デザインルーム隊長室

日々Macと格闘しIllustratorと死闘するグラフィックデザイナーの生態日記・FXで場外乱闘中!!

黒歴史

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お盆前のこの時期に

このブログの“黒歴史”というカテゴリは
「文字通り黒くてイヤな記憶の集積を
できたら墓まで持って行って日の目に
さらさないでおくパンドラの封印ボックス」
という内容のつもりです。

“封印”と言っても、
ブログで世界中に公開しているワケですから、
「なにが封印だ?さらけだしとるやないかい!」
と言われそうなんですが、
これはまあ書いてるわたくし自身の気分の問題ですね。

インターネット上の
「世界中の中から抽出された1日数名の不特定多数&常連様」
に対して公開するのと
「完全に密閉封印した箱に収められた最重要機密扱書類」
にするのも同じような感覚なんですね。

要するに、
「日常的に顔を合わせる人に対しては秘密です」
と思えていられる気休めみたいなものです。

封印しておきたいのだったら
ブログになんぞ書かないで、
それこそ墓のしたまで懐に抱いて持っていけばよいのでしょうが、
そこは自己顕示欲を持ってしまったホモサピエンスの悲しさ。

たとえ黒い歴史であろうと自分が生きてきた証の一部であることには変わりないわけですから
「無かったこと」にするのは忍びないというわけで
要するに
「誰でもいいから記憶の片隅を侵食させて!」
ということなのです。




で、




“黒歴史”に入れるのは不謹慎すぎるんじゃないかと問われそうですが、
わたくしの中では黒系ですのでココに記させて頂きます。




遠方に離れて暮らしている実母が末期ガンで
あと1週間から1ヶ月の余命だそうです。

会社の同僚に言うと驚かれるんですが、
正直言って「だからと言って何か騒ぐ必要もない」というのが
今の気持ちです。

むしろ“その後”のことの方が大変そうで気に病みます。

法律上とか、慣習上とか、儀礼上的に。

感情的にはとっくの昔にかたがついたおりますので
日常の仕事にプラスアルファとしての雑務が加わるのだけが煩わしい。

そんな自分は冷酷なのでしょうかねえ。

でも、
受けたストレスや精神的な障害の方が強すぎて
素直に“情”を基準に相対することができなくなっています。




この感情は、
かつての偉大なる雇用主“上様”に対する気持ちと
似ている部分があるかもしれません。




恩は恩

だからこそ

怨は怨




たぶん、
もっと年喰って
何もかもが遠眼鏡ごしに流れるようなフィルターがかった存在となれた時に
はじめて素直に“思い出”という形で思い返せるんじゃないんでしょうか。




今日はわたくし自身、
焼酎に侵食されていますので、
なんとも不明瞭かもしれませんが、
ご容赦くださいませ。

自殺者の心境

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

●昨夜の読書

・『進撃の巨人』4巻 (電子書籍)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




騒がれているほど面白いとも思えないが
何故か続きが気になる漫画である。

つまり、面白いのだろう。




唐突ですが、
わたくしは自殺をする人が心底羨ましい。

これは皮肉で言ってるわけでもないし嫌味で言ってるわけでもない。

心の底から本心で羨ましいと思っている。

なぜなら、
わたくしが一番怖いのが今のところ“死”だからだ。

自殺をする人は
「死んだ方がまし」
「死よりも辛い事がある」
と思っていたからこそ自ら死を選んだのでしょう。

発作的な行為の人もいるでしょうが、
すくなくともその瞬間はそう思えたということでしょうから。

わたくしは今もところ、
どんなに追い詰められても、
「死んだ方がまし」
という境地にはいたれません。

いずれそうなるのかもしれませんが、
今現在では自殺する人の心境は不可解なままです。




特に、
身近に自殺者がいたせいかもしれませんが、
より一層、自分にとって死は不可思議な恐怖の対象です。




高校生の時。




家の裏の柿の木にぶら下がった人間を発見しました。




父です。




その時は発見がかろうじて間に合って一命を取り留めました。




今でも鮮明に覚えている光景です。




救急車に同乗し病院までついて行きました。




その時、始めて知りました。

人は意識不明でも声が出るということを。

心臓に電気ショックを与えて蘇生を行っている時、
心臓は止まっていて意識も無いのに、
電気が「パン!」と通電する度にうめき声が出ているのです。




脳に酸素が行かない時間がほんの数分でも
深刻なダメージが残るそうですが、
幸いにしてその時には目立った後遺症もありませんでした。



どういう心境で自殺に踏み切ったか分かりませんでしたが
結局、この時は自殺に失敗したわけです。




2年後。




成功してしまいました。




誰も発見出来ない時にやっちゃったんですね。




わたくしは遠くにいた時でした。




冒頭でも自殺者の心境は理解出来ないと書きましたが、
今でもふと、父について、
「せーの」と踏み出す瞬間に、
息子であるわたくしのことは全く思い出さなかったのかなあ
とか考えたりします。




そこに至る色々な原因らしきものは
それこそ山ほど思い当たりますが、
それでも分かりません。




あの時の父の年齢まで
わたくしもあと10年足らずになってしまいました。




それまでに理解出来るようになるのかな?




たとえ70や80になっても
最後の最後まで死にたくないとあがき続けて生きることも
なんだか辛いような気がします。




でもまだ
死にたくなる程の辛さも無いし、
死ぬには惜しいような楽しい事が山ほどあります。




自殺者の心境はわたくしにとって永遠のテーマですね。

傷と貧乏とあばら家

オタクになっていなかったら
確実にグレていただろうと思う男・隊長です。




お絵描きが好きで、漫画が好きで、
必然的にアニメ好きになるという王道を歩んでまいりましたので、
立派なオタク人生を歩んできました。

世を儚むには楽しいことがありすぎる。

家が貧乏なのも親がどうしようもないのも
別に社会のせいにするほど斜に構えることもなく、
反抗心で世間にツバをはくほど荒むこともなく、
どうにかこうにかまっとうに生きてこれたのも、
やりたいことにやり甲斐を感じられたのがよかったのかな。




しかし、小学校の時の貧乏は辛ろうございました。
特に精神的に。

幼稚園や小学生は何気なく相手を傷つける言葉を言いますからね。

中学・高校になって貧乏が改善されたわけではないのですが、
それなりに年齢を重ねたせいか諦めが入ったせいか、
日常的には貧乏で思い悩むことは減ったような気がします。

“貧乏度”で言うと小学生の頃より悪化していたはずなんですが、
新聞配達もやってましたし、奨学金ももらえましたしね。

また、高校での友人達はオタク趣味で結ばれた仲でしたので、
別に貧乏がどうかなんて意識しなくてよかったですから。

小学生の時、あれほど友人を招くのがイヤだった家にも
高校の時にはとりあえず普通に呼んでました。

もちろん飲んだくれゾーンの時には呼べませんが。




そう、




幼かったわたくしの最初のトラウマは家でした。

ホームではなくハウス。

物理的な住まいが幼心に影を落としました。




我が家は小学校同学年でも1・2を争う狭くてボロい家でした。




どれだけ狭いかというとですね、

わたくしの住んでいた家の敷地は三角形をしていて、
道路に面している側を底辺に、
奥に行くほど狭まって頂点に行き着きます。

なんと、両隣のAさんBさんの敷地が
わたくしの家の背後で隣同士で接していました。

Aさん宅もBさん宅も決して大地主というわけではありません。
普通の一軒家です。

いかにうちの敷地が狭かったかがわかると思います。




その文字通り猫の額のような土地に
戦後すぐに建てられたバラックのような一軒家が
建っていました。

まともに部屋と呼べるのは4畳半が2間だったんですが、
そのうち1間はわたくしが幼稚園の頃は他人が住んでました。

ただでさえ狭いのに。

薄〜い板壁の向こうに赤の他人が住んでる。

たしか寝たきりのじいさんだったと思うんですが、
うちと血縁関係はいっさい無い人でした。

他には1畳足らずの玄関上がり口と2畳程度の部屋(?)

子供心には玄関口の1畳も「部屋」として認識していました。




次にボロさなんですが、
これは貧乏生活の紹介とセットになりますね。

今でも山奥の山村なんかにはあるかもしれませんが、
戦前まで遡らないと見つけられないような
プレミア環境がてんこ盛りでした。


●台所は土間。
 ・・・さすがに飯炊きは釜ではなく炊飯器でしたが。

●流しは粗目のコンクリート。
 ・・・と言っても見たことがない人には想像つかないでしょうね。

●トイレはボットン便所で便器も無い板張り。
 ・・・今は殆ど見なくなったちりがみです。
    汲み取りの間隔が開く正月休みは悲惨でした。

●風呂は木の風呂桶に鉄釜が付いて石炭と薪で沸かす。
 ・・・その上、若干、離れみたいになってましたので
    風呂に入るのに草履を履いて行かねばありません。
    雨が降ったら濡れました。

●電話なんかもちろん無くて隣で借用。
 ・・・クラスの連絡網に自分の所だけ
    「TEL00-0000(○○様方)」
    と書かれるのがイヤでした。

●天井が極端に低い。
 ・・・176cmまで成長した高校生の頃、
    なんと電灯の傘がわたくしの目線と同じ高さでした。
    だから今でも、天井が極端に高いと眠れません。

●屋根には瓦があるのかないのか。
 ・・・「隊長くんの家の屋根には草が生えてるよねー。」
    小学校の頃、他人から言われて非常に傷ついていた言葉です。
    何やらわからないボロテント生地や土塊の間に
    瓦が混ざってるみたいな屋根でした。
    当然、雨漏りし放題です。

●その他、
 壁は薄い横板のみで、節穴があるとそこから外が見える・・・とか、
 そういうすき間が沢山あり、ネズミもムカデも入り放題・・・とか、
 建て付けもユルユルで、逆に台風や地震時には傾いて強い・・・とか。


これだけのアンビリーバボーな家が
さらに驚くべきことに




借家でした。




家賃7,000円。





まがりなりにも一軒家ですけど
この家賃設定でどういう所かおわかり頂けるでしょう。

戦前の話ではありません。

高度経済成長もとっくに終わってます。

人類は月まで到達していますし、
三種の神器どころかパソコンも世に出ていた頃の話です。

団地もアパートもメゾンもマンションも
ウン万円で賃貸している時代のことです。

当時としてさえ、
田舎の駐車場より安いと揶揄されたものです。




この家には最終的に

平成時代

に入った後まで住んでました。

一度、家賃が上がり9,000円になりましたけど。

結局、道路拡張に引っかかり立ち退いたんですけどね。

家も土地も大家さんのものですから
雀の涙ほどの立ち退き料くらいしかもらえませんでした。




今では更地になっているその土地、
近所の人の駐車場になっているみたいですが、
乗用車が2台しか駐車できません。

今、そこに立つと、
よくもこんな狭いエリアに住んでいたもんだと
感慨深いものがあります。




最低の住居に住み、
しかもそれすら他人のもので、
暮らしは超貧乏、
家賃が払えなかったらそこすら追い出される一家。

そんな中、飲んだくれる両親、入退院を繰り返す父。

昔からわたくしが不動産に執着心を持つのも
これらが原因なんでしょうね。




「貧乏でも追い出されないお家に住みたい!」




というのが夢でした。




ただ、悲しいかな、
貧乏遺伝子もしっかり遺伝しているようで、
未だにマイホームは手に入れておりません(泣)




今現在、
一軒家を借りてしっかりと家賃を払って生活しています。

月々70,000円也。




昔の10倍か。

わたくしは酒をこよなく愛す酒星人です。




「人類の発祥と共に酒はあり、
 人類が滅亡する時にも酒はあるだろう。」


とはヤン・ウェンリー氏の名言ですが、
大いに頷くものであります。




毎晩かかさず寝酒と称して酒を飲み、
居酒屋や飲み屋、宴会や結婚式、
カラオケボックスにお祭り会場、
果ては蔵開きにお酒イベントまで、

「飲めるところは良いところ」

とばかりに飲み続けます。


ですが、底なしでは決してありません。

日本酒もどんなに頑張っても五合が関の山です。

若い頃はもうちょっと強かったんですが、
年のせいでしょうね、
最近は量より質のほうがウェイト高いです。

こんな愛ラブ酒野郎ですが、
絶対にやらないことがあります。




迎え酒




前の晩に深酒し、二日酔いで迎えた翌朝、
起き抜けにまず酒を飲むのが迎え酒。

昔から二日酔いに効くと伝えられてきたましたね。

実はこれ科学的根拠は全く無く、
ただ二日酔いの頭痛や吐き気を
新たな酒の酔いでごまかしているだけらしいですね。


この迎え酒と言いますか、
エンドレス深酒は絶対にやりません。

深夜まで深酒し、翌日は昼から飲酒のある宴会があるとしても、
必ずその間にしらふタイムを挟めます。

ただ、わたくしが迎え酒をやらないのは
科学的にどうこうとか体調的に気遣ってとかいうのが理由ではありません。



両親が究極の飲んべえだったからです。

その姿を見てきているからエンドレス飲酒はやりたくないんです。



自分で酒を嗜むようになった今、
改めて思い返してもあの二人は尋常ではなかった。

酒癖の悪さを気にしてか、超弩級の貧乏生活のせいか、
普段から晩酌や寝酒はあまりしていなかったんですが、
いざ、“その瞬間”がくると何かスイッチが入るようで、
二人して飲んだくれになりました。


朝も昼も夜も関係無し、とにかく飲む。

飲まないときは寝てる。

仕事・・・もちろん行かない。
家事・・・もちろんしない。

日本酒・焼酎・ウィスキー・・・何でもOK。
とにかく起きてる間中ひたすらアルコールを求め続ける。

おとなしく飲んでいたかと思えばいきなりケンカを始める。
突飛な行動に出る。

ぐでんぐでん野郎の行動ですから
見ているこっちは気が抜けません。

死のうとするのを止めたこともありますし、
殺そうとするのを止めたこともあります。

いろんな修羅場劇場を見てきました。

24時間見ているわけにはいきませんが、
よくもまあ致命的なことがおこらなかったもんです・・・




・・・・いや、あったな。2〜3回。




富士の樹海でしか見られないような光景は
今でも目に焼き付いております。




全て学生時代の話です。




こっちは学校行きながら付き合うワケですから
たまったもんじゃありませんでした。

普通に学校行って普通に帰ってきて
全く眠ることが出来ない蟻地獄のような時間です。

飲んだくれ共は昼間さんざん飲んで寝てるから
夜中もお構いなしにエンドレスで騒いでます。

この飲んだくれゾーンはだいたい約1〜2週間、
どっちかが病院送りになるまで続くんですが、
その頃にはもうわたくし精も根も尽き果てています。




時が経ち、両親の内、片方が亡くなった時、
まずわたくしが思ったことは、

「これで飲んだくれゾーン時に監視しなきゃいけないのが
 2人から1人に減った。楽になる。わーい。」


でした。

涙もでませんでした。




今はもう残った片方もそばにはおりませんので、
ようやくその呪縛から解放されたわけですが、
たまに夢にみます。

トラウマってやつでしょうね。




結構辛い思いをしてきたような気もしますが
やっぱり血でしょうね、
わたくしも酒好きになっちゃいました。




もう一つトラウマが原因かなと思うことは
わたくし、どんなに暴飲しても
絶対に記憶が無くなることはありません。

ゲーゲー吐いて、足腰立たなくなるほど飲んでも、
絶対に理性が消えたことがないんです。

周囲が飲んでいると特になんですが、
「自分が正気を保っていなければ」
という強迫観念が働くんでしょうね。


幼児体験って深いもんですね。

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