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9月は会社の人を含め、3回の葬儀があった。
今月も入ってそうそう 大切な友達の訃報。
9月は早々に会社の方(面識なし)の受付業務に借り出され
ここから、お葬式が続いてしまった。
親戚のオジサン81歳。
親友のお母さん82歳。
小学校からの付き合いだから、お互いの親も知ってる。
年中、友達の家を行き来してたから
親も良く知ってる。
幼馴染というのは違って、私達は
適当な距離を置く親友という位置を保っている。
だからお互いの悪いところもズケズケ言ったりもしているが
ケンカにもならない。
そうやって40年も続いている。
お互いにお互いの気持ちを尊重していたりする。
いつも会おうと言ってもなかなか5人が集まれないから
じゃ、適当にと、個々に会うことが多い。
親友のお兄ちゃんが、「全員揃ったのか、うちのお袋が集めてくれたんだね〜」
なんて言うもんだから、5人で涙がドバッ〜〜〜〜!
こんな時じゃないと5人揃うのも難しい。
しかし先日亡くなった友達は私より1歳しか上ではない。
ショックでもあるが、神様はやっぱりいないと思った。
子供のときから、天に召します我らの神よ。
今日も美味しいご飯を有難うございますなんて祈りを捧げる度に
居ないんじゃないの?と疑っていたし、
小学校の時には、もう居ないと思っていたが万が一と思ったりもしていたが
やはり居ないんだと思う。
彼女は家族のために一生懸命働いたのに
これから娘さんが結婚して子供が生まれて、
新しい家族が増えていくことを楽しみにしていたと思う。
それが残念でならない。
仲間内に手分けをして連絡をした。
「いつもお世話掛けてすみません」と。
いいの、いいの。
気にしないで下さい。
私が助けて貰うことも有るんです。
お互いさまなんですよ。
人と人は、お互いさまな関係なんです。
どちらかがお互いさまだと思わなくなった時点で、関係は壊れます。
被災地で出会ったオバサンが言ってました。
一人一人にお礼を言いたいが、それは無理だと。
生きてる限り、このお礼は他の形で社会にして行きますと。
はいはい、それで良いと思います。
こちらだって、お礼をしてもらうつもりで行っているわけでは有りません。
お互いさまなんです。
そんなわけで、私は、これからも後悔の無いように
好きなように楽しいことを探しながら生きようと思います。
とりあえず、お通夜は会社を早引きしなければ。
そんなことを考える台風の夜です。
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仏事
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父の末の弟 私からみたら叔父なのだが
年は私といくつも違わない。
父の母親が再婚してから生まれた子なので、父との年の差が一回り。
母がお嫁来たときは、まだ小学生だったと言っていた。
そのため、叔父が結婚するまで、私たち家族と一緒に生活をしていたので
「あんちゃん」とずっと呼んでいた。
あんちゃんが、事故に遭い頚椎3箇所骨折で、生きるか死ぬかの数年前は
本当に心配した。
その後、なんとか命が繋がり、リハビリにまで進み
介護度5になり、ちょっと遠いリハビリ病院へ入院して1回しか見舞えなかった。
その後、自宅に戻り、脅威の回復で、自宅に戻り
介護度2まで回復した。
その間に、父はボケまして、叔父は父の心配をし、父はボケながらも弟の心配をしていた。
去年の12月に叔父の家に訪ねたときは、すごく元気になっていて
それでも、父と同じ施設に入りたいと言うので
妹が、なんとか入れるよう手続きをしようと段取っていたのだ。
叔父の家族は、叔父に食事も与えず、介護センターに1日置きに送り出すことしか
していなかったのだ。
私達が行くときは、2分でごはんや、レトルトのカレーなど持って行き
そのほかに、ほうれん草を茹でたのを冷凍パックにしたりして
持って行き置いて来ていて、あとは実妹が、週に1回様子を見に行ってくれていたのだ。
それが4月も終わろうとしているとき、背中が痛くて歩けなくなったとの知らせ。
病院に入院したら、すでに手遅れの胃がん。
多分、頚椎を骨折したあとのストレスが相当だったのだろうと思う。
ピロリ菌も多分、沢山いたはず。
ピロリ菌は井戸に住み着いていて、多分、育った田舎の家の井戸に沢山居たのだろう。
私もピロリ菌持ち。父も同じ。
入院時は、最悪1年の余命と言われていたが
数日で亡くなってしまいお見舞いにも行けなかった。
ボケた父は、かなり回復しており、弟が死んだこともちゃんとわかり
葬儀にも参列したが、もっとショックを受けてしまっているかと思えば
ちゃんとしすぎて、驚かされた。
杖だけで歩けるようになっている。
私が通夜の日、転んでしまった。
転ぶと死者に呼ばれると言う。
伯母達が気をつけるようにと言うので、
父に 「ごめん、先に逝くから」と手を併せると
「お前が先に逝ったら、俺とパパ(うちの夫)が困るべ〜。次は俺の番だからよ」
と言いながらも、転ばないよう気をつけているあたりが、かなり正気(笑)
伯母達も毒舌で
「ちゃんと、あんたじゃなく、お父さん連れて逝ってくれるよう頼んでおいたからね」
帰り道、妹と、あんちゃんがあのまま、年取って、本当に動けなくなったとき、
家族に虐待受けそうだったから、これで良かったのかもね・・・と話していると
父も 「今で良かったかもな。最後じゃ、俺達が誰もいないんじゃ、どんな葬式になってたかわかんねえもんな」
かなり正気で、こっちもビックリ。
父は、正気になってしまい母が死んだことは、思い出したけれど
母のお葬式とか、全く思い出せないそうです。
祖父が死んだ15年前〜ここ数年前までの記憶が無い。
自分が大腸ガンをやったことも覚えていません。
最近のことは、全部分かって総理大臣が誰かもわかっていて
私の株の事も、わかっているのです。
しかし、通夜も葬儀の後も、精進落としのとき、
皆が揃うのが待てず、一人で食べ始めてしまうところ。
やはり食いボケです。
ちなみに、私は、でん部を強打したので、歩くのも痛いし
今日は右足首まで痛くなってきた(泣)
叔父は、家族に邪険にされていたので、本当に、今で良かったのだと思うことにしました。
3億円当てたら、引き取ってあげるね〜っと言っていた約束が守れなかったね。
ごめんね、あんちゃん。
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大伯父が、28日に亡くなった。
そんなわけで、急遽、仕事の休みを変更して、30日お通夜で31日葬儀だったのだが、
某テレビ局に勤めていて、若いときはシンガポールやマレーシアにまで
テレビの放送技術を教えに行っていた。
私が小学校3年生くらいのときに
お土産に赤いレースのワンピースを貰ったことが今でも記憶に鮮明である。
あれこれ40年以上も前だな(笑)
最後、ベットの上でテレビのリモコンを持ったまま意識を失くしていたというから
やはり、最後までテレビの人だった。
そんな大伯父とは
こんな本を書いていた。
そして、風邪が、またもや酷くなった。
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祖母の十三回だったのだが、雪予報が出ていて、
いつもより早めに家を出ることにした。
早く出たところで、その時間、特急は1本しかない。
もし特急が止まったら。。。。各駅で行くと、2時間半はかかる。
ええ、間に合いません。
しかし、祖母の家の手前、バスを降りてから歩くのだが
そこは、かなりの坂道。雪なんか降ったら、その坂は、誰も通らない。
万が一、雪の場合は最初からバスにには乗らず
駅からタクシーに乗って、
祖母の家の外側の平らな道を延々行き、逆側から入らないとならず
そうなるとタクシー代は、多分、千円以上高くなる。
幸い、都内は雪だったようだが、あちらは雨だったので
難なく行けた。
祖母のお通夜の日も、こんな寒い日で冷たい雨だったね〜と。
久しぶりに母方の親戚に会い、Kおばさん
80歳になると聞いて、ちょっとビックリ。
40年前は40歳?
失礼ながら、もっとおばあちゃんだと当時は思っていた。
今は、80歳に見えます。
とても福よかな良い顔をしていて、こちらが幸せな気分になるお顔。
「お母さん生きてたら、いくつになる?」
う〜ん、70歳かな。
母の70歳の顔も見たかったな〜。
雪の心配をしていたが、逆に晴れていたら、もっと大変だったかも。
この辺は、杉山が多くて、あっちこっち、もう、こんな状態。
晴れていたら、飛んでましたね〜〜〜!
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父の弟の奥さんが去年亡くなっていて 私は 彼女にはお世話になってるので |






