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オタクになっていなかったら
確実にグレていただろうと思う男・隊長です。
お絵描きが好きで、漫画が好きで、
必然的にアニメ好きになるという王道を歩んでまいりましたので、
立派なオタク人生を歩んできました。
世を儚むには楽しいことがありすぎる。
家が貧乏なのも親がどうしようもないのも
別に社会のせいにするほど斜に構えることもなく、
反抗心で世間にツバをはくほど荒むこともなく、
どうにかこうにかまっとうに生きてこれたのも、
やりたいことにやり甲斐を感じられたのがよかったのかな。
しかし、小学校の時の貧乏は辛ろうございました。
特に精神的に。
幼稚園や小学生は何気なく相手を傷つける言葉を言いますからね。
中学・高校になって貧乏が改善されたわけではないのですが、
それなりに年齢を重ねたせいか諦めが入ったせいか、
日常的には貧乏で思い悩むことは減ったような気がします。
“貧乏度”で言うと小学生の頃より悪化していたはずなんですが、
新聞配達もやってましたし、奨学金ももらえましたしね。
また、高校での友人達はオタク趣味で結ばれた仲でしたので、
別に貧乏がどうかなんて意識しなくてよかったですから。
小学生の時、あれほど友人を招くのがイヤだった家にも
高校の時にはとりあえず普通に呼んでました。
もちろん飲んだくれゾーンの時には呼べませんが。
そう、家。
幼かったわたくしの最初のトラウマは家でした。
ホームではなくハウス。
物理的な住まいが幼心に影を落としました。
我が家は小学校同学年でも1・2を争う狭くてボロい家でした。
どれだけ狭いかというとですね、
わたくしの住んでいた家の敷地は三角形をしていて、
道路に面している側を底辺に、
奥に行くほど狭まって頂点に行き着きます。
なんと、両隣のAさんBさんの敷地が
わたくしの家の背後で隣同士で接していました。
Aさん宅もBさん宅も決して大地主というわけではありません。
普通の一軒家です。
いかにうちの敷地が狭かったかがわかると思います。
その文字通り猫の額のような土地に
戦後すぐに建てられたバラックのような一軒家が
建っていました。
まともに部屋と呼べるのは4畳半が2間だったんですが、
そのうち1間はわたくしが幼稚園の頃は他人が住んでました。
ただでさえ狭いのに。
薄〜い板壁の向こうに赤の他人が住んでる。
たしか寝たきりのじいさんだったと思うんですが、
うちと血縁関係はいっさい無い人でした。
他には1畳足らずの玄関上がり口と2畳程度の部屋(?)
子供心には玄関口の1畳も「部屋」として認識していました。
次にボロさなんですが、
これは貧乏生活の紹介とセットになりますね。
今でも山奥の山村なんかにはあるかもしれませんが、
戦前まで遡らないと見つけられないような
プレミア環境がてんこ盛りでした。
●台所は土間。
・・・さすがに飯炊きは釜ではなく炊飯器でしたが。
●流しは粗目のコンクリート。
・・・と言っても見たことがない人には想像つかないでしょうね。
●トイレはボットン便所で便器も無い板張り。
・・・今は殆ど見なくなったちりがみです。
汲み取りの間隔が開く正月休みは悲惨でした。
●風呂は木の風呂桶に鉄釜が付いて石炭と薪で沸かす。
・・・その上、若干、離れみたいになってましたので
風呂に入るのに草履を履いて行かねばありません。
雨が降ったら濡れました。
●電話なんかもちろん無くて隣で借用。
・・・クラスの連絡網に自分の所だけ
「TEL00-0000(○○様方)」
と書かれるのがイヤでした。
●天井が極端に低い。
・・・176cmまで成長した高校生の頃、
なんと電灯の傘がわたくしの目線と同じ高さでした。
だから今でも、天井が極端に高いと眠れません。
●屋根には瓦があるのかないのか。
・・・「隊長くんの家の屋根には草が生えてるよねー。」
小学校の頃、他人から言われて非常に傷ついていた言葉です。
何やらわからないボロテント生地や土塊の間に
瓦が混ざってるみたいな屋根でした。
当然、雨漏りし放題です。
●その他、
壁は薄い横板のみで、節穴があるとそこから外が見える・・・とか、
そういうすき間が沢山あり、ネズミもムカデも入り放題・・・とか、
建て付けもユルユルで、逆に台風や地震時には傾いて強い・・・とか。
これだけのアンビリーバボーな家が
さらに驚くべきことに
借家でした。
家賃7,000円。
まがりなりにも一軒家ですけど
この家賃設定でどういう所かおわかり頂けるでしょう。
戦前の話ではありません。
高度経済成長もとっくに終わってます。
人類は月まで到達していますし、
三種の神器どころかパソコンも世に出ていた頃の話です。
団地もアパートもメゾンもマンションも
ウン万円で賃貸している時代のことです。
当時としてさえ、
田舎の駐車場より安いと揶揄されたものです。
この家には最終的に
平成時代
に入った後まで住んでました。
一度、家賃が上がり9,000円になりましたけど。
結局、道路拡張に引っかかり立ち退いたんですけどね。
家も土地も大家さんのものですから
雀の涙ほどの立ち退き料くらいしかもらえませんでした。
今では更地になっているその土地、
近所の人の駐車場になっているみたいですが、
乗用車が2台しか駐車できません。
今、そこに立つと、
よくもこんな狭いエリアに住んでいたもんだと
感慨深いものがあります。
最低の住居に住み、
しかもそれすら他人のもので、
暮らしは超貧乏、
家賃が払えなかったらそこすら追い出される一家。
そんな中、飲んだくれる両親、入退院を繰り返す父。
昔からわたくしが不動産に執着心を持つのも
これらが原因なんでしょうね。
「貧乏でも追い出されないお家に住みたい!」
というのが夢でした。
ただ、悲しいかな、
貧乏遺伝子もしっかり遺伝しているようで、
未だにマイホームは手に入れておりません(泣)
今現在、
一軒家を借りてしっかりと家賃を払って生活しています。
月々70,000円也。
昔の10倍か。
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