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毎度毎度、勝手気ままに生活するのが俺である。
中学校の頃は、おとなしいとは言わないが、こんな性格じゃなかったはず。
今も勝手気ままに生活しているが、これまでの中で一番最低だったシーズンを紹介。
以前言ったかも知れないが、応援団副団長をしていたことがある。
生徒会室で談話していた時、生徒会顧問の先生が来て
「なべ、応援団副団長やってくれよ。」
と。高2の2月であった。受験勉強を始める人もいるだろう時期だ。
「どうせ暇だろ。やれよ。」
今回は同意など求めない。ほぼ強制的である。しかも理由は全く同じ。
なにがそこまで暇人に見させるのだろうか?
「いやです。やりません。」
理由が理由だし、元々軟派な俺に、応援団などできるはずもない。ごめんだね。
3月に入った。
その日も生徒会室で青春のひと時を過ごしていた。
しばらく談笑していると、生徒会顧問の先生がやってきて
「なべ、明日の放課後、応援団会議だから行けよ。」
これはびっくり。あれほど断ったのに。
どうやら問答無用で決められたらしい。
さて、そこまで強制されるともはや断ることも出来ず、仕方なく会議に参加した。
当時、我が高応援団は、応援団長と太鼓長わずかに2人という、まさに風前の灯であった。
なるほど、俺がいきなり副団長デビューという理由も納得できる。
応援団だけで、これから続ける事は難しく、是非生徒会の協力が欲しいということらしい。
つまり俺は、生徒会と応援団との架け橋としてヘッドハンティングされたのだ。
響きはいいが、実際は生徒会一暇だから選ばれた。これは内緒である。
かくして俺は春休み中、応援の練習をするハメになった。
初めは嫌だったものの、練習するうちに以外に自分の性格にあってるような気がした。
応援の振り付けはカッコいいものに思えてきて、練習にも積極的になった。
加えて良かったのは当時の団長の優しさである。
彼は私と反対な性格であった。
まじめで硬派で、そして何よりみんなの意見を尊重する。まさに理想の団長であった。
春休み中、確信的に毎回遅刻する俺を怒ることもせず、ただひたすらに俺を応援してくれた。
こうした立派な団長にあこがれて入団した人も多かっただろう。
新学期になると、人も増え生徒会からも何人か参加し10人を超える団となった。
こうして俺は人にも環境にも恵まれ、快適な高校生活を送るようになった。
しかし、ここに来て欲望が生まれた。史上最悪のエゴイティシズムが。
強いて言えば、応援団乗っ取り計画である。
(俺が参加してから応援団は大きくなり、今や胸を張って応援団を名乗れる。しかしこれは生徒会である俺の力によるものだろう。きっとそれは団長も知っているはず。ならば俺にも少しは発言力もあるはずだ!)
今考えれば、なんともアホくさく、恐ろしい考えだが、当時はそう思っていた。
さてそれからと言うものの、俺は団長との話にも臆することなく話合う事が出来た。
・ 後輩のあだ名は独断と偏見で俺が勝手に命名(金魚、きのこ等)
・ 応援団合宿ではチアガールとクジで席を決めて楽しくお食事タイム。
・ 生徒会の友達、後輩をマネージャー(私設)にする。
・ 勝手に後輩とリヤカーを借りてドライブスルーにチャレンジ(不可能と知って断念)
4つ目は他高がやって怒られたらしい。
しかし以前、トリビアで馬でもドライブスルーが出来るとあったが。
ではなぜリヤカーで怒られたのだろうか。察しはつくが。
しかし・・・ああ・・・。硬派な団長はどう思っただろうか。
少し練習を終えると、献身的なマネージャーがジュースや手作りサンドイッチを持ってきて、
屋上でワイワイとくつろいでいた。もはやそこに硬派な応援団の姿はない。
屋上で手作りサンドイッチという俺の夢が、まさかこんなシチュエーションで叶うとは思わなかった。
おれ自身びっくりだ。
そんな夢のような生活をして、ますます傲慢と化し、
一時は今の体重の10キロ近く増えた事もあった。どうも人間は欲が出ると太るらしい。
応援団最後にはバイト代として団旗のスペアを(ほぼ勝手に)頂いた。今は部屋の壁いっぱいに張っている。
あの時は本当にごめんなさい。心のそこから反省してます。
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