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今回はえびの1往復を受け持っていた都城機関区の配置について書こうかと。
「55.10」まではえびのの博多での滞留時間を活用して佐世保(時期によっては長崎も)まで行っていたが、それ以降は一貫して熊本以南だけとなる。
1981.3.31現在
キハ58(9)
キハ28(2)
キハ65(3)
キロ28(2)

1982.3.31現在
キハ58(9)
キハ28(2)
キハ65(3)
キロ28(2)

1983.3.31現在
キハ58(9)
キハ28(3)
キハ65(3)
キロ28(2)

1984.3.31現在
キハ58(11)
キハ28(4)
キハ65(3)
キロ28(2)

55.10〜59.2当時の急行運用は、58+65+キロ28+58の本編成が「都1」、58+28+58の付属編成が「都11」「都12」、合計3運用。
キハ28がカツカツでキハ65を予備で使える状態。
82年度、83年度にキハ28が増備され、83年度にはキハ58も増えたところで59.2のグリーン車連結廃止を迎える。

【参考文献】
鉄道ピクトリアル2008年3月号
国鉄発行 旅客営業案内各年号

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えびの間合い 本編成

今日はえびの間合いのうち、単純に都城ー宮崎の往復であった本編成(グリーン車つき)に触れる。

このスジは2000年のえびの廃止まで脈々と継続された伝統の間合い運用である。
朝の560Dで都城から宮崎への一番列車、深夜の585Dは都城方面の最終列車として、重要な役割を果たしていたのだろう。
1982年の時刻表では自由席グリーン車の表示はなく、いわゆる「ハ代用」として開放されていたと思われる。
田の字窓改造された2182,原型窓のままの2193,両キロ28に乗ってみたかったな。
また585Dは青井岳において、西鹿児島から門司港を目指す夜行急行日南(この時点では普通列車)とすれ違っていた由。
片や急行仕事の帰り、片や北九州を目指す寝台つきの夜行列車、山中の小駅にもドラマが展開されたのだろう。

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えびの間合い 妻線

前回は都城近辺を軸にえびの間合い運用のことを書かせて頂いたが、今回は宮崎より北、主に妻線とセットのお話。

55.10改正までは管理局をまたいで高鍋(一ツ瀬川から北は大分鉄道管理局)までの架線下DCが朝に1往復。
宮崎着後、えびの1号の時間に近接しているので、間合いと考えて差し支えないであろう。
55.10以降は財部ー宮崎ー妻線の下り最終で杉安に泊まり、翌朝の上り一番で宮崎に戻ったのち、えびの1号になる運用が都城のキハ58+キハ28+キハ58。
とある廃止路線写真集では、時期は不明であるが西佐土原ー黒生野を走る58+65+58の姿が。
都城のキハ28は55.10-59.2の間使用2に対して2両しかおらず、キハ65は使用1に対して3と余裕があるので、日常的にこういう代走があったのだろう。

前回から流れでキハ58+キハ28+キハ58都城車の流れを整理すると、
初日:都城1515-575D-財部1537/1550-572D-都城1606/40-579D-財部1656/1712-574D-宮崎1849/2052-631D-杉安2140
2日目:杉安641-620D-宮崎730/821-5612D(5-7)-熊本1258/1540-5615D(5-7)-宮崎2050
3日目:宮崎701(563D)または1019(571D)-都城815または1136(入区整備後初日の運用で出区)
と推測される。2本いれば回る計算。

今となっては推測の域を超えないが、なかなかの働き者。
当時は宮崎機関区がディーゼル機関車のみ配置する区で、宮崎地区で運用される気動車は都城、志布志、鹿児島(佐多大隅系統のみ)、南延岡(高千穂線直通)といった周辺区からの乗り入れで賄われていたと思われる。

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S55.10〜S57.11の都城周辺架線下DC

(下り)
563D 宮崎701-都城815
571D 宮崎1019-都城1136
575D 都城1515-財部1537(土休日、夏休み運休)
579D 都城1640-財部1656
581D 都城1728-大隅大川原1806
585D 宮崎2154-都城2300

(上り)
560D 都城600-宮崎714
566D 都城1210-宮崎1329
572D 財部1550-都城1606(土休日、夏休み運休)
574D 財部1712-宮崎1849

※時刻表 1982年9月号より

えびの編成2本を送り込むのに対し、宮崎に乗り入れるのは3往復。
残り1往復は妻線への一般型DC(キハ20,26,47)送り込みと思われる。
財部スジは五十市駅前の都城高校&都城工業高校対策か?
大川原行きなんてあるのが隔世の感。

58+28+58を財部スジに投入しそのまま宮崎に上げていたという趣味雑誌の記述と、これより前の時刻表には上記で言う560D〜585Dに自由席グリーン車連結の記事があったことから、58+28+58は前夜に送り込み(さらに妻線最終で杉安泊というおまけも)、グリーン車つき4両は当日に送り込んでいたのではないだろうか。

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えびのの間合い

といっても真っ青な末期の話ではなく、都城機関区健在の昭和50年代後半のこと。
当時はえびの3往復のうち、都城が2,5号を、残り2往復が熊本受け持ち。
運転区間の中間に基地がある都城の車は、普通列車で宮崎に送り込んでたそうな(まだ生まれてない(^_^;)

RJ誌の投稿およびルポ、または当時の時刻表や編成表をあたれば、
←吉松 キハ58+キロ28+キハ65+キハ58 熊本、宮崎→(吉松で向きが変わる)
    キハ58+キハ28+キハ58

の2組が別々に宮崎に送り込まれていた模様。
宮崎でドッキングして熊本を目指し、帰宮後は再び切り離されて別々に都城に帰っていたようだ。

長々と書いてしまったが、次回以降は具体的なダイヤと車両配置について扱っていこうかと。

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