|
久しぶりに君津に行きました。 仕事の関係で行ったのですが、その打合せの前に「かさりんご」さんに行ってきました。 「かさりんご」は、私が独立して最初に手がけたパン屋さんです。 竣工して約5年たちますがとてもきれいに使って頂いてます。 店舗併設住宅で、写真はパン屋さん側です。 敷地の南側は君津市有地の緑地に面していて、ローケーションは抜群です。 まるで自分のウチの庭のように家の南側に芝が広がっています。そしてここには、春先にタケノコがニョキニョキ出てくるんです。イイなぁ・・・・ オーナーのKさんには今も大変お世話になっています。 先日、このブログの「'''白金の絶品蕎麦と大邸宅」でもちょっと書かせてもらいましたが、Kさんに紹介して頂いてお仕事になった物件があります。 これは、大変ありがたいことです。 実際に建物を見て気に入って頂き、そのオーナーさんに紹介して頂き新たな仕事となる。 仕事をいただく流れとしては、このあり方が最も望ましい形だと思います。 私の師匠の内井昭蔵先生によく「建築家は営業などするものではない、作品を見てもらうことが営業なんだ。」と言われてました。 本当にありがたいことです。 さらにありがたいことに パンまで頂いちゃいました。 美味しいんです、かさりんごのパン。 しっかり食べ応えのある、味わい深いパンです。 ありがとうございます。 かさりんごさんのあと、近くの「四季の蔵」というところに寄って、いかの塩辛やいろんなものを買いました。 「四季の蔵」には、いろんな房総の名産品が売っていて、クルマでかさりんごの現場に行ったときはよくお土産を買っていました。 ここには足湯コーナーがあるのですが その向こうには館山自動車道が通っています。 この写真ではよく分かりませんが、館山自動車道は南房総方面に向かうクルマで大渋滞です。 三連休の中日ですから仕方ありませんが、帰りにこのクルマの群れと一緒にアクアラインを通るのはチョット恐ろしいです。 このあと仕事の打合せをしましたが、打合せが終わるやいなや、渋滞が始まる前にと急いで帰途につきました。 おかげでスムースに家に帰り着くことが出来ました。 途中、横浜の大黒PAで休憩しました。 かっこいいクルマが3台駐まっていました。 3台ともトライアンフでした。 イイなぁ、こんなクルマでドライブを楽しんでみたいものです。 とても暑い一日でしたが、とても有意義で楽しい一日でした。 パンも美味しかったです。 アクアラインも800円だったし・・・・
|
旅
[ リスト | 詳細 ]
|
仕事もあって、久しぶりに福井市に行って来ました。 私は福井県敦賀市の生まれですが、高校から大学までの7年間は親元を離れ福井市ですごしました。 これまでは、盆暮れに敦賀市には帰っても、福井市まで足を延ばすことがなかなか出来なかったのです。 まず敦賀の実家に帰り、二日目に福井市に行って来ました。 初日の昼御飯は、敦賀のヨーロッパ軒で懐かしいカツ丼を食べました。 ヨーロッパ軒という名前がなんともレトロな感じがします。 福井のカツ丼は、このところいろんなテレビ番組で取り上げられることも多いのですが、「ソースカツ丼」なんです。 ドンブリの中には、玉子でとじられたトンカツではなく、ウスターソースが染みこんだ黒いトンカツが載っているのです。 こんなカンジなんです。 子供の頃は、カツ丼と言えばこのソースカツ丼が当たり前でした。 お店によっては、普通のカツ丼が「上カツ丼」とか言う名前で出てくるところもありました。 なんとも懐かしい味です。関東ではなかなか食べられませんから。 でも、実は私はカツ丼は玉子でとじた普通のカツ丼の方が好きだったりします。 ソースカツ丼は懐かしいし美味しいんですが、どちらが好きかって言われると・・・・ でも、約二十年ぶりくらいに食べたソ−スカツ丼の味には涙が出そうでした。 そして二日目に仕事で福井市に、実家のクルマを借りて行ってきました。 ちょっと早く着きすぎたので、学生時代を過ごした懐かしい町に行ってみました。 これはその町を通る私鉄の「えちぜん鉄道」の電車です。 私が福井に住んでいる頃は、「京福電鉄」という鉄道会社だったのですが、2003年にえちぜん鉄道に変わったらしいです。電車の色やなんかもすっかり変わっています。 余談ですが、この写真の電車は駅を出発したところなんですが、その駅というのは「田原町駅」と言う駅なのです。田原町駅とは私が通っていた高校を含め、周辺の高校大学の学生の多くが通学で利用していた駅なのです。 当時、福井県の高校生はよく進研模試を受けていました。進研模試では県内の成績優秀者を毎回発表していましたが、その氏名はカタカナで発表されていたんです。 科目別の国語の成績優秀者の中にいつも「タワラマチ」と言う名前がありました。「タワラマチ」と言えば、みんなが毎日通学で利用している「田原町駅」でしょう。 でも、これは後に「サラダ記念日」を出して有名になる歌人の俵万智さんのことだったのです。 当時はそんなことを知るよしもありませんでしたので、「タワラマチなんて変な名前やなぁ・・・・ふざけてるんと違うか。」なんて話題になり、私のクラスでも名前をちょと変えて進研模試を受けるのが流行ったりしました。「アライ○○○サマ」とか、「サワダ○○○ハカセ」とふりがなをふって、良い成績をとると成績優秀者の欄にその変な名前が載るのです。その名前を見て喜ぶといった馬鹿なことをして遊んでいました。 俵万智さんはやはり国語が得意だったようで、県内でもトップクラスの成績を取っていました。私も理数科でありながら国語が得意だったのですが、彼女には一度も勝つことは出来ませんでした・・・・・(おしまい) 私が通っていた高校は、俵万智さんが通っていた藤島高校やその他県立高校を落ちてしまった連中が集まる北陸高校というところでした。 北陸高校は、1学年20クラスほどもあるような大型高校で、私がいた理数科や特別進学クラスで大学受験を目指す連中から、スポーツでより高みを目指す連中まで、様々な高校生がウジャウジャといた高校でした。 北陸高校を卒業してからもう30年近くたっています。 恩師の松田先生も教頭になられて、学校もどんなに変わってしまったのだろうと思い、ちょっと行ってみましたが、校門から見える風景は全然変わっていませんでした。 校舎には、「祝!優勝 全国高校総合体育大会(インターハイ)男子ハンドボール部」「祝!優勝 全国高校選抜優勝大会(ウィターカップ)男子バスケットボール部」という看板が掛かっています。 あいかわらず頑張ってるなぁ・・・・ バスケットボール部とハンドボール部は私の在学中からかなり強く、度々全国制覇をしています。そういえば先日、所ジョージの番組で北陸高校ハンドボール部を取り上げていたなぁ・・・ と感慨にふけりながら、近くの私が高校大学と7年間すごした下宿があったあたりに行ってみると、なんと下宿の建物がそのまま残っていました。 30年前にすでにボロ屋だったのに、まだ建っているなんて! 私が大学を卒業して数年後にオバサンが亡くなってしまい、下宿屋をやめたという話しは聞いていたので、建物もなくなっているモノだと思っていたのですが、まだ建っていました。 この写真の2階の左側の部屋で私は学生時代を過ごしました。 なんと懐かしい・・・・ そしてお昼御飯に昔よく行ったお蕎麦屋さん「三井屋」におろし蕎麦を食べに行きました。 三井屋の建物はすっかり変わっていました。 昔は、古い町屋風のお店だったのですが、変わるにしてもこんな風にしなくても良かったのに・・・・と思ってしまいました。 これが三井屋のおろし蕎麦です。 三井屋は、当時は名の通ったおろし蕎麦の名店で、おじいさんとオジサンが蕎麦を作っていました。小さな子供も時々店で見かけましたが、いまお蕎麦を出している30代くらいの店主がその時の子供だったのでしょうか・・・・ 三井屋の蕎麦は、平たくてコシの柔らかいところが特徴でした。ツユもちょっと甘めで、優しい味のお蕎麦だった記憶があります。 今でもその流れは受け継いでいるようです。 頑張ってこの味を守って下さい。 仕事を済ませ帰る途中 なんとも美しい田園風景に出くわしました。 敦賀市の新保という地区の景色です。 これで村の建物が茅葺き屋根の建物だったりしたら世界遺産並みだなぁ・・・なんて感じ入ったりしていました。 そして、その日の夜中。私の父親と一緒に近所の屋台のラーメンを食べに行ってきました。 敦賀の屋台ラーメンはこの地域では有名で、隣県からもたくさんの人が食べに来たりしています。 いつも行くのは実家近くの「ごんちゃん」です。 ごんちゃんのラーメンははかなり評判が良く、この夜もたくさんのお客さんがラーメンを啜っていました。 ラーメンはシンプルな関西風のラーメンです。はんとは最後にご飯をスープに放り込んでズルズルと啜りたいところです。 私と父とが1杯ずつラーメンを頼みましたが、父は夜中にラーメンを完食出来るほど若くはありません。食べる先から、麺を私のドンブリに移してきます。 結局真夜中にラーメンを1.5杯食べることになってしまいました。 体重が・・・・・ 最後の3日目は、朝からもう一つの仕事の打合せを済ませ、こんどは敦賀の蕎麦屋でお昼を食べて鎌倉に戻りました。 こんどは、敦賀の「千束(ちぐさ)そば」です。 福井県は、嶺北(昔の越前)と呼ばれる地域と、嶺南(昔の若狭)と呼ばれる地域があり、おろし蕎麦というのはどちらかというと嶺北地方の名物で、嶺南あたりはうどんの方が親しまれていたのです。 この「千束そば」は、当時嶺南では珍しくまっとうなおろし蕎麦を出す店だったのです。 これが千束そばのおろし蕎麦です。 こういう蕎麦が、おろし蕎麦の最も一般的なスタイルです。 最近は器もいろんな形ものを使って各店が特徴を出そうとしていますが、昔はみんなこんなカンジでした。 そしてこちらは「塩おろしそば」です。ツユは醤油で味を作っていないようで、透明です。 こんなメニューは昔はありませんでした。 池田町の「一福(いっぷく)」の影響でしょうか。 この「一福」のお蕎麦も美味しいですよ。最近行っていないのでここで紹介は出来ませんが、こんど田舎に帰ったらなんとしても一福に行って、そのお蕎麦をこのブログで紹介します。ただ、池田町ってホント山奥なもんでなかなか行けないんですよねぇ・・・ こうして千束そばでおろしそばを楽しんで、鎌倉への帰途につきました。 今回は、ホント久しぶりに福井の街を訪れましたが、ゆっくりは出来ませんでした。 こんどはもっと時間をとって、友人達にも会ってきたいものです。
|
|
4月12日 土浦に仕事で行って来ました。 震災があった日、3月11日も土浦に行って、その帰りに帰宅難民となりましたが大地震−帰宅難民に、あれから1ヶ月がたちました。 この日も、朝強めの余震があり、乗っていた常磐線の電車が緊急停止したりして、1ヶ月前を思い出してしまいました。 電車が止まったせいで、お寺の現場には打合せ時間から1時間の遅刻。その後、土浦市役所に顔を出し省エネ法の届けの副本を受け取ってきました。 震災直後は、地震の爪痕が街のあちこちに見られた土浦も、すっかり桜の季節となっていました。 土浦市役所からの桜と筑波山。 神奈川県民にとって筑波山は馴染みがありませんが、東関東のシンボルと言ってもよい山で、どこからでもよく見えます。 土浦市役所は、市街地の中心からちょっとはずれた丘ノ上にあり、打合せに行くにはかなり不便なところですが、丘の斜面には大きな桜の木があって、この時期はなかなか見応えがあります。 桜好きの私としては、この日に土浦市役所に打合せに行けたのはラッキーだったと言えますね。 この日も市役所から土浦駅まで歩きました。 スッと歩けば15分ほどの行程ですが、桜が綺麗なのでちょっと遠回りです。 市役所から市街地へ向かうには川を渡っていきます。 この川が「桜川」。 こんな名前がついていて桜がきれいじゃない訳はありません。 桜川の両岸の土手は当然のように桜並木です。 桜のトンネルとはなっていませんが、なかなかきれいです。まさに満開。 土手に桜はよく似合います。 千鳥ヶ淵だって言ってみれば土手に桜ですもんね。 川を下って行くと、河口の方が見渡せます。 ずっと桜並木が続いています。 河口と言っても、桜川が注いでいるのは海ではなく霞ヶ浦です。 遠く見える水面は、日本で2番目に大きな湖の霞ヶ浦です。 歩いて行く元気も無かったので、ここで土浦駅に向かいました。 日本中に桜の名所があります。 私は桜が大好きです。 もし、外国人に「日本に行くなら何時がよい?」と尋ねられたら、迷わず「桜の頃」と答えると思います。出来ることなら、私自身が案内して廻りたいくらいです。 吉野山に行ってみたい・・・・
|
|
先週、故郷の福井県に行ってきました。 今、手がけている土浦のお寺の庫裏(くり:住職の住居部分等)の工事を請け負っているのが、福井県鯖江市の宮大工さんなので、そちらでの打合せがあったのです。 それだけではなく、私の出身地の敦賀市でも、お寺の庫裏の計画を進めたいと言う話しもありました。こちらは、私の友人が住職をやっているお寺です。 実は、1月30日に行くつもりだったんですが、天気予報を見ると大雪となっているので様子を見ることに・・・すると、北陸高速で車1000台が立ち往生とか、福井県から自衛隊に出動要請とか。 行かなくて良かった・・・・ 雪も峠を越えたと言うことなので、2月2日に福井の方に行ってきました。 途中、北陸線の車窓から これは、滋賀県の北部、福井県に入る直前の余呉湖(戦国時代、賤ヶ岳の合戦があったところ)のあたりです。真っ白です。 その日は敦賀の友人のお寺で打合せ。 翌2月3日。北陸には珍しく凄くイイお天気! 役所等に打合せに行く前に、あちこちウロウロしてきました。 海です。 これは、「気比の松原」という海岸で、一応日本三大松原のひとつと言われています。 白砂青松の中にさらに白い雪が入ってかなり美しいです。 海は驚くほど静かで、水も澄んでとても冬の日本海とは思えない景色になっています。 冬の日本海は、普通は灰色に濁った海が荒れ狂い、とても近づく気になれないものなのですが、この日はとても美しく、雪を除けば南国のリゾート地といった色をしていました。 気比の松原から、敦賀半島を少し北上すると「常宮神社」があります。 ここは安産の神様で、うちでも長女の出産の時にお参りに行っています。 境内はすっかり雪に埋もれていました。 除雪はかろうじて人が通れるだけの巾しか出来ていません。 それもまた風情があるような気もします。 そして境内には 雪中梅ですね。キレイです。 そして こちらは雪中蝋梅ですか・・・・ この神社は海沿いにあり、境内から鳥居の方を振り返ると 舞殿越しに海が見えます。わかりますかね・・・・ 常宮神社は古い神社で、創建は703年だそうです。平城京より古いのです。 田舎の小さな神社ですが、「朝鮮鐘(新羅鐘)」という国宝があったりします。 また、私の父(大工だった)が常宮神社の改修工事で天井裏にもぐったとき、棟札を見てみたら「棟梁 木原吉左衛門・・・」と書いてあったとか。 実は、わが家は代々木原吉左衛門を襲名する宮大工の家だったんです。私は十五代目らしいです。でも、大工は継いでいません。親不孝ですね・・・・ まぁ、この日は珍しくイイお天気に恵まれて、気持ちよい時間を過ごすことが出来ました。 よかった・・・・ つづきは次回
|
|
あけましておめでおめでとうございます。 今年は、久しぶりにお正月に私の田舎、福井県敦賀市に帰省しました。 お正月は鎌倉の方が圧倒的に過ごしやすいので、ここ数年は帰省するのを避けていたのですが、両親もけっこうな歳になってきたので、今年は思い切って帰省したのです。雪が降らないことを祈りつつ・・・・・ 田舎に向かうのは12月30日。 雪国へ向かうというのに、車のタイヤはノーマルしかありません。仕方なくタイヤチェーンを積んでいきましたが、雪の降る中タイヤにチェーンを装着する作業は苦痛です。そういうことにならないようにと願っていましたが、東名高速から名神高速に入り、しばらく走った大垣ICあたりから白いものがちらつき始め、関ヶ原のあたりはもう横殴りの雪となってしまいました。降り始めたばかりですので、路面に雪は積もっておらず、チェーン規制もかかっていなかったのでそのまま慎重に進みますが、名神高速でこれでは北陸自動車道に入ったらもうダメだろうと諦めつつ米原JCTから北陸道に突入。 ところが、北陸高速に入るとだんだん雪の勢いが弱くなってきて、滋賀県を抜けて福井県に入った頃にはもう雪は降っていませんでした。 チェーンを装着することなく田舎に帰り着くことができました。ラッキー。 しかし、12月30日は朝から雪。 結局、ホワイトお正月を迎えることとなりました。 例年、深夜に近くの気比神宮(けひじんぐう)に初詣に行くのですが、雪も積もっているし、とても寒かったので夜が明けてから初詣に行くことに・・・・・ 気比神宮は、北陸総鎮守ということで、敦賀という小さな町にしては立派な神社なのです。名前も〜神宮という立派な名前が付いています。この写真は気比神宮の鳥居です。重要文化財らしいです。 雪のせいか、人出も例年より少ないみたいです。それでも拝殿の前には行列ができていました。 ここは、北陸総鎮守と言うだけあって由緒ある神社で、松尾芭蕉も「奥の細道」の旅で立ち寄って一句詠んでいます。 月清し 遊行の持てる 砂の上 これは、時宗の開祖遊行上人が、その昔気比神宮の境内が沼地でぬかるんでいたところを、自ら砂を運んで整えたという伝説を題材に芭蕉が俳句を詠んだもので、それにちなんだ銅像が気比神宮に建っています。 また、敦賀の街のあちこちにこんなものがあります。 これは、宇宙戦艦ヤマトに出てくるロボットのアナライザーです。 境港市には水木しげるロードというのがあり、ゲゲゲの鬼太郎等のモニュメントががありますが、敦賀市には松本零士先生の作品に出てくるキャラクターのモニュメントが並んでいます。 ちなみに、敦賀市と松本零士先生とはなんの関係もないそうです。 なんでまた・・・・ また、冬の福井県を代表するものと言えばコレ 福井あたりだと、スーパーの鮮魚コーナーでもこんな状態です。 これは、地元でセイコガニと呼ばれている、越前ガニ(ズワイガニ)の雌のカニです。これが美味しいんですよね、おなかに外子(卵)と内子(卵巣)があって・・・・ 雪のお正月を楽しむ人たちもいて こんなことに タイトルは、「うさこデラックス」だそうです。
|

- >
- 生活と文化
- >
- 祝日、記念日、年中行事
- >
- 正月







