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もう一篇マラルメを。やはり前川祐一氏訳です。少しばかり長いです。
 
 
                    秋の歎き
 
 
マリアがわたしを棄てて他の星に行ってから――あれはオリオンだったか、牽牛星(アルタイル)だったか、それともお前、緑の金星だったか――わたしはいつも孤独を育んできた。 なんと永い一日一日を、私はひとり猫とだけ暮らしてきたことか。 ひとりでとは肉体を持つものがいないという意味で、わが猫は神秘の伴侶、一個の精霊。 だから永い毎日をただひとりわが猫と、ただひとり、ローマ頽廃期の最後の作家のひとりと暮らしたと言える。 あの純白の女がこの世を去ってから、不思議にもまた奇怪にも、わたしは「凋落」という語に要約されるあらゆるものを愛してきたからだ。 かくて一年のうちでわたしの好きな季節は、秋のまさに訪れんとするあのもの憂い夏の終わりの日々、一日のうちでわたしの散歩する時刻は、太陽が色褪せんとして、灰色の壁には黄銅色の、窓ガラスには赤銅色の光落としてたゆたう時刻。 さればこそわが魂が喜びを求める文学はローマの終焉期の死に絶えんとする詩歌であって、それも、異邦人どのも接触による回生の息吹を吸わず、初期キリスト教散文の稚拙なるラテン語を口ずさむことなきものばかりであった。
 さればわたしは、これら愛誦の詩歌一篇を読んでいたが、その頬紅色の美しさは青春の燃える頬よりもわたしには魅力があった。 かくしつつわが片手でこの純粋な動物の柔毛を弄んでいるとき、窓の下で、手廻し風琴が
物憂げに心悲しい演奏を始めた。 そこはポプラ並木の小道で、マリアが還らぬ旅に蝋燭の炎に飾られてこの
道を去っていったから、あのポプラの葉は春でもわたしには悲しんでいるように思われる。 なるほど歎ける人たちの楽器というが、そのとおりで、ピアノはきらめく響、ヴァイオリンは引き裂かれた神経に光を与えるが、この手廻し風琴は、追憶の薄明かりのなかでわたしを絶望的な夢に誘いこんだ。 呟くように演奏する曲は陽気なほど俗悪な、場末の町の心臓を浮き浮きさせる流行遅れの軽っぽいやつだったが、その繰り返しのひと節がわたしの心に沁み透って、ロマンチックな小唄のようにわたしを泣かせたのはなぜか。 聞き惚れたわたしが、窓から一文も投げてやらなかったのは、折からのわが感動を掻き乱したくなかったし、楽器がひとりで唱っているのではないとわかるのが怖かったからだ。
 
 
  

閉じる コメント(2)

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マラルメは猫好きなんですね。^^
思わず引き込まれてしまいました。
最初にもどって、
<マリアがわたしを棄てて... この棄ててになんともいえず共感しました。♪

2012/11/13(火) 午前 9:51 [ ひろmahler=^・^= ]

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ひろさん、猫好きかどうかわかりませんが、「火曜会」で、酔った仲間に自分の椅子を占領されてしまって、でも何も言えずに猫のように部屋の中を動き回っていた、というエピソードがとても好きです^^
棄ててに共感、なにか個人的なエピソードでもお有りなのでしょうか?(笑)お返事、たいへん遅れて失礼いたしました。

2013/1/14(月) 午後 10:25 XXcXiX


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