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第二部 米と麦
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達之助は軍艦に乗ることを希望したが、まず海軍の組織に慣れたほうがいい、ということ
で明治28年(1895年)四月より、海軍省の医務局に勤務することになった。
局長は寺沢鱒澄という人だった。
慣れるまで1年かかった。慣れてしまうと、こんどは組織の全体が見えき、自分の希望が
かなえられる事は絶対にない、とあきらめた。それこそ達之助は官僚機構の落とし穴だと
思った。
しかし、1898年4月に軍医学校が作られ、新しい変化の波がやって来た。達之助も太
田の計らいでそこで教えることになった。
これを契機に太田がよく遊びに来るようになり、いつのまにか飲み友達になってしまった。
「どうですか、お仕事は・・・・大変でしよう。」
「やっと慣れました。少し前までは俺もこの組織の中で腐って行くのか、と思っていたん
ですが、軍医学校のお陰で忙しい毎日です。」
「ところで、世界情勢が心配した方向へ傾きつつあります。とくにロシアの軍備増強は軍
事バランスをかなり不安定なものにしました。ロシアがアジア侵略を本格的に計画してい
るのがしだいに見えてきたのです。何年後かには日本と衝突するでしょう。しかし、ここ
にひとつ大きな問題があります。それは何かわかります。実にはがゆい問題です。」
「日本の軍事技術の遅れですか。」
「確かに遅れてはいますが、我々は飲み込みが早いですから、どんどん新しい技術をが作
り出しています。たとえば火薬の改良ですが。煙をあまりださないものに改良されつつあ
ります。黒色火薬などはその煙が大砲の前に煙幕のようになってしまい。標的が見えなく
なってしまう。
ひとつ遅れていることがあります。それは陸軍の問題なんですが、あいかわらず脚気で亡
くなる兵士が多いのです。戦わずして、病気でなくなってしまうほど無駄なことはありま
せんね。兵士達は戦ってこそ国のために働いたのだ、という気負いを持つことが出来ます。
それが脚気で死ぬなんて気負いも糞もないですよ。」
「しかし変ですね、海軍ではある種の栄養の不足が原因という事が実証されているはず。
現に海軍では脚気で亡くなる兵士が激減しています。」
「しかし、その原因がある種の栄養素不足だと証明されてはいませんね。」
「理論的に証明されなくても、人の命に関することですから、実証さえあれば充分だと思
いますが、・・・・この薬を与えれば治ることはわかっているのに裏付けがないという理
由で与えないで、患者が亡くなってしまったとしたら、許せないことですね。」
「それが良識というものですね。所が陸軍では通じないのです。達之助さんにお願いがあ
るのですが、なんとか陸軍の固い壁をぶち破ってもらいたい。」
「それは不可能ですね。高木さんのような人でも、その壁は破れませんでした。軍医とし
てはまだ一兵卒にすぎない私に何ができましょう。」
「そうですよね、ロシアに行ったときのようにはうまくいきませんよね・・・・こまった
もんだ。」
「しかし、『やってみなければわからない、』という言葉があります。努力だけはしてみ
ましょう。ところで、強硬に反対しているのは誰なんですか。」
「そうですか、助かります!陸軍の壁になっているのは、森田鹿之助という陸軍軍医です。」
太田はそれを言うとすぐに帰っていった。
達之助は、書棚を見た。
「これはやっかいだ、小説家の森田光男じゃないか。」
その小説家は達之助が尊敬していた人物だったのだ。
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