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そんなわけで不便もやはり多少あるものの、どうにかこうにか普通の生活を取り戻しつつあります。 私たちのいるところは沿岸部で避難生活をしている方々とは比べ物にならないほど恵まれた環境にあります。 が、 取引先が沿岸部に集中していたため、この津波で取引先がすっかりなくなり、まるで仕事が無くなってしまった。という方。 この就職難の折、せっかく決まった就職先から内定取り消しを告げられた。という高校生。 こういった話をこの何日かの間に聞きました。 もちろんこれはたぶん氷山の一角で、経済的に困難になりそうなことがたくさん起こっていることと思います。 立ち直るにはきっと長い時間がかかることでしょう。 今、募金等に協力していただくのは本当にありがたいことです。 でも、この不況下、そういったところに協力したくともそんな余裕は・・・・と言う方もいらっしゃることと思います。 直接募金という形ではなくとも、買い物の際、おやつに何を買おうかな、というときの選択肢にたとえば、南部せんべいを加えていただく、ということも被災地のためになると思うのです。 ま、私は岩手県人なので、たまたま「南部せんべい」という例を出しましたが、東北には他にもたくさん美味しいものがあります。 ちょっと産地を見て東北の物を気にかけて買っていただく方が一人でも増えれば復興の手助けになるのではないか、と考えたのです。 お中元、お歳暮の季節頃には流通も普通になっているのではないかと思います。 普段ビールを送る方に、東北の地ビールなどはいかがでしょうか。 ハムやソーセージも東北にはおいしいものがたくさんあります。 チーズやバターといった乳製品はやはり何と言っても小岩井でしょうか。 日常お使いなるヤカンを南部鉄器にする、なんていうのもお勧めです。お湯を沸かすだけで鉄分が採れますからね。 いえ、気に入らないもの欲しくないものを無理に買っていただくことはありません。 ただ、10回ポテトチップを買ううちの1回「南部せんべい」とか「林檎チップ」にしようかな、なんて言うのはいかがでしょう。 阪神・淡路は商業地でしたが、今回は農業、漁業中心の地域。 農業は田んぼに塩水が入ってしまったことで塩害が起こり、質のいいコメがとれるようになるまで年月が必要、漁業は港がダメ、船がダメ、がれきが入り込んでしばらく海に出ることは望めないという状況、それでなくとも後継者不足だと言うのに・・・・ もちろん今は住むところも失い、食べるものもままならない状態の方たちを助けるのが先決です。 でも、いつまでも寄付に頼るわけにはいきません。 物を買っていただくことで企業が潤えば、自治体に税金を納めるでしょう、そしてその税金を復興に使ってもらう、なんだか遠回りのようですが、これが一番いい復興支援の方法なのではないか、と思ったのです。
そして、それが、取引先を失ってしまったあの方を、内定を取り消されてしまったあの高校生を助けることになるのではないか、と・・・・ どうか、それぞれの方にとって無理のない範囲で東北を助けていただけるとうれしいです。 |
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震災、その後。 3日目には、日中に電気、夜には水道が回復し、久しぶりにお風呂にも入れた。 信号は点くようになったけど、ガソリンは手に入らなくなった。 開いているガソリンスタンドはどこもものすごい行列、聞いた話では7時間8時間待ってやっと2,000円分だけ入れられるとか。 我が家にある車は三台、長男君は幸いとても近いところに就職したので、通勤には自転車を使ってもらい、緊急の時に動けるようにこの一台はストック。私が使っている軽自動車の残量は半分以下。旦那は手を尽くしていつの間にか満タンにしていた。 少しでもガソリンのロスをなくそうと、実家にあった原付バイクを借りてくる。しばらく乗っていなかったため、なかなかエンジンがかからなかったが、なんとか動き、この原付を職場に通うための足にする。 4日目、原付で行くつもりだったが、昨夜からの雪が結構積もり、道路が白い。 仕方がない、ガソリン残量半分以下の軽で職場に向かう。 こんなときでも来てくださるお客様がいて、本当にありがたい。 コンビニにものはなく、スーパーも人数制限しながらの営業なのですごい行列。 けれど、電気がつき、テレビから流れてくる映像で沿岸部がものすごいことになっていることを知る。 普段通り、とはいかないけど、こんな時こそ、普通に過ごすことが大事なのではないか、と思う。
ともすれば浮き足立ちそうになる自分を抑え、日々できることをこなしていこう、と・・・・ |
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さて、震災二日目。 昨夜からつけっぱなしにしているラジオで停電はまだ回復していないため信号がつかず、危険なので、できるだけ車での移動は避けるように、との呼びかけをしている。 職場も気になるが、この日は動かない方がよさそう、オーナーにメールで連絡をする。 電話は家電も携帯もまるでつながらない。 メールもD社のやり取りは不便を感じないが、A社はつながったりつながらなかったり、が、S社はどうもつながり難かったみたい。 旦那の知り合いはあまりのつながらなさに苛立ちのあまり〇フォンを投げつけたとか・・・・・ オーナーの携帯はS社、メールもつながっているのかいないのか、不安に思いながら返事を待っているとしばらくして連絡が取れた。 やはりこの日は家で様子を見るように、とのこと。 そのやり取りの間も余震はひっきりなし…・店の食器類も気になるところだけれど、下手に動いて緊急車両の邪魔になってもいけないしね。 さて、朝の間はまだ水道が出ていて、食器を洗うこともできたけれどだんだん水の出が悪くなってきた。 仕事に行かないことが決まり、時間に余裕ができたら近所の人の安否が気になる。歩いて回ることにする。たまたま去年の暮れ、児童館の工作教室でキャンドル作りをやったので、ろうそくだけは大量にある。安否確認のついでに聞いてみることにした。長男も一緒に歩いてくれた。 次男君はメールで近所の友達に聞いたところ、一軒ろうそくがたりない、という家があり、自転車で届けに行く。 途中近所のスーパーの前を通ったら、この停電の中、営業している!!駐車場は車でいっぱい、みんなレジ袋に大量に物を入れスーパーから出てくる。 何軒か回ったが、どこもろうそくは足りてるとのこと、昨日メールのやり取りでご主人と連絡が取れない、と言っていたとこも今朝になって連絡がきた、って、あぁよかった。 何か情報があったら連絡ちょうだいね、と言い合ってわかれる。 家に帰ると水はすっかり出なくなっていた。ガスは、まだ出る。よし、煮炊きはできる。 旦那もこの日は出かけないつもりでいたのだけど、職場においてある発電機を貸し出してほしいと町からの要請があり、出かけて行った。 おひるごはんは焼きそば、水道が使えないのでお皿にラップを敷いて食べる。 洗い物なくっていつもより楽じゃん!!と次男。それもそうだね。 冷蔵庫が利かないので悪くなりそうなものを先に、と今晩のおかずはお魚。冷凍庫はなるべくあけない。幸い気温は高くないのでそんなにすぐに溶けだすということもないだろう。 電気が使えず、パソコンもゲームもできない子どもたちは時間をもてあまして台所仕事その他もろもろ進んで手伝ってくれる、ありがたい。 トイレ用の水の確保に外につもっている雪をバケツに入れ、ストーブの前で溶かしたり・・・とかね。 旦那からメール、職場での用事がすみ、帰る途中、私の実家に寄ったところ、全員無事、とのこと。 あぁよかった。まずは一安心。 夕方、暗くなる前に御飯の支度。お魚はフライパンにクッキングシートを敷いて照り焼き、と、同時に鍋にベーコン・じゃがいも・玉ねぎ・人参・キャベツを突っ込んで明日のためのポトフを作る。沸騰したらストーブの上でことこと煮込む。 炊飯器はもちろん使えないので土鍋でご飯を炊く、ちょっとお焦げもできたけど、なんだかいつもよりずっとおいしく炊けたぞ。 この日もろうそくの明かりで晩御飯。前日お店からサラダに使う用のレタスも持ち帰ってきていたので、たらことマヨネーズでこちらもおいしくいただく。 もちろんお皿にはラップ。 食後はラップをはがすだけ、お箸とお鍋、ラップが破れて汚れてしまったお皿をストーブの上でチンチン沸いていたヤカンのお湯で洗う。この時も子どもたちが手伝ってくれる。 電気が使えないのってすごーく不便だけど、これはこれで停電、いいじゃん。 この日も暗いしお風呂にも入れないし、しょっちゅう揺れて落ち着かないし、とみんなで同じ部屋にいつでも逃げられる格好で就寝。
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安否確認のコメントをいただき、本当にうれしかったです。 おかげさまで我が家は全員無事です。 電気、水道も回復いたしました。 今は明るい場所で温かく、こうしてパソコンに向かっていられます。 電気がある、蛇口をひねれば水が出る、ということのありがたみを改めて感じています。 私の経験した地震の様子です。 金曜日の午後、私はいつものようにお店にいてお客さまとお話していました。 水曜日の岩手日報に今開催中の写真展の記事が載ったこともあり、その日は朝からたくさんのお客様がいらしてくれていました。 ほぼ満席(といっても4客しかテーブルはないのですが^^)の状態からお客様の入れ替わりがあり、年配のご夫婦がひと組、一階のテーブルにお掛けになっていた時でした。 大きな揺れがあり、私はすぐに出口の確保のためにドアを開けました。そのドアのそばの棚に背の高い花瓶があり、お客様が抑えてくださっていたそれを一緒に抑え、揺れが収まるのを待っていたのですが、一向に収まる様子がないどころか、ますます揺れは大きくなるばかり…・ 厨房ではガラスの割れる音がするものの、花瓶から手を離すわけにもいかず、その場にお客さまと一緒にいました。旦那様はテーブルの上にあるお皿やカップを抑えてくださり、奥様は私と花瓶を抑えながら、「火は、大丈夫?」と声をかけてくれました。その時、火は使っていなかったのですが、あまりにも揺れている時間が長く、心配になってきました。 「すいません、ちょっと見てきます。花瓶、お願いします。」と揺れている中、厨房へ。 グラスが割れ、メープルシロップの瓶が割れているのが目に入りましたが、今はどうすることもできません。とりあえず、ガスの元栓を閉め、再びお客様のもとへ戻りました。 窓の外に目をやると、電線がしなり、止めてある車が上下している様子が見えます。 揺れている途中、それまで点いていた電気が消えました。・・・停電?! これは今までの地震とは違う、とんでもなくでかい。ただ事では済まない。そんなことを思っていました。 長かった地震の揺れもどうにか収まり、お客様と「すごかったですね」なんて言っているところにお向かいの方が来てくださいました。「大丈夫だった?怖かったねー」「お怪我ありませんか?」とお互いの無事を確認しあっていると、またぐらっ・・・余震です。 お客様には「私たち帰っちゃうとあなた一人になっちゃうわね」と心配していただきながらも「いえ、どうぞ、揺れが収まっているうちにお帰りください。揺れているとき、一緒にいていただいて本当に心強かったです。ありがとうございました。」と、妙に名残惜しくお見送りしました。 片づけなくては、と思うものの気が動転しているのか、うまく考えがまとまらず、右往左往… そうこうしているうちにまた余震、あわてて花瓶を抑え、ドアを開ける。 収まって片づけ…ぐらっ、花瓶&ドア・・・・片づけ、ぐらっ花瓶&ドア・・・・・を何度か繰り返しやっと花瓶を床に置くことを思いつく。最初からそうしておけばよかったのに、馬鹿ねーと言いながらぱたぱた動き回る。 揺れるたびにお向かいの方も表に出て収まると中へ、をしていたのですが、そのうちこちらにおいでになり、しばらく外のベンチで一緒に話しながら過ごしました。 そのうちお向かいの方のご長男さんが歩いてくるのが見えました。いつも見かけている姿なのに、あの時は本当にうれしかったです。「お帰りなさい。ご無事でなにより。」 ご長男さんが家に入ってもしばらくは外で話していたのですが、だんだん暗くなり、寒くなってきたので、「それでは気を付けて」と別れ、再び一人に・・・ まずは落ち着け、とひとまず座ってお弁当を食べる、いつもはレンジであっためるお弁当もこの日は冷たいまま、食べるというより口からおなかに流し込むかのような勢いで・・・・^^; お向かいの方も私が一人だということで一緒にいてくださったのかもしれません。ありがたいことです。 メールでオーナー&旦那に連絡。 旦那からのメールで家族は二男とは連絡取れたが、家の電話は通じず、長男からはメールの返事はない、とのこと。 心配ではあるものの、今できること、とにかく割れたものを片付け、帰る準備をする。 次第に暗くなってくるが電気は点かない。 水もどうなるかわからない,ヤカン、水差し、バケツ・・・・できるだけ水を汲み置く。 旦那からメール、長男、無事、とのこと。家にいた二男からも義父母の無事を確認。ひとまず安心。 5時ごろ、オーナーが帰ってくる。入れ替わりで帰宅。 岩手県全域停電とのこと、信号が消えているので交差点緊張しながら帰る。 電話も通じず、実家と連絡がつかない、帰りに寄りたかったが、そちら方向はとんでもない渋滞、信号もその通りなので、無事を案じつつその日は家へ。 家に帰ると長男、義父母がいる。二男は乾電池を買いに行った、とのこと。 まだ頻繁に余震があり、ストーブは怖くて使えない、と3人で消えているストーブの前にかたまっていた。 渋滞で大変だった―としばらくして旦那が帰宅。職場からろうそくやらポリタンクやら、持ち帰ってくる。今は水が出るけど、そのうちどうなるかわからない、とやはり、なべ・ペットボトル・水筒・ボウル・ポリタンク、と入れられる容器にありったけ水をため込み、お風呂の水を満タンに。 二男君がなかなか帰ってこない。もうかなり暗いのに、「わたしが乾電池なんか頼んじゃったばっかりに・・・わるいことしたよ」と義母。 が、家族全員で心配しているところに鼻歌交じりでご機嫌で帰ってくる二男・・・・ 「いやー、電池は無理!でもいろいろ買ってきたよ、ほら、うまい棒でしょ、飲み物と、アイス、あ、ガリガリくんは途中で食っちゃったけどね。あ、お兄ちゃん、うまい棒食う?」 私たちの心配は一体何だったんだろう。 あ、いや、無時で帰ってきたんならいいんだ、それで・・・・ その晩はろうそくの明かりでありあわせのものを食べ、同じ部屋にいつでも逃げられるように、と普通の服、靴下、帽子、上着まで着こみ、それぞれポケットには手袋すぐ手の届くところに携帯や小銭入れなどを置き、小さなろうそくを付け、ラジオをつけっぱなしで寝ました。 余震は頻繁におき、そのたびにハッと起きる。 が、どんな時でも明けない夜はない、そうこうしているうちにこの大変な一日は終わり、やはり大きな揺れで目が覚め、次の日を迎えた。 震災1日目。
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