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差別
最も愚かで、汚らしい行為、戦争の根本原因になることも多い
肌の色、性別、宗教、思想、出自、考え方の違い、単に気に入らないから・・・・・
その理由を挙げだすときりが無い
古くは、人類創生のころから、人の歴史と共に歩んできた
士農工商という身分差別であったり、カースト制度や奴隷制であったり
形は変わっても、本質は変わらない
翻って現在
現代人の嗜み、一般社会常識として、差別や区別はしてはいけないということは、
子供の頃から教えられてきているはずなのだが・・・・
差別は無くなっただろうか?
人の性なのか、集団になると、必ず仲間を作って群れたがる
と同時に、はみ出る人間も作り出す
精神的に優位に立ちたいのか
些細なことで、奴らとは違うという意識を持つ相手を作りたがる
僕には、その気持ちがよく判らない
差別や区別するほどのものなのか・・・
冷静に考えれば、多くはつまらない低レベルの問題や誤解に終始するように思える
何故、そんな低レベルのことで、いがみあわねばならないのか理解できない
万物の霊長の人間が行う、最も愚かな行為
弱肉強食の原則はあっても、些細なことで差別するようなことは、他の生き物はしない
そう考えると、人は他人を差別せずには生きていけない動物なのかもしれない
日本社会では、勝ち組、負け組みという言葉で表されるように、
収入や社会的ステータスの多寡で区別をする
競争原理に晒された、現代社会に於いては、差別は必要悪なのか?
さて、僕が今置かれている状況
会社の部署で唯一の障害者、且つ、難病患者
本人はそんなことは意識していない
他の人と同様に、働き、活躍し、やりがいを見出すことを求めている
ただ、それだけ
もちろん、内容によっては、出来ないことや、制限されることがあるのは判ってる
その時は、ちゃんと自分でそう言う
しかし、周りはそうは思ってくれない
任される仕事は限定的なものに限られている
彼らの論理は、障害者、且つ、難病患者であることに配慮し、
負担のかからない仕事だけをやってもらえばいいということらしい
つまり、健常者とは、(僕から見れば)差別・区別されている
性質の悪い事に、彼らはそれを差別や区別だとは思っていない
むしろ、いい事をしてるくらいの気持ちでいる
配慮してるんだから、文句を言うなという姿勢が透けて見える
事の本質が捻じ曲げられてしまっている
本来、相手が何を望んでいるかが、一番肝心なことなのだと思う
つまり、この場合だと、僕が何を望んでいるか
でも、本質は障害者、難病患者というフィルターに覆われて、彼らには見えないようだ
いや、もしかしたら、見ないようにしてるのかも知れない
臭いものには、蓋という発想・・・
一方的な彼らの論理が有無を言わさず押し付けられる
いいことをしてるつもりで・・・・
結果、どういうことになって行くかと言えば、
あいつだけ、楽な仕事ばっかしやがってという、冷ややかな視線
嫉妬、妬み、嫉み、そんな思念が押し寄せてくるのが、ヒシヒシと感じる
僕が望んだことじゃなくても、対象になるのは僕
もちろん、周りの人間も僕の身体の事は知っています
どこまで、きちんと理解してるかは別として
それでも、憎悪の対象になってしまう
針の筵
人は誰かを憎んだり、蔑んだり、下に見おろさないと、生きていけない生き物なのかもしれません
そうすることで、自分の立っている位置を確認し、
まだ下にいる奴がいる
あいつとは違う
と思うことで、何とか自分を奮い立たせる
それが、モチベーションの一端を担っている
そうだとしたら、人間はなんと惨めで哀れな生き物なんでしょうね
のがれようのない、性なのでしょうか?
もし、同じ様な境遇の方で、同様の思いをされてる方がいるのであれば、意見を聞かせてください
もちろん、他の人でもOKです
みんながどう考えてるのか知りたいな
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