■資料●●●最強武器重視・人命不要政策≪原水爆≫●「軍服を着たあなたと話はしない。背広を着たあなたとなら話をしよう」■「戦利品同様」と米論文<持ち去られた被爆者資料>◆京都新聞 2018年1月17日■
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■資料
●●●最強武器重視・人命不要政策≪原水爆≫
■「戦利品同様」と米論文 <持ち去られた被爆者資料>
◆京都新聞 2018年1月17日(水) 17:10配信
●●●「軍服を着たあなたと話はしない。背広を着たあなたとなら話をしよう」
(12回続きの2回目)
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■≪最強武器重視≫
◆『他国への抑止力と覇権』主な目的です。
◆『原発』《電力コスト低減の嘘》安全な設備の長期コストでは、破格の高額は明らかです。
■≪人命不要政策≫
◆『被爆者資料』の科学的エビデンスは、詳細が公開・検証がされていません。
◆『内部被曝の隠蔽』
詳しくは、当ブログの書庫『 東日本大震災原発 』を、ご覧ください。
『 東日本大震災原発 』 https://blogs.yahoo.co.jp/kikitata3/folder/1041705.html
「現実真実の被曝」>「ヨーロッパ放射線リスク委員会」>「日本基準・アメリカ基準」
「現実真実の被曝」>「ヨーロッパ放射線リスク委員会」>「日本基準・アメリカ基準」
現状では、上記の様に、「現実真実の被曝」は、削除されます、症状を認めないのです。
「日本基準・アメリカ基準」では、当然に被爆量が多くなっても大丈夫となります。
2011/3/31(木) 午後 0:37 http://blogs.yahoo.co.jp/kikitata3/28353489.html 4.内部被曝の隠蔽の目的は?
アメリカが核兵器と原子力発電等を含む核戦略を展開する上で、ごく微量で死に至る深刻な長期的健康被害を与えるとを世界に知られることが大きな障害と考えました。核兵器の直接被曝で人を殺し破壊を行う効力だけを誇示したかったが、それは通常兵器と同じであり、「環境を汚染し長期的に人々を苦しめ続ける特別な害悪」をもたらすことは隠したかった。原子力発電所で垂れ流す物質としての放射能が人々を苦しめることを隠したかった。核戦略と核推進をするために内部被曝は邪魔であったので、政治力を掛けて隠蔽したのが実情であると思います。内部被曝を勘定に入れて、ヨーロッパ放射線リスク委員会という科学者集団が、内部被曝で実は戦後6500万人もの市民が放射線によって亡くなっているということを発表しています。内部被曝を隠蔽することによって犠牲者が隠されたのだと言うことに注目していただきたいと思います。 ■人と人で止むものを しかも乱暴果てしなく ひとの命をたおしゆく
★★★日本の公害の原点である。足尾銅山鉱毒事件 田中正造
★★★日本の公害の原点である。足尾銅山鉱毒事件 田中正造
■資料https索引■【資料6・足尾鉱毒事件】・連載16件■【国・官僚・国会議員等】「共謀罪」(忖度)【資料6・足尾鉱毒事件】連載16件■■出典記事とこのブログ記事のhttps索引■人と人で止むものを
2017/6/10(土) 午前 4:00 https://blogs.yahoo.co.jp/kikitata3/35290730.html
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「戦利品同様」と米論文 <持ち去られた被爆者資料>1/17(水) 17:10配信
1945年。
多くの広島・長崎の人たちが原爆症に苦しみ、次々に亡くなっていく惨状の中で
京都帝国大が行った調査資料を、
米軍は
被爆者の医療に還元せず持ち去り、
論文発表も禁じた。
原爆投下が米国による人体実験だったのか、提出にどのような強制があったのか。
立場が異なる3者が遭遇した京都の45年12月を、それぞれの戦後の証言からたどる。
京都帝国大を訪れ被爆者の解剖標本を渡すよう求めた 米軍医リーボウ(のちイエール大教授の病理学者)が戦後4年の1949年、
アメリカの病理学会誌に被爆者についての論文を発表した。
京大医学部図書室に論文があった。
米国人学者と連名だが、執筆者に日本人の名前はない。
米軍側は「日米合同調査団」という建前で東京帝国大医学部と一緒に資料を収集したが、
学問的な成果を独占した。
死亡日、爆心地からの距離、症状などのグラフと写真が多数収録してある。 骨髄や臓器、組織片の顕微鏡写真、ケロイド状態で着物の柄が放射線で焼き付いた皮膚。
多数の写真は米軍が大規模に被爆者の人体組織ごと持ち去った証左だ。
京大医学部助教授だった天野重安は後年、「戦利品同様」と非難している。
天野は解剖標本の一部を渡したのか、それとも全国で唯一人、抵抗して守ったのか。 それとも一部だけ手元に残したのだろうか。
京大病理学教室百年史所収の座談会(2008年)では故翠川修京大名誉教授らが「原爆のゼクチョン(解剖)を4体やった、その臓器を全部よこせといって。 まあ、その頃はね、アメリカの軍医は強かったですよ、◯先生なんかぺこぺこして。
あの時の標本はどこへ行ってしまったんだろうな」「原爆の標本は京大で4体あったんですけどね」「天野先生と違います? 骨髄とかだいぶ持っておられました」と回顧している。
占領軍から公表を封じられた京大調査班の医学論文は主に天野が書いたが、 台風で殉職した杉山繁輝医学部教授ら故人と連名になっていた。
仲間への哀悼が伝わる。
「原爆症」とひとくくりにする他大学の見解を鋭く批判し、
骨髄など体内の残留放射線による臓器の2次障害、
白血病やがんの長期リスクなどを問題提起している。
原発事故で問題になる「内部被ばく」など放射線医学の論点を突いた先見性を、
今の医師も評価する。
京大論文によると、京大は9月25日まで広島で25例を解剖した。 原爆投下後4、5日目の解剖3例が、急性期と残存放射能による症状を比較する論文の柱だ。
8月11日は日本降伏前であり、米側が欲しかったはずのデータだ。
天野の弟子にあたる花岡正男・京大名誉教授に会った。 92歳。終戦時は20歳、京大医学部に入学した年だった。
軍医を速成するため朝7時から夜7時まで詰め込み授業。
舞鶴港に勤労動員され、くたくたでも医学講義があった。
8月15日の玉音放送は解剖学教室前で聴いた。その日も午後1時から授業があったという。
「終戦の夜、下宿で灯火管制の暗幕を外して、電気を付けてね。ほっとした。調査班が遭難し、病理学教室葬があった。天野先生が弔辞を読まれた」。 終戦直後は、飢えをどう満たすか、食料調達に奔走する日々。キ
ャンパスに畑を作り、実験動物ですき焼きをした学生もいた。
「被爆者の標本を授業で見た記憶はない。占領軍の軍医は助教授クラスで、ノーベル賞級の高名な医学者も京大を訪れた。刺激を受けましたよ。各大学の学者は親しくするメリットを考えた面もあっただろう」。 60年代に米国で滞在研究中、イエール大の廊下でリーボウを見かけた。はっとしたが声をかけなかったという。
「天野先生は学問には厳しいが人情の厚い人でした。 当時、米軍医の要請を拒むのは勇気がいったでしょう」。
リーボウ来訪の様子を天野はあまり語らなかったと花岡名誉教授はいう。
ただ、天野がリーボウに告げたこの言葉だけは聞かされた。 「軍服を着たあなたと話はしない。背広を着たあなたとなら話をしよう」 (12回続きの2回目) |







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みんなが、いち早く、助かります様に・・・・・
2018/1/18(木) 午前 5:28 [ KIKITATA ]
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