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村へ通じるかずら橋の上で若い女と男がなにやらもめていた。
「いいかい、」女が言った。もうちょっとでも近づくとここから飛び込んでやる。」
「ちぇ、おまえがここで死のうがおれの知ったこっちゃねえ、でもな・・・・」男は言っ
た。彼はヤクザ風のやせ細った男だった。
「俺を連れ帰ったら旦那にいくらもらうんだ。」女の声が鋭くなった。
「うるせえ、きさまなんかさっさとくたばっちまえ、・・・・・」
「そうかい、じゃ・・・・・」女はそういうと片手だけでかずら橋にぶらさがった。下に
は青い絵の具を流したような水筋があった。
「おっと待った、」男は両手を前に出し制止した。「冗談だよ、・・・・待ってくれ、今
死んでもつまらんだろう。」
彼らはひとりの猟師のような男がそっと近づいてきている事にまったく気付かなかった。
輔三郎だった。
「おまえだって、あいつがどんなやつかよく知っているだろう。」女は泣き叫ぶような声
になった。
「そりゃあ、旦那のドブさらいをしているのは俺だからな。しかしそれが俺の仕事よ。こ
れで生きているんだ。しかしお前も自分の事しか考えねな、お前が逃げおおせたら、旦那
はお前の妹に手を出すぜ。」
「そんなことしたら、かならず殺してやる!ずたずたにして魚のえさにしてやる。」
「面白いじゃねえか、そんな根性があるやつが、どうして今身投げなんか・・・・」
「うるさい、あんたなんかにわかってたまるか。」
「しかし、お前は一度だけ俺にほれたことがあるよな・・・・どうしておれなんかに、お
陰でいい思いをさせてもらったぜ。」
「あんたがとことん腐ってないと、かってに思い込んじまったからさ・・・・とんでもな
い勘違いだったよ、わたしを旦那に売り飛ばすなんて・・・・」
「俺なんかを信じたやつがばかなんだ・・・・・」
「俺は信じないぜ、」近づいてきた輔三郎が、痩せ男の腰に銃を突きつけ言った。
「なんだよ、おめいは・・・・おれたちにかかわりあいにならんほうがいいぞ、命を落と
すぞ。」
「命を落とすのはどっちだ、もう首をつっこんでら、俺はきさまのようなやつを見ると無
性に腹が立つんだ。気がみじかいぞ。この銃はなあ、熊の頭でも吹っ飛ばすんだ。」
「短気そうなじいさんだ・・・・」
痩せ男は、瞬間後ろを振り向いた。
輔三郎はすばやく銃口を空にむけ引き金を引いた。
バーン!!どでかい音がしたと思ったら男は、耳をおさえてひっくり返ってしまった。
銃声はあたりの山々に響き渡り複雑な反響音となって帰ってきた。
「やられた、鼓膜がやぶれた!」
「バカ、さっさとうせろ、2、3日すりぁ直る。といっても今のお前には聞こえんがな・
・・・」
痩せ男は雪の中をもときた道を飛ぶように戻って行った。
「輔じい、俺もびっくりした、助けて、度肝抜かれた、もう死ぬのがこわくなった。」
「そう。それでいいんだ、自分というものを最後まで見届けなくちゃな・・・・」
「なに?」
「気にすんな、独り言だ、徳蔵さんちのサエだろう、さあ、手につかまれ。」
「あったけえ手だな。」
「いつのまに、女になったんだ。」輔三郎はそういうと、片手で女の襟首をひっつかみ、
たちまちかずら橋の上にもどしてしまった。「ひとの手のぬくもりが分かるうちは死ねる
もんじゃねえ。まだ寿命があるってえことだ。」
「ありがとう。輔じい、ことばうまいな、女ってもんはよ、そんなことばに弱いんだ。」
「言葉の上だけで言ってんじゃねえ、経験から言ってる。いつも撃ったばかりの熊の手を
触ってみるんだ、そのとき温かみがわかるうちは俺は生き続けていけるんだっていつも思
うよ。理屈じゃねえ。」
きびすをかえし、輔三郎がかずら橋を戻ろうとすると、サエは輔三郎の後ろから抱きつき、
言った。
「輔じい、おれ、帰るとこねえ、しばらくとめて、お願い!」
『お願い、』と言った瞬間、サエは抱きしていた腕に力を入れた。
「そりゃ、・・・・かまわんが、俺だって男だからな何すっかわかんねえぞ。」
「輔じいのやれることじゃ、たいしたことねえ。」
「まったく、今の今まで死のうと思ってたやつが、口のへらねえ・・・。ま女は口が達者
なほうがいい。」
「よし、きまった、飯ぐらい私が作ってやる。ただ、ぐっすりと寝れるぐらいの布団ある
か。」
「そんなこと心配すんな。亡くなったばあさんが、何でも作って残してくれていた。子供
だけは残してくれなかったがな。ただ、少ししけっとるかもしれん。」
「そんなことどうでもいい。俺たちが毎日どんなとこで寝かされていたか、想像もできん
だろう。」
「なんとなく話には聞いてる。ま、とにかくうちへこい、紡績女工が寝るところよりはまし
だ。飯だって腹いっぱい食えるしな・・・・」
「よく知ってるでねえか。」
「そりゃわかるさ、いつも谷の下からこのかずら橋を心配してのぞいている。時代がどん
どんかわって行くのがわかる。」
「若い女のまたぐら覗いてんじゃねえのか・・・・」
「たしかに、おれらマタギは目がいいからな、谷の向こうの熊の顔でも見分ける事が出来
る。ほとんどの熊に名前をつけてしまった・・・・そんなことより、急いで家へ帰ろう、
けもの道は谷の獣のほとんどが歩くからな暗くなったら何にでっくわすかわからない。」
山道を歩き始めた最初はサエは輔三郎うしろに付いて行っていたが、長い登り坂をペース
をくずさず走って行く輔三郎に追いつかなくなった。
「待ってくれ、おめえ足が早いな・・・・」
「何言ってる、暗くなる前にうちに着かんとやっかいなことになる。今日は曇りだからい
くら目がいい俺でも勘で歩かなくちゃならなくなる。それに、夜は冷え込むぞ・・・・」
「だって息が切れてよう。」
「まったく・・・・置いてくぞ。」
「こんなべっぴんのあまっこを夜の闇に食べさせるつもりか・・・・」
「じゃ、俺の背中におぶされ・・・・いいから、おぶされ。」
「ありがてえ、輔じいやっぱり大好きだ。」
輔三郎の背中は暖かかった。サエはすぐに眠くなってきた。
「おい、眠るな、眠ると重くなる。」
「びっくりした、いい夢見ていたのに・・・・おしっこしてえな。」
「おしっこぐらいがまんしろ、あと少しだ。」
「少しってどれぐらいだ・・・・」
「1時間ぐらいだ。」
「1時間って、なんどきだ。」
「西洋の時間って知らないのか。」
「知らん。」
「半時だ。」
「がまんできねえよ、おんなのおしっこってがまんするのがたいへんなんだ。おろさなき
ゃ、おめえの背中で出すぞ。」
「かまわねえ、毛皮はおしっこ通さねえ。」
「まったく・・・・とっとと降ろしてくれ!」
サエは輔三郎の背中をたたいた。
「森のなかの道で女がションベンしたら、何が起こるかわからねえ、だめだ。」
「おとうも、同じようなこといってた・・・・おろしてくれ!」
「背中であばれるな、いいからそのままで出してしまえ。しょんべんもだせねえのか。」
「あ、そう、いいだね、できねえと思ってんだろう・・・・」
あーあ、やりやがった・・・・輔三郎は内心、おかしな気持ちになった。
しかし、それがひとつの儀式のようになり、女は安心して輔三郎の背で再び眠った。
娘はようやく二十歳をすぎたころ、輔三郎は五十六才だったが、どうみても六十をこえて
いるようにみえた。輔三郎は家に着くと叫んだ。
「おーい、山の神よ風呂沸かしてくれや、むすめっこのお客だ。」
「親戚の児か?まったく」
「ちょっと降ろしてくれよ、背中でしょんべんだされた。」
「まったく、どうしようもねえな・・・・・」
「ありがとう。」
「子供にしちゃ、重いし・・・・柔らかなおっぱい。」
「おいおい変なところさわるんじゃない、あとでけとばされるぞ。」
「なんだこいつは、りっぱな女じゃねえか。」
「ああ、徳蔵さんのところのサエだ。奉公先の工場から逃げてきたらしい。家にも帰えれ
んだろう。」
「だろうな・・・・しかし、こんな女と関わり合いにならんほうがいいぞ。」
「そうはいかん、子供のころ、徳蔵はおぼれかかった俺を助けてくれた。」
「何年前の話だ、本人はとっくに忘れてるぞ。」
「ところが、会うたんびに徳蔵めこの話を蒸し返しやがる。」
「まったく、子供を売るような男にはそんな話も自分を優位に持って行くための方便よ。」
「そりゃあわかっとる、しかしやつがどんな男だろうと、あのとき助けてくれなきぁ、い
まの俺はないんだ。」
「そう思い込んでいるだけだろう。ああくせえ、女のションベンは、吐き気がする。まっ
さかりじゃねえか。さ、おれは今日から山だ、山に帰らなくちゃ、腐っちまう。」
「なにいってる。いつまでいたっていいんだぞ。これから冷え込むぞ」
「いいさ、いいさ、俺にそんなこと関係ねえ。お二人でごゆっくり。この女はな、お前に
何をされてもいいぐらいほれてるぞ。そうやって、だらくしろ、腕のいいマタギが死んじ
まえ。」
ハ!しょんべんかけられた輔三郎なんか熊に食われてまえ・・・・
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