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善光寺を出て、軽く昼食をとった後、とりあえず長野駅に戻ることに。 |
中日本歴訪記
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善光寺を歩いていて見つけたのが、写真の茶筅の供養塔です。 |
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続いて忠霊殿という、戊辰戦争から太平洋戦争までに戦没した人々を祀るために建てられた塔のような所に足を運びました。 |
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ちょっと間隔があいてしまいましたが、前回の続きです。 お戒壇めぐりを終え、何とも言えない神秘的な気持ちになって本堂の外に出ると、今度は「経蔵」という名前のお堂が見えてきました。 ここに入るのにも入場券がいるのですが、先程本堂に入る際に買った券でこちらにも入れるので、早速中へ。 経蔵の中央部には、八角すいの上に八角柱が乗っかったようなものから「腕木」と呼ばれる太い棒が方々に突き出ているものがあり、この中に仏教経典を網羅した『一切経』が入っているとのこと(だから「経」が納められた「蔵」で経蔵なのでしょう)。 それだけなら、別にどうということは無いのですが、この装置(あえてこの言葉を使います。理由は後述)を一周回すだけで中に入っているお経を全て読んだことになると言う素晴らしい御利益があるということなので、早速回してみることに。 恐らく人が多い時に来ていたら、誰かが回している所に加わって空いている腕木を押して回すという形になったのでしょうが、既に9時を過ぎていたとはいえ、まだ境内にはちらほらとしか人がおらず、経蔵内も券を見る係の人以外には私しかいなかったので、止まっているこの「装置」を一人で回すことになったのですが、これが意外と重く、初めはなかなか動きません。 もし、この係の人もいなければ諦めてやめていたかもしれませんが、そこは私も男なのであまり恥ずかしい真似はできず、今度は真剣に力をいれて押すと、ゆっくりとですが徐々に動き始め、そして段々軽くなっていきました。 そして、半周くらいでトップスピードになった辺りで力を抜いて、惰性で回るのをコントロールするようにしながらスピードを落としていき、あっという間に一周終えました。 正直に告白しますが、これを見た時は、北斗の拳の中で出てきた人力で発電する装置に似ているなと心中密かに思っていて(「もっと明かりを〜!」ってやつです(笑)。分からない人を放ったらかしにしてすみません)、回し終わった後も、お戒壇めぐりをした後のような達成感や脱力感といったものはありませんでした。 しかしお経を読んだことになると前もって言われているためでしょう、これはこれでありがたい気持ちになり、どことなくフワフワとした感じで外に出ました。 つづく
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<まずは、前回の「お戒壇めぐりで恐怖を感じる」の方に目を通して下さい。> 何処を歩いているのか、どれくらいの時間が経ったのか、自分は一体何をやっているのか。 何もかも分からないようになってからしばらくして、右手から今までに無い感覚が伝わってきました。 このお戒壇めぐりを始めてからその時まで、右手を通して脳に伝えられてきた情報は、平面、曲面を問わず、常に滑らかな木の感じだったのですが、ここにきて初めて金属のようなヒンヤリとした感じと廻り会ったのです。 (ひょっとしてこれが「秘仏と伝わる錠前」では!) 暗闇であることと、実際がどんなものなのか知っていないために、本当に正しかったのかどうかは、その時はもちろんのこと、今も確かめる術がないので分かりませんが、しかし明らかに感触が違ったことは確かで、その時の私が案内板に書かれていた錠前なのであろうと感じたことだけは間違いありません。 そして、この錠前に触れた効能が早くも現れたのです。 前は何一つ見えず、右手の感覚だけを頼りに進んでいたことは何も変わっていなかったにも関わらず、進むことが怖くなくなったのです。 恐らくこれは、ここに至るまでの道のりが正しかったという裏付けを与えられたために、怖じ気づいていた心が安らいだことによるものだと思いますが、この錠前であろうものに触るまでと異なり、一挙に足取りも軽くなって一歩一歩進んでいると、ついに地上から漏れ入ってくる光が見えて来ました。 安堵して、まず大きく息を吐き出すと、壁づたいではなく普通に歩くようにその光の元に近付いていって、出口より再び地上に出ました。 入ってしばらくして光も音も無くなった時、そして壁から手が離れてしまった時には、地震か何かあったらここで人生が終わると、悲観的なことで包まれていた心も、この時には憑き物が取れたように清々しい気持ちになっていました。 また、同じ暗闇の中でも、心の持ち方次第で大きく変わるということが分かったことは、自分の今後の人生においても非常に大きな経験になるのではないかとも、こうして振り返りながら文字にしている今も思います。 この感覚は、恐らく私一人に限ったことでは無いように思われますので、もし何か大きな悩みを抱えている人がいれば、一度この「お戒壇めぐり」をなさってみることをお薦めします。 それも、ツアーなどではなく一人かあるいは少数の友人と、参拝客が少ない早朝に行って、前後左右に誰もいない中を手の感覚だけで進んでみることを。 そうすれば、何らかの心境の変化が生まれることもあるのではないかと思います。もちろん私の経験くらいしか根拠にできるものはありませんが。 つづく
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