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【激怒】【報道しない真実】《ナチスか日本・全世界》
「隔離絶滅行政」大島青松園:合掌。
御弔意「おくやみ」
25日の国立療養所大島青松園での告別式
故・曽我野一美さま
ハンセン病問題の偉大な業績は世界各国で後世に語り続けられます。
悲しいお知らせに呆然としております。
お別れにも伺えず、残念でなりません。
心からご冥福をお祈りいたします。
故・曽我野一美氏の御魂の平安をお祈り申し上げます。
◆「法が患者を蔑視・差別する根拠としてまかり通ってきた。
正しくないだけでなく、加害行為であり、社会的、人道的に決して許されるべきものではなかった」。
今、国・世界・我々に出来る事は、何であろうか・・・
【報道しない真実】
・ ・
大島へ
![]() ○○さん。
リゾート地で有ったら最高のところでしょうね。 綺麗なところであるが故に悲しい所です。 こんなに綺麗なところで考えられないような人権侵害を行ってきたところです。 人目に付かないところで患者を人間と思わないような隔離下の実態を知ってほしいと思っています。 ここで死んで故郷へ帰れない遺骨が2011年現在 1、 香川県大島青松園 物故者 2,096柱 納骨堂 2,078柱 99% ※お骨になっても、わずか18名しか故郷に帰っていない。 これが現実です。 隔離行政とは、病気を治して社会復帰をさせると言う病院本来の使命とはかけ離れた「隔離絶滅」を目指していました。 死んでもなお故郷へ帰れない・・・
納骨堂付の病院なのです。 2012/11/25(日) 午後 9:56 [ 貝殻の歌58 ]
納骨堂
火葬場も納骨堂も高松の見えるところに作られたと・・ その名の通り松の大木が迎えてくれました。
最後に献花
その後係りの方にお願いしてお顔を見せて頂きました。
駆けつけた弁護団にも・・・・
弁護士の一人が泣きだして・・・
優しい弁護士なんです。
棺の中の曽我野さんの手を握り締める弁護士。
注射で内出血した手をziiziiもさすりながら・・・
冷たいziiziiの手よりもっと冷たい手でした。
曽我野さん。
ゆっくり休んでね。
棺に寄りそって・・
園内にある火葬場へ・・・
火葬場への道の左手に、こんなに綺麗な海と空と白砂 ・ ・
![]() ○○さん。
ありがとうございます。 今日は高松に来ています。 9:10の船で大島青松園に行ってきます。 先の裁判の判決前に全国の原告団を結集しその代表にとziiziiがお願いした曽我野一美氏の告別式です。 曽我野前会長は大きな人物でした、ziiziiは副会長として同志として闘った日の思い出を今噛みしめています。 ハンセン病問題はまだ道半ばです。 最後まで見届けてほしかったと思っています。 東京からの帰りで喪服も持ってきていません。 平服でお別れをしてきます。 ハンセン病問題の最終解決を目指してこれからもがんばります。 宜しくお願いたします。 2012/11/25(日) 午前 7:20 [ 貝殻の歌58 ]
『ベン・ハー』の戦い、今も続ける 『ziizii』
89年間にわたるハンセン病行政の為、
ハンセン病患者隔離政策を違憲、違法と断じた01年の国賠訴訟熊本地裁判決から5/11日で10年。
「裁判に勝っても差別はなくならなかった。私は『隔離』は今も続いていると思う」
普通の人間として生きることを奪われ、
幸せになることの総てを奪われた者たちはこの判決確定で自由の身になれる。 人間らしく生きていける。 そう思ったんです。 ハンセン病患者の現在の心境・ことばです。心に問いかけて下さい。 【もういいかい お骨になっても まあだだよ】
隔離の地を〜故郷なんですよ〜 ・・・・・・・・・・
今もなお全国13の国立のハンセン病療養所には
2010年11月末現在2,346名の者たちが入所をしています。
ではなぜ故郷に帰れないのでしょう。・・・・・・・・・
ハンセン病は全員が完治しています。
『ziizii』はハンセン病だけでなく、みんなの為に、戦い続けています。
『ベン・ハー』(1959・米・MGM)
母と妹はハンセン病の谷にいるとベン・ハーに言った。
早速彼は、その谷へ行き、母と妹を迎えた。
帰宅の途中、十字架を負って刑場に向かうイエス・キリストと出会う。
奴隷となっていたベン・ハーに、砂漠で水を恵んでくれた人だ。 今度はベン・ハーが1杯の水を捧げた。
その行列を見守った母と妹は、ハンセン病が奇蹟的にいえた。 愛 ・・・
1959年度アカデミー賞にて11部門を獲得している
この記録は現在も破られていない。 【被曝警告】現実の多くの実例を直視して下さい。
現在の原発事故でも必ずこの問題に直面します。
現在の原発賠償・それ以外の賠償も同じ問題ではないでしょうか?
総てで、巨大な法・医学会・官僚が立ちふさがり、各個人を「切捨て御免」します。
とても、一個人では戦いにもなりません。
みなさんの、ひとり一人が協力できる日が何時か来ればいいですね。
【法・医学会の違法】ハンセン病【今も続く】読売新聞6月26日付 編集手帳
【法・医学会・官僚の違法】
福島被曝病
広島・長崎被爆病
水俣病
アスベスト病
エイズやB型、C型肝炎
ハンセン病
無数にある病・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆京都帝大医学部助教授だった小笠原登氏。
ハンセン病は感染力が微弱で治癒可能だとして、
予防法による患者の強制隔離や、子孫を断つ断種手術などをやめよと主張した。が、
1941年の学会で「地球を四角だと言うに等しい」と糾弾され葬られる
◆大学で小笠原氏に師事した大谷藤郎氏。
旧厚生省に医系技官として入り、療養所患者の待遇改善を進めた。
退官後は、根本解決を目指して、予防法廃止の必要性を学会などで主張した。
師弟の志は半世紀を経て、96年の予防法廃止につながった
◆「法が患者を蔑視・差別する根拠としてまかり通ってきた。
正しくないだけでなく、加害行為であり、社会的、人道的に決して許されるべきものではなかった」。
2011年6月26日01時32分 読売新聞
6月26日付 編集手帳 <らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の碑>と刻まれている。先週、厚生労働省前で催された除幕式を見て、予防法廃止に尽力した今は亡き2人のことを考えた◆京都帝大医学部助教授だった小笠原登氏。ハンセン病は感染力が微弱で治癒可能だとして、予防法による患者の強制隔離や、子孫を断つ断種手術などをやめよと主張した。が、1941年の学会で「地球を四角だと言うに等しい」と糾弾され葬られる◆大学で小笠原氏に師事した大谷藤郎氏。旧厚生省に医系技官として入り、療養所患者の待遇改善を進めた。退官後は、根本解決を目指して、予防法廃止の必要性を学会などで主張した。師弟の志は半世紀を経て、96年の予防法廃止につながった◆「法が患者を蔑視・差別する根拠としてまかり通ってきた。正しくないだけでなく、加害行為であり、社会的、人道的に決して許されるべきものではなかった」。大谷氏の『らい予防法廃止の歴史』(勁草書房)にある◆当時の厚相は菅直人氏。除幕式で、菅首相は「二度と過ちを繰り返さない」と語った。悪法は二度と作らぬ、の誓いと受け取った。
(2011年6月26日01時32分 読売新聞)
【報道6/22】ハンセン病10年現実全く中身がない「国の姿勢を批判」
「国賠訴訟判決を受け、政府は『法的責任を果たす』と約束したのに、
厚労省の施策には全く中身がない。
碑に刻まれた言葉を現実にするため私たちは運動を続けるしかない」と
国の姿勢を批判した。
(現在の原発賠償・それ以外の賠償も同じ問題ではないでしょうか)
貝殻の歌5 8 さん(ziziiさんです)ブログ抜粋
23.6/22当日参加者一部
菅直人首相 細川厚労相 江田法務大臣 会長川内博史 中曽根会長 大塚厚生労働副大臣
除幕式で細川厚生労働大臣挨拶
菅総理挨拶
菅総理の視線の先には・・・ziziiが
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ハンセン病
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【報道各紙多数】【ご逝去の報】【曽我野一美さま】
【ハンセン病問題の全面解決へ向けて先頭に立って戦った】
御弔意「おくやみ」
25日の国立療養所大島青松園での告別式
故・曽我野一美さま
ハンセン病問題の偉大な業績は世界各国で後世に語り続けられます。
悲しいお知らせに呆然としております。
お別れにも伺えず、残念でなりません。
心からご冥福をお祈りいたします。
故・曽我野一美氏の御魂の平安をお祈り申し上げます。
偉大な、輝きを、ありがとうございます。
ありがとうございます。
「脳脊髄液減少症」患者 KIKITATA 大阪府大阪市
【ご参考】
○○さん。
ziiziiは星塚敬愛園と言う鹿児島の療養所で、800名以上の療友をお送りしてきました。 しかし今回はziiziiが始めた裁判に曽我野氏が加わってくれて、全国 3か所の地裁で戦っていた裁判の原告団をziiziiが一つにまとめて行く過程の中で、新たな統一原告団の代表にぜひにとお願いした人でした。それだけに思いが深いものがあります。 まだまだ闘い半ばです。この戦いを最後まで見届けて頂きたかったですね。
2012/11/24(土) 午後 9:40 [ 貝殻の歌58 ] 治療基準
WHOの治療基準皮膚スメア検査と皮疹の数で得られた結果をもとに多菌型(MB)と少菌型(PB)と単一病変少菌型(SLPB)に分けて治療を行う。多菌型はスメア検査で陽性・皮疹6個以上である(LL、BLとBBに相当)。少菌型はスメア検査で陰性・皮疹5個以下である(TT、一切のBT、I群に相当)。WHOの基準ではMBで1年間、PBで6か月間の治療を終了した時点で菌検査の有無を問わず完治とする。また、患者としても除外される。
大島青松園、国立ハンセン病療養所、白砂青松、香川県
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今から配信です、是非ご覧ください。
【インターネット生配信】【今日22日午前11:00〜12:00までの】
【ハンセン病問題】
インターネットによる生配信を行います。
下をクリックして下さい。
今日22日午前11:00〜12:00までの生配信です。
貝殻の歌5 8 さんよりの以下は転載記事です。
「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」
今日6月22日
今日6月22日は「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」という「日」です。
今日22日、午前11時から12時まで、厚生労働省正面玄関前の「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の碑」の前で式が執り行われます。
式次第は省略しますが、式典の映像はインターネットによる生配信を行います。
是非ご覧くださいね。
下をクリックして下さい。
今日22日午前11:00〜12:00までの生配信です。
今日はこの後、14:00〜16:00まで都道府県会館において、厚生労働副大臣を座長にした「24年度定期協議会」を開催します。
追悼式の仕切りをziiziiが毎年やっていますが、今年もziiziiの剥げた頭がパソコンに映るはずです。
尚、「協議会」も全原協代表で出ています。
一番おとなしいのがziiziiです(笑)
今日22日はハンセン病問題を国民の皆さんに知っていただく、そんな「日」です。
このziiziiのブログを見ていて下さる方はziiziiを通してハンセン病問題を少しでも知っていただけたらと思っています。
あんまり肩ひじ張らないでハンセン病問題に興味を持っていただき、この国がハンセン病元患者らにどのような過酷な人生を強要してきたのかを、少しずつ知っていただけたらと思っています。
ziizii。
【ご参考】
治療基準
WHOの治療基準皮膚スメア検査と皮疹の数で得られた結果をもとに多菌型(MB)と少菌型(PB)と単一病変少菌型(SLPB)に分けて治療を行う。多菌型はスメア検査で陽性・皮疹6個以上である(LL、BLとBBに相当)。少菌型はスメア検査で陰性・皮疹5個以下である(TT、一切のBT、I群に相当)。WHOの基準ではMBで1年間、PBで6か月間の治療を終了した時点で菌検査の有無を問わず完治とする。また、患者としても除外される。
総ての方が完治します。そして、完治されています。
しかし、今も、この今も、多くの問題を抱えています。
ハ ン セ ン 病 私のブログです。
是非とも一覧して下さい。
「生命だけは平等だ」
平等院蓮 平等院とは、救済が平等ということを意味します。
原生林の中を流れ下る清流。多くの生命の源である。
上記の文責は、総て私に有ります。
ご自由に、ご使用下さい。 ありがとうございます。 転載は、御自由です。 (一部転載も御自由です
みんなが、いち早く、助かります様に・・・・・・・
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何故 宮司が「拉致問題」に熱心なのか?
今日も寒風の中から
車椅子の「リーさん」の励ましの声がする。
これは、内緒の話だが・・宮司は「韓国や朝鮮の人達」が好きなのです。
それは昔に会った「車椅子のリーさん」や金さんが大きく影響しています。
りーさんは会うたびに言っていた。
「韓国人・北朝鮮人・・みんな悪くない・・悪い人は、どこの国にもいるね・・だから・・日本人偉くしたら駄目ね・・仲良くするあるね」・・・
宮司が拉致問題に関わっているのも、車椅子の「リーさん」がそうしなさいと叫んでいるからなのです!
「韓国・北朝鮮と日本は兄弟あるね・・・仲良くするあるね」とりーさんが天国から叫んでいる。
宮司は「世界はみんな家族」だという信念に動かされている
韓国人や朝鮮人が嫌いだから
拉致問題に取り組んでいるわけではない
むしろ韓国や北朝鮮が好きだからこそ
拉致問題に取り組んでいる
(忘れられないある思い出)
車椅子を飲んだ、リ-さんや金さんとの思い出!
宮司をする前は 私は警官でした。 そんなある日の出来事です。
ハンセン氏病で両足を失った、朝鮮人のり-さんが
大阪の西成萩の茶屋の公園にダンボールの中で住んでいました。
萩の茶屋商店街を、膝で歩いて
西成警察署まで来るのです・・・
すると・・・西成署の受付が大騒ぎになります。
玄関はリーさんの強烈な臭いが充満します
ウンコだらけの足を血だらけにしたリ-さんから人々は離れるのです。
当時、大阪府警の西成署にいた宮司をリ-さんは大好きだったのです。
署の受付の公かいで、
私は、肩を抱きウンコだらけの身体を、
温かいタオルで拭き
新しいパンツと半ズボンをはかせる。
「さとしゃん!ありがとうよ・・俺がハンセン病だからみんな逃げる・・でもさとシャン逃げない・・どうしてか?」
そうすると、
私は何時も答える「人間は死ぬ時は死ぬ!死なない時は死なない・・あなたを抱きしめて死んでも後悔しないから」
私は,リ-さんに聞く
「この前、区役所で貰ってあげたあの車椅子はどうしたの?」
り-さんは、照れながら 「エッへへ・・・車椅子を売って酒を飲んだ」・・・コマッタね」
私は少し声を荒げて
「あれ程まで苦労してもらってあげた車椅子飲んだらあかんやん」・・
しばらく沈黙。
リ-さんは言う二度と車椅子飲まないから・・
車椅子欲しい・・足痛いよ」・・
「もしもし、西成警察の佐藤ですが
車椅子をリ-さんに、何とかなりませんか?」
区役所職員「駄目です、これで三回目だから」・・
しばらくして三角公園でしょんぼりしているり-さんを見た・・
足から血が滲み、腫れている。
ああ、何とかしてあげねばと思い、車椅子の製造元の八尾に電話を入れ、
西成警察に車椅子一台の寄付を要請した。
快く承諾してもらい・・・それを、リ-さんに「西成警察署佐藤寄贈」と名入りで渡した・・・
さすがにこの「車椅子」は、飲まなかった。
り-さんは思うところがあり、金さんと二人で、駅周辺や地下鉄乗り場で古本を集めだした・・
以前のように飲んだくれていなかった。
り-さんは言った。
「このさとしゃんの大事な車椅子は、飲めませんよと」・・笑った。
その後、暴力団から暴力団担当の警官が賄賂を貰っていた事から暴動が起きた。
何日間も暴動が鎮まらないので・・・ 署長の名代として、私は玄関で土下座して民衆に謝罪した
「今回のことは、間違いなく警察が誤っている、労働者諸君が怒るのは当然だ・・署長の代わりに私が謝る、どうか許して欲しい」
その時・・正直
石や角材が、飛んでくると覚悟した。
・・・だが、労働者の前に立ちはだかったのは、機動隊ではなかった。
あの両足のない朝鮮人のり-さんや金さんだった。
両手を広げ叫んでくれた・・・
「この警官に石を投げるな、この人は、命の恩人だから・・」と
何台もの車椅子の仲間が叫んでくれた。
そして西成暴動は鎮まった。
ありがとう・・私を命がけで護ってくれた・・車椅子・・・今でも忘れない「リ-さんや金さん」・・・・・
あれから今・・・宮司は、 拉致被害者を救うため立ち上がっている・・・リ-さん、金さんを思い出しながら・・・・拉致家族の泣き声を、聞きながら。涙をこらえて北朝鮮の人々を怨んではいない。
り-さんと金さんはお別れに来た「さとシャン〜古本売って少しお金できた・・今から、神戸の長田にいる知人と本屋をする、」と嬉しそうに言った。私は、車椅子に餞別と挙手の敬礼を贈った。 その後元気だと便りをよこした・・・・・だが、・・・あの阪神淡路大震災で、長田近辺の公園で亡くなったと聞いた・・・その場所に花をたむけ・・ 私は泣いた・・・国境の壁を越え、民族の壁を越えて
涙がとめどなく流れて止まらなかった。・・その年・・私は静かに大阪府警を退職した。 |

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熊本日日新聞社 2011年09月30日
くまにちコム トップ > 熊本のニュース > 熊本地裁のハンセン病訴訟終結 最後の和解成立
熊本地裁のハンセン病訴訟終結 最後の和解成立 2011年09月30日
同地裁では計2160人の元患者について、判決や和解による救済が図られ、国の支払い総額は241億円に上る。 原告弁護団によると、30日の和解では、国が難色を示していた1947年の国家賠償法施行前に療養所から退所した元患者について、和解金の水準を減額することで双方が合意した。 和解を終え、徳田靖之弁護団長は「裁判を通じて新たな人生を歩み始めた原告たちと手を携え、差別や偏見の解消など根本的な問題解決に向けて頑張り抜きたい」と話した。 ハンセン病国賠訴訟は全国3地裁で元患者4120人について提訴され、岡山では既に全員が和解。東京では5人分が係争中だが、年内にも和解する見通しだという。 同訴訟は98年7月、菊池恵楓園(合志市)などの入所者13人が熊本地裁に提訴。2001年5月の判決で、同地裁は隔離政策を違憲と認め、国に賠償を命じた。判決の確定を受けて和解が進み、元患者の遺族と入所歴のない元患者についても02年1月に和解が成立した。(小林義人) 熊本放送 ハンセン病西日本国賠訴訟が終結 (30日 17:28)
2011年09月30日 17:28 現在
ハンセン病西日本国賠訴訟が終結 ハンセン病国賠訴訟の熊本地方裁判所判決から10年。 その後,すすめられた熊本地裁での和解がすべてきょう終了し弁護団が報告会見を開きました。 この裁判では1997年に国が、らい予防法のもと行った隔離政策は違憲として国立療養所に隔離された入所者や遺族らが提訴したもので2001年に熊本地方裁判所が国の責任を認める判決を下し確定しました西日本での裁判では1次から58次訴訟まで当事者が2160人遺族まで含め4391人の原告が提訴し和解金額は遅延損害金も含め241億8600万円となります。 01年5月23日夕、ハンセン病患者の隔離政策の見直しを怠ったとして国が全面敗訴した01年5月11日の熊本地裁判決に対し、政府は、控訴断念を発表。
小泉首相は、「今回の判決を、重く受け止めまして」「きわめて異例な判断ですが、政府声明を出して、控訴を行わないことに決定いたしました」と記者団に語る。
福田康夫官房長官は、「(方針転換は)首相の政治決断だ」と記者団に明言、記者会見で、「患者・元患者の方々が強いられてきた苦痛と苦難に対し、政府として深く反省し、おわびを申し上げる」と、政府として公式に謝罪、さらに「ハンセン病問題はできる限り早期に全面的な解決を図ることが必要だ」と述べた。
政府声明
2001(平成13)年5月25日
閣 議 決 定 政府は、平成13年5月11日の熊本地方裁判所ハンセン病国家賠償請求訴訟判決に対しては、控訴断念という極めて異例の判断をしましたが、この際、本判決には、次のような国家賠償法、民法の解釈の根幹にかかわる法律上の問題点があることを当事者である政府の立場として明らかにするものです。
1.立法行為については、国会議員は国民全体に対する政治的責任を負うにとどまり、国会議員が個別の国民の権利に対応した関係での法的責任を負うのは、「立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて立法を行うというごとき、容易に想定し難いような例外的な場合」(最高裁判所昭和60年11月21日第一小法廷判決)、すなわち故意に憲法に違反し国民の権利を侵害する場合に限られます。これに対して、本判決は、故意がない国会議員の不作為に対して、法的責任を広く認めております。このような判断は、司法が法令の違憲審査権を超えて国会議員の活動を過度に制約することとなり、前記判例に反しますので、国家賠償法の解釈として到底認めることができません。
2.民法第724条後段は、損害賠償請求権は20年を経過することにより消滅する旨規定していますが、本判決では、結果的に40年間にわたる損害の賠償を認めるものとなっております。この点については、本件の患者・元患者の苦しみを十分汲み取って考えなければならないものではありますが、そのような結論を認めれば、民法の規定に反し、国民の権利・義務関係への影響があまりに大きく、法律論としてはこれをゆるがせにすることができません。
国会決議
2001年6月7日衆議院本会議
2001年6月8日参議院本会議
去る5月11日の熊本地方裁判所におけるハンセン病国家賠償請求訴訟判決について、政府は控訴しないことを決定した。本院は永年にわたり採られてきたハンセン病患者に対する隔離政策により、多くの患者、元患者が人権上の制限、差別等により受けた苦痛と苦難に対し、深く反省し謝罪の意を表明するとともに、多くの苦しみと無念の中で亡くなられた方々に哀悼の誠を捧(ささ)げるものである。
さらに、立法府の責任については、昭和60年の最高裁判所の判決を理解しつつ、ハンセン病問題の早期かつ全面的な解決を図るため、我々は、今回の判決を厳粛に受け止め、隔離政策の継続を許してきた責任を認め、このような不幸を二度と繰り返さないよう、すみやかに患者、元患者に対する名誉回復と救済等の立法措置を講ずることをここに決意する。
政府においても、患者、元患者の方々の今後の生活の安定、ならびにこれまで被った苦痛と苦難に対し、早期かつ全面的な解決を図るよう万全を期するべきである。
右決議する。
控訴断念を受けての原告団の言葉
「いろんな国の立場というものもあろうが、我々が本当に暗やみの中にいたのに光が見えてきたということなので、ぜひこの光を応援してほしい」
「やっと一人の人間として生きていける。各地の納骨堂に眠る2万3000以上の御霊にいい報告ができる」
「8歳のころ、2畳ほどの部屋に隔離された。その後、一家は離散。猫のように捨てられた。地獄のような苦しい生活がよみがえってくる。私は今回の結果を信じていた。今夜は眠れません」
「小泉首相に会うまで追い詰められた気持ちだった。思いが通じた」
「新しい夜明けが近づいた。政府が控訴を断念した以上、岡山と東京の訴訟は熊本地裁と違った判決を出せず、もはや意味がない。今後は全面解決への詰めの交渉が必要になる」
70年代に旧厚生省の公衆衛生局長としてハンセン病対策に取り組み、退官後は患者の救援を行ってきた大谷藤郎・国際医療福祉大学長の言葉⇒証言
≪人間を見つめる政治が前面に躍り出たように感じ、涙が出るほど感激している。何度も苦い思いをしてきたので、今回も厳しい結論ではと心配だった。元厚生省幹部の一人として、なぜこんな悲惨なことが放置され続けてきたのか、医学界の社会的責任を明らかにしたい。それが後世の若い医師たちに対する責任だと思う≫
・・・・・・・ ・・・・ ・・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・
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ハ ン セ ン 病の書庫
【ハンセン病裁判終結 】(2011/9/30(金) 午後 8:41)13年2か月の歳月【これから先の闘い】
【報道6/22】ハンセン病10年現実全く中身がない「国の姿勢を批判」
【もういいかい お骨になっても まあだだよ】【ハンセン療養所の現実】10年
上記の文責は、総て私に有ります。 ご自由に、ご使用下さい。 ありがとうございます。 転載は、御自由です。 (一部転載も御自由です)
みんなが、いち早く、助かります様に・・・・・・・
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