代ギリシャ人が築いた殖民都市。遮るもののない荒野の中に、点々と散在する遺跡群にはギリシャ神話の神々の名が与えられています。シチリア旅行では「必見」とされる古代遺跡群なのですが…、この神殿と神殿の間の距離が、けっこうあるんです!炎天下の大地を、歩く、歩く・・・。陽射しが強く気温も高いけれど、ニッポンの夏ほどの湿度がないことが、せめてもの救いです。 写真は、上から コンコルディア神殿 ヘラクレス神殿 ジュピター神殿に横たわるティラモーネ(巨人) 双子神(カストルとポルックス)の神殿 ほぼ完璧なままで残っているコンコルディア神殿は、夜になるとライトアップされてさらに幻想的な雰囲気になるとのこと。しかし、
レンタカーでも借りない限り、旅行者が夜にこんな場所に行くのは不可能です(笑)。 コンコルディア神殿のライトアップを見るには、近くのホテルに泊まるしかなさそうです。 |
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前回(っていっても、だいぶ前になりますが・・・)に続いて、ヴェネツィアの「橋」ネタを。 イタリア語の授業で、ヴェネツィアの「リアルト橋」の歴史についてのリーディングを行ったことがあります。ヴェネツィアを訪れたことのある方なら誰もが一度は渡ったことがあるであろうリアルト橋は、フィレンツェのヴェッキオ橋と並んで、イタリアでは有名な橋のひとつ。 ずーっと昔、今の形になる前は「木製」だったのだそうです。1524年にその木製のリアルト橋が崩壊した際、ヴェネツィアの市民は「石材」で作り直すことを決定。いくつかの設計案が持ち寄られて討議される、いわゆるコンペティションが開催されたとのことです。 そのコンペにおいて有力だったのが、下の写真の案。 あのPonte Rialtoがこうなっていたかと思うと、「マンマ・ミーア」です。 これはもう「橋」の領域を超えています!巨大なショッピングモールです。(今のリアルト橋も、じゅうぶんショッピングアーケードっぽくはありますが) ところが、派手なものやお金のかかることを好まなかったヴェネツィア共和国の市民の反対を受けて、今のシンプルな形になったのだそうです。
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