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熊本からの使者

肥薩吉都の増結要員に147 59+147 61が南下してきたらしいけど、人吉新製配置で熊鉄局管内生え抜きのやつじゃん。
湯前線コンビとでも呼ぼうか(笑)
熊本の定期運用に入れ込んで矢岳で出し入れすればもっとおもろかったのにね。

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いつもの時刻表より、今宵は南九州に縁の深い交直流急行型電車の運用を紐解いてみましょう。
時代背景からして55.10で九州管内の急行列車は特急格上げが進み、本線系統の電車急行は最後の活躍をしていたころ。
本来の急行列車として宮崎地区に入ってきてたのは、
(下り)
5503M「日南1号」博多1454-宮崎2144

(上り)
5504M「日南2号」宮崎1106-博多1746

たった1往復だけ。

それに対し、この後本業と化していくローカル運用は、

(下り)
2523M 南延岡600-宮崎743
3551M 宮崎841-西鹿児島1057
569M 宮崎901-西鹿児島1159
573M 宮崎1237-西鹿児島1605
577M 宮崎1440-西鹿児島1808
3553M 宮崎1556-西鹿児島1835
2535M 佐伯1529-宮崎1947

(上り)
2526M 宮崎603-大分1127
562M 西鹿児島543-宮崎840
3552M 西鹿児島854-宮崎1137
568M 西鹿児島1113-宮崎1425
570M 西鹿児島1252-宮崎1546
3554M 西鹿児島1806-宮崎2039
2536M 宮崎2100-南延岡2231

※列車番号3000番台は快速「錦江」。

と、宮崎ー西鹿児島間では快速格下げされた「錦江」と直通の普通列車に多く運用されています。
宮崎以北は2往復に留まっています。
この頃は後年の短編成とは違う急行純正のサロ込み6両!
こんな編成で宗太郎や霧島を越えてみたかった…。

【参考文献】時刻表 1982年9月号

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簡易郵便荷物車

先日、志布志の配置表を出した中で、「キハ25 654,655」なる車両に気づかれたことかと思います。
キハ25はキハ20の片運転台バージョンですが、650番台とは何ぞや?
これこそが、簡易荷物車なる番台区分なのです‼
そもそもキハ20,25の簡易荷物車は、キハユニ26などの郵便、荷物車が用意できない場合にその代用ができるように、車内に仕切りのアコーディオンカーテンを設けて、車内を区分できる改造車です。
こうした車両に与えられる番台はたいてい600番台。
とはいえ志布志にいた2両は54番目と55番目ではありません。
ご存じの方も多いと思いますが、キハ20系の初期車はバス窓でデビューしており、二段窓にマイナーチェンジした際に200番台の区分を与えられています。
よってバス窓のグループから改造された分が600番台、二段窓の200番台以降から改造されたグループが650番台を名乗り、該当の車は650番台の4両目、5両目になるのです。

キハ25 202→キハ25 654(1968年改造)
キハ25 203→キハ25 655(1970年改造)

元は分オイ(大分運転所)の車だったようですが、なぜこんな車が志布志に流れてきたのか?
それはあの配置表の少し前、1979年度の配置を見ると、キハユニ26 1,11,12の3両が志布志にいます。
この3両の検査代車目的が考えられますね。
因みに1は80年に志布志で一生を終え、11,12も岡山に転出しています。
この時点で日南、志布志、大隅線の荷物、郵便輸送が縮小された可能性があります。
そして簡易荷物車の大義を失ったキハ25 654,655も後を追うように82年度に引退したのです。

(参考文献)
鉄道ジャーナル 1979年12月号

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例によって時刻表 1982年9月号から。

都城機関区(鹿ヤコ)えびの運用車の送り込みを引くと、日豊線宮崎ー都城の架線下DCはこれだけになります。

(下り)
571D 宮崎1019-都城1136

(上り)
566D 都城1210-宮崎1329

ストレートにヤコの一般車か、あるいはシシ車か、はたまた遠征してきたカコ車か?
4両なら複数区所の混結の可能性もありますね。
ホロの向きも気になるなぁ。

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大淀川の渡し船

といっても列車のお話です(笑)
今でも宮崎まで来た上り列車が南宮崎の車庫に入るついでに営業する一駅だけの列車はありまして、
6887M:宮崎2211-南宮崎2214(空港線6532Mの折り返し)があります。

時代は遡ってお約束の55.10〜57.11改正の間。
当時の運転上の中心は地平駅の宮崎。
南宮崎は電留線こそありましたが、まだまだ北から来る下り列車の終点は宮崎が大半の時代でした。
南宮崎行きが増えるのは民営化されて高架化計画が本格化してからのこと。
時刻表を紐解くと、それでも1本だけ下りの南宮崎行きがありました。

2531レ 延岡612-南宮崎821

そしてこれの折り返しが、上りの「渡し船」。

2530レ 南宮崎845-宮崎849

たった一駅だけのED76(恐らく)牽引の客レというのも贅沢です(^_^;)))

因みに、上りの南宮崎発は、

2538レ 南宮崎1644-南延岡1842
2540レ 南宮崎1740-延岡2016

と2本ありますが、それに対応する下りの「渡し船」はありません。

それにしてものんびりしたスジだ(^_^;)))

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