エッセイ

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鰹節のこと

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     友人から 高知の鰹節を貰いました
     ゆずの味付けがしてある半生で 包丁でスライスし
     そのまま サラダやオードブルに マヨネーズで
     頂けるようになっています  楽しみです

     鰹節といえば 私達が子供のころは 母や祖母が 
     毎日 お台所で コチコチと 鰹節を削る音がしていたものですが 
     この頃は 鰹節を削る家は 少なくなったようです

     その当時の鰹節削り器が まだありました
     懐かしくなって 生節と一緒に写してみました

     
     NHK みんなの歌で「かつおぶしだよ 人生は」を
     加藤清史郎ちゃんが 可愛い声で歌っています

     「浪花節だよ 人生は」をもじっていて
     猫の目から 人間社会をみた面白い歌です

水師営の会見

  なつめといえば 明治生まれの母がよく歌ってくれた 小学唱歌(明治39年)を思い出しました
    
     水師営の会見

    作詞 佐々木信綱   作曲 岡野貞一

  1  旅順開城 約なりて
       敵の将軍 ステッセル
     乃木大将と 会見の
       所はいずこ 水師営

  2  庭に1本(ひともと)なつめの木
       弾丸あとも 著(いちじる)く
     くずれ残れる民屋(みんおく)に
       いまぞ相見(あいみ)る 二将軍

  3  乃木大将は 厳かに
       御恵(めぐみ)深き大君の
     大みことのり 伝うれば
       彼かしこみて 謝しまつる
  
  4  昨日の敵は 今日の友
       語る言葉も うちとけて
     我は讃えつ 彼の防備 
       彼は讃えつ わが武勇・・・・・・・

    まだまだつづきますが

  明治38年 日露戦争終結にいたる日本の乃木大将と 露軍ステッセル将軍の
  水師営における会見の模様を 歌にしたものでした

  当時の私には 難しい言葉の羅列で 充分理解はできませんでしたが 特に記憶に残ったのは
  2番の最初「庭にひともと なつめの木」という言葉でした

     明治も100年の遠くになり  この歌を覚えている人
     歌える人が だんだん少なくなってきます


  

スズメバチの巣

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  もういよいよ捨てる時期が来たようなので
  せめて写真だけでもと撮ったのが 棚の上に乗せたままで 
  ほこりをかぶっている このスズメバチの巣です

  もうかれこれ30年位前 いやもっと前になるでしょうか
  2階の軒先にスズメバチが巣を作ったのです
  キイロスズメバチのようです
  近くに 雑木林や竹やぶがあって 巣の材料が豊富にあり
  屋根の下で雨もかからず 天敵もいなかったのか 気がついたときは
  巣は 大分大きくなっていました 
  そのうち せわしなく出入りする蜂の数も増えてきて 巣はどんどん
  大きくなっていき どうすることもできなくなりました
  この蜂に刺されて 命を落とす人もいると聞いていますし
  全部の蜂が巣立っていなくなるまで 触らないでおこうということに
  なりました ガラス戸越しに子供達と毎日見ていました
  家の周りにも 大きな蜂がブンブン羽音をたてて飛ぶので 怖くて
  窓も開けられなかったのを 覚えています

  どれくらいの日がたったでしょうか 蜂がすっかりいなくなってから
  大工さんが蜂の巣を そっと切り取ってくれました
  マーブルの縞模様の芸術作品のような見事な蜂の巣は とても美しくて 
  縁起がいいとか 魔よけだとかで 長いあいだ玄関に飾っていました
  今は棚の隅に追いやられ すっかりくすんで 茶色になりました。

アヤコマチ

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      日曜日 立ち寄った天理の道の駅で 鳴門金時のような
      細くてスラリとした 形のよいサツマイを見つけ
      「アヤコマチ」という名前につられて買って帰り 
      早速 蒸かしてみました 
      中身は きれいな橙色をしています 
      紫芋は知っていましたが これは 見たことがない色です
      そんなに 特別甘くはなく ごく普通のさつまいもでした

         かんしょ農林60号「アヤコマチ」
         つい最近出回りだした品種で 外観は紡錘形をしていて
         カロテンを含み 食味も中〜やや上。
         皮は赤、肉色は鮮やかなオレンジ色である。
         調理適性が高く 惣菜用に適する。ということで
         やはり鹿児島から普及してきたようです


      あれは確か 昭和20年前後だったと思いますが、
      「農林1号」というさつまいもが盛んに作られていました。
      大きくて たくさん収穫されるのですが 甘みのない 不味いお芋で
      いくら食糧難の時とはいえ 皆 閉口したのを覚えています
      家畜の飼料用だったのでしょうか
      あれから はや60年も経ち 育種改良されて「アヤコマチ」は農林60号?
      バイオだ何だと 農業の技術研究も進んできている事と 時間の経過を 
      アヤコマチを食べながら 感慨ふかく 考えさせられました

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      五代将軍 徳川綱吉の時代のお話です
      犬公方といわれた綱吉のころは、
      人より犬の方が大切にされたといいますが 奈良でも
      鹿は神鹿として 人より大切にされていた時代がありました

      三条通りの南がわ 興福寺の中に俗に十三鐘といわれる
      菩提院大御堂があります
      むかし このお堂の横に寺子屋があって、お寺の和尚さんが
      二・三十人の子供達に読み書きを教えていました
      その子供達のなかに「三作」という子がいました

      ある日「三作」が習字をしていると,一頭の鹿がやってきて
      廊下に置いてあった草子をくわえていこうとしました
      「三作」は「コラッ」と叫んで文鎮を投げつけましたが
      打ち所が悪かったのか 鹿はその場に倒れて死んでしまいました

      奈良の鹿は春日大社の神の使いとされていますので、当時は
      [鹿を殺せば石子詰め]といい、死んだ鹿と一緒に
      生き埋めにされることになっていました

      幼い三作もこの罪は逃れられず、大御堂の前の東側の庭に
      大きな穴が掘られ 鹿と一緒に埋められてしまいました
      三作の母親は大変に嘆き悲しみましたが、どうすることも
      できませんでした

      そのご 母親はそこに供養のもみじを植えました

         (奈良大和路の昔話より引用)

        近松門左衛門がこのお話を取材して[十三鐘]という浄瑠璃を
        草したことは有名であります

        十三鐘は 五重の塔のすぐ南 三条通り沿いにあります

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