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別れ

おはようございます。

今朝は背中の痛みが酷いですが、少し楽な体調なので

自分の思いを書いて最後のブログにさせてもらいます、

2010年9月にパソコンの使い方も何もわからずに

始め、良い人達の出会いがあり、いろんな人間模様が

垣間見えた年月でしたね、幸運にも良い人達に恵まれ

不治の病を忘れさせてくれた心の温かい人達、

どれだけ助けてもらったか想いだせない程です、

悔しい出来事は忘れることは出来ません、同じ病気を

抱え頑張っていた人達が旅立った時は心が折れました

新潟の人は自分より元気な写真を載せてくれ、

家庭菜園で育った作物を送ってくれ、事務的なことも

アドバイスを教えてもらって、気持ちの優しい人でした。

とても真面目で几帳面な人もいましたね、几帳面な人の

奥さんなので、終わってからもお礼のブログを書いて

くれていました、人間関係は難しく相性が合わない人も

いましたが、同じ辛い思いで頑張って元気な写真を

送ってくれた人もいました、辛さは皆同じですからね、

自分の様な人間に家族のように付き合ってくれた人

今年もご主人の用事で関西に来て自分の家まで来て

くれた人の、心優しい気持ちは自分も終わるまで

忘れることはないでしょう、心配をしてくれ電話もかけて

くれていますが、自分は悪気はないのですが、電話で

泣き言を話すことが出来ないのです、何故こんな気持ち

になってしまったのかも、わかりません心から感謝を

しています、ご主人の笑顔、力強い話し方会うといつも

力強い握手をしてくれたことは忘れませんよ。

少しのブログのやりとりで、家まで来てくれた金沢の人

輪島の墓参りの帰りに金沢のバス停で待ってくれて

自分の付添の人達までの、九谷焼きのマグカップを

頂いた人、ブロ友として付き合いたい気持ちでしたが

最後の別れがバス停でした、何か悪い事でもしたのか

気に障ることでもしたのかと、マグカップを見る度に

想い出します、数え上げて書いていたら終わらないので

今までお世話になりっぱなしでの別れは寂しくなります

でも始まりがあれば終わりが必ず訪れます、

良い想い出を忘れていることも多々あると思いますが

自分勝手で出来の悪い自分でしたがこのブログで最後

にしたいと思います、関わってくれた多くの人達が

幸せな人生を送ってほしいと願って、さようならの言葉

で終わらせてもらいます、有難うございました。






寒さ

昨夜の寒さは僕の身体では耐えられない寒さでした、

車椅子に乗せてもらって、久し振りに不味い蕎麦屋に

行き、トンカツ定食しか食べる物がないので、いつもの

様に、ご飯は三分の一でお願いをして、持って来た

丼ぶりを見ると、半分も入っていたのを見て、以前なら

怒って、ご飯を減らせと言ってましたが、文句を言う元気

もなく、寒かったので蕎麦のスープを飲むと酷い味で

また、アルバイトに作らせていると直ぐわかりました、

それなりのチェーン店なので経営者の目に届いてない

筈です、蕎麦は粉臭くて、立ち食い蕎麦の方がよほど

美味しい出汁の味がしています、困ったことに僕が

住んでいる所には、不味い蕎麦屋、餃子の王将の2軒

しか食事をする店がないのです、歩ける身体なら何とか

近辺の食事処に行けるのですが、昨日ほど情けなく

思ったのは、久し振りでした、僕は昔から味にうるさくて

3年程前なら材料を二人で買いに行き、僕が作って

いたので、自分が納得するまでパソコンで調べたりして

工夫をしながら作り、相手に味を聞きながら手を抜く事

はせず、急がない限り努力をして食べさせていました、

約10年間の入退院で病院食は一度も食べたことが無く

入院中も毎晩、息を切らして歩きながら谷町3丁目界隈


美味しい店を探し求めた記憶が蘇えります、相手の人

には、付き合せて悪いことをしたと思っています、この人

は何でも食べれる人だったので味覚は関係がなかった

人だったからです、今いる人も味覚がないのでお腹が

満腹になればいい人なのと、食事中に一言も喋れない

人なので、僕の食欲も減退するばかりです、悪口では

なく、気の毒に思えるのです、食欲は若い人でも負ける

ぐらい食べれるので、羨ましいのと、少し気遣いが出来

ないのかと、腹が立つことも多々あります、友人達に

呼ばないでくれと言われる程ですから、想像はつくで

しょう、喋らないのでその場の雰囲気が悪くなり、間で

僕はどちらにも気遣いながらでは、何の為に皆が来て

僕を慰め、励ましてくれることさえ理解が出来ないのか

病でコミュニュケーションが苦手なのは昔から知って

いましたが、今の僕の体調を側で見ていて判る筈です。

もうこんな事を書く気力も無くなったので。昨晩の出来事

を書いておきます、帰りの車椅子に乗せてもらっていて

下半身の冷え方が異常でした、帰りつくなり酸素を上げ

暖房を全部点けるも、足が氷のように冷えてストーブの

前に座り、コタツにもぐりこんで、暖をとっていると

いつもの様に眠気が来て、1時間ほど眠って医師が

言ったように、安定剤、痛み止め、睡眠薬を服用して

ベッドに入ろうとしていたのですが、目が覚め用意を

しようとするのですが、身体が動かせないのです、

上半身の背中の上部だけが異常をきたし、初めての

ことで、話す言葉、動作で普通ならこれは異常だと

気づく筈ですが、この人は何も感じないのか、何か

あれば呼んでくれと言って部屋に入ってしまって、僕は

服を着替えるだけでフラフラ状態で、自分でこれは普通

ではないと思って、何とか着替え脱いだ服は散らかした

ままで、ベッドに何とか入ったのですが、息が出来ず

大声でこの人を呼んで酸素量を4にしても息切れ状態

なので、携帯を握りしめ落ち着つくことを待っていました

後10分続けば救急車に電話をかけるつもりでしたが

この人は緊急事態に備え僕の住所も言えない人なので

話せるかと不安な気持ちで深呼吸を繰り返し、やっと

落ち着き、少しづつ酸素を減らしているうちに、飲んだ

薬が効いたのか、何もわからず眠っていたのです、

そして言われていたとうり、薬を飲む前に寝てしまった

ので目が覚めたのは朝の4時です、足元はふらつき

コーヒーを沸かす前に朝の薬を飲んでタバコを吸って

体調を感じ取りながら、コーヒーを沸かし飲んでいます

昨晩の出来事を思いだせば、やはり僕の悪い予想が

当たる気がしてきました、体の何処がどうだと説明も

出来ず、緩和病棟も普段の僕を見ていると入院は多分

断られると思います。

ブログの開設日が2010/9/28(火曜日)なので

ブログを始める前から病は発症していましたから、

病気との闘病は何年間なのかも思いだせません、

娘に残していた日記には日付など書いていたのですが

後々のことを考え二人が仲良く幸せになれるように

大学ノートに15冊は書いていたのですが、全部捨てて

しまったのです、事実を知ってこれ以上、娘の気持ち

感情が悪くなれば、生活に支障が出ては困る上に苦労

をかけて育ててくれた人にも迷惑はかけたくないのです

我が儘勝手な話ですが、好き放題生きて来た自分の

ブログは小休止させてもらいます、身体の変化が出たり

入院になれば、今までのお礼とお詫び、心境を少しだけ

書かせてもらおうと今の自分の考えです、いろいろと

お世話になり有難うございました。





鈍痛

今朝の大阪の寒さは寒波だと言えるほどでしたね

僕の体は寒さがとても辛く、冬を越せるか不安ですよ、

医師と主任看護士さんの指示で夜の食後に服用する薬

寝る前に、安定剤、痛み止め、睡眠薬を一緒に飲んで

試してみましょうと言われ、昨晩から言われたとうりに

飲むと、少しづつですが改善されて来ている気がします

僕は一人で部屋で過ごす時間が長いので、いろんな

過去の出来事を想い出しては懐かしんでいます。

10日前ぐらいから、腫瘍のある左肺の前後の痛みが

日増しに酷くなって、自分自身では、とうとう来たかと

思って耐えていますが、薬局の人が配達をしてくれて

昨晩も来てくれましたが、痛みについて聞くと今の薬は

良くなって、余り心配はしなくて大丈夫ですよと言って

いましたが、酷い時は声を出せないほどの痛みですよ

それも夜になると痛みが酷くなって、別にもらっている

薬を飲むと、和らぐ時もあれば、まったく効かない時も

ありますね、まァ〜ここまで来れただけでも運の強さ

だと思って、日々暮らしていますが、限界が判れば

進み方も考えられるのですが、何処かで見た地平線の

線上の先で小舟がポツンと浮かんで行先も判らずに

波に漂っているように思えます、美しい夕日が沈む時を

いろんな土地で見てきましたが、地平線が見れる場所

には二度と行けないと悔やんでいます。

汚れたカーテンに陽が差してくれて気分は良好です、

今はクリニックの看護士さん達と少しの時間話せる事が

唯一の楽しみですね、何とか今年の元旦のように楽しく

笑える時間を過ごすことが今の僕の目標ですが、

新年を迎える喜びは全くありませんね、

1ヶ月が、1週間そして1日と身体がそうなるものですよ

何であれ笑顏で別れることを願って頑張りますよ。









予感

昨日の体調、鬱陶しい天気、身体には悪影響ばかり?

気心が知れて何もかもが許せる看護士さんが朝から

電話をくれて、声を聞き話すだけで気分が楽になった

長い間、忙しくて顏も見れず、会って話がしたいと思って

いた矢先に、今週の土曜日には必ず家に来てくれると

聞いて、気怠い身体でベッドで横になっていたが、

少し元気になれた感じでした、診察日でしたがこの人が

いつもより少し遅い時間になると電話をくれたので

今日は何度も電話をしてくれて、気分も良くなっていると

医師とこの看護士さんが部屋に入って来て驚いた、

気遣って少しでも元気にさせてくれているこの人の

優しい性格、話し方、患者に対しての思いやりには

頭が下がる思いです、この人との想い出は今年の元旦

に来てくれて、自分が作ったお雑煮を食べたのですが

雑煮に入れる餅を二人で焼くも失敗ばかりで笑って

お節を食べれた元旦は忘れることはないでしょう、

今までの生き方でこんなことは当たり前のことですが

今の自分には何ものにも変えがたい嬉しさと喜びで

それだけ自分の精神的な疲れ、惨めな生活態度に

呆れるばかりですよ。肝心な睡眠時間の問題ですが

食事の量も減っているが、夜ご飯を食べて言われた

ようにするために、寝ないように頑張ったが横になった

途端に眠ってしまい、目が覚めたのが12時半でした

医師が言ったように、夜の薬と睡眠薬も飲んでいない

のに、夜ご飯を食べると寝てしまう癖になっているのか

どうなのか判らず、少しテレビを見て言われたように

薬を全部飲んで2時にはベッドに入ったのですが

目覚めは4時半でした、食後に寝た時間と合わせても

4時間半の睡眠です、以前のように4〜5時間寝て

昼寝を30分ほどのペースに戻さないと、倦怠感が

とても酷く、何もやる気が出ない状態なので困っている

これだけ弱っている身体でこの状態が続くと、今までの

ように悪い予感が的中して倒れるのではないかと

不安な気持ちと、嫌な結果が待っているような気がして

仕方がないのです、若い頃から悪い予感は不思議と

よく当たるので、今回だけは外れてほしいと願って

4時半から起きて2杯目のコーヒーを飲んでいます。





睡眠不足

昨晩もご飯を食べると、眠気で直ぐに寝てしまった、

夜の薬を服用したら、どうすることも出来ず寝てしまう、

熟睡で2時間でスッキリとした感じで起きて時計の針は

1時前、体内時計が完全に狂ってしまっている、

こんな体調になって2週間になるが、一日の睡眠時間

は午前中に30分、午後に30分、昨日は風呂に入り

疲れが出たが寝ないで夜のことを考え寝ずに辛抱

したが、結局は駄目で、寝たのが夜中の2時過ぎで

目覚めは5時半でした、外は真っ暗で頭が働かず

ボーっとしたままです、何か判らないが体調の変化は

感じてはいるが、どうすることも出来ない状態です、

一日中身体が怠くて、横になると2〜30分は寝てしまう

病がそうさせているのか、薬の飲み合せが悪いのか

答えが判らない、自分では一日中家の中にいるので

体力の消耗もなく、少しの動作で息苦しくなり動けない

のが原因だと思うが、ここまで悪くなると何もかもが

そうさせているのでしょうね、今日は医師が来て診察を

するのですが、匙を投げられた患者に対して真面目に

診てくれているとは思われない、せめて5時間でも

眠れる方法はあると思うが、医師は治してくれる気が

あるのかと聞くがはっきりとした答え、試す方法を教えて

ほしいが無理な気がする、何処まで試練を試すのかと

思うが、余命の長さに呆れる言葉をたまに口にする

医師に頼ってままで終わるのかと疑心暗鬼に陥るが

お坊さんの苦行と同じだと笑ってしまいますよ。

処刑を仕事としている人が書いた本の中に5〜6人で

死刑囚の部屋から囚人を出す時に7〜8割の人達が

気が狂ったように暴れるらしい、本には書けない場面も

多々あると思いますが、人が最後の力で暴れると簡単

には実行出来ず、役割分担で押さえつけるらしい、

宗教家の人、何人かの上司はただ見ているだけで

5〜6人の人達が一斉にボタンを押して誰の押した

ボタンで死に向かう人が落ちるのか判らないように

しているらしい、医師が生死を確認して終わるらしいが

真面な神経では出来ない仕事だと書いてあった、

今は知らないがその当時の報酬は2〜3合の酒と

数千円の金が支給されるらしいが、処刑を済ませて

真っ直ぐ家に帰れる人は一人も居なくて、もらった酒を

呑み、安い酒場で酒を飲んでも、頭から現場の状態を

消し去るのに相当な時間が必要で二度としたくない

仕事だと書いてあった、また何故こんなことを書いて

しまったのかと考えるが、自分の頭の片隅に死に対して

の不安、恐怖、見納めの風景など自然にそうなるのだ

と思うが、一瞬で終わらしてはくれない病なので仕方が

ないと諦めている、何処の国だか忘れたが安楽死を

日本も認めてくれれば、自分でその時を感じたら終わり

たいと良く考える、まだまだ根性でダラダラと生きるが

その日が近いことは身体が教えてくれている、

よくテレビで見る看取りの場面、家族が声をかけ別れの

言葉をかけて、眠るように安らかに終われたら幸せ

だろうと、つくづく思わさられる、自分のような生き方を

した人間は、安らかにはまず終わらせてくれないと

自分なりに覚悟を決めているが、その時は自分では

苦しさだけで、何も考える力もないと思われる。

せめて会えない娘だけは自分のような人生の歩み方は

してほしくないと願っているが、家族の多い人で家族の

人達が皆仲が良くて、そう言う人と巡り会って笑いの

多い明るい人達に囲まれて幸せな人生を送れるように

心から願っていますが、願いが届いてほしいと思うが

自分のような寂しい人生だけは体験させたくないのが

父親のたった一つの願いです。





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