★ただ、謝罪と涙★
■「総力の超非人道の虐待いじめ」国家・最高裁・行政・国民
■責任は全員で負う当然性・必然性
◆今出来る事・残すべき教訓
◆<ハンセン病>「今も差別」77%
<ハンセン病>「今も差別」77% 療養所入退所者調査
ハンセン病患者の強制隔離を定めた「らい予防法」の廃止(1996年4月)から20年になるのを前に、毎日新聞は療養所の入所者と退所者を対象にアンケートを実施した。
法廃止後の周囲の状況については、入所者、退所者とも過半数が「ほとんど変わらない」と回答した。
治る病気であるにもかかわらず全体の77%が「病気への差別や偏見がいまだにある」としており、社会の理解が十分に得られていないことがうかがえる結果となった。
厚生労働省によると、13ある国立療養所の入所者は1644人(2015年11月末現在)。
大半は病気が完治している元患者で、平均年齢は83・9歳(同年5月現在)と高齢化している。
全国ハンセン病療養所入所者協議会によると、入所者の4人に1人が認知症だという。
また、国が生活支援で支給する「給与金」を受け取っている退所者は1115人(15年末現在)。
毎日新聞は療養所のうち入所者100人以上の多磨全生園(東京都)▽長島愛生園(岡山県)▽邑久光明園(同)▽菊池恵楓園(熊本県)▽星塚敬愛園(鹿児島県)▽沖縄愛楽園(沖縄県)の入所者に自治会などを通じてアンケートを行い
計570人から回答を得た。
社会復帰した退所者の全国組織を通じた調査でも119人から回答を得た。
入所者の75%、退所者の89%が今も差別や偏見があると回答した。
法廃止後も周囲の変化が「ない」とした入所者は52%、退所者は57%だった。
入所者の17%、退所者の21%が法廃止後、自身や家族・親族が地域で不快な思いをしたり、結婚に反対されたりするなどの差別を受けたとした。
療養所の入所者のうち、63%は介護を必要とする「不自由者棟」で暮らし、「一般軽症者棟」にいる人は31%だった。
「今、不安に感じていること」(複数回答)は
「療養所内に友人、知人が少なくなり孤独を感じる」(45%)
▽「医療や介護の内容に満足できない」(40%)
▽「死亡後の配偶者の将来」(21%)−−の順に多く、高齢化に伴う問題が目立った。
将来的に療養所を保存すべきかどうかについては、43%が必要、28%が不要と答えた。
一方、退所者に対するアンケートでは、
60%が自身の病歴を「家族に知らせている」としたが、
「家族にも知らせていない」と答えた人も9%いた。
「不安に感じていること」(複数回答)では
「自分や家族が介護が必要になった時の対処」が53%と最多で、
「死亡後の配偶者の将来」(39%)、
「病歴を知られること」(34%)と続いた。
「かなえてみたいこと」(複数回答)については
「病歴を隠さずに生きたい」と答えた人が44%に上った。
将来的に療養所に再入所する可能性については11%が「考えている」と回答した。50%は条件付きで検討しているとし、自分の住む地域で充実した医療や介護が望めないと感じている人が多いことがうかがえた。【まとめ・坂本高志、江刺正嘉】
【ことば】ハンセン病
らい菌による慢性の細菌感染症で、末梢(まっしょう)神経のまひや皮膚のただれなどが出る。感染してもほとんど発症しない。戦後、治療薬が普及し、現在、国内の新規患者はほとんどいない。完治する病気になった後も、患者を療養所に強制的に収容する隔離政策が1996年のらい予防法廃止まで続いた。
家族集団提訴 隠れず生きたい
毎日新聞 2016年2月16日 西部朝刊
患者本人同様、深刻な差別を受け続けたことを知ってほしい−−。
ハンセン病元患者の家族59人が15日、初の集団国家賠償訴訟を起こした。
元患者への賠償を命じた熊本地裁判決(2001年確定)の後も顧みられることがなかった家族の被害。
損害賠償請求期限の20年を目前にして、ようやく重い口を開き、
尊厳の回復に向けて立ち上がった。
原告・弁護団は15日午後3時前、原告団長で元九州産業大教授の林力さん(91)ら原告3人を先頭に緊張した面持ちで列を作って熊本地裁に入った。
「被告は国だが、問われるべきは誰なのかを皆さんと一緒に考えたい」。
提訴後の原告・弁護団の記者会見で弁護団の徳田靖之共同代表は、そう切り出した。
「01年の熊本地裁判決で国は断罪されたが、裁かれていないのは私たちの社会。それは法律家、医学界、マスコミ、教育界、そして地域の人たち。この裁判で裁かれるべきは私たち一人一人ではないか」と問いかけた。
「産んでくれた親を憎んだり、疎ましいと思うほど深刻な被害はない。
そういう被害を明らかにすることで家族が被害から解放され、乗り越えていけるように多くの方に裁判へ参加してほしい」と呼びかけた。
林さんは国の不当な隔離政策を批判し、ハンセン病に対する正しい知識が共有されるよう「訴訟を通じてハンセン病の歴史や現状、課題を明らかにしてほしい」と訴えた。【井川加菜美、柿崎誠】
「幸せと思ったことなかった」
実名を公表し記者会見 原告・原田信子さん(72)
父親がハンセン病患者だった原告の原田信子さん(72)=岡山市=は、8歳の時に見た消毒剤の白さが目に焼き付いている。
当時住んでいた北海道の港町の自宅に保健所の職員が押し掛け、近所の人が見守る中、家は消毒剤だらけにされた。父親はそのまま青森県の国立ハンセン病療養所へ。
父親の布団などは山で燃やされた。
その日から周囲の目は一変した。
近所付き合いは一切なくなり、母親は水産加工場を解雇された。
行商を始めたものの、その日の食べ物にも困り、畑でジャガイモを拾うなどして飢えをしのいだ。
学校では同級生が「寄るな」「腐る」とののしった。
掃除でバケツに雑巾を浸せば「(ハンセン病が)うつる」と水を捨てられた。
中学卒業後、飲食店で働き知り合った男性と結婚したが、穏やかな日々はつかの間だった。
夫は酒に酔うたびに父親を引き合いに出して暴力をふるった。
「お前の父親の病気が会社に知られたら出世できない」。
殴られ、歯が折れたことも。長男が成人するのを待って離婚した。
父親は2001年2月、亡くなった。
「あんたの病気のせいで私がいじめられる」。
療養所を訪ね、そう言ってつらく当たったことを後悔した。
帰宅した遺骨を、他界していた母親と同じ墓に納めた。
「結婚生活も短かったからこれから2人離れないで」
熊本地裁が元患者への賠償を国に命じたのは、その年の5月。
何かが変わったような気がして、友人に父親がハンセン病患者だったことを打ち明けた。
だが連絡は途絶えた。
「やっぱり話しては駄目なんだ」。
友達をつくることをあきらめた。
「幸せだと思ったことはあまりなかった。泣いていることが多かったから」。
72年間の人生を振り返る。
あえて実名を出して臨んだ提訴後の記者会見。
涙ぐみながらも、こう訴えた。
「裁判を通じて小さい頃から差別と偏見を受けてきたことを知ってほしい。ずっと小さくなって生きてきたが、これからは隠れず生きていきたい」
【井川加菜美】
21日に全国一斉電話相談
弁護団は21日、ハンセン病家族訴訟に関する全国一斉電話相談を実施する。窓口は▽東日本・中部=東神田法律事務所03・5283・7799▽関西・中国・四国=ヒューマン法律事務所06・6364・4000▽九州=菜の花法律事務所096・322・7731▽沖縄=幸喜・稲山総合法律事務所098・938・4381。
■解説
なお残る根強い差別
国の強制隔離政策を違憲とした国家賠償訴訟の熊本地裁判決(2001年)から15年近く経過し、元患者の救済が一定程度進む中で家族たちが起こした今回の訴訟は、ハンセン病を巡る差別の問題が今も未解決であることを浮き彫りにしている。
家族が就職や結婚など日常生活のあらゆる場面で厳しい差別にさらされてきたことは、元患者が1998年に国賠提訴した時点で分かっていた。だが当時は差別を恐れて家族が孤立し、被害を訴えることができなかった。
03年に家族が集う「れんげ草の会」(事務局・熊本市)が結成されると、情報交換や連携が進み、「患者と同じような被害を受けたのに国から謝罪さえないのはおかしい」との意識が高まった。
元患者を支えてきた弁護団からも「家族の訴訟を支援しないのは責任放棄だ」との声が出た。「ハードルが高い」と家族の訴訟に消極的だったことへの反省もあった。昨秋から準備を始めると全国から相談が相次ぎ、予想以上の数の原告が集まった。
しかし、大半の原告が提訴しても名前を明かせないという現実が、今なお残る差別や偏見の根深さを象徴している。
訴訟の被告は国だが、地域の患者を根こそぎ療養所に収容するために国や自治体が進めた「無らい県運動」に協力したのは国民だったという事実を忘れてはならない。
疾病への無理解から起こる被害を二度と繰り返さないためにも、
私たちは家族の声に耳を傾ける必要がある。
【江刺正嘉】
ハンセン病の隔離政策を巡る経緯
1907 患者隔離を基本とする法律「癩(らい)予防ニ関スル件」制定
1931 「癩予防法」(旧法)制定
1948 患者への断種、中絶手術を認める優生保護法制定
1952 世界保健機関(WHO)が隔離の見直し提言
1953 「らい予防法」(新法)制定
1960 WHOが隔離を否定し、外来治療を提唱
1996 らい予防法廃止
1998 元患者13人が国を相手取り熊本地裁に初提訴
2001.5 熊本地裁が国の隔離政策を違憲とする判決。国が控訴を断念し、確定
2001.6 元患者らに補償金を支給するハンセン病補償法施行
2014.12患者の裁判が裁判所外の「特別法廷」で開かれていた問題を検証するため、最高裁が元患者への聞き取り調査開始
2015.9 鳥取地裁が家族の被害に対する国の賠償責任を認める初の司法判断
2016.2 隔離政策で差別被害を受けたとして、元患者家族が国家賠償を求め熊本地裁に集団提訴
ハンセン病 尊厳取り戻す 塔さんやっと「姉さん」 元患者詩人の弟、国賠訴訟に参加...
ハンセン病:尊厳取り戻す 塔さんやっと「姉さん」 元患者詩人の弟、国賠訴訟に参加
毎日新聞 2016年03月27日 01時34分
国の隔離政策で差別を受けたとして、ハンセン病元患者の家族が29日に熊本地裁に起こす国家賠償訴訟の第2陣に、詩人の故・塔(とう)和子さんの弟、井土(いづち)一徳さん(79)=高知県土佐市=が加わる。父親…
ハンセン病患者 「隔離法廷」手続き形骸化 最高裁、一律に決定
ハンセン病患者:「隔離法廷」手続き形骸化 最高裁、一律に決定
毎日新聞 2016年03月26日 12時58分
ハンセン病患者の刑事裁判が伝染の恐れを理由に裁判所外の「特別法廷」で開かれていた問題で、最高裁事務総局に在籍していた元裁判官が毎日新聞の取材に「特別法廷の設置は事務レベルで決めていた」と証言した。本来…
ハンセン病患者 隔離法廷手続き「形だけ」 最高裁、事務局任せ一律
ハンセン病患者:隔離法廷手続き「形だけ」 最高裁、事務局任せ一律
毎日新聞 2016年03月26日 22時51分
ハンセン病患者の刑事裁判が伝染の恐れを理由に裁判所外の「特別法廷」で開かれていた問題で、最高裁事務総局に在籍していた元裁判官が毎日新聞の取材に「特別法廷の設置は事務レベルで決めていた」と証言した。本来…
タイトル日付
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| 2016/3/27(日) 午後 3:56 |
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| 2014/10/18(土) 午後 8:23 |
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| 2013/6/21(金) 午前 10:20 |
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| 2013/5/22(水) 午前 7:31 |
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| 2013/5/22(水) 午前 6:59 |
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| 2013/3/25(月) 午後 2:12 |
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| 2012/11/26(月) 午前 3:10 |
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| 2012/11/24(土) 午前 10:44 |
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| 2012/6/22(金) 午前 10:34 |
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| 2012/4/2(月) 午後 11:35 |
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| 2011/10/1(土) 午前 6:11 |
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| 2011/9/30(金) 午後 10:46 |
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| 2011/6/27(月) 午前 4:55 |
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| 2011/6/23(木) 午後 4:07 |
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| 2011/5/18(水) 午前 8:33 |
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| 2011/5/11(水) 午後 5:56 |
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| 2011/3/9(水) 午前 9:36 |
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| 2010/7/29(木) 午前 9:58 |
『ベン・ハー』の戦い、今も続ける 『ziizii』
89年間にわたるハンセン病行政の為、
ハンセン病患者隔離政策を違憲、違法と断じた01年の国賠訴訟熊本地裁判決から5/11日で10年。
「裁判に勝っても差別はなくならなかった。私は『隔離』は今も続いていると思う」
普通の人間として生きることを奪われ、
幸せになることの総てを奪われた者たちはこの判決確定で自由の身になれる。
人間らしく生きていける。
そう思ったんです。
ハンセン病患者の現在の心境・ことばです。心に問いかけて下さい。
【もういいかい お骨になっても まあだだよ】
隔離の地を〜故郷なんですよ〜 ・・・・・・・・・・
今もなお全国13の国立のハンセン病療養所には2010年11月末現在2,346名の者たちが入所をしています。ではなぜ故郷に帰れないのでしょう。・・・・・・・・・
ハンセン病は全員が完治しています。
『ziizii』はハンセン病だけでなく、みんなの為に、戦い続けています。
『ベン・ハー』(1959・米・MGM)
母と妹はハンセン病の谷にいるとベン・ハーに言った。
早速彼は、その谷へ行き、母と妹を迎えた。
帰宅の途中、十字架を負って刑場に向かうイエス・キリストと出会う。
奴隷となっていたベン・ハーに、砂漠で水を恵んでくれた人だ。
今度はベン・ハーが1杯の水を捧げた。
その行列を見守った母と妹は、ハンセン病が奇蹟的にいえた。
愛 ・・・
1959年度アカデミー賞にて11部門を獲得している
この記録は現在も破られていない。