全体表示

[ リスト ]

本人は望んでいなかったのだけれど、経済的理由により死後出版を条件に出版された、シャトーブリアンの回想録(『わが青春・墓の彼方からの回想』/真下弘明訳/勁草書房1983)より、レカミエ夫人に言及している部分の覚書。
  
ジャン・ジャック・ルソーの死のディテールで半分埋まっている覚え帳に、何か書いて、とレカミエ夫人に頼まれ、「ねえ、僕がまた太陽を見られるように、窓を開けてくれ給え」という、ルソーの最後のことばの下に、書きつけたもの。
            
                      *

≪ルシェルン湖に私が望んでいたものを、私はコンスタンツ湖に見つけた。美の聡明さと魅力を。私はルソーのように死にたいと少しも思わないが、生涯を終えるのがあなたのそばだということなら、また太陽を長い間見たいと思う。わが生涯があなたの足もとで消えてゆきますように。あなたが潮騒を愛しているあの波のように。/1832年8月28日≫

                      *

1819年、夫の破産により、レカミエ夫人はパリ、サンジェルマン地区の質素な修道院付属アパルトマンで残りの30年を過ごすことになってしまう。しかし二人は多くの時間をそこで共に過ごした。そして最晩年、彼女は白内障により眼が見えなくなり、彼はリューマチで身体が動かなくなってしまったけれど、あの湖での言葉どおりに、シャトーブリアンはレカミエ夫人のもとで79年の生涯を閉じたのであった。翌1849年、ジュリエット・レカミエもまた、シャトーブリアンの後を追うかのように、大流行したコレラに感染し生涯を終えた。71歳であった。



                                               

.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事