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◆さくらんぽ完熟・収穫
◆開花から、お孫さんとの楽しみ
■大阪市大正区
◆散歩道での出会い、
お孫さんが小学生2年生の時に一緒に植えたさくらんぽ、
毎年、お孫さんと収穫されます。
お孫さんが今年は大学生になられたとの事でした。
この連休に、来られたようです。
小鳥にあげたあと、収穫されたようです。
2015.4.30.◆さくらんぽ完熟
2015.4.27.◆さくらんぽ
2015.4.17.◆さくらんぽ
2015.4.4.◆すみれ
2015.4.2.◆さくら満開
2015.4.2.◆おおいぬふぐり
2015.4.2.◆たんぽぽ
2015.3.31.◆さくらんぽ
2015.3.19.◆さくらんぽ
2015.3.15.◆さくらんぽ
2015.3.10.◆さくらんぽ
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花々の美しさ
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■”日本はスミレ王国”
■スミレ自然群生◆道路縁に100メートル群生◆大阪市大正区四月四日
■スミレ自然群生◆道路縁に100メートル群生◆大阪市大正区四月四日
花は独特の形で、ラッパのような形の花を横向きかやや斜め下向きにつける。5枚の花びらは大きさが同じでなく、下側の1枚が大きいので、花の形は左右対称になる。ラッパの管に当たるのは大きい花弁の奥が隆起したもので距(きょ)という。花茎は根際から出て、やや立ち上がり、てっぺんで下を向いて花のラッパの管の中程に上側から着く。
道路縁に群生 スミレ(Viola mandshurica)
スミレ科にはおよそ16属850種があるが、そのうちでスミレ属が400種を占める。科全体としては樹木の方が多く、スミレ属がほとんど草本からなるのはやや特殊である。スミレの仲間は現在盛んに種分化が進行していると考えられるため、非常に変化が激しく、日本では各地の変種や色変わりをも含めて、学名があるものが250もある。分布は沖縄から北海道までの全土に渡り、各地に固有種がある。道ばたや野原に咲くものもあれば、山奥の渓流のほとりに咲くもの、高山のお花畑に咲くものまで、様々である。
”日本はスミレ王国”とさえ言れる。
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あら・・・・・沙羅双樹 ↓
「今日の大阪市大正区」草木と蝶と台風
たんぽぽ 2014.11.1.
大正区 昭和山公園 2014.11.1.
大阪市大正区より見た通天閣と高さ日本一のハルカス 2014.11.1.
通天閣↓ 地上300m日本一の超高層ビル「あべのハルカス」 ↓
2014.11.1.
リュウノヒゲ 2014.11.1.
酢漿草 (かたばみ) 雨後の曇で花は閉じています。 2014.11.1.
酢漿草 (かたばみ) 天気の良い日は開きます。
内部被曝実験【重要】 琉球大学・大瀧研究室
http://iryou.chunichi.co.jp/img/article/201304/20130426142113599/20130426142113599_c65e87557ce246445ee56463f7e7907a.jpg 正常な個体 ヤマトシジミ蝶 (26.10.25.大阪市大正区撮影) 大阪市大正区 ヤマトシジミ蝶 2014.11.1
酢漿草 (かたばみ)の花が閉じていて、蜜が吸えません。
天気図(予想)2014年11月1日 10時00分発表 又、台風がやってきます。
【脳脊髄液減少症】患者も、ヤマトシジミ蝶も、嵐は過ぎて行きます。 少し我慢をね。
【脳脊髄液減少症】台風に付いて この記事のURL: http://blogs.yahoo.co.jp/kikitata3/33459675.html
静止気象衛星画像(地球)
(日本標準時 (JST) は協定世界時より9時間進んでおります。)
(下記の画像は自動更新されます)
あら・・・・・沙羅双樹 ↓ こころの時代〜宗教・人生〜 アンコール「東洋思想の根底にあるもの」
【娑羅双樹】やさしさ、強さ、気品高貴の花と樹木 釈迦 平家物語
【娑羅双樹】 花の季節は6月中旬です。
今年は有馬温泉にて念仏寺の沙羅双樹の花が見れるかな・・・
念仏寺の庭には、樹齢270年の沙羅双樹の木があり、真っ白な花を咲かせます。
花の大きさは直径5cm程度で、花びらは5枚で白く雄しべの花糸が黄色い。
朝に開花し、夕方には落花する一日花である。
祗園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり 娑羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらは(わ)す おごれる人も久しからず 唯春の夜の夢のごとし たけき者も遂にはほろびぬ 偏に風の前の塵に同じ (平家物語の冒頭部分より) 口語訳 祇園精舎の鐘の音には、諸行無常すなわちこの世のすべての現象は絶えず変化していくものだという響きがある。 沙羅双樹の花の色は、どんなに勢いが盛んな者も必ず衰えるものであるという道理をあらわしている。 世に栄え得意になっている者も、その栄えはずっとは続かず、春の夜の夢のようである。 勢い盛んではげしい者も、結局は滅び去り、 まるで風に吹き飛ばされる塵と同じようである。 ヒンディー語ではサールと呼ばれる。日本語の「シャラ」または「サラ」の部分はこの読みに由来している。
涅槃図にもよく描かれている四組の沙羅双樹
四組の沙羅双樹 宝台をかこんで生えているのは沙羅の樹で、二株づつ計八本あります。 この樹は常緑樹なのですが、釈尊の死に際して突然白く変色したというので、この画でも向って右側三本は葉が白く変色しており、中央の二本も白くなりかけています。 「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」という『平家物語』の名文句は、この光景に依っています。 沙羅の樹の間から見える波は跋提河で、空には満月が輝いています。 釈尊入滅は二月十五日でしたから満月なのです。京都では、妙心寺内東林院や、嵯峨鹿王院の沙羅双樹が有名です。
沙羅双樹 (さらそうじゅ)(「娑羅双樹」とも書く)(沙羅の木(さらのき、しゃらのき))
夏椿 ≠ 沙羅双樹
心も落ち着くいいところです。
こころの時代〜宗教・人生〜/宗教の時間
11月1日(土) 午後1時00分 〜 午後2時00分
こころの時代〜宗教・人生〜 アンコール「東洋思想の根底にあるもの」
人知を超えた自然災害が続き、原子力の安全神話のほころびも見え始めた現代社会。人間と自然を一体と見た東洋思想による豊かな人生を紹介【初回放送2013年9月1日】
インドから中国、朝鮮半島を経て日本に伝えられた東洋思想。
主要なものとしては、仏教、道教、儒教の三つの教えがあげられるが、これらの教えには、近現代の欧米で発達した科学文明の思想とは大きな違いがある。
科学の立場が自分を自然から切り離した所から観察するのに対し、
伝統的な東洋思想では、自分と自然を一体のものと見る。
東洋思想の自然観、人間観の豊さを紹介する。
【出演】東洋思想研究家…境野勝悟,【きき手】金光寿郎 |
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秋色・室内の平等院・宇治川の葦と暮らす日々。
大阪市大正区の10月29日
葦は、下記の時に宇治川より小さい葦を持ち帰ったもので、
今も元気にしています。
上記の、葦は、下記の時に宇治川より小さい葦を持ち帰ったもので、今も元気にしています。
「太陽の道」 平等院「世界遺産」 (そうです、総ての、あなた自身が太陽なのです)
東から、山を照らし、宇治川、朝霧橋を渡り、平等院の正面屋根が見えます。
平等院が照らされます。
阿弥陀さんの尊顔に朝日が差し込みます。
宇治川本流
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“真に理想の女性像”上村松園展5/4「真・善・美の極致に達した本格的な美人画」
「戦場の軍人と同じ血みどろな戦いでした」
(昭和23年)女性として初めて文化勲章を受賞
平成26年5月4日
平成26年5月4日
美術館の広い庭園の「はなみずき」は自由自然に天に満開。
以下は、http://image.search.yahoo.co.jp/search?p=%E4%B8%8A%E6%9D%91%E6%9D%BE%E5%9C%92&aq=-1&oq=&ei=UTF-8
『序の舞』(1936)
「何ものにも犯されない女性の内に潜む強い意志をこの絵に表現したかった。
一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香り高い珠玉のような絵こそ、私の念願するものなの
です」(松園) ※右腕の裾が捲くれている。激しい動き(情熱的に生きた)の直後の静寂だ 『焔(ほのお)』(1918) 光源氏の愛人・六条御息所が、正妻の葵上に嫉妬して生霊となった姿だ。
怨念を込めて乱れた髪を口で噛むなど、なんともオドロオドロしいッス…
『焔』製作中の松園
松園自身「なぜこのような凄絶な作品を描いたのか自分でも分からない」と語り、この作品の発表後、3年間なにも展覧会に出品しなかった。
その約20年後、様々な苦悩を克服して描かれたのが、先の「序の舞」だ。 社会の偏見とは敢然と戦った松園だったが、40代に入って年下の男性に大失恋し、スランプに陥ってしまう。1918年(43歳)、そこから生れた作品が問題作『焔(ほのお)』だ。清らかな美人画を描き続けてきた松園が刻んだ、女の怨念の世界。題材となったのは、光源氏の愛人・六条御息所が、正妻の葵上に嫉妬して生霊となった姿だ。能面では白目に金泥を入れると「嫉妬」を表現する面になる。この絵でも金泥が入っており、乱れた髪を口で噛むなど何ともオドロオドロしい。松園自身、「なぜこのような凄絶な作品を描いたのか自分でも分からない」と語り、この作品の発表後、3年間展覧会への出品を一切断つ。しかし皮肉にも、この作品が松園の評価をさらに高めた。それまで彼女を単なる美人画描きと否定していた連中は、凄まじい情念が込められた『焔』に、松園のすごみに圧倒された。
画風 京の伝統風俗 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%91%E6%9D%BE%E5%9C%92「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵」、
「真・善・美の極致に達した本格的な美人画」
(いずれも松園のことば)を念願として女性を描き続けた。
1948年(昭和23年)女性として初めて文化勲章を受賞。
【 あの人の人生を知ろう〜上村松園(しょうえん) 】
京都出身。本名津禰(つね)。父は生れる二ヶ月前に他界していた。家は葉茶屋で、母が女手一つで彼女を育て上げる。子どもの頃から絵がたまらなく好きだった松園は、小学校を卒業すると、京都に開校したばかりの日本最初の画学校に12歳で入学する。しかしカリキュラム優先の学校よりも、尊敬する師匠の内弟子となって修業する方が身になると思い翌年退学、鈴木松年に師事する(1888年)。めきめきと腕をあげる彼女は“松園”の号を与えられた。親戚や周囲には彼女のこうした生き方を非難する声も多かった。明治の世では「女は嫁に行き家を守ることが最上の美徳」とされており、教育を受けたり絵を習うということは中傷の対象だったのだ。
1890年、第3回内国勧業博覧会に出品した「四季美人図」が英国皇太子コンノート殿下の買上げとなり、彼女は15歳にして一等褒状を受け、「京に天才少女有り」と世間から俄かに注目されるようになった。新たな画法を学ぶべく師匠を幾度と変えていった松園は、20歳から京都画壇の中心人物・竹内栖鳳(せいほう)に師事する。やがて27歳で妊娠。相手は最初の師匠松年と言われているが、先方に家庭があるため松園は多くを語っていない。彼女は未婚の母の道を選び、世間の冷たい視線に耐えながら長男松篁(しょうこう)を出産する。※松篁は成長して画家になり文化勲章を受章している。
私生活がどんな状況でも、早朝から絵の勉強を怠らなかった彼女。その絵筆はますます冴え渡り、各地の展覧会・博覧会で作品が高く評価された。飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍する松園は、「女のくせに」とライバルの男性画家たちから激しい嫉妬と憎しみの対象になった。それは晩年に松園が「戦場の軍人と同じ血みどろな戦いでした」と記すほどで、女性の社会進出を嫌う保守的な日本画壇の中で、ひたむきに、孤高に絵筆を握り続けた。 誹謗や中傷が渦巻く中、1904年(29歳)には、展覧会に出品中の『遊女亀遊』の顔が落書きされるという酷い事件も起きる。会場の職員から絵を前に「どうしますか」と尋ねられた松園は、「そのまま展示を続けて下さい。この現実を見せましょう…」と語ったという。 小柄な松園だが精神力は鋼のようだった。描かれる女性達はどれも凛として気品に満ちており、画風はどこまでも格調高かった。1907年(32歳)に始まった文部省美術展覧会(文展)では、毎回のように入選&受賞を繰り返し、第10回からは“永久無鑑査”となる。多くの人々が作品に魅了され、以降、帝展、新文展、日展の審査員となる一方でニューヨーク万国博覧会に出品もした。 しかし、社会の偏見とは敢然と戦った松園だったが、40代に入って年下の男性に大失恋し、スランプに陥ってしまう。1918年(43歳)、そこから生れた作品が問題作『焔(ほのお)』だ。清らかな美人画を描き続けてきた松園が刻んだ、女の怨念の世界。題材となったのは、光源氏の愛人・六条御息所が、正妻の葵上に嫉妬して生霊となった姿だ。能面では白目に金泥を入れると「嫉妬」を表現する面になる。この絵でも金泥が入っており、乱れた髪を口で噛むなど何ともオドロオドロしい。松園自身、「なぜこのような凄絶な作品を描いたのか自分でも分からない」と語り、この作品の発表後、3年間展覧会への出品を一切断つ。しかし皮肉にも、この作品が松園の評価をさらに高めた。それまで彼女を単なる美人画描きと否定していた連中は、凄まじい情念が込められた『焔』に、松園のすごみに圧倒された。 1934年、ずっと影で松園を支えてくれていた母が死亡。その2年後の1936年、61歳の松園は代表作となる『序の舞』を完成させる。それは女性が描く“真に理想の女性像”だった。様々な苦悩を克服して描かれたのは、燃える心を内に秘めるが如く、朱に染められた着物を着て、指し延ばした扇の先を、ただ真っ直ぐに、毅然として見つめる女性だった。「何ものにも犯されない女性の内に潜む強い意志をこの絵に表現したかった。一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香り高い珠玉のような絵こそ、私の念願するものなのです」(松園)。 1948年(73歳)、女性として初めて文化勲章を受章。その翌年74歳で逝去した。現代の画壇では「松園の前に松園なく、松園の後に松園なし」とまで言われている。 「気性だけで生き抜いて来たとも思い、絵を描くために生き続けて来たようにも思える」(松園) ※近代日本の美人画の代表的作家は、西(京都)の松園と東の鏑木(かぶらき)清方。松園の3歳年下だった鏑木は、若い頃を回想して「松園の作品は自らの目標であり、裏返しても見たいほどの欲望にかられた」と記している。 入口の藤棚も満開・・・ クマバチ君達も、蜜をもとめて・・・
嫌われ者の、毛虫君も、糸を引いて風で、新天地へ・・・ ここでは、多くの蝶も見れました。
モンシロチョウ・黄色蝶蝶・アゲハ蝶・アオスジアゲハ・コノハ系蝶・シジミ蝶2種・・・
多くの自然の残る地域でした。
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