書庫:新田次郎作品

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以外にも、少年冒険小説なんです。

  帯封にも描かれていますが、生誕100年を記念して新たに発刊されている
  作品です。
  調べたところ、過去にNHKでドラマ化されたそうですって。
 
  新田次郎さんは山岳小説の大家と有名ですが、少年向けに書かれて作品が
  あるなんて知りませんでした。
 
  でもさすが山岳小説を書かれていただけあって、秘密の洞穴を探索する時の
  晴雄(恵子先生の弟で大学の山岳部)の行動や持ち物・道具類が克明に描か
  れています。
  また、主人公の紫郎は、晴雄や全ての秘密を握る「白髭さん」なる老人を通して
  成長していく様は作者の温かい心が反映されてると思われます。    
 
 アマゾンより抜粋
 
 両親を海難事故で亡くした六年生の紫郎は、岩場に耳を当て、海のつぶやき
 を聞くのが好き。
 
 それは母の声のように響く。
 ある日、崖の半ばに人影を一瞬見た。幽霊を見たのか。先生の協力を得て、
 謎の人物の解明に乗り出すが、謎は謎を呼び、ついには死者が。
 息詰まる冒険と暗号解読を経て紫郎は、崖の秘密、両親の死の秘密を掴む
 のだが……。
 
 物語の神様、新田次郎が描く少年冒険小説。
  夏休みの読書感想文にお勧めかと言うと、かなり古い記述や表現なので
  お勧めはできません。
 
  ってことで、お姉ちゃん達には別の作品を勧めることに。
  最近オタク化しているので、米澤穂積の「氷菓」やね。
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文藝文庫から復刻版「雪のチングルマ」が発刊されてます。

  こちらは、短編集ですがそれぞれ後に余韻を残す作品集です。
 
 


 雪のチングルマ
 大学の登山部に所属の湯谷は、先輩4名と冬の穂高へ向かった。
 途中、怪奇な現象に遭遇しながら雪山へ挑む。
 その途中で湯谷に口ずさんだ「おお寒む こ寒む。山から越小僧がとんできた・・」
 と幼いころに祖母から教わった童謡から悲劇がはじまる。
 

 羽毛服
 作家の矢村五郎は地元の案内人・大島と伴に、過去に起きた遭難事故の確認
 をする為、行方不明となっている竹原澄夫の足取りを追う。
 竹原の足取りを追いながら、現地の人への聞き込みをするうちにある手掛かり
 をつかむ。
 不明となった原因の一つに竹原自信の義理がたい人柄が発端こと知る。
 

 コブシの花の咲く頃
 志賀高原白熊ホテル従業員の小林は、ある日遅く到着した1組の男女を迎える。
 折しも、スキーシーズンで雪道で車での到着が遅れたのは珍しくな無いが、やや
 気にかかる。
 翌日、スキーに出かけた昨晩の男女が夜遅くなっても帰ってこない。
 遭難者捜索として雪山へ捜索隊として小林も探しにいくのだか・・。
 思いもよらぬ展開へ。
 

 春富士遭難
 磯川栄治はベテランの登山者で、仲間と富士山へ向かう。
 春といえども、富士山はまだ雪が残るが雪中登山訓練として宝永山にビバーク
 をするのだか、季節外れの異常寒波で遭難する。
 今回、山岳会と関係のない若い奈原はゲストとして参加している為にリーダーの
 磯川は奈原だけでも無事下山させようと努力するのだが・・。
 悲しい結末に、後を引く余韻を残すストーリーです。
 

 赤い徽章
 アルパインガイド協会の資格を得た佐原悦子は友人の鈴谷文子を涸沢で行わる
 ガイド講習へ誘う。
 鈴原は若いころに会社の山岳部に所属していたがグリセードで大けがをして山
 から遠ざかっていた。しかもグリセードのけがによるトラウマのあった。
 ガイド講習では全てに於いて初心者から秀でる才能があったが、グリセードが
 出来ないだけに合格をもらうことができなかった。
 担当の講師は若いころに大けがをした時、救助してくれたガイドではあったが、
 当時の事は忘れていたようだ。
 恋心を抱きつつも、講師との距離はもどかしいまま。
 ある日、講習のカリキュラムが終わった後、ライバル心むき出しの佐原に誘われ
 るまま穂高の頂きへむかうのだが、そこで遭難に遭ってしまう。
 

 真夜中の太陽
 作家の大滝太郎はアラスカ取材へ向かう。
 現地の日本人商社マン府佐武の案内でアラスカを旅行するのだが、白夜での
 睡眠不足で体調がすぐれない。
 そこで体験した大自然とそこに住むアラスカ気質について書かれています。
 
 この「真夜中の太陽」は作者:新田次郎さんが「アラスカ物語」を随筆するための
 取材旅行が題材になった体験記だと巻末の解説にも描かれています。
 「羽毛服」もとある遭難事故の題材をとおして、著者が小説の主人公になってい
 ます。
 このような作品がまだまだ沢山あるようですが、多くの著書が廃版となっており
 大きな図書館に行かないとお目にかかれそうにないようです。
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新田次郎さん著書「冬のチングルマ」の復刻版です。

内容紹介

童歌(わらべうた)をうたうと必ず雪崩で死ぬという怪談に抗(あらが)いながらも囚われた若者の苦悩と悲劇を描いた表題作、アラスカ現地に取材した異色の傑作「真夜中の太陽」、実感をこめて富士のおそろしさを表現しきった「春富士遭難」、スキーヤーの身勝手さを衝く「コブシの花の咲く頃」など全6篇を収録。円熟期の傑作山岳小説集。 解説・近藤信行
 
と、発刊元にコメントが掲載されておりました。
 
発売は2月10日
価格は¥660
 
こちらの地方の小さな図書館では新田次郎作品の少ないこと・・・。
過去に書かれた作品のほとんどが所蔵されていません。
 
先に復刻された「霧に子孫たち」など、これからも過去の作品にスポットを当てて
ほしいものです。
 
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新田次郎さんの学童鍛錬での遭難事故が題材となった小説。

 帯封のも書かれてます、大正2年の8月の伊那駒ケ岳での夏の遭難事故で
 学童と教師の壮絶な山岳事故が描かれてます。
 
 8月と言えども伊那(=木曽)駒ケ岳2956Mの中央アルプスの主峰とされる
 ※勝手に主峰と位置付けてます
 山は夏でも残雪が残るほどなので、ひとたび天候不良になれば一気に季節は
 冬並の寒さと強風にさらされる環境なのでしょうね。
 
 九州では精々1700m級のくじゅう連山でも雨が降れば夏場でも震えがくる
 ほど寒いです。
 その倍もの標高下での登山は遭難もあり得るのでしょうね。
 
 お気楽で脳天気な山遊びの私も少しは危機管理を持って山に挑みたいと
 思う作品でした。
 
 参考までに下記参照を。
あらすじ(ウィキペディアより抜粋)
大正時代、中箕輪高等小学校(現在の中学校)では白樺派教員とそれに反対する教員や村の助役、郡の視学との対立が始まりつつあった。
このような中、校長の赤羽長重は毅然とした態度で教師たちをまとめ、実践主義的な教育を行っていた。
大正2年8月26日、赤羽校長は集団宿泊的行事として前々年より定着しつつあった木曽駒ケ岳登山に、生徒25名、地元の青年会員9名、引率教師2名と共に総勢37名で登山に出発した。

綿密な計画が練られ、過去の経験を基にした詳細な計画書が全員に配布され、また、地元の飯田測候所にも逐一最新の気象状況を照会するなど、当時考えられる対策はほぼ全て取られていた。
 
また町の予算により学校は運営されているため、予算削減の折り前年まで付けていた地元のガイドを雇うことはできなかった。
一行は、すぐれない天候の中ではあったが、山頂にある伊那小屋で1泊する計画であったため、予定通りの山行を決行した。
稜線に出る頃には、暴風雨になったが、何とか伊那小屋にたどり着くことができた。
実は、当時の観測技術では判明しなかったが、小笠原海上で発達した台風が猛烈なスピードで、同時刻に東日本を通過中であった。
しかしその当時の気象は大まかなデータを基に予報されていたので台風の接近
も低気圧が太平洋を北上している程度しか把握できず進路・上陸時期などの詳細情報を知ることは皆無だった。
その為、先日と当日の気象庁予報も、天候が大きく崩れる事が予想できなかった。
 
さらに頼みの綱の小屋は半壊状態であった上に、心無い登山者によって失火の上、石垣のみの無残な姿に変わってしまっていた。赤羽は、周辺のハイマツ等を手分けしてかき集め、全員の雨合羽も利用して仮小屋を設営し、ビバークを試みた。
しかし、漏水のため火を焚くことができず、体力を失っていた生徒が疲労凍死(低体温症)するに及んで一行はパニックに陥っいり、一部の有志として参加していた青年会員の若者が、赤羽ら引率教師の指示に従わず、我先にと屋根に変わり使っていた雨合羽を奪いあい散り散りになって無謀な下山を開始した。
屋根の代わりの雨合羽を失うと、仮小屋はその機能を果たせず、残った生徒たちも危険な下山の道をバラバラに取り始めた。
赤羽ら教師は、体力のない生徒や、雨合羽を吹き飛ばされて装備の十分でない生徒をかばいながら、やむなく下山の途に出ざるを得ない危地に陥った。
結果的に、樹林帯にたどり着けた者は生存し、稜線上で力尽きた者の多くが生命を落とした。その中には、生徒に防寒シャツを与えて救おうとした赤羽校長の姿もあった。総計11名の尊い命が失われる大遭難事故となってしまった。
上伊那郡教育会は、稜線上の遭難現場に「遭難記念碑」を設置し、「記念」の言葉の中に、決して事故のことを忘れ得ないようにという思いを込めた。
 そういえば、トムラウシ山の遭難事故も同じような事だったではないでしょうか。
 
 強靭で経験豊富なリーダーが引率してもこのような事故が起こりうる事を考えると
 
 一人一人の登山へのスキル(=能力)が重要になってくるのでしょうね。
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高度成長時代に道路開発を反対し自然保護進めた方々のお話

  久しぶりの新田次郎さんの作品を読んでみました。
  
  1980年2月に新田さんが亡くなって30余年が経ち、昨年の「点の記」が流行
 
  になってからその他の小説が復刻・増刷されています。
 


  

またまた、ザックリと作品紹介

 1960年初頭。時代は高度成長を迎える日本では各地で道路網が拡大して
 
 おり、舞台の霧ヶ峰・昭和八島ヶ原湿原から旧御射山遺跡にも貫通する観光
 
 道路建設の計画が持ち上がった。
 
 しかし、霧ヶ峰一帯は長い年月をかけ独自の生態系を築いた自然があります。
 
 その自然を守る為、地元の方々が有志を募り、自治体・政府へと働きかけて
  
 道路計画ろ変更するまでのお話です。


 
 この高度成長期に自然を優先する先代の考えはすごいと思います。
  
 くしくも同時期の1964年に別府〜阿蘇一宮を通る「やまなみハイウェイ」が
 
 同時期に建設・開通しております。
 
 すでに1934年に阿蘇くじゅう国立公園として保護されていましたが、何かの
 
 利害関係で開通したのか・・・。
 
 現在では無料になって、くじゅう連山の各登山口へ出向くのに便利になってます。 
 しかし、やまなみハイウェイの沿道にはラムサール条約で環境保全に指定された
 
 長者原湿原など、貴重な動植物が生息する地域が点在しています。
 
 地域の観光も必要ですが、観光客を呼ぶ目玉となる自然も大切ですね。
 
 なかなか両立するのは難しい問題です。

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