サムライな日々

Internet Explorerで見ている方は、文字サイズ「中」でお願いします

中日本歴訪記

[ リスト | 詳細 ]

青春18切符を使った旅の模様です。主に歴史的な場所を訪れています。
記事検索
検索

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 次のページ ]

善光寺を出て、軽く昼食をとった後、とりあえず長野駅に戻ることに。

目的は長野駅から、一番の激戦があったという第4回の川中島の戦いが行われた八幡原古戦場に向かう川中島バスに乗るためだったのですが、駅前のバス停に行って時刻表を見てみると、運悪く既に5分前くらいに出発していました。

しかも本数がもともと少ないバス路線のようで、次は30分ほどしないと来ないことが判明。

どうしようかと考えた末に、歩いて八幡原の方に行くことにしました。

と言っても、以前にも書いたように、この時は前日に小谷山に登っていたことで足が非常に厳しい状態で、あまり長い距離を歩けないので、近付くだけ近付いてバスに乗ろうという予定だったのですが……後から振り返ってみると、この決断は大間違いでした。

一言で言うと、大きなタイムロスにつながってしまったのです。

ただ、それだけを書いてしまうと、バス停で待ってそのままバスに乗れば済む話なのに、どうしてそんなことをしたのかといわれてしまいそうなので、あえて弁解をさせてもらうとすると、それこそこれが京都だったら、余程の辺鄙な所に行こうとしなければ、運賃は220円で均一なので、多少の時間は無駄になってしまいますが、大人しく待っていたと思います。

が、この長野においては、もとい、川中島バスにおいては、長野駅から目指す川中島古戦場までが440円もかかってしまうため、時間も無駄にせず、それでいて運賃も安くできるということで、どう考えても近付いていった先のバス停で乗ることの方が良いように思えたのです。

ここまで書くと、多少はその時の私のとった行動にも賛同を得られると思いますが、それなのにこの考えが結果的に大失敗になってしまったのは、バスに乗ることがままならなくなってしまったからなのです。

                                    つづく

茶筅話で閑話休題

イメージ 1

善光寺を歩いていて見つけたのが、写真の茶筅の供養塔です。

私の住む京都や、例えば以前行った小田原などに比べると、この善光寺はそれほどお茶と関係があるようには思えず、その時は訝りながら写真だけ撮っておいたのですが……

ただ、茶の種を臨済宗の栄西が日本に持ち込んだことが喫茶の始まりと言われるくらい(伝説としては最澄も持ち帰ったそうですが)、日本においては仏教と茶が切っても切れない間柄であることを考えると、日本有数の名刹善光寺に、茶筅の供養塔があってもおかしくないとは思うようになりました。


とりあえず、難しく考えることはおいておいて改めて写真を見直してみると、前に置かれた茶筅が何とも可愛らしい形をしていて、ただ文字で「茶筅供養塔」と書かれるよりも、愛着が持てます。

そして、その茶筅を見ていると、私が使っている茶筅の先がだいぶ折れたり欠けたりしてきたことに思いが至るのですが、こうして供養する所があると思うと、軽々しく新しい物を買おうという気にはならなくなりますし、さすがに誰かにお茶を出す時には使えない状態になって新しく買うにしても、自分が飲む際に使用するものにするなどして、最後まできっちりと使ってあげたいと思えてきました。

こういう普段使う道具まで供養するという日本文化の奥ゆかしさは、今後も守っていきたいものの一つのように感じましたし、そういうところにこそ日本古来の「美しさ」があるのではないかと、書きながら少し考えてしまいました。


善光寺から長野の町に戻るまでの、ちょっとした寄り道でした。

善光寺、歩き倒し

イメージ 1

続いて忠霊殿という、戊辰戦争から太平洋戦争までに戦没した人々を祀るために建てられた塔のような所に足を運びました。

中は、善光寺に関する資料館にもなっていて、まずは一階のご本尊に手を合わせた後、地下に行って四天王の像や、「善光寺」の額の中に鳩が5匹隠れていることから鳩文字と呼ばれるものの解説がされているのを見たりしつつ一回り。

外に出て、大体これで境内も一通り回り終えたかななどと思っていると、「宝物殿」という文字が見えてきました。

もともと行く予定はありませんでしたが、この先善光寺に来ることがあるのかどうか分からないので、こちらにも行ってみることに。

結論から先に言うと、別に見なくても良かったかなという感じなのですが、まぁ行かなくて「行っておけば良かった」と思い続けるよりは、行って「行かなくても良かった」と思う方がマシかなという気はするので、それはそれとしてそろそろ善光寺を後にすることにしました。

ただ、この予定外の行動が、後々まで尾を引くようになろうとは、この時は知る由もありませんでした。

                                          つづく

ちょっと間隔があいてしまいましたが、前回の続きです。

お戒壇めぐりを終え、何とも言えない神秘的な気持ちになって本堂の外に出ると、今度は「経蔵」という名前のお堂が見えてきました。

ここに入るのにも入場券がいるのですが、先程本堂に入る際に買った券でこちらにも入れるので、早速中へ。

経蔵の中央部には、八角すいの上に八角柱が乗っかったようなものから「腕木」と呼ばれる太い棒が方々に突き出ているものがあり、この中に仏教経典を網羅した『一切経』が入っているとのこと(だから「経」が納められた「蔵」で経蔵なのでしょう)。

それだけなら、別にどうということは無いのですが、この装置(あえてこの言葉を使います。理由は後述)を一周回すだけで中に入っているお経を全て読んだことになると言う素晴らしい御利益があるということなので、早速回してみることに。

恐らく人が多い時に来ていたら、誰かが回している所に加わって空いている腕木を押して回すという形になったのでしょうが、既に9時を過ぎていたとはいえ、まだ境内にはちらほらとしか人がおらず、経蔵内も券を見る係の人以外には私しかいなかったので、止まっているこの「装置」を一人で回すことになったのですが、これが意外と重く、初めはなかなか動きません。

もし、この係の人もいなければ諦めてやめていたかもしれませんが、そこは私も男なのであまり恥ずかしい真似はできず、今度は真剣に力をいれて押すと、ゆっくりとですが徐々に動き始め、そして段々軽くなっていきました。

そして、半周くらいでトップスピードになった辺りで力を抜いて、惰性で回るのをコントロールするようにしながらスピードを落としていき、あっという間に一周終えました。

正直に告白しますが、これを見た時は、北斗の拳の中で出てきた人力で発電する装置に似ているなと心中密かに思っていて(「もっと明かりを〜!」ってやつです(笑)。分からない人を放ったらかしにしてすみません)、回し終わった後も、お戒壇めぐりをした後のような達成感や脱力感といったものはありませんでした。

しかしお経を読んだことになると前もって言われているためでしょう、これはこれでありがたい気持ちになり、どことなくフワフワとした感じで外に出ました。

                                            つづく

開く トラックバック(1)

イメージ 1

<まずは、前回の「お戒壇めぐりで恐怖を感じる」の方に目を通して下さい。>


何処を歩いているのか、どれくらいの時間が経ったのか、自分は一体何をやっているのか。

何もかも分からないようになってからしばらくして、右手から今までに無い感覚が伝わってきました。

このお戒壇めぐりを始めてからその時まで、右手を通して脳に伝えられてきた情報は、平面、曲面を問わず、常に滑らかな木の感じだったのですが、ここにきて初めて金属のようなヒンヤリとした感じと廻り会ったのです。

(ひょっとしてこれが「秘仏と伝わる錠前」では!)

暗闇であることと、実際がどんなものなのか知っていないために、本当に正しかったのかどうかは、その時はもちろんのこと、今も確かめる術がないので分かりませんが、しかし明らかに感触が違ったことは確かで、その時の私が案内板に書かれていた錠前なのであろうと感じたことだけは間違いありません。

そして、この錠前に触れた効能が早くも現れたのです。

前は何一つ見えず、右手の感覚だけを頼りに進んでいたことは何も変わっていなかったにも関わらず、進むことが怖くなくなったのです。

恐らくこれは、ここに至るまでの道のりが正しかったという裏付けを与えられたために、怖じ気づいていた心が安らいだことによるものだと思いますが、この錠前であろうものに触るまでと異なり、一挙に足取りも軽くなって一歩一歩進んでいると、ついに地上から漏れ入ってくる光が見えて来ました。

安堵して、まず大きく息を吐き出すと、壁づたいではなく普通に歩くようにその光の元に近付いていって、出口より再び地上に出ました。

入ってしばらくして光も音も無くなった時、そして壁から手が離れてしまった時には、地震か何かあったらここで人生が終わると、悲観的なことで包まれていた心も、この時には憑き物が取れたように清々しい気持ちになっていました。

また、同じ暗闇の中でも、心の持ち方次第で大きく変わるということが分かったことは、自分の今後の人生においても非常に大きな経験になるのではないかとも、こうして振り返りながら文字にしている今も思います。


この感覚は、恐らく私一人に限ったことでは無いように思われますので、もし何か大きな悩みを抱えている人がいれば、一度この「お戒壇めぐり」をなさってみることをお薦めします。

それも、ツアーなどではなく一人かあるいは少数の友人と、参拝客が少ない早朝に行って、前後左右に誰もいない中を手の感覚だけで進んでみることを。

そうすれば、何らかの心境の変化が生まれることもあるのではないかと思います。もちろん私の経験くらいしか根拠にできるものはありませんが。

                                         つづく

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 次のページ ]


.
samurai
samurai
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事