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今日はブログ開設5周年。訪問者数カウンターにある数値を見ると、開設以来一日平均240アクセスもありました。単なる自己満足ブログなのに多くの方に見て頂いているようで、ここでお礼申し上げます。
今日は、正月休みにパソコンのデータを整理していた時に見つけた一枚、2011年2月13日の横浜駅で撮影した185系の並びを載せてみました。JR発足から30年が経った今、国鉄特急形車両の定期運用はとても数が少なくなり、首都圏では東海道線系統を走る同系が最後の存在となりました。この車両は現在も特急「踊り子」を中心に毎日運転されていますが、2013年3月ダイヤ改正までは片道1本だけ普通列車(521M)に充当されていました。この頃は東京715→伊東949というダイヤで、平日・土曜・祝日は7+5両編成、日曜は10両編成が充当されており、普通列車としてはちょっと知名度の高い存在でした。
普段の521Mは横浜駅に1分しか停車せず、本線の6番線に入ります。しかし、臨時の「踊り子101号」が運転される日には、時刻変更がかかって副本線の5番線に停車し、特急を先に通していました。「踊り子101号」は多客期のみに運転される列車でしたから、両者が横浜駅で並ぶのはちょっと珍しい姿でした。
この写真を引っ張り出したとき、我ながらよくこんなものを撮っていたなあと感心しました。多分カメラをもって何気なく撮りに行った時の一枚だったのでしょうが、日々の記録の大切さを改めて感じました。
…と思って撮影日をもう一度見てみたところ、思わず苦笑いしてしまいました。2011年2月13日と言えば、後に私が通う大学(学部)の入試まであと○日というところでした。既にこの前の週に一校合格していたから気が緩んでいたのでしょうか、今考えると随分無謀な真似をしたものです…(笑)
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鉄道(思い出のシーン)
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引退した車両や消滅した運用を懐かしむ場
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来月にデビューする予定の新1000形1601編成が28日に川崎重工から逗子に到着し、現在はJ-TRECで出場の準備中。同形のマイナーチェンジ車が、1800番台に引き続いてデビューすることになりました。
写真を見る限り、側面に白い太帯がラッピングされ、先頭車側面にあるKEIKYUのロゴがなくなっており、従来のステンレス車両に比べてデザインが良くなっている印象を受けました。
それからおよそ4ヶ月が経ち、早くも1600番台が復活することになりました。1500形の改番は、新1000形で1600番台を使うためだった…ということがようやく明らかになったのです。
思い返せば、その噂は以前からチラホラと囁かれていました。2011年に800形置換用の1300番台がデビューした頃、1400・1500・1600・1700・1900番台は既に埋まっていたので、このままでは800形22本を全て置き換える前に番号を使い切ってしまうという問題が指摘されていました。もっとも、6連向けにマイナーチェンジ車を投入するということは、当時の私は考えたこともありませんでした。しかしよく考えれば、ステンレス車の登場から間もなく10年ですから、仕様変更は別に不思議では無かったわけです。
写真は2010年10月に撮影した1600番台の並び。今では行先表示が幕式の1500形もなくなり、車番と共に過去の姿となりました。当時そこら中に転がっていた車両でも撮っておいて損はないですね。近いうちに新1607編成も姿を現すでしょうから、この写真と同じ場所で並びを撮ってみたいものです。
さて、新1600番台の投入により、京急線上を走る1000番台の車両は以下のように分類出来ます。
・1000番台…新1000形8両編成
・1100番台…同上・連続付番(1176まで使用済)
・1300番台…新1000形6両編成(1372まで使用済)
・1400番台…新1000形4両編成(1492まで使用済)
・1500番台…1500形・電動車(1596まで使用済)
・1600番台…新1000形新区分番台(順当に行けば1672まで使用?)
・1700番台…1500形1700番台(1736まで使用済)
・1800番台…新1000形4両編成・貫通顔(現時点では1812まで使用済)
・1900番台…1500形・付随車(1942まで使用済)
こうして見ると、形式内では比較的分かりやすい付番方法であっても、1000番台全体で見るとかなり断片化が進んでいることが分かります。他社からの直通車両と番号帯が被らないようにするという制約があるため致し方ない面もありますが、こうして見ると随分ややこしくなったものだなと思います。
ところで、来年にデビューする予定の新1000形8両編成のマイナーチェンジ版は…。
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巷では、3日後に迫ったJRのダイヤ改正が話題になっています。また、ここ数日は北海道新幹線の開業を前にした夜行列車の終焉が大騒ぎになっていましたが、私には遠くて人出も馬鹿みたいに多い所に行く気力などなし。そもそも、ここ一週間ほどは全然天気の良くない日が続き、ほとんど撮りに行けない状態。新鮮な「ネタ」の調達が出来ない時は、昔の記録を引っ張り出すべき時なのであります。
記録を振り返ってみますと、ちょうど去年の今日は北総7260形7268編成の廃車回送の日でした。形式的には「京成への返却回送」だったのですが、実質的な廃車回送だったのは誰もが知っていました。
この日は春休みということもあって相当な数の撮影者がありましたが、幸い通過の半時間ほど前でも楽に場所が取れました。ベストポジションではないですが、まァ最期のお見送りは一応出来たかな…と。
北総7260形は京成3300形のリース車で、2006年から2015年までの約9年間は北総の車両として使われました。しかし、元が1968年製の非常に古い車両ですから、特に快特運用に充当されるようになった晩年には利用客から嫌われていました。足が遅く慢性的に遅延をまき散らす存在で、乗り心地は当然悪く、さらには雨漏りまで。最末期には空調が故障してほとんど使い物にならなかったと記憶しています。
もっとも、1編成のみの存在だったため、趣味的な見地からは比較的「アタリ」の部類に属する車両でした。また、関東最古の地下鉄直通車両というのもポイントでした。北総はあまり車両数に余裕が無く、ある程度運用も決まっていたため、日常的に京急や浅草線を使っていた私は毎日のように見ていました。
しかし、撮影するとなるとちょっと厄介な存在だったように思います。そもそも、羽田空港⇔印旛日本医大の往復には3時間半以上かかることから一日当たりのチャンスは少ない。京急線内では撮影できる場所がごく限られている上に、本線の列車と相まって最も列車本数の多い区間なので対向列車と被りやすい。更に付け加えると、先述の通りこの車両は遅延が常態化していたため、日によっては普段被らない駅で被られたり、またその逆のこともありました。
私はそんなに積極的に撮りに行ったわけではないので、もう少し前々から準備して色々撮っておけばよかったかなという気がしなくもない。しかし、仮に引退が1年遅かったとしても、実際に私が今まで撮った写真よりマシな記録を残せたとは思えないので、まぁこれが私の限界といったところでしょうか。
ところで、今や最後の1本となった千葉ニュータウン鉄道9000形9018編成も、引退の噂がチラホラ聞こえてきたようです。京急線内を走る唯一のツーハンドル車ですが、いつまでその姿を見ることができるでしょうか。前回の検査は2013年ですから、もう少し活躍が続きそうな気もするのですが、こちらも決してバリバリ元気な車両というわけではないので、案外早く引退することになるかもしれませんね。
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右と左奥の115系は中央線ではお馴染みの車両で、長野地区の代名詞的存在でもありました。
引退を控えた123系を眺めていたところ、当時はまだまだ現役だった115系が隣のホームに入って来たので、特に深く考えもせずに一枚撮ったようです。まあ115系も211系による置き換えが迫っていることは分かっていたので、数年後には両方ともいなくなるのかな位には思っていたかもしれません。
あれから3年弱が経った今、123系の姿はおろか、115系も当地では見られなくなりました。
閑散路線故に置き換えが後回しにされていた辰野線の123系。極めて珍しい車両でしたが、場所が悪く本数も非常に少ない路線のため、なかなか撮りにくい存在でした。2013年3月に一足早く引退。
115系は逆に東日本の地方路線では大量に生息していましたが、ここ2,3年で急速に廃車が進み、長野地区では絶滅危惧車。最後の6連であるC1編成も、年内に運転を終了するとのことです。
あの時は年始の山の中、気温1℃の下で3時間以上立ち続けましたが、振り返ればそれだけの価値はあったかなと思っています。国内の鉄道路線が縮小傾向にある中、辰野線も10年先や20年先にどうなているのかは分かりませんから…ま、迂回路として残す可能性が高いとは思いますけど(笑)
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連日の猛暑で外出は危険なレベル。今日は曇った分比較的気温は下がりましたが、撮り鉄からすれば曇ってしまってはお話にならない…結局カメラを握る機会が無いまま既に2週間が経ってしまいました。となると、ブログ更新の際には「過去の乏しい蓄積」という言葉を使い回してお茶を濁すしかない(笑)
去年の今頃は何が話題になっていたかというと、どうやら横浜線205系が注目されていたようです。2月にE233系が投入されてから半年で、205系は横浜線から姿を消すことになりました。大型のさよならヘッドマークが掲出され、夏休みということもあり各駅には撮影者が大勢。でも駅の外に行けば、あまり多くは集まっていなかった印象です。大方皆さん、電車賃をケチっていたのでしょうw
私は一ヶ月後に入試を控えていたため、残念ながら本腰を入れて追うようなことは出来ず、最低限の記録に終わりました。まあ、それでもヘッドマークが付く前からチマチマ撮ってはいたので、そんなに後悔しているわけではありません。あの頃追い回していたら、今も受験生だったかもしれないし…(笑)
あとはやはりE233系との並びもきちんと押さえていたようです。半年前のE233系デビューヘッドマークと205系の並びも撮ってあるので、一通り最低限の記録は出来て良かったかなと思います。今年度に入って横浜線を使う機会が増えましたが、今ではほとんどがE233系。205系に比べて明らかに乗り心地と騒音が改善されましたが、たまにあのうるさい音が懐かしいと思うことが無いではありません(笑)
横浜線では相模線からの直通列車が毎朝・毎晩各3往復あるので、厳密には205系が全滅したとは言えません。しかし、相模線の205系はオリジナルではないので、同じ車両という感じはどうもしませんね。
しかし、この直通列車も利用客の減少からか削減される傾向にあり、将来的には消滅する可能性も。
とまぁ、去年の写真を無理やり引っ張り出して見ましたが、1年しか経っていないのに随分昔な感じ。1990年代の首都圏の顔とも言える205系も、気づけばオリジナルの車両は南武線と武蔵野線に少数が残るのみで、改造車を含めてもかつてほどの勢力ではありません。現在は南武線の205系がE233系に置き換えられているので、来年の今頃は南武線の205系を懐かしむことになるのでしょうね。
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