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sigma DP2s Toycamera Standalone XP 彼の写真には現実的な意味での時間感覚はない。
明瞭さを抑えるために、空もフォルムもディテールも、同じ様に曖昧に描写される。 他の写真家が頻繁に用いるような、何かをくっきり照らし出す光は全く使わないが 代わりに、全体のトーンを適切に落とすことで その写真が虚構の世界であること、彼の夢を写し出していることを示す。 それは、恐らく彼が住んでみたい世界なのだろう。 1日のうちでケンナが引きつけられるのは 光がとてもしなやかで柔らかな明け方と夕暮れ、そして夜の神秘さだ。 撮影機材の性能やフィルムの感度が非常に良いために 人間の目では知覚できないものを写し出してしまうことがよくわかっているからだが、 一方、露出時間次第で意外なほど幅広い時間帯で撮影出来ることも承知している。 マテリアルをコントロールする彼の能力が飛び抜けているため、 彼自身の操作によって、ある種の光の効果なら多少は作り出すことができる。 まさに彼自身が述べたように、「時間が時間を補正する」のだ。 Michael Kenna - "A Twenty-year Retrospecrive" Peter C. Bunnel によるintroduction より 出版/公表されている著作物を無断で引用することは 原則として認められないのだけれど 著作権法32条では、「正当な引用」として 著作権者の許諾なしに引用が認められる場合も規定されている マイケル・ケンナのアプローチを学ぶべく 写真集の解説文から、特に印象的な一節を抜き出し それを踏まえて手掛けた1枚を添える・・・という趣向で続けているのだけれど 引用部分が余りにも長すぎて、正当な引用の範疇を逸脱しているかもしれない |
Michael Kenna
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sigma DP1s Toycamera Standalone XP ケンナのスタイルは彼の目指すものと一致している
それどころか、反映していると言える。彼のスタイルは 様々な模範となる視覚芸術に対して抱いた感嘆の思いから創り上げられた 彼の手本は、非常に個人的な主題へのこだわりと 視覚上のフォルムの厳密性を合わせ持つ作品だ だが、ケンナの写真は一見しただけでは、難しさも強引さも感じられない これは、今の大袈裟な自己顕示の時代には不利と言える たとえば、一般的には、具象表現と抽象表現を対立するものとみて 芸術上ふたつの表現衝動は両立し得ないと考えられる傾向がある しかしケンナは、リアリズムと抽象主義の違いが 普通考えられているほど単純なものではないことを承知している さらに彼は、モノクロームという素材の持つ物質的特質を前提にして モチーフ面のリアリズムが、トーン面の抽象主義と拮抗し合うことこそ 自らの芸術の本質を示すのだと考える カラー画像にはモノクロームのもつ尖鋭さがない 白黒フィルムは本質的に、この世界から興味をそそるうわべの姿を引き剥してしまう そして見えないものを見るがゆえに、現実の奥に幽霊のような何かが存在すること 知覚できない世界があることを主張する ケンナは、この見えないものと見えるものとを関連付け、つなぎ合わせる方法を決めるのだ Michael Kenna - "A Twenty-year Retrospecrive" Peter C. Bunnel によるintroduction より |
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sigma DP1s Toycamera Standalone XP この20年間の作品に共通する、研ぎ澄まされた感性
不気味な空、古色を帯びたトーンは、何を象徴するのだろう? この写真家は自らの住む時代、自らの居場所、自らの年代記に どのような心構えで取り組んでいるのだろう? その写真の中に、自己欺瞞、光と闇の対峙、嘘と真実の対峙を感じさせる要素は無いのだろうか? 個人的な感情が自由に表現されているとは言っても、それはどういった感情なのだろうか? 失われた価値への思い、ノスタルジアなのだろうか? どこかに置き忘れてしまった進歩の鍵のありか、存在意義を無くした社会とその役割 そういった今の世界が失くしてしまったものを、ケンナは感じ取れるのだろうか? 彼の写真には、エレジーのような雰囲気、どことなく心をかき乱す雰囲気がある まるで彼自身が、記憶の意味を思い悩んでいるかのようだ 記憶の中では、夜は昼となり、昼は夜となる 彼の手法を見ると、彼は自分が今、この場だけにいるのではないことを 確認せずにはいられないのではないか、と思える 過去が導いてくれるからこそ、認識できる現在にいるのである 批判だけをするのではなく、何が正しいのかを訴えることが自由にできるとき こうした社会認識を持ち得るのだ マイケル・ケンナの写真集 "A Twenty Year Retrospective" Peter C. Bunnel氏 による解説文より引用 マイケル・ケンナという写真家がシャッターを落とすとき その行為は、いまそこに広がっている光景をフィルムに投影するだけではなく 歴史や過去への洞察、そして現代社会への問題提起を企図しているのだとすれば・・・ 私が、或る光景に向かい合い、それを写し留めようとするとき
その行為は、単なる個人的な心情の吐露や、習作の記録といった次元では済まされず 自分で考えているよりも、もっと publicな性質の責任を伴うのかもしれません |
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sigma DP2s SIGMA Photo Pro 4.2 昨年の秋に入手して以来、時間があれば繰り返し眺めている マイケル・ケンナ の写真集 "Twenty Year Retrospective" 実は、鑑賞する以外にも使い道があったりします 1. ブツ撮りの背景として 2. 前腕を鍛えるためのダンベル代わりに 3. 被写界深度のチェックシートとして 4. 黒レフ板として (※小生は未経験)
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Nikon D90 / AF-S DX Nikkor 16-85mm F3.5-5.6 ED VR ブラントの選んだ写真は、抑制と静謐が支配している点が目を引く。言わば非英雄的風景だ。
(中略)ブラントの選んだ写真は、断片的な光景から、写真家の関心が風景の示す場所にあるのではなく、 風景から受ける感覚にあるのだということがわかるものになっている。 * * * ケンナは主題を入念に分析すると同時に、同等の入念さで、カメラをどのポジションに置くかを決める。 光とその場の雰囲気を考え、それらがモチーフの形や輪郭、背景にどう影響するかを考える。 まるで静物画を描こうとするかのようだが、その意図は 対象が今、どのような姿をしているかを表わそうというだけではなく、 過去から今まで、どのような姿でそこにあったかを描くことだ。 彼は、過去何かが行われた場所に引きつけられる。歴史に引かれる。 つまり、昔、人間が、自然の秩序のなかに入り込んだことを、今も表わしている主題に引かれるのだ。 Michael Kenna 写真集 "A Twenty Year Retrospective" Peter C. Bunnel による introduction より |







