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仕事もあって、久しぶりに福井市に行って来ました。 私は福井県敦賀市の生まれですが、高校から大学までの7年間は親元を離れ福井市ですごしました。 これまでは、盆暮れに敦賀市には帰っても、福井市まで足を延ばすことがなかなか出来なかったのです。 まず敦賀の実家に帰り、二日目に福井市に行って来ました。 初日の昼御飯は、敦賀のヨーロッパ軒で懐かしいカツ丼を食べました。 ヨーロッパ軒という名前がなんともレトロな感じがします。 福井のカツ丼は、このところいろんなテレビ番組で取り上げられることも多いのですが、「ソースカツ丼」なんです。 ドンブリの中には、玉子でとじられたトンカツではなく、ウスターソースが染みこんだ黒いトンカツが載っているのです。 こんなカンジなんです。 子供の頃は、カツ丼と言えばこのソースカツ丼が当たり前でした。 お店によっては、普通のカツ丼が「上カツ丼」とか言う名前で出てくるところもありました。 なんとも懐かしい味です。関東ではなかなか食べられませんから。 でも、実は私はカツ丼は玉子でとじた普通のカツ丼の方が好きだったりします。 ソースカツ丼は懐かしいし美味しいんですが、どちらが好きかって言われると・・・・ でも、約二十年ぶりくらいに食べたソ−スカツ丼の味には涙が出そうでした。 そして二日目に仕事で福井市に、実家のクルマを借りて行ってきました。 ちょっと早く着きすぎたので、学生時代を過ごした懐かしい町に行ってみました。 これはその町を通る私鉄の「えちぜん鉄道」の電車です。 私が福井に住んでいる頃は、「京福電鉄」という鉄道会社だったのですが、2003年にえちぜん鉄道に変わったらしいです。電車の色やなんかもすっかり変わっています。 余談ですが、この写真の電車は駅を出発したところなんですが、その駅というのは「田原町駅」と言う駅なのです。田原町駅とは私が通っていた高校を含め、周辺の高校大学の学生の多くが通学で利用していた駅なのです。 当時、福井県の高校生はよく進研模試を受けていました。進研模試では県内の成績優秀者を毎回発表していましたが、その氏名はカタカナで発表されていたんです。 科目別の国語の成績優秀者の中にいつも「タワラマチ」と言う名前がありました。「タワラマチ」と言えば、みんなが毎日通学で利用している「田原町駅」でしょう。 でも、これは後に「サラダ記念日」を出して有名になる歌人の俵万智さんのことだったのです。 当時はそんなことを知るよしもありませんでしたので、「タワラマチなんて変な名前やなぁ・・・・ふざけてるんと違うか。」なんて話題になり、私のクラスでも名前をちょと変えて進研模試を受けるのが流行ったりしました。「アライ○○○サマ」とか、「サワダ○○○ハカセ」とふりがなをふって、良い成績をとると成績優秀者の欄にその変な名前が載るのです。その名前を見て喜ぶといった馬鹿なことをして遊んでいました。 俵万智さんはやはり国語が得意だったようで、県内でもトップクラスの成績を取っていました。私も理数科でありながら国語が得意だったのですが、彼女には一度も勝つことは出来ませんでした・・・・・(おしまい) 私が通っていた高校は、俵万智さんが通っていた藤島高校やその他県立高校を落ちてしまった連中が集まる北陸高校というところでした。 北陸高校は、1学年20クラスほどもあるような大型高校で、私がいた理数科や特別進学クラスで大学受験を目指す連中から、スポーツでより高みを目指す連中まで、様々な高校生がウジャウジャといた高校でした。 北陸高校を卒業してからもう30年近くたっています。 恩師の松田先生も教頭になられて、学校もどんなに変わってしまったのだろうと思い、ちょっと行ってみましたが、校門から見える風景は全然変わっていませんでした。 校舎には、「祝!優勝 全国高校総合体育大会(インターハイ)男子ハンドボール部」「祝!優勝 全国高校選抜優勝大会(ウィターカップ)男子バスケットボール部」という看板が掛かっています。 あいかわらず頑張ってるなぁ・・・・ バスケットボール部とハンドボール部は私の在学中からかなり強く、度々全国制覇をしています。そういえば先日、所ジョージの番組で北陸高校ハンドボール部を取り上げていたなぁ・・・ と感慨にふけりながら、近くの私が高校大学と7年間すごした下宿があったあたりに行ってみると、なんと下宿の建物がそのまま残っていました。 30年前にすでにボロ屋だったのに、まだ建っているなんて! 私が大学を卒業して数年後にオバサンが亡くなってしまい、下宿屋をやめたという話しは聞いていたので、建物もなくなっているモノだと思っていたのですが、まだ建っていました。 この写真の2階の左側の部屋で私は学生時代を過ごしました。 なんと懐かしい・・・・ そしてお昼御飯に昔よく行ったお蕎麦屋さん「三井屋」におろし蕎麦を食べに行きました。 三井屋の建物はすっかり変わっていました。 昔は、古い町屋風のお店だったのですが、変わるにしてもこんな風にしなくても良かったのに・・・・と思ってしまいました。 これが三井屋のおろし蕎麦です。 三井屋は、当時は名の通ったおろし蕎麦の名店で、おじいさんとオジサンが蕎麦を作っていました。小さな子供も時々店で見かけましたが、いまお蕎麦を出している30代くらいの店主がその時の子供だったのでしょうか・・・・ 三井屋の蕎麦は、平たくてコシの柔らかいところが特徴でした。ツユもちょっと甘めで、優しい味のお蕎麦だった記憶があります。 今でもその流れは受け継いでいるようです。 頑張ってこの味を守って下さい。 仕事を済ませ帰る途中 なんとも美しい田園風景に出くわしました。 敦賀市の新保という地区の景色です。 これで村の建物が茅葺き屋根の建物だったりしたら世界遺産並みだなぁ・・・なんて感じ入ったりしていました。 そして、その日の夜中。私の父親と一緒に近所の屋台のラーメンを食べに行ってきました。 敦賀の屋台ラーメンはこの地域では有名で、隣県からもたくさんの人が食べに来たりしています。 いつも行くのは実家近くの「ごんちゃん」です。 ごんちゃんのラーメンははかなり評判が良く、この夜もたくさんのお客さんがラーメンを啜っていました。 ラーメンはシンプルな関西風のラーメンです。はんとは最後にご飯をスープに放り込んでズルズルと啜りたいところです。 私と父とが1杯ずつラーメンを頼みましたが、父は夜中にラーメンを完食出来るほど若くはありません。食べる先から、麺を私のドンブリに移してきます。 結局真夜中にラーメンを1.5杯食べることになってしまいました。 体重が・・・・・ 最後の3日目は、朝からもう一つの仕事の打合せを済ませ、こんどは敦賀の蕎麦屋でお昼を食べて鎌倉に戻りました。 こんどは、敦賀の「千束(ちぐさ)そば」です。 福井県は、嶺北(昔の越前)と呼ばれる地域と、嶺南(昔の若狭)と呼ばれる地域があり、おろし蕎麦というのはどちらかというと嶺北地方の名物で、嶺南あたりはうどんの方が親しまれていたのです。 この「千束そば」は、当時嶺南では珍しくまっとうなおろし蕎麦を出す店だったのです。 これが千束そばのおろし蕎麦です。 こういう蕎麦が、おろし蕎麦の最も一般的なスタイルです。 最近は器もいろんな形ものを使って各店が特徴を出そうとしていますが、昔はみんなこんなカンジでした。 そしてこちらは「塩おろしそば」です。ツユは醤油で味を作っていないようで、透明です。 こんなメニューは昔はありませんでした。 池田町の「一福(いっぷく)」の影響でしょうか。 この「一福」のお蕎麦も美味しいですよ。最近行っていないのでここで紹介は出来ませんが、こんど田舎に帰ったらなんとしても一福に行って、そのお蕎麦をこのブログで紹介します。ただ、池田町ってホント山奥なもんでなかなか行けないんですよねぇ・・・ こうして千束そばでおろしそばを楽しんで、鎌倉への帰途につきました。 今回は、ホント久しぶりに福井の街を訪れましたが、ゆっくりは出来ませんでした。 こんどはもっと時間をとって、友人達にも会ってきたいものです。
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2011年07月10日
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