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お話は…
産婆のオバァは凄腕のまじない師。取り上げた子どもには次々に呪いをかけていった。泥棒になるまじない、離婚するまじない、行かず後家になるまじない、口紅がいつもはみ出るまじない、幸せになるまじないをかけたのは謝礼をたくさんくれた金持ちの子だけ…というとんでもない事実がわかったのはオバァの葬式の場だった。そんな中、津奈美の息子、裕司にかけられたまじないは母親以外のものの目には姿が見えない、というものだった!何とか裕司を元の姿に戻したい、と津奈美は島の南端にある星見石と呼ばれる石に願いをかける。そこにあらわれたオジィは、人生のほとんどをこの石の研究にあてていた。このオジィの知識、文献から裕司にかけられたまじないを解く方法がわかった。それは自分の子どもにかけた願いを7つ他の人から奪うことだった。そこから津奈美の裕司を取り戻すための戦いが始まる…
というもの。
人の願いを奪うためには、井戸に飛び込んで[陰]の姿にならなくてはいけない。(ここちょっと『マザー2』のムーンサイドを思い出させる)そして願いはろうそくに移され、ひとつひとつを星見石に捧げる。こんな話が昔話ではなく現代の日本で違和感なく動き出すのは舞台が沖縄の小さな島だからなんだろうなぁと思った。沖縄にはまだそんな風習や、「魂(マブイ)」「願い(ニガイ)」といったものが普通に息づいているような気がする。 夏に向けていいファンタジーを読んじゃったなと思った一冊。 |
感想文
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今日読み終わった本、以前読んだ本、などの感想をつづっていきます
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今話題のベストセラーと帯にも書いてある藤原正彦である。ベストセラーと書いてあるだけでちょっと手を出しにくくなってしまう私と違って、家のだんなさんはベストセラーっと謳ってある本がダイスキだ。 今回のこれも、「面白かったから読んでみてよ」と勧められて読んだもの。むかし、「若き数学者のアメリカ」が出たときに新聞の書評欄で見て、面白いかも…と読んだことがある。だからこの人の文章のうまさは読み覚えのあるものだった。 どちらかといえば説教くさくなりそうな内容を小気味のいい文章でつづっていく。いまどきの若いモンは、だの、武士道精神が、だの、と真っ向から言われるとちょっと引いちゃうかもしれないけど,ここに書かれていることは間違ってはいない。「国家の品格」があんなに売れているっていうのは誰かにこういう真っ当なことをビシッと言ってほしいってみんな思っていたのかななんて思いました。
私はこの中にあった、作者の少年時代を書いた「心に太陽を、唇に歌を」という章がよかったな。と思う。 正義を守る熱血漢、弱きを助け、強気をくじく、正々堂々とした小学生だった作者と、その担任。そして転校して来たちょっと変わった同級生との心の交流を描いた一編。 小学校4年生にしてクラスのボスとして君臨していた正彦少年。そのクラスに秀治という転校生がやってくる。貧乏な子がめずらしくなかった当時としても目立つほど貧しく、クラスの和を乱すようなことばかりする秀治は正彦の頭痛の種。 一方教室では、奇声を発し授業の邪魔ばかりする秀治に担任の福田先生が頭を抱えていた。それでも非暴力を貫き秀治を温かく見守る先生を正彦は複雑な思いで見る。正彦は力でもって休み時間の秀治を抑えていたのだ。 そんな先生が一度だけ秀治に対し振るった暴力のこと、クラスのみんなで金を出し合い、入院してしまった先生を秀治も一緒に見舞いに行けるようにしたときのこと、などのエピソードを交えながら過ぎていく子ども時代…なんか子どもの頃からその精神というかそこを貫くものというか、が変わらずにある人なんだなぁと思った。 それにしても、「すべての学力の基本は国語力だ。そのためには本をたくさん読め」というその主張に賛成はしても、それなりに本を読んでいるはずの私の学力がたいしたことないのは一体… |
画本 宮澤賢治 「やまなし」このごろの季節になるとまた取り出してながめてしまう。子ども達に寝る前に本を読んでやっていた頃、暑くなりだすと、これが読みたくなった。もう、寝る前に本を読んでやることはなくなってしまったが、読みたくなることに変わりはないらしい。 nanntenさん(http://blogs.yahoo.co.jp/nannten219) のとこに遊びに行ったら「どんぐりと山猫」の記事があった。とてもいい記事で思わず私も何か書いて見たくなった。そしてこの時期ではやはり『やまなし』だろうと… あらすじは知っている方も多いとは思いますが、谷川の底に暮らすかにの親子の物語。 かにの兄弟は今日も谷川の底から水面を見上げてお話をしている。水面に浮かんだごみからまっすぐに伸びる影が美しい。おさかなが川上から川下へゆったりと泳ぐ。と、そこへとんがったコンパスのようなものがそのおさかなを上のほうへ連れて行ってしまう。それきり魚の姿もとんがったものも姿を見せない…恐ろしさにすくみあがっている兄弟の元へお父さんがやってくる。 『お父さん、おさかなはどこへ行ったの』と聞く子ども達にお父さんは答える。 『魚かい。魚はこわい所へ行った。大丈夫だ心配するな。おれたちはかまわないんだから』 水面には白い樺の花びらが泡と一緒にすべっていく、『五月』の章。 そしてもう一つやまなしが出てくる『十二月』の章との2つの章からなる童話だ。 何故、『五月』と『十二月』からなるこの本に夏のイメージがあるのか?実はそれには理由がある。 ある夏の日、いつものように子ども達に本を読んでやっていた。暑くって、だるくって、早く寝ないかなーなんて思いながら…ところがそんな時に限って子どもというのはなかなか寝ないものだ。 その日読もうと思って枕元に用意した本はすべて読み終わってしまった。そこで、この本の最初にある一篇の詩を読むことにした。それまで私は特に詩というものに興味を持っていなかったので、ここに詩があることは知っていたが読んでやることはなかったのだ。 花鳥図譜◎七月◎ (北上川は螢気をながしイ 山彙はまひるの思睡を翳す) 南の松の林から なにかかすかな黄いろのけむり …… 目で追っていた時には気がつかない、口に出してみて初めて気がついたこの心地よさ。 なんなんだろうと思った。子どもが寝る寝ないなんてそのときどうでもよくなった。 ただただこの言葉を口にしていたい、言葉を口に出す心地よさに気がついた瞬間だった。 それまで絵本は子どもにいいからという理由で読んでいたが、そのときから自分のために読むようになった。その転機がこの絵本にある。その時とそれからでは本の読み方自体が変わってしまったのではないかとさえ思える出来事だった。 さて、そんな訳で夏になると読んでしまう『やまなし』である。
この言葉で始まるこの物語はまさしく文字で書かれた幻燈だ。水の中から水面を見上げる様子がありありと見て取れる。その美しさは声に出しながらも思わずうっとりとしてしまうほどだ。
ただ、やはり賢治さんの童話である。美しいだけではない。上のほうに行ってしまった魚は帰ってこない…穏やかな川底の穏やかな日常にも死はいつも隣り合わせであることを意識せずにはいられない内容になっている。死というとらえどころがないけれど、みんなが漠然と感じているものにことばでかたちをあたえる賢治さんはやっぱりすごい。 そうは言ってもこの作品の見所はやはり、水の中の涼しさと、美しさにあるのではないかと思う。賢治さんについてはまだまだ言いたいことはいっぱいあるけど、今回はこの辺で… |
主人公は高校生の女の子。本を読むのが好きな平凡な女の子だ。このマンガは彼女が『チボー家の人々』を読み始めるところから始まり、読み終わるところで終わる。 小説の中では革命の只中を生き、ジャックと共に集会に参加し、堂々と自分の意見を主張する。一方現実の中では、友人とかみ合わない話をしたり、母親から料理を教わったり、就職を間近に控えていたりするどちらかというと控えめな女の子という日常を生きている。 本を読むのが好きな人ならきっと共感する部分たくさんあると思う。多かれ少なかれ、本を読むというのはこういうことだよなぁと実感できる。高野文子という人はこういう”感覚”、を描くことに長けている作家さんだ。うまく言葉に言い表せないんだけど、そこにある雰囲気を出す、表現するということがとてもうまい。とおもう。 例えば雨に濡れて、家に帰ってきた彼女をおばさんちの子(事情はわからないが彼女の家で預かっている)が出迎えるシーン。
テーブルの上にはおやつに…と多分彼女の母が置いて行ったのであろう、皿にのった芋の上にふきんをかけておいてある。彼女は濡れたスカートを脱ぎ、たたみながら突然言う『はらがへったらイモを食べるがいいや!』そうして彼女はイモに手を伸ばし一口ほおばる。その彼女をなんともいえない目で見つめる子ども…彼女はたたんだスカートを手に自室に向かう心の中でつぶやく『と、ジャックはひとくち噛みとりながら言った』
長々と書いてしまったが、マンガにすれば2ページある中のホンの一部だ。大好きな本を読んでいる時ってこんな感じじゃないですか?すっかり主人公になりきってセリフを言ってみたり、その世界で生きている感覚になる。私は『チボー家の人々』は読んだことないですけどね。 指輪物語の世界、グイン・サーガの世界、ゲド戦記の世界、を行き来し、そして、陰陽師のいる平安時代を、京極堂のある東京下町を、激動の維新の時代を、共に生き、さらにハムテルと一緒に獣医学科の連中と一緒になってわいわいやる。 そんな本を読むときの感覚がこの本の中にはぎゅっと詰まっているそんな一冊です。
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グイン・サーガ108 『パロへの長い道』 栗本 薫 著 ハヤカワ文庫 |



