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知り合いが『細田守監督、いいよ』っていうのを聞いてたんですが、パンフレット見て知った、『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム』やった人だったって。 なんかそれ見てすっごく納得した。『ぼくらのウォーゲーム』は私の中でとてもとても衝撃的な映画で、ここに描かれているのはまさに今を生きる子どもたちそのもの。そんな風に感じてちょっと鳥肌が立つくらいすごいって思った作品だったから。 前置きはさておいて、『時かけ』です。(私がパンフレットを買うために並んでいたら直前にいたオタク風の青年が『時かけ、2部ください』と言っていました。そこで、『時かけ』って言うんだぁっていうのと、2部買って1部はとっておくんだぁ・・というのの2点に感心してしまいました^^) 時代はまさに今、筒井康隆による『時をかける少女』が最初に書かれてから40数年。このおはなしはもちろんもとにはしているがまったく別のものだ。 主人公は紺野真琴、高校2年生。もうすぐ夏休みになろうかというある7月13日の事。 朝のテレビでは『今日はナイスの日です』と言っていたにもかかわらず朝からまるでついていない真琴。遅刻はしそうになる、抜き打ちテストはまるで出来ない、調理実習ではてんぷら油から火を出してしまう、校庭を歩いているとふざけていた男子が吹っ飛んできて下敷きになる、と散々な目に・・・・ そしてその帰り道、長い急な坂道をくだっっているとブレーキの故障に気づく・・足で止めようとするが、勢いがついてとまらない・・・とうとう靴も吹っ飛んでしまう・・・その坂道の先には踏切があり今まさに電車が通過しようとしていた・・・スローモーションで踏み切りに突っ込んでいく真琴、心の中で叫ぶ「何がナイスの日よ〜〜〜〜〜〜」自分は死ぬんだ、と思った瞬間、不思議な感覚に襲われ、違う時間の中にいた。 この不思議な体験を叔母の芳山和子(そう、あの芳山和子です。ちゃんと登場します)に話すと、こともなげに「ああ、それはタイムリープよ、年頃の女の子にはよくあること。私も昔あったわ」などと言う。 はじめのうちこそ戸惑っていた真琴だが、あまり深く考えない性格らしく、すぐにこの能力を自由に使いだす。妹に食べられたプリンを食べる、出来なかったテストで100点を取る、カラオケだって時間延長の必要はない、すべて過去に戻ってやり直せばいいのだ。 だが、あるとき、ずっと友達として遊んでいた男子から告白される。そんなのいや、今までのままがいい、そう思った真琴は過去に戻ってその告白をなかったことにしてしまう。 それがあってからそれまでタイムリープ能力でばら色の毎日だった真琴の日常は違う色合いを帯びてくる・・・・ここには、高校2年生の等身大の日常が、気持ちの揺れが、細部にいたるまで描かれている。 人がはじめて人を好きになる瞬間がここに写し取られている。 この監督のすごいところはいろいろあるけど、私なりに思うのは、描こうとする対象との距離感が絶妙なんじゃないかってことです。 たとえば、芳山和子。原作を読んだことのない人でも、原作を読んで思い入れのある人でも、受け入れられる描き方だと思う。 また、主人公、紺野真琴、と友人 津田功介、間宮千昭との関係。誰もが通るであろうある瞬間を鮮やかにあらわすには絶妙の配置なんじゃないだろうか。 そしてなんと言ってもすごい、と思ったのは、時間を自由に行き来できる未来人がわざわざこの時間のこの場所に来た理由だ。この映画を作るにあたって、いろんな案が出たんじゃないかと思う。原作に出てくるケン・ソゴルにからめることも、主人公に関係させることも、もしくはなんかもっと感動的なわけをつけることも出来ただろう。 が、「え、それだけの理由で」と思わず主人公に言わせるほど、シンプルで素っ気無いその理由を聞いてしまうと、それ以外ではうそになりそうなほど、そこにはまっていた。 そのためにだけ、ここに来なければならなかった、そう思った。その一点で、未来はどんな世界なのか、その人はどんな人なのか、を瞬時に描いていた。 それはこの物語のすぐ近くにいても、遠くはなれたところから見ていても思いつかない理由のような気がしました。 スタジオ○ブリでは後継者選びに迷走している感があるけれど、大丈夫、こんな監督がいるんだもん、日本のアニメ界はまだまだ人材に事欠いちゃいない、そんな感想も持ちました^^ |
映画。
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やっと、見に行くことが出来ました。「ダ・ヴィンチ コード」 |

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ゆうべ、家の子どもたち2人と友だちとそこの子ども2人と合計六人で見てきました。 |

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