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■LIFE 孤独な光と影の狭間
僕は2009年の年の瀬に、年末まで追われていたイベント業務を終わらせるとそのまま車を高速道路に乗り入れた。 世間一般に、不景気という追い風に逆らう事もなく当然の様に時間だけが過ぎて行き 当たり前の様に、また新たな1年を迎えようとしていた。 そんな中でも、何年ぶりかに帰る実家への帰省はどことなく心は忙しく、高ぶる気持ちも 景気とは対象に上昇していた。 それでも、インターネットも携帯も繋がらないこの故郷にに今まさに向かいながら、この2日間 という休日をどう過そうかという事も課題にもなり、ある意味利便性に慣れた僕にとっては 少々、罰ゲーム的な2日間になりそうな感じもあった。 唯一、楽しみだとしたら年末に会社の忘年会で当てた地デジテレビを母親にあげる為に 持参していた事だろう。 人もまばらな、田舎の町で地デジとは、笑ってしまう所だが、お年玉代わりに持参したテレビ こそが、この実家で過す唯一の娯楽になろうとしていた。 そして、2010年の幕開けとともに朝方、実家に着いた僕は久しぶりに見た元気そうな 母親の顔で新年の幕が上がったのだ。 「いや〜! お帰り〜!! 生きてた〜!!!」
実に、新年そうそう縁起でもない「生きてた〜」の挨拶に僕は「明けましておめでとう」の
言葉を言うタイミングさえ失い、苦笑するのが精一杯だった。 僕は、挨拶代わりに持ち込んだ、テレビを母親の前に差し出すと得意げにテレビより忘年会で 特賞が当たった事の方を自慢していた。 母親は、驚きと嬉しさが混じり合った表情で久々の僕の帰省など何処吹く風の様な雰囲気で 喋り同士喋っている空気に飲み込まれていった。 「ずいぶん、薄いね〜」
「これで、どこに機械が入ってるの?」
次から次へ出て来る言葉は、まるで昭和の時代にカラーテレビが始めて家に来たときの様な「スイッチも、こんなにボタンがあって・・・・・」 光景を一人で演出していた。 僕は、テレビを繋ぐと、ふと面白いお遊びをしようと思いつき、仕事が持ち歩いているハンディー カムのビデオ鞄から取り出すと無言でそのテレビに繋ぐと、ビデオのレンズを母親に向けた。 「いや〜、新年一発目は凄い映像だな〜」
「やだ、何? テレビにも映ってるじゃん!」
そこには、大型画面に映し出された時代の流れとともに変わりつつ母親の姿が映し出されていた
僕は、母親の騒いでいる声をバックに、レンズ越しに映る年老いた母親の姿を暫し見ていた そして、横目でテレビに映る白髪混じりの髪に、垂れた皮膚、何よりもシワの数に紛れもなく 現代のテレビの素晴らしい性能の中に、紛れもないありのままの母親の姿を見せられていた。 僕は、日々の時間の中で忙しさを理由に遠ざかったいた故郷に忘れかけていたものを再度胸に 刻み込まれた。 同じ時間の中に生き、同じ時間を過ごしている中に変わって行くものはこう言う 事だと、テレビの画像に映し出された身近な母親の顔に教えられたのだ。 人と人の触れ合いや、雑踏の中に生きている自分にとっては寂しさは感じないが、人里離れた この町で生きている母親にとっては孤独な事かもしれないと・・・・・ 近くで笑い、励まし、支え合う事そのものが人として一番欲しいものなのかと今日までの自分に 自問自答して新しい年の時間は過ぎて行った。 そして今でも大切な事、そして大切なものは何かと、あの日撮影しビデオに映る母親の 姿を時より見ては心に刻み込んでいる。 ・・・◆ 追伸 ◆・・・ 遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます 2010年、僕にとってこんな新年の始動になりました。 皆様にとって、この1年が幸多き年でありますよう心から お祈り申し上げます。 また、年末年始にご挨拶頂きました皆様方有り難うございました 今年は、少しでも多くのコメント、更新をして行きますので 本年も宜しくお願い致します。 モノクロスタイル |
■LIFE
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■LIFE 天国からの贈り物
テレビでは、大型連休を1000円の高速料金をこのチャンスとばかりに有効活用しようと流れる各地の高速道路の映像をリアルタイムで写している。人は不思議なもので安くなれば動きだし、特別な割引と聞くとじっとしていられないものなのか.........それとも日本人特有の性格なのか麻生政府の策略はものの見事に動き出している。そんな僕はというと、同じ1000円の使い道も、相も変わらず東京の親父の店に落としている その東京の親父が、70歳のバースデーを迎えるという事で仕事の合間をぬってお祝いに駆けつけたのは一昨日のことだ。パーティーと言っても、赤提灯の頃から最近の常連さんまでが中心になって開く囁かな手作りパーティーと行った方が早いだろうか...........そんなパーティーだからこそ、この日ばかりは思い思いに持ち寄った料理で親父を持て成すという事になっている。 そんな僕も押し迫る時間を気にしながらも、早めに仕事を切り上げて1時間遅れで店に着いた 店に入ると、すでに出来上がった大人達があちらこちらで大きな声で騒いでいる こんな状況も、都会の静けさの中で人恋しくなるときは、意外にもほっとする場所に変わる事もある 第二の人生となる居酒屋を細々と始めた矢先に、一人息子を失ってしまった親父にもこの空間は 寂しさをかき消してくれる最高の時間になっているだろうと思う 僕は、いつものようにカウンター席に座ると親父がいつものように笑顔でビールを差し出した 「はい、お疲れさん!」 「あっ、.........誕生日、おめでとうございます!」 周りの賑やかな空間とは打って変わって、2人の言葉の間に、今更ながらという恥ずかしささえ 感じる瞬間が流れた 「今更、70歳のじじいを捕まえて.........嬉しくね〜よ」 「素直じゃないね〜頑固じじいになるよ」 「何を言うか〜、まだまだじじいになんかならないよ!」 「可愛くないね〜、それが頑固だって言うの」 そんな会話のやり取りが10分程続くと、親父はカウンターの奥で涙を流すのが最近のお決まりな コースなのである 僕はいつもの様に、たわいもない会話の中から親父の元気さを悟り、自分では気が付かないうちに 僕自身も亡き父親との会話を想像の中で重ねていくようになっていたのかもしれない。 毎日、同じ時間とは言えないが必ず親父の顔をみて家路に付く習慣も間もなく16年を迎えようとしているが1000円を握りしめ始めて親父と出逢ったあの夏から僕自身の中でも親父の存在は大きくなっていた。そして一般的に普段から見ている家族や、友人ですらなかなか日々の変化には気が付かないものだが、東京の親父だけは何故か、限られた時間の中でも微妙に変化を感じてしまう。 ビールを差し出すときの震える手...........
眼鏡をかけても見えない電話番号...........
そして涙もろくなった涙腺.................... 店内を移動するスピード........................ 時間とともに、止める事の出来ない親父の老いていく姿を、僕は毎日の中で少しずつ感じてしまうようになっていたのかもしれない。そしてやがてこの親父もいつの日か消えて無くなってしまうのかと 思うと人生の果敢なさを嫌でも目の前に叩き付けられたような瞬間にも合う。 そんな事を考えながら僕は、1時間ほど席にいると、毎年誕生日に贈るプレゼントをそっと 差し出し、親父にこう話した。 「親父さん..........いつまでも長生きしてください」 「毎年同じモノですが............これを..............」 僕は、毎年流す親父の涙を見ないようにと、プレゼントをカウンター席に置くと静かに店を後にした そこに置かれた贈り物は囁かなプレゼントの他に15年前から贈り続けているワインが一本。 親父が今でも宝物だと豪語する息子さんが、亡くなられた時の年齢と同じ年に製造されたものを 贈ったのが始まりだ。親父が1歳ずつ歳をとるように、息子さんも1歳ずつ歳をとっているんだと..... 僕は亡き息子さんの存在を1本のワインボトルに想いを込めたのだ そして親父の誕生日を迎えるごとにワインの製造日を1歳ずつ増やしては息子さんと一緒に祝って いる様な気持ちになっていた。 もし親父さんと同じ時間を生きていたら、今の年齢を決して忘れては行けないと言う想いと息子さんからの気持ちをを込めて僕の出来る囁かな贈り物になっている そして、最高の宝物だった息子さんと同じ時間を生きているかのように親父には感じてほしい........ 同じ空間を生きているんだと、いつも思っていてほしいという僕の願いでもあった 親父の誕生日......いつも当たり前の様に客に差し出すお酒は、1年に1度だけ僕から親父に差し出す 始めて親父と会ったあの夏から、15本。 静かに並べられたワインボトルは、今日も穏やかに親父の人生を見守っている............
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■ LIFE HEROが終わる瞬間 春の便りが、あちらこちらで届くこの季節。街角では野良猫達が地面に背中をこすりつけ、穏やかな 暖かさを体一杯で感じている。街を行き交う人達の顔も、どことなく柔らかくて優しささえ感じる様な 雰囲気の時間を過ごしている。まさに人は、季節で心の中の感情も、気持ちも左右されるのかと思うくらいこの季節は、人々の心をきっと豊かにしてくれているのであろう。 そんな季節の夜、僕の携帯に一本の電話が入った 電話の向こうの声は、7歳放れた田舎に住む弟の声だった。普段から内気な弟とは、この歳になると これと行って日常の会話を話す事もなく、よほどの事がない限り弟からも電話をかけて来ない そんな状態の中、何かあったのかと模索する僕に、相変わらずの不器用な挨拶から会話は始まった。 世間で言う兄弟はというと、お互いの場所や時間を行き来して、今少しコミュニケーションの時間もあると思うのだが、僕たち兄弟の場合は、いつの日からか、そんな時間もなく今日まで来てしまった 逆に、普通の兄弟や姉妹とは何かが違う、この擬古値ない空間がお互い自然だと思っていたのかもしれない。 勝手に好きな仕事を選んで、田舎を出て行ってしまった僕を恨んでいるのか............... もしくは、子供頃のいじめられた思い出を今になっても引きずっているのか.....................
僕自身にも検討が付かない弟の心理は二人の関係を、いつしか干渉しない間柄までに作り上げていたのかもしれない。
僕は、そんな弟の電話を普段と何も変わらない口調で受け答えした 「おう〜! どうした〜? 久しぶりだね〜!」 「あっ、うん..........」 「お袋は、元気してる〜?」 「あっ、相変わらず元気だよ〜」 「お前、仕事の方はどう?」 「うん.....そんなに変わらないな〜」 たわいもない会話の中から、僕は弟が電話をかけて来た訳を必死で探していた そして、そんな会話のあと、弟はまるで僕に宝物を見せ付けるのを待っていたかのように僕に話した 「兄貴.....俺、結婚するんよ」 「結婚?! 誰と〜?」 「美恵ちんと.....................」 「え〜、美恵ちんと〜、いつ〜?!」 あまりにも突然の報告と一緒に飛び込んできた「美恵ちん」と言う名の懐かしい名前。 「美恵ちん」こそ、近所の幼馴染で良く遊んだ女の子なのだ あの時、流行っていた「ゴレンジャー」。僕たちは見よう見まねでこのゴレンジャーに憧れ、お決まりのように近所の子供たちでゴレンジャーになりきっていたあの日。 僕は決まって赤レンジャーを選び、年下の弟と美恵ちんは黄レンジャーに桃レンジャーと残り物の 役所と唯一女性役の担当は嫌でもこの2人になっていたあの頃を思い出した。 僕は、懐かしい名前とともに飛び込んで来た結婚という言葉に弟の成長を見た あの頃、友達と遊びたくて自転車で走る僕の後ろを追いかけて来た弟も、歳の差のせいで話しが合わずよく邪魔扱いした弟も、今では一人の男として誰かの為に生きるんだ。 そして、新たな家庭と言う枠の中で立派に家族を守って行く立場になったんだと................。 僕は、ついこの間まで泣きじゃくる弟を守るHEROのつもりでいた。 どんな時も、駆けつけて弟の為に戦うHERO のつもりでいたのだが.............。 長い時間と言う、空間を越えて僕の役目が終わった事を実感した。
そして、弟は僕よりもずっと強いHEROになってほしいと願いを込めて静かに電話を切った夜だった |
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■LIFE 背中に背負った心情 今日もテレビではお天気キャスターが南からの桜の開花を伝えている 気が付かないうちに季節は冬から春へ.......少しずつではあるが近付いていることを、人は四季を通して 感じるものである。そして季節が変わるたびに環境の変化というものもまた生まれてくるものである。 卒業、入学、転勤、結婚とさまざまなシーンは違うが、人が人として生きて行く上で誰かに関わり そして、そこから何かを得るものも多だあるだろう。 僕も毎年この季節になると思いだす事がある。それは暫くすると見る事になる新入学した1年生だ 「夢」や「希望」を問いかけれても何の事か分からず、ただ皆と一緒にいられる事だけが楽しくて 小学校という1つの扉を開けた事を思いだすと同時に、ランドセルの事を忘れる事が出来ない 僕の田舎は、人口1万にも満たない小さな町だ。そうなると当然のごとく子供の数も少ない そして、何処何処の誰々ちゃんはという位、近所中が家庭環境やら家族の状況を知っているという 今の時代では考えられないプライバシーも全くない完全なるオープン的な環境だった そこで長男として生まれた僕は、それなりに親からも愛情を受け、色々な事をやってもらって いたと、この歳になれば分かるものだが子供の頃はそれが普通の事だとも思っていた そんな中、同級生の広太は違った。 唯一、次男ぼとして生まれた広太には1つ年上の兄がいる この兄こそ、僕たちを子分のようにまとめ、あれやこれやと指示していた煙たい存在の親分だ。 そして僕の家も、裕福ではなかったが、負けず劣らず広太の家も同じ様な感じだった 田舎ならではの、野菜やお惣菜の物々交換は日常茶飯事。 貧乏だったからこそ生き抜く知恵を 親は色々と考えていたのだと思うが、子供の僕には恥ずかしい事にしか映らなかった そんな僕に、人生初となるお洒落な瞬間が訪れた。それが小学校の入学式だ。そして思い思いの ピカピカのランドセル。入学式1週間前から嬉しくて背中に背負いながら朝を迎えた時もあった そんな、子供心に早く友達に自慢したい、見せたいという気持ちで溢れ帰っていた時期、僕はただ その事だけで頭が一杯だった そして迎えた入学式当日、僕は誰よりも早く学校に行きたいとお袋にせがみ、手を引いて行った 学校に着くと意外にも僕よりも早く来ていた同級生が多く、女子は今まで見た事のない様な可愛らしいワンピース姿、そして男子も慣れないネクタイにジャケットと半ばロボットみたいなぎこちない感じになっていた そして、あちらこちらでお互い着慣れない洋服のことで笑い、何だかいつもとは違う少しい大人に なった様な気持ちで盛り上がったいたが、僕はその場所に広太の姿がない事に気が付いた そして入学式が始まり、30分も経過した頃だろうか恥ずかしそうな顔の中にも、飛び切りの笑顔で 広太が現れた。そして僕は訳を聞く事もなく式は終わったのだ そして翌日、始めての登校の日。僕は人生初の切なさを味わう事になる。 待ちに待ったランドセルを背負い、いざ学校へ向かう道の先に広太の姿が.......... そして、その背中に背負われたランドセルは古傷だらけの年忌の入ったものが................. 僕は言葉にならない声で 「おはよう............」 「あっ、おはよう」 「このランドセル、兄ちゃんの」 広太は、笑顔で言った 僕は子供ながらに気が付いた。たかがランドセル、貧しい家庭に育った二人でも僕はランドセルを 買ったもらった。しかし広太は...... お兄ちゃんからのお古を受け継ぐカタチで二人は同じ人生のスタートラインに着くんだと そして僕は、 「広太は兄ちゃんいるからいいな〜」 この言葉が、あのとき広太に返した唯一の一言だった そして、学校に行った広太の事を笑うものは誰一人いない事にほっとした ここが田舎育ちの集団の良いところだろう、変なチームワークが出る瞬間だった そして僕は、広太が入学式に行きたくなくて泣いていて遅れた事........... 両親から、ものを大切にするという心を教えられた事を後から聞かされたが 今でも、あのとき僕が広太だったらどうしていただろうと思う時がある ランドセル.........夢と希望を詰め込んだ玉手箱のように見えるが、この中には他にも沢山の想いが
詰め込まれたものなのだろう。 そして、その想いを毎日背負って学校への道のりを歩いていたんだと........今となれば少し広太が 羨ましくも思える春がそこまで来ている モノクロスタイル |

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■LIFE 1000円の絆 今日は先日記事にも少し書いた、「東京の親父」について書いてみようと思う。 僕と親父の出逢いといったら、今から15年も前に遡る。田舎からデザインの仕事がしたくてコネもなく 当てもないままに大都会東京の街に降り立ったのだが、右も左も分からない田舎っぺには、あまりの人の 数に驚いたことを今でも覚えている。田舎とは空気が違う....街にも活気がある。そんな夢と希望を持って出てきた僕は、田舎を半ば強引に出てきたことなどすっかり忘れていた。 「絶対にここで成功するんだ!」そう東京へ向かう電車の中でも何度となく心に誓い、街に降り立って 尚更、その決意が熱く燃え滾ったのだ。その当時、インターネットの普及なんて考えてもいない状態で 情報といったら唯一、東京に住んでいる親戚の叔母ちゃんの情報を頼るしかなかった。 僕は、そんな当てになるかどうか分からない叔母の情報を頼りに4畳半のアパートを借りた。 今、思えば東京への憧れと、デザインで成功する夢を叶えるスタートとなる場所としては、何とも 格好いい場所ではなかったが、田舎育ちの僕には妙に落ち着いて居心地のいい場所だった。 そして、決して大きな会社とは言えないがスーパーのチラシを専門に作っている印刷会社に入社した。 何もかもが新鮮で、好きなことを仕事に選べたことがストレスという言葉まで消し去ってくれた。 僕は、何でこんなにデザインをすることが好きなんだろう.....と問いかける余裕もないまま、毎日が 過ぎていった。あの当時、週休2日制なんて言葉もなかった頃、唯一の休日は日曜日だけだった。 しかし、僕はその日曜日さえも会社に出勤した。少しでも早く、1日でも早く仕事を覚えたいと言う 気持ちだけで日々を過ごしたのだ。 そして、仕事もそれなりに覚えてきた2年目の夏、この親父に出逢うことになる ようやく新人から脱出して一人前に仕事もある程度任されるようになったときに、ある居酒屋で、 出逢ったのだ。この居酒屋はと言うと、僕のアパートと会社の通勤途中にいかにも寄ってくれと言っているような所にポジションを構えていた。僕は毎日、目の前を通っていたが、どこにでもあるような赤ちょうちんに、別に魅力も感じず、一生入ることもないなと思っていた いかにもサラリーマンが会社帰りにネクタイよれよれで入るような小さな居酒屋は僕の視界には入っていなかったのだった。毎日通る、いつもの帰り道。今日も夕方には赤提灯には明かりが灯され、お疲れモードのサラリーマン達は引き込まれるように店の中へと吸い込まれて行った。 いつしか僕も、赤提灯の明かりが「今日もお疲れ様」の挨拶のように思えてきてアパートに帰る道のりも なんだか居心地のいい道になっていた。 「サラリーマン達は、この居心地の良さにこの店に入っていくのだろうか・・・・・?」 「昼間の戦場化したサラリーマン社会で、唯一羽を休める安心の場として足を運ぶのか・・・・・?」 そんな気持ちも、何となく理解できるようになっていたが、安給料の僕には、店まで入ってお酒を飲む 余裕などなかった。 そんなある日、いつもの店の赤提灯に明かりが灯らない日があった。 そして次の日も、またその次の日も........ そんな日が、一週間も続いただろうか、僕はそのことが妙に気になっていても立ってもいられなく なっていた。 「どうしたんだろ....?」 「店主の具合でも悪いのだろうか....?」 何の面識もない、あったこともない人のことを、いつしか気にかけていたのだ。 たかが赤提灯にの明かりに癒されてい僕は、いつしかこの癒しの明かりを安心する光景にしていたのかもしれない。 そんな日々が、3週間余続いただろうか。 この夏一番の暑さを観測した日の夕方、赤提灯に明かりが灯った。 僕は、この日を今か今かと待ちわびていた気持ちと、ほっとした安心感に包まれて、この日初めて テーブルの上に置いてあった千円札を握り締めこの店の暖簾をくぐった。 店はまだ、開けたばかりと言うこともあってか客は誰一人いない。そんな光景だったせいか店内も 想像以上に殺風景でサラリーマンの息の場所とはとてもかけ離れていた。 僕は5人も座れば、ぎゅうぎゅうになりそうなカウンター席に座りあたりをきょろきょろしていた。 カウンターの向こう側では、僕が入ってきたことにも気付かないのか、黙々とまな板を叩く一人の 男性がいた。僕は客が来たにも気付かない店主なんて最低だな...とぶつぶつ言っていたが ようやく店主は、僕の存在に気が付くと、慌ててかけてきた。 「あっ!すみませんでした....」 「いや...いいんですけど」 「ちょっと考え事をしてまして......」 「はあ〜?」 あまりにも、こいつサービス業失格だなと言う言葉が返ってきた。 僕は、なんだかさえない顔をして生ビールを注文し黙々と飲んでいた。 しばらくすると、この店主が寄ってきてお詫びの印として漬物を出してきた。 「これ、毎年自分が漬けるんですよ」 「あっ、そうなんですか.....」 「これ、うちの息子も大好きでね」 「あ〜、美味しいですね.....」 「家内の漬けたのだと嫌だって言うものだから」 「単なる、漬物自慢かよ.....」 「今年も食わせたかった」 「はい.....?」 僕は次の言葉に箸を持つ手が止まった 「息子も生きてりゃ、お客さんと同い年くらいかな〜」 「..............」 「この間、オートバイの事故で亡くなりましてね.....」 「あっけないもんですよ.....なんの為に今日まで頑張ってきたのか」 永遠と、子供のことを語る店主が痛々しかった。 この3週間、亡き息子を偲んでいたのだった...... 僕は、親より先に、旅立つことがこんなにも残酷なことなのか叩きつけられた瞬間だった 僕は、このときの事を今でも忘れられない...... 僕の親父も旅立っていない そして目の前の店主の子供も旅立ってしまった そんな気持ちが、僕を導かせたのだ。この目の前の店主の支えになろうと....そして今は亡き 子供の面影になってやろうと.... 僕が赤提灯で癒されたように、店主の心を癒してやろうと生意気な考えを持ってしまったのだ そして、その日から毎日顔を出すようになり僕も東京の親父と慕うようになっていったのだ あれから15年、時代の流れと共にこの居酒屋はなくなった。 そして、いま小さいけれどお洒落なバーに生まれ変わって、相変わらず東京の親父は酒を差し出している あの時と同じように、僕は毎日カウンターで千円だけ握り締め親父の笑顔を見に店に寄っている 「親父....長生きしろよ」と心で伝えるために.......
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