星と太陽の会のブログ

発足から20年以上の歴史を持つ星と太陽の会、岡山県内の磐座を巡る会の写真記録です

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星と太陽の会が終了して1年以上経っても継続もしくは新規に訪問して戴き有り難う御座います。

訪問者と会主催者のS先生に感謝の意味を込めて『星と太陽の会のブログのリスト』を作成しました。リストには、例会日時・訪問地区・主な訪問箇所を記載しましたので、磐座リスト的に「あの磐座を見たい」「○○に行くので近くにはどんな磐座があるか知りたい」などの利用に役立つと思います。 地名や磐座名から該当例会ブログをすぐに見つけることが出来ます。

平成30年2/12に最終リストをアップしました。6年間のリストは広範囲に亘ることから検索を容易にするために検索方法をトップに記載しております。

ブログ作成者のホームページパソコンと山と磐座との中に『星と太陽の会のブログ』を設置しています。


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天ノ岩座神社(広島県安芸高田市甲田町上原大土山)
古神道大土山本宮ー天と地を繋ぐ磐座 神殿を設けない典型的な上古の磐座信仰を残す

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神社ホームページより
由 緒
秀麗な山容の大土山おおづつやまは、地元の伝承によると、天孫降臨の聖地、古くから神が鎮まる山として信仰され、禁足地であったと伝えられています。山麓の小原は、古来より栄えた地域で既に縄文時代には人が住み、大きな集落や文化の存在を示す数多くの遺跡や古墳が発見されており、大土山の磐座いわくらは古代祭祀の聖地であったと考えられております。天岩位あまのいわくらと称される天ノ岩座神宮の磐座いわくらの南麓には千畳岩といわれる岩石群が広がり、昔、神議かむはかり(神々の会議)の場であったと伝えられております。その他にも天神岩、千引岩など信仰の対象となっている多くの磐座が点在しております。
 天岩位あまのいわくらは単独の磐座ではなく、周辺の山々・磐座群の中心を成していると云われており、その神域はいつの頃か詳らかではありませんが高天原と称されております。
 『平地があり、参道となる沢を降り、反対側の沢を登ると初めの平地より高い処に磐座がある―。』これが典型的な磐座のあり方とされておりますが、その通りの状態を天ノ岩座神宮で観ることが出来ます。大鳥居の先の参道となる沢をはさんで磐座を拝する平地が遥拝所となっており、磐座を奉斎しておりますから、此処には神殿がありません。
 古来より地元・近郷の人々の深い崇敬の対象だったこの磐境いわさか・磐座いわくらの上代祭祀跡に「天ノ岩座神宮」を興したのは広島・飯室出身:故溝口似郎先々代宮司(比婆大社:現 熊野神社・元神職)です。

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八坂神社

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玉井宮(井頓堂) 田井

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田井の磐座 荒神宮 

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神社の裏手から撮影

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観音寺の磐座(広昌山観音寺) 玉野築港

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猿の惑星の猿の横顔では
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後部の岩は犬と後ろは入道か
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玉比弯声
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ぬば玉の 夜は明けぬらし 玉の浦に あさりする鶴 鳴きわたるなり
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 臥龍稲荷神社が山中に、立石の窪みから飛び出した玉の一つが、この巨岩に入った(今回はパス)

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日比お菊明神
言い伝えに寄れば、地元の漁師の家に生まれたお菊は、酒に酔った父に海に投げ込まれ、その後村人によって「お菊明神」として供養されました。お菊の死については、父の行状を案じたお菊自ら身を投げたという説もあり、現在もお盆には地元の有志(向日比地踊り保存会)によって地踊り続けられている。

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王子ケ岳 動く岩 揺らすように何度も押して数ミリの動き
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今回も無線グライダーを飛ばしていました。上昇気流がある場所で風のない日でも飛ばせる絶好の場所なんだそうです。
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荒神の楠木 倉敷市指定天然記念物 樹齢700年 樹高15m 枝張り東西38m 周囲に古墳

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穴場神社の磐座

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神社岩の上から見る神社入り口
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神社岩の上から見る瀬戸大橋
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こういうことが好きな人が一名います
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線刻地蔵碑(為本) 薬師堂の下の山裾に9基あり、その内の1基が線刻地蔵碑。高さ95cm最大幅71cm の板石に高さ80cmの地蔵を線刻。享保3年。

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横に日本廻国供養塔:平安時代からある日本全土の一宮を廻る巡礼で、当時の日本は66国からなっていたことから巡礼者を六部と呼ぶ。当時のこと故何年もかかり、満願出来る人は僅かで、満願と書かれた供養塔は少なくこの供養塔にも刻まれてはいない。

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奥の院堂古墳(畑屋) 70基の古墳群の1基 円墳 長さ4m 幅1.7m 中に地蔵様

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火の定古墳(畑屋) 石室長さ6m 幅1.5m 中に首無し地蔵。 寛政4年に僧侶・良順が中で入定したとのこと。

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油地蔵(東吉田) 東光寺の山門前に 高さ186cm 幅80cm 高さ98cm浮き彫り 1380年頃の作か

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道標地蔵(岡) 右くらしき 左かがみの(出雲街道の道標)

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栗柄神社(平) 坂田金時が源頼光のお供で九州遠征に行く途中、当地で病気で亡くなったという

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高母平(たかもびら)の板碑 町指定文化財は上に乗っている板碑だが、岩が磐座では

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稲荷神社(飽浦) 真裏の山に磐座 二つの石が重なっていると云う

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拡大30倍ズーム写真でようやく確認、黒くなっている部分が重なっている岩の隙間
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金甲山 地名の由来は「神功皇后が金の甲を埋めた山」と云われている。 元児島で一番高い山403m。
ここから総社の正木山に磐座を結ぶ線は夏至の太陽の日没の線(西30°)

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貝殻山
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山頂山(さんじょうさん) 駐車場から山道を300m 大岩が3ケ(磐座) 一番前の岩に祠(蔵王権現と云う) ここと金甲山の磐座を結ぶ線は夏至の日の出の線。

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八畳岩
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真っ白で何も見えなかったのが下り始めてようやく少し見えるように
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立岩 下から見るだけ

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筆岩 これも下から
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倒れ支えているワイヤーを確認出来る
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早瀧自然公園
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龍岩
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陰陽岩?
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